1921年 沖縄県立農林学校卒

1969年11月 デパートリウボウ・琉球新報社「南蛮古陶展」で、左から外間正幸(1969年~1981年ー琉球政府立博物館館長)、大嶺薫(1946年~53年ー東恩納博物館長)、山里永吉(1955年~58年ー琉球政府立博物館館長/写真中央が朝潮、左が大嶺薫
朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日)は、本名・米川 文敏、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で、高砂部屋に所属していた大相撲第46代横綱。→ウィキペディア



1945年8月 石川市東恩納にアメリカ軍政府「沖縄陳列館」設立

□今秋、那覇新都心に沖縄県立博物館・美術館がオープンする。外見からも最高の文化施設になると確信するのは私一人ではないと思う。「沖縄の戦後は石川から始まった」とよく聞くが、戦後初の博物館が石川市にあったことを知る人は少なくなってきている。東恩納の民家を使っての博物館で民家は今も健在で2005年3月に石川市の文化財として指定を受けている。民家は沖縄市から石川に向け国道329号の栄野比の坂を上がり切ったところの交差点を右に入った住宅地にある。
1945年8月に米国海軍政府のハンナ少佐らが中心となり、石川市東恩納の軍政府コンセット群の一隅残っていた民家(平良栄徳宅)を転用し沖縄陳列館が設立された。大宜味村に避難していた大嶺薫が招かれハンナ少佐の下で陳列館の資料収集に駆け回る。大嶺は琉球の古美術、歴史、考古学に幅広い知識を持った研究者でもあり戦前から古美術品を収集していた。私のコレクションに東恩納博物館当時の事務資料がまとまってある。紙面の都合上主なものを紹介する。
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(2007年10月7日『琉球新報』翁長良明(携帯090-3793-8179)「戦後の象徴『石川』旧東恩納博物館」)


1970年10月12日『琉球新報』山里永吉「シュープ大将と大嶺薫」




大嶺薫アルバムを手にー翁長良明氏/写真中央が仲宗根 美樹、その前が宮城仁四郎、大嶺薫
仲宗根 美樹(なかそね みき、1944年6月23日 - )は、日本の歌手。東京都出身。本名は國場 勝子(くにば かつこ)。東洋音楽学校卒業。ミュージック・オフィス合田所属。→ウィキペディア


写真中央が山下清、左が大嶺薫山下 清(やました きよし、1922年(大正11年)3月10日 - 1971年(昭和46年)7月12日)は、日本の画家。日本中を放浪していたことで知られている。→ウィキペディア/写真前列左から3人目が大空 眞弓、その後が大空 眞弓 大空 眞弓(おおぞら まゆみ、1940年3月10日 - )は、日本の女優。本名、中田 佐智子。東京都港区生まれ。オフィスのいり所属。→ウィキペディア

自宅で大嶺薫/2016年1月8日 沖縄県立博物館・美術館上空