1889年11月ー松山傳十郎『琉球浄瑠璃』いろは家

松山傳十郎 資料
□1937年10月 『書物展望』石井研堂「琉球浄瑠璃ー前号の、『琉球もの雑本』の記事につれて思い出した[琉球浄瑠璃]の一本を紹介する。[琉球浄瑠璃」は、友人松山いろは氏の著作で、明治22年の発行、四六版92頁、山田美妙序、市川團洲題詞、獨幹放史(大森惟中)跋、その凡例に、『琉球國に、組躍と名づくる歌舞伎狂言あり、其の種類三百以上に達す。而して、其の最著名なるもの五つあり、村原と云ひ、八重瀬と云ひ、忠心身代巻と云ひ、姉妹讐討と云ひ、久志の若按司と云ふ、本書は、則此五大書の一なる久志の若按司を評釈せしものなり』とあり、内容から言えばただ[琉球浄瑠璃」ではなく評釈の二字を冠するのが妥当なようだ。・・・」

 石井研堂ー数種の少年雑誌の編集に携わり、明治41年、『実業少年』*3を創刊したが、明治44年、同誌の廃刊をもって、少年雑誌の編集から離れ、著述生活に入る。研堂は、民間説話収集にも関心を寄せ、『日本全国国民童話』を著した。その一部は関敬吾の『日本昔話集成』*4にも採録されるなど、今日でも評価されている。他に、江戸時代の漂流記・漂流譚を子ども向けに紹介した『日本漂流譚』、資料調査に加え、中濱萬次郎自身へのインタビューに基づく伝記『中濱萬次郎』、創作読物『鯨幾太郎』『少年魯敏遜』など海事関係の著述も多い。→「福島の児童文学者 列伝3 石井研堂 - 福島県立図書館」

石井研堂資料

1926年10月 石井研堂『明治事物起源』春陽堂



石井研堂
生年: 慶応1.6.23 (1865.8.14)
没年: 昭和18.12.6 (1943)
明治・大正・昭和期の在野の文化史家。本名民司。奥州二本松藩領郡山村(福島県郡山市)生まれ。郡山小学校を卒業後,同校教員などを務めたのち上京,明治22(1889)年雑誌『小国民』(のち『少国民』)の編集者となる。当時数多くあった少年雑誌のうちで,同誌が「雑誌界之大王」を標榜するほどの人気雑誌となったのは,近代日本のエリートコースを進まなかった研堂が,かつての自分のような境遇にある独学少年たちの希望にかなった雑誌作りをしたからであろう。そういうセンスは同34年から同37年にかけて刊行された単行本シリーズ『理科十二ケ月』や『少年工芸文庫』にも通底している。その著『明治事物起原』(1908刊,44年改訂増補版)は,明治文化を知る百科事典といえる。吉野作造らの明治文化研究会に属し,明治文化全集の編集にも当たった。<参考文献>山下恒夫『石井研堂』 (坪内祐三) →コトバンク