崔承喜
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1936年10月22日ー沖縄新聞社の招待で崔承喜一行(10名)、開城丸で来沖。

1936年8月ー日本民俗協会『日本民俗』第13号□琉球古典芸能の印象ー杉浦非水「大阪第五回内国勧業博覧会で琉球踊りをみた」、山崎紫紅、森律子、上司小剣、東儀和太郎、田辺尚雄「玉城盛重、新垣松含の15年前にみた。年老いた今日ー」、兼常清佐、村山知義、、邦正美、深井史郎、伊庭孝、岡元信吉、土岐善麿

崔承喜□私が琉球舞踊に接したのは、これが最初でありますが、それが非常に優れた民俗舞踊であることに大きな尊さを覚えたとともに、それらは私の舞踊の研究の上に、最近に於いて最も得ることの多かったものであったことを喜びます。
幾分新しく様式化されて演ぜられたように思われる「天川踊り」や「鳩間節」等の作品に最も大きな感銘をもったのでありますが、この様な民俗舞踊に於ける優れた手法は、私達に取って摂取さるべき多くのものを保持して居るように思われます。
私はこれらの琉球舞踊の中で、取り入れらるべきものを取入れんとして、此頃新作のレパートリの或る種のものに試みつつありますが、琉球舞踊を見た時に強く感じましたことは、それが朝鮮の民俗舞踊やシャムの民俗舞踊に類似して居る手法を多く包含して居るように感ぜられたことです。殊に上半身の動きー肩の動きや腕の動きは、朝鮮舞踊によく似ていますし、廻り方に於ける足の動きや手首の動きは、シャム舞踊に似てはいないかと思われました。
「組踊」に於ける様式上の特殊性も、朝鮮の民俗舞踊の中で残されている代表的なものである「山臺劇」等に見いだされるようなものに共通したものをもって居るように感じました。勿論、琉球舞踊にしましても、支那、シャム、朝鮮等の舞踊にしましても、東洋の舞踊に独自な、様式上の多くの類似性をもつことは当然なことでありませう。
このような琉球のもつ優れた民俗舞踊が有能なる舞踊家の手に依って、新たに様式化され、そしてそれが成長して行く日には世界に出して誇り得るものさえももつであろうとさえ思われると共に、この様な舞踊の伝統が何故、私達舞踊家に取って左程注目されていないかと思うのであります。スペイン舞踊等に対する関心も勿論必要でありますが、このような私達の手近にある民俗舞踊への関心も、もっと重要なものではないでしょうか。
この様な東洋の民俗舞踊を研究し、それを基礎として行く時には、東洋風舞踊と洋風舞踊との距離は、私達東洋人の踊る洋風舞踊である限りに於いて、もっと縮めることが出来るだろうと思います。この様な方向は私としまして自己の舞踊の一つの方向にしたいと努めつつありますが、いづれにしましても、今度の琉球舞踊に接し得ましてことは、舞踊を専門とする私達にとりまして大きな幸福でありましたし、この様な豊かな舞踊の伝統をもつ琉球に対しまして朝鮮を故郷とする私としましては、一種の羨望さえ感じました。(1936・6・7)


平成12年12月ー『南涛文学』第16号□牧港篤三「崔承喜の踊りー(略)私は崔承喜の踊る舞台を観た 戦前、那覇市内にあった映画館(平和館)で妖艶な踊り姿を観たのである 水着のような黒い服を着た彼女は 舞台の上で観客をとりこにした」


1936年10月(2004年5月『梨園の名優 新垣松含の世界』から)


本荘幽蘭


2002年1月 『日本及日本人』横田順彌「本荘幽蘭ー早く生まれすぎた女傑」連載
2002年1月 『日本及日本人』横田順彌「本荘幽蘭ー早く生まれすぎた女傑」連載

横田順彌の文庫本


1991年12月 横田順彌『熱血児 押川春浪』三一書房
『熱血児押川春浪』を愛する筆者のノンフィクション。野球害毒論を主張した東京・朝日新聞社との大論争は、天狗倶楽部・押川春浪が勝利した。しかし、新渡戸稲造との論争には、怪人物・野依秀市が暗躍し、春浪は遂に敗北する。SF作家が愛する春浪の人生の二大舞台を、綿密に資料を用いて描く明治時代ノンフィクション。
横田順彌 よこた-じゅんや1945- 昭和後期-平成時代のSF作家。
昭和20年11月11日生まれ。学生時代から「宇宙塵」などでSFファンとして活動し,昭和46年第1作「宇宙通信X計画」をかく。63年「快男児押川春浪」で日本SF大賞。日本古典SFの研究家としても知られる。ほかに「星影の伝説」「脱線! たいむましん奇譚」など。佐賀県出身。法大卒。→コトバンク

1917年

1917年10月 『琉球新報』「潮会一派・本荘幽蘭・藤川秀奴三派興行」「幽蘭と秀奴」「最後の幽蘭劇」
□本荘幽蘭
1915年6月  『第三帝国』小生夢坊画「帯の本荘幽蘭」
1917年8月  『琉球新報』「鉛筆の錆ー幽蘭と新聞」「本社は主催者に非」「幽蘭失敗の巻」「幽蘭講演会」
1917年9月  『琉球新報』「幽蘭舞台に立つ」
1917年12月 『琉球新報』「幽蘭迷うて泣く」「幽蘭取り押さえ願い」
1928年11月 高田義一郎『らく我記』「講談を演じる幽蘭」
1952年8月  『奇譚クラブ』福森耕司「土器お伝 本荘幽蘭」
1964年1月  『現代沖縄』宮城能造「人気さらった初代女優ー本荘幽蘭と上里マヅル」
1997年1月  江刺昭子『女のくせに 草分けの女性新聞記者たち』「相馬黒光と本荘幽蘭」インパクト出版会
2002年1月  『日本及日本人』横田順彌「本荘幽蘭ー早く生まれすぎた女傑」連載


宮城能鳳ー1938- 昭和後期-平成時代の舞踊家。
昭和13年7月30日生まれ。父徳村磯輝に琉球古典舞踊の手ほどきをうける。昭和36年より宮城能造に師事し,女形として卓抜した技法を習得した。平成2年沖縄県立芸術大教授。3年宮城流鳳乃会を創設,会主となる。18年組踊立方で人間国宝。沖縄県出身。本名は徳村正吉。 →コトバンク