1939年4月 平良盛吉『花柳雑話』

題字揮毫・東大寺清水公俊師
清水公照(第207世、第208世東大寺別当、華厳宗管長)1927年:東大寺塔頭宝厳院に入寺。清水公俊の下僧名公照となる。1945年:終戦を出征先の中国廬山で迎える。師父清水公俊大僧正死去。→ウィキ


○売笑の起源と遊女の変遷 娼婦の元祖は巫女である
○芸妓の揺籃とその成長 三味線伝来を画期として独立すー(略)茲に正親町院の文禄年間、琉球から蛇皮線が伝来し、それが堺の琵琶法師の工夫で本手、破手などの組歌が出来、次第にはやり出して小唄、地唄、長唄などが盛んに流行するようになると、従来ただ色だけを売っていた遊女の間にもこれを唄うものを生じ、又私娼の間にも堪能なるものが出来て、遂に三味線という芸だけで独立する女が出来ました。
○公娼制度の濫觴と遊廓の発達 豊太閤は遊廓開基の大恩人ーそれが一の営業として公認された形になったのは、鎌倉時代の『遊裙別當』(足利時代には『傾城局』)といふのが其の濫觴であり、更に一歩前進して公娼を保護し、且つこれを取締まるために遊廓を公許するようになったのは豊公の英断に出でたのであります。豊臣秀吉が天下を平定してから、京都に初めて柳町遊廓(後の島原遊廓)が新設されました。以後ー奈良・木辻、駿河府中、大阪瓢箪町(後の新町廓)などが出来た。・・・江戸吉原遊廓、大阪松島遊廓、大阪飛田遊廓、兵庫の遊廓
○遊里と社寺ー祭礼と遊女ー(略)琉球辻の遊廓の開祖は浦添王子の妃であると伝えられ、その命日である旧正月廿日には『廿日正月』又は『尾類馬ずりうま』と言って廓内の名妓が総出になり、花魁道中のような行列絵巻が繰りひろげられます。
平良盛吉(1890年8月28日~1977年6月28日)
羽地村に生まれる。沖縄県立一中を中退し沖縄毎日新聞記者。記者の傍ら、琉球史、琉球古典音楽を研究。羽衣、羽生、平氏、野の人というペンネームで論文、随筆を新聞、雑誌に発表。

平良盛吉・著作目録
1905年
3月ー『少年世界』第11巻第4号□平良盛吉「明けがた」/7月、平盛吉「朝顔」。
1906年
2月ー『少年世界』第12巻第2号□平良蘭月「梅花一枝」。□→斎木喜美子『近代沖縄における児童文化・児童文学の研究』風間書房。
1910年
2月4日ー『沖縄毎日新聞』平良盛吉(羽衣生)「小品・三味線」
3月14日~29日ー『琉球新報』平良盛吉「村の先生」□→1991年1月『沖縄近代文芸作品集』(新沖縄文学別冊)平良盛吉「村の先生」。

2019年7月21日ーRBCiラジオ「ふるさとの古典」(上原直彦/島袋光尋)で平光雄氏が紹介されていた。私が平光雄という名を聞いたのは、東大阪市永和に居られた平良盛吉翁からで1974年であった。


1967年8月 平良盛吉『琉球音楽の研究』沖縄文化協会(大阪市住吉区粉浜中之町2-13)山内盛彬「序文」


琉球古典音楽CD 「湛水流曲集」:平光雄 沖縄県指定無形文化財「湛水流」保持者認定記念 /→吾天為(あてに)「三線な日々」


1912年
1月21日ー『琉球新報』「平良盛吉氏の琉球音楽の研究」
1月24日ー『琉球新報』「平氏著『琉球音楽の研究』の内容」
1月25日ー『琉球新報』楽水「琉歌・平良盛吉氏、琉球音楽研究出版のよしをきき」
2月1日ー『琉球新報』平良盛吉(平氏)「琉球三絃工の流派に就いて」
2月3日ー『沖縄毎日新聞』平良盛吉(平氏)「琉球曲の速度記号に就いて」
2月4日ー『琉球新報』平良盛吉(平氏)「短歌・琉球の音楽」
沖縄総合文化誌『新沖縄』創刊。
1922年
9月ー『沖縄民謡集』(上巻)沖縄民謡研究会(平良盛吉)□印刷・沖縄実業時報印刷部
口説の部
のぼり口説、くだり口説、豊年口説、四季口説、百姓口説、大願口説、荻堂口説、八揚口説、早口説、道輪口説、万才口説、村原口説、久志口説、忠臣身替口説、伏山口説、南山口説、本部口説、東邊名口説、太平口説、綱引口説、引物口説、春口説、花口説、辻口説、中島口説、新年口説、ハワイ口説、一二三口説、祝口説
八重山うたの部
恋の花節、鳩間節、花笠、アヤグ、オヤンマ、小濱節、石根道節、波照間節、川原節、越頂節、石屏風節、祖納嵩節、与那国節、崎山節、白保節、布晒節、竹富節、川平節、赤馬節、たらくじ節
をどりの部
長者の大主、女笠踊、若衆笠踊、月見踊、 麾踊、女手踊、鶴亀踊、葛皮踊、春をどり、貫花踊、夏をどり、四竹踊、手拍子踊、綛掛踊、菊見踊、柳をどり、天川踊、しょどん踊、二才笠踊、二才手踊、二才踊、すんどう踊、万才踊、獅子舞、松竹梅、遊しょんがない、遊子持節、北谷モウシ、押太鼓、国頭さばくり

1923年
1月ー『沖縄民謡集』(下巻)□沖縄実業時報社
はやり歌の部
稲摺節、伊計離節、阿嘉の鬚水、汀間ト、カナよう、むんじゆる笠、谷茶前、濱千鳥、磯節崩し、紫ぶし、川平節、越来節、しゅんとち、らっぱ節、熱海の海岸、かん細工節、廃物利用の歌、かまやしない、鴨緑江節、桑むい節、福地原節、春は嬉しや、ヨシヤの歌、平良辻、飛行機節、小緑染屋、検査屋節、山ひい節、ダンチョ子節、なつちょらん、新かなよう、せんする節、ヤスキ節
教訓歌の部
いろは歌、ヒフミ歌、十二支の歌、仲順流、十番口説、イロハ口説、孝行口説、異見口説
1939年
4月ー平良盛吉『花柳雑話』奈良明新社。
1957年
9月ー平良盛一郎(盛松)『酒といろ談義』醸界文化社。
1962年
8月ー平良盛吉編『羽地村誌』奈良共同印刷。
1964年
10月ー野村流音楽協会記念誌『関西琉球音楽』□平良盛吉「『昔ぶし』についてその技巧曲想等」。
1967年
8月ー平良盛吉『琉球音楽の研究』沖縄文化協会(大阪市住吉区粉浜)。
1970年
1月ー『月刊沖縄ジャーナル』5号□平良盛吉「明治維新革命に果たした沖縄の隠れた功績」。
1971年
9月ー平良盛吉『関西沖縄開発史』沖縄文化協会(東大阪市)。(2010-4-7記)