09/06: 2019年9月6日~ 11月4日 沖縄県立博物館・美術館「台湾 ~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~」
企画展ガイドブック『台湾 ~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~』
2019年9月6日~ 11月4日 沖縄県立博物館・美術館「台湾 ~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~」
台湾は人口約2300万人、沖縄最西端の島から111㎞の近い距離にあり、本県から最も近い外国です。特にアジアのなかでも沖縄の歴史や文化と深い関係があり、明治政府の「台湾出兵」から第二次世界大戦後まで日本による台湾統治の歴史が深く関係しています。
本展示会では、まず台湾の歴史と住民について概観し、統治者の度重なる交代によって複雑な変転を遂げてきた台湾の歴史をたどりながら、近年急速な民主化を実現した経緯や背景を紹介します。また沖縄と台湾に関する刻まれた歴史の証跡、双方に見られる新しい文化の萌芽を紹介し、多様な民族と言語を有し、多様な文化を形成しながら発展する「隣のシマ」の歴史と文化を紹介します。→沖縄県立博物館・美術館
テープカットー玉城デニー知事、蕭宗煌・台湾文化部副大臣、王淑芳・台北駐日経済文化代表處台湾文化センター長、范振國・台北駐日経済文化代表處那覇分處長、張本光輝・琉球華僑総会会長、田名真之・沖縄県立博物館美術館長/川平朝清さん、豊見山愛さん
2021年9月 青山恵昭『蓬莱の海へ 台湾二・二八事件 失踪した父と家族の軌跡』ボーダーインク
左から青山恵昭氏、陳宝来さん、伊波博茂氏(福爾摩沙・中国語同好会代表)/宮城鷹夫さん、川平朝清さん
「台湾展」で陳列されている敗戦先の印支西貢(サイゴン)から台湾に送られた軍事郵便葉書、表裏。1946年2月15付。日本軍、仏軍、米軍晴海GHQの各検印がある。
青山恵昭 2019-11-30 基隆駅から市営バスに乗って東北へ20分、かつての社寮島(今は和平島)へ渡る和平橋から右側の静寂な場所に「原住民会館」が建っている。八尺門漁港と正濱漁港の間に位置し、日本統治時代は琉球人集落のウミンチュたちが躍動したところ。
青山恵昭 2019-11ー27 きょうからキールンです。
□川平 朝清(かびら ちょうせい、1927年8月30日 - )は、台湾台中市生まれ、沖縄県育ちの元琉球放送(RBC)アナウンサー、元沖縄放送協会・日本放送協会(NHK)役員。昭和女子大学監事。 [編集] 人物 愛称は「カビラ・キヨシ」。バプテスト派のクリスチャン(日本バプテスト連盟)。妻は米国人で、3人の息子は、ディスク・ジョッキー・タレントのジョン・カビラ、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈、俳優・タレントの川平慈英。(ウィキペディア)
写真右上ー左端が川平朝清さん
2016年11月13日『沖縄タイムス』「戦後初のアナウンサー 川平朝清さん」
1951年10月22日、米民政府情報教育部で開かれ「琉球の声・AKAR」から放送された第一回新聞週間・各新聞編集長座談会。向かって右から司会・川平朝申(放送部長)、ハードウィック(新聞部長)、國吉眞哲(琉球新報)、金城直吉(琉球新聞)、豊平良顕(沖縄タイムス)、比嘉憲蔵(沖縄朝日新聞)、宮城鷹夫(琉球弘報)、外間征四郎(琉球弘報)
1973年5月 沖縄の雑誌『青い海』23号 宮城鷹夫「作曲家・宮良長包の生涯」
1966年12月 宮城鷹夫/カメラ・宮城護『神話の島・久高』沖縄タイムス社
1967年8月 宮城鷹夫/津野力男・カメラ『久米島の旅情=歌と史跡と名勝の島=』沖縄タイムス出版部
2009年2月 宮城鷹夫『沖縄から見た台湾ーあなたの知らない時代 あなたも知っている時代』講談社出版サービスセンター
儀間比呂志氏、宮城鷹夫氏/左から新城栄徳、宮城鷹夫氏
2003年6月ー那覇市民ギャラりー「石扇展」で右から息子、宮城鷹夫氏/2017年5月21日 ホテルロイヤルオリオン「三木健『空白の移民史』出版祝賀会」で、宮城鷹夫氏(中央)、右、池間一武氏
〔大濱 聡2019年2月11日〕
沖縄県南部連合文化協会創立二十周年記念誌『「なんぶ文化」が語る二十年』