08/02: 1954年5月 『観光 鹿児島』鹿児島県観光連盟
→鹿児島の温泉ホテル 中原別荘 nakahara-bessou.co.jp
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1954年5月 『観光 鹿児島』鹿児島県観光連盟
1968年12月ー『真鍋博の鳥の眼』毎日新聞社/この年、福岡の金平団地の土建屋でアルバイトをして旅費をためて鹿児島へ向かう。鹿児島の日本調理師会の事務所の紹介で温泉ホテル「中原別荘」(赤線の場所)で調理師見習。鹿児島は古本屋が少ないが、ビルの間から見え隠れする噴煙の桜島は幻想的だ。
1968年4月6日ーデパート山形屋・丸屋での「日本の開眼・鹿児島百年」展パンフにあった未来の鹿児島。
今年は「明治維新150年」ということで色んな催しがあった。かつて「維新」というアナクロニズムが流行っていた。これは手垢がつきすぎた坂本竜馬などが象徴となっていた。1968年4月に鹿児島での明治100年はデパート山形屋・丸屋で開かれ私も見た。
2018年9月 鹿島茂『ドーダの人、西郷隆盛』中央公論新社
1973年3月 松竹秀雄『甑島物語』改訂版
鹿児島・奄美資料(手元にあるもの)
1996年7月 神戸奄美研究会『キョラ』創刊号 まろうど社 大橋愛由等:神戸市出身。奄美に血縁や直接の関わりはなかったが、職を求めて大阪や神戸に移り住んだアマンチュ(奄美の人)の友人が多かった。就職した大阪の出版社が奄美関係を専門にしていたため、編集者として「奄美の文化人や思想家に出会い、その人柄や独特の着眼点に引き込まれた」と振り返る。1990年に独立し、出版社「まろうど社」を神戸市東灘区に設立。詩人の顔も持ち、その活動は幅広い。→神戸新聞/2023年12月22日(金)午前8時前、姫路の大西隆志さんから電話。神戸のスペイン料理店「カルメン」オーナー、「吟遊」同人の大橋愛由等さんが、自宅のPCに向かったまま亡くなられていたとのこと。冬至の日の朝の訃報。詳細不明ながら前日の他界のようだ。私と同い年の1955年生まれで、68歳。→夏石番矢
1899年6月 西村時彦『南島偉功傳』誠之堂書店
1970年11月 昭和女子大学近代文学研究室『増訂 近代文学叢書』 「西村天囚」第23巻 昭和女子大学
西村 天囚(にしむら てんしゅう、1865年9月12日(慶応元年7月23日) - 1924年(大正13年)7月29日)は、日本のジャーナリスト。 本名は時彦(ときつね)で、天囚は号。 他に碩園(せきえん)とも名乗った。 大阪朝日新聞主筆で、コラム「天声人語」の名付け親である。 祖先は西村織部丞時貫。 [略歴] 慶応元年7月23日、鹿児島県種子島生まれ。 慶応3年7月9日、父を失う。 明治13年、東京帝国大学古典講習科に入学。 明治20年、退学。 明治22年、大阪朝日新聞に入社。 明治30年、大阪朝日新聞社主筆。 大正5年9月、京都帝国大学講師。 大正8年5月、大阪朝日新聞社を退社。→ウィキ