新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。→ウィキ
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1928年1月  文学博士 新村出 監修『海表叢書』巻2 更生閣書店
1943年7月  小野則秋『日本蔵書印考』 新村出「序文」文友堂書店
1946年12月 新村出『童心録』靖文社〇今度は雑草集を一言したい。草木を愛する自分としては、題名から先づ心を引かれる。河上肇博士の手稿の新詩集を筆蹟のまま複製して活字にも直し、解説をも添へて出版した小形の冊子。

河上肇・資料ー右に1946年6月 河上肇『詩集・雑草集』大雅堂
1956年1月  新村出『言葉の今昔』河出新書
1981年4月  新村出『琅玕記』旺文社

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1916年9月 伊波普猷『古琉球』糖業研究会出版部
新村出「序文ー南嶋を思ひて(略)琉球語を初めて学問的に研究して世に著わしたバジル・ホール・チャンバレン    Basil Hall Chamberlain氏の祖父に当るCaptain Basil Hallの率いた英吉利船が寄航の途に聖ヘレナ島に立寄って船長の口から流竄中の那翁に沖縄島の話を伝えた事は近事邦人の間にも普く知られるようになったと思うが・・・・・・」

1935年4月『国語と国文学』<チェンバレン氏記念特輯号>
チェンバレン先生の思い出・・・・・・・・・・・・・バチェラー
チェンバレン先生を憶う・・・・・・・・・・・・・・・・岡倉由三郎
王堂先生の南島語研究・・・・・・・・・・・・・・・・新村 出
人としてのチェンバレン先生・・・・・・・・・・・・・佐々木信綱
チェーンバレン先生の手紙・・・・・・・・・・・・・・市河 三喜
チェインバレン先生とアイヌ語学・・・・・・・・・・金田一京助
チェムバレン先生と琉球語・・・・・・・・・・・・・・・伊波 普猷
    (略)
展覧会前記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石田幹之助

事典【じてん】
語義の解説を主とする辞典と異なり,事物の名や用語を発音に従って配列し,その内容を解説した書物。この称呼は,1931年平凡社の《大百科事典》以来一般的になった。→コトバンク

広辞苑ー昭和初期に出版された『辞苑』(じえん)(博文館刊)の改訂作業を引継ぎ、第二次世界大戦後新たに発行元を岩波書店に変え、書名を『広辞苑』と改めて出版された。中型国語辞典としては三省堂の『大辞林』と並ぶ両雄で、携帯機器に電子辞書の形で収録されることも多い。収録語数は、第六版で約24万語。出版以来版を重ね、国内はもとより、海外の社会情勢や約3,000点の図版、地図などを収録し、百科事典も兼ねる働きを持っている。→ウィキペディア

 私の持っている『広辞苑 第四版』(1991年)は大阪難波の古書店で買ったものだが、この古書店は発行されたばかりの辞書でも相当安いことで有名である。本書には伊波普猷、おもろ、沖縄、琉球(沖縄の倍の記述)、那覇、名瀬、チェンバレンなどがある。最近はネットで検索し、場所を取る事典類、『広辞苑』新版などは手元に置かず図書館、那覇市歴史博物館などで確認している。

広辞苑






資料庫

2016年8月『本 読書人の雑誌』講談社「講談社の資料室」/2016年8月23日『別冊 週刊新潮』「新潮社写真部のネガ庫」

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事典
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1946年  平井四郎『会話便覧 米兵との話方』三省堂
平井四郎(ひらい しろう)は三省堂の編集者。1923年(大正12年)に入社、三省堂編修所の編修所長、出版部長、常務を経て、成城大学教授となった。1946年(昭和21年)、平井編「会話便覧米兵との話方」を出版。終戦直後に簡易な英会話集が多くの版元から出版されたが、これもそのひとつ。この時期の商品としてはヒットした。出版部長時代に、見坊豪紀に明解国語辞典の編纂を依頼し、また、金田一春彦に明解古語辞典の編纂を依頼した。→ウィキ