『京都新聞』9月11日 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で京都を訪れる観光客が減っている中、京都市東山区にある清水寺や高台寺といった有名寺院周辺で、菓子店や喫茶店の閉店が相次いでいる。

 斎藤 陽子(Walnut, California)9-9 日本時間 レイバーデ―の三連休明けの、火曜日は気温40℃、2日前の気温49℃に比べると、ずっと涼しく感じます。暑い日を迎えると同じカリフォルニアでも、北の方の年中涼しいサンフランシスコが恋しくなります。サンフランシスコは1906年4月に、マグニチュード7,8の大地震を受け、街は壊滅状態になりました。その後に建てられた街並みが、独特なビクトリア時代風の隣と背中合わせで建てられた、現在に至る建物で遠目に見ると可愛くロマンチックな建築物が立ち並んでいますが、ほとんどが100年以上の建物で、観光客にはロマンチックな住居に見えても、住んで居る人々は100年目の修繕や補強などで、頭も痛いようです。
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 写真は英国ビクトリア朝時代風の建造物の立ち並ぶ、サンフランシスコのヘイト・アシベリー街(Haight & Ashbury)です。54年前に横浜から船に乗って、14日目の早朝にゴールデンゲイト・ブリッジをくぐった日は感激したものです。サンフランシスコ埠頭に着き初めてアメリカ大陸に上陸し、住み着いたのがこの街でした。サンフランシスコには独身の頃の1年半を過ごしましたが、この街は「1日に四季のある町」と言われるように、朝は春めいて、昼は初夏になり、夕方から夜にかけては冬が来たような気温の街です。
 54年まえの当時はビートルズの「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)の歌が大はやりで、どこへ行っても ♪♪~Hey Jude don't make it bad~♪♪が聞こえて来て、若者のベトナム反戦のデモンストレーション集会が至る所であり、髪に花飾りをして若者は平和を歌っていたものです。日本での大学1年の時には60年安保闘争の暗い学生生活が東京での幕開けで、東京の学生生活と研修時代は、人々は経済成長にガムシャラに働き詰めで、暗い日々を送っていた後だけに、サンフランシスコの街はヒッピー文化花ざかりで、自由を謳歌しながら明るく反戦の意思表示をしている若者が、Hey Judeを歌い溢れて、自由なその風景は余りにも、日本との温度差に戸惑いを感じたのも確かです。1ドルが360円という為替レートの厳しい時代、海外からの貧乏留学生の生活はいろいろと言い難い辛苦もありましたが、いまでは生涯のいい体験にもなりました。78歳になった今も、この歌を聞くたびにサンフランシスコで青春を過ごした日々を思い出します。そして今も変わらないのはサンフランシスコのビクトリア風の、街並みのタタズマイです。

 
 M・O9-9ここ数年の日本のぶっ壊れ方見てたら、さもありなん。もちろん伊勢谷友介は大麻所持してたんだろうけど、”政治発言する奴は潰す”感満載。大麻といえば安倍昭恵だけど、彼女の数々の疑惑はメディアも野放し。不公平な世界ね。

 古谷経衡@長編小説【愛国商売】(小学館)発売中!菅義偉が苦労人みたく言われているが、苦労をしたのは満州に渡った父親とその一族で、命からがら満州から引き揚げてきた。菅自身は戦後生まれで、父親はいちご栽培で成功し売上げ3億円を記録。菅が中学生の時地元の町議会議員になっている。特に貧しい家庭だった訳でなくむしろ富裕な家の長男である。/「スポーツ報知」9-10 大阪府の吉村洋文知事(45)は9日、大阪府庁での定例会見で自民党の総裁選について「菅官房長官に総理になってもらいたい」と期待を寄せた。

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2020-9-6 6:10 台風10号、最接近


大濱 聡 9-6 ■不正確なことをさも正しいことのように発言したり(或いは、自らの勘違いに気づいていないのかも)、「アメとムチ」で弱い立場の人間を籠絡しようとするのは、ある種の政治家がよくやる手なんでしょうか。/『琉球新報』社説 9-5 菅義偉官房長官は、沖縄の基地負担軽減の成果として、那覇空港第2滑走路増設を挙げ「結果的には(沖縄振興と基地問題が)リンクしている」と述べた。次期首相に最も近いとされる菅氏の発言は「金と引き換えに基地を容認せよ」という「アメとムチ」の構図と重なる。この発言は容認できない。沖縄振興の原点に戻ることを強く求める。

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2020-9『民医連厚生事業協 共済だより』第149号〇瀬長和男「いま、沖縄に連帯して 辺野古の座り込みも『命』最優先に」

 「くろねこの短語」2020年9月5日 (前略)党員投票しないのは「政治空白回避のため」なんて言い訳してるけど、初老の小学生・ペテン総理は体調不良が嘘のように辞任表明以来、午前中から執務に励んどります。「敵基地攻撃能力」についても年内に結論を出すように指示しているそうで、「体調不良のために政治的判断に誤りがあっては困る」から辞任した奴が何をするかってなもんです。心の憂さが晴れたかのようなペテン総理の執務状況を見ていると、ああ、やっぱり辞任は体調不良じゃないんだなの思いか強くなる。やっぱり、モリ・カケ・サクラに河井バカップル買収事件がらみの刑事訴追を免れるためってのが本当の理由という噂に説得力があろうというものだ・・・妄想だけど。

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山崎 9-5 台風10号の接近で名護も避難準備が発令中で、次第に風が強くなってきた。その後10号は、九州の西側をかすめるように北上し、朝鮮半島へ向かう。そのコースには川内原発(2基定期検査中)、玄海原発(4基のうち2基が稼働中)があり、韓国では先日の台風9号で釜山近郊の原発4基(古里原発2、新古里原発2)が緊急自動停止したばかり。10号は原発のある場所をなぞるように進む。無事を祈るしかない。
 
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東京新聞朝刊 2020.9.3 (木)

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大濱 聡 2020-9-3

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東京新聞 朝刊 2020.9.2 (水)

 9月1日は関東大震災記念日で防災の日伊勢湾台風が襲来した翌年の1960(昭和35)年に閣議決定。関東大震災の惨事を教訓として、防災意識を高める日。各地で防災訓練が行われる。

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 菅野完 2020-9-2 あった。残ってた。 2007年9月、第一次安倍政権を、安倍晋三が体調不良で放り投げた直後の「主治医の会見」の様子。主治医はここで、「潰瘍性大腸炎」とは言っていない。主治医がいう病名は「機能性胃腸障害」。主治医は「潰瘍性大腸炎」という言葉を一切使っていないのだ。それどころか、「数日前までは、職務に全く支障はない状態だった」と言っている。主治医がだ。これが、事実。
 そして、「あれから今日に至る13年間で、実際に安倍晋三を診察した医療関係者が、『安倍晋三氏は、潰瘍性大腸炎を患っている』と公の場で証言した事例は、ただの一つもない」というのも事実。「安倍晋三は潰瘍性大腸炎を患っている」との情報の”初出”は、安倍晋三本人。文藝春秋に寄稿した手記の中でだ。第三者証言ではない。本人証言しかない。

 「くろねこの短語」2020年9月1日 (前略)そんな中、「菅政権」誕生が既成事実であるかのような刷り込み報道が垂れ流されているんだが、その当事者である顔も頭も貧相な官房長官・ガースは相も変わらず「問題ない」「批判は当たらない」の木で鼻をくくったようなコメントを連発してシレッとしている。次期総理は俺のものと腹の中でほくそ笑んでいるんだろうが、好事魔多しとはよく言ったもので、自民党が下野している時に民主党政権をdisった自らのブログがブーメランとなって襲ってきた。スッカラ菅君の後任を決める党首選が国会議員のみの投票になったことをとりあげて、こんなこと言ってたんだね。
 「与党の代表を選ぶことは、日本の総理大臣を決めることであり、本来なら候補者が自らの考え、政策を広く国民にも示し、議論を深めるべきものです。自民党が総裁を選ぶ際には、全国で遊説を行って国民に広く考えを示し、政策論争を深めてきました」「民主党内で政策論争はほとんど見られず、候補者は民主党議員の顔色をうかがい、多数派工作に終始しています」


 「ハーバー・ビジネス」2019年11月11日ー2013~16年に「桜を見る会」に招待されたことを投稿する世界戦略総合研究所事務局次長小林幸司氏のFACEBOOK、14年には菅義偉官房長官と記念写真に納まる。
2020-2-本当に松尾人事院局長がお気の毒です。法の解釈を捻じ曲げさせられる。人事院局長の気持ちが痛いほどわかる。オマケに人間クズ、茂木敏充外務大臣にはパワハラされるし本当にやってらんねぇよぉって叫びたいだろうなぁ!こんなクズ政権の下では逃げ出したいだろうに大変だね/「帰れ 帰れ 帰れ」と人事院松尾恵美子給与局長に怒鳴った茂木敏充外務大臣。米国とのFTA交渉で米国の言いなりの褒賞で外務大臣就任。何の外交成果も上げられないが安倍をよいしょする術にたけているだけ。「帰れ 帰れ 帰れ」で人間性が出ているね。
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 目良 誠二郎さんは望月 衣塑子さんと一緒にいます。ーこの一枚の写真ほど、権力亡者スガの本質を表したものはないだろう。前任の権力亡者はただの大ウソツキだったが、この男は底知れぬワルだ。2019.2.26。内閣官房長官記者会見で東京新聞の望月衣塑子記者の質問に、スガはこの表情でこう言ってのけた。「あなたに答える必要はありません」/ M/T 「令和」おじさんでは務まらないのでは 今太閤・田中角栄のような豪放さもない 陰でうまく立ちまわる狡さはあっても その姑息さに国民は嫌悪感さえ抱いているというのが真相だ。



 コロナ禍・・地震大国、火山列島、水害列島ニッポン
 「日本経済新聞」2020年7月30日 午前9時ろ、東京・鳥島近海を震源とする地震があった。気象庁は同38分ごろ、関東や甲信、東海などに緊急地震速報を発表したが、震源地や地震の規模を誤ったと明らかにした。/コロナ禍のさなかテレビ各局が海岸を中継していたが誤報と分かった。
 2018年7月5日前後のウェザーニュースを見ると、今夜は京都など近畿で1時間に100mmに達する大雨のおそれ 、兵庫県・加古川支流で氾濫危険水位超える 。北海道で再び大雨 土砂災害や河川氾濫に警戒 とか、週末にかけて歴史的大雨の恐れ多発的な土砂災害・河川氾濫に警戒、 沖縄・宮古島で1時間100mmの猛烈な雨の ニュース。改めて、東京



大阪/1973年11月『大阪春秋』1号の特集は「大阪の災害いまむかし」であった
 1973年11月『大阪春秋』1号の特集は「大阪の災害いまむかし」であった。①寛文の大暴風雨と龍渓禅師②享保2年の大洪水③明治42年の北の大火④享保2年の大洪水④南の大火とその余聞⑤昭和の災害(米軍機の大阪大空襲)⑥天変地異・日本列島の危機ー今年の夏、近畿の水がめ、琵琶湖の水位がピンチになった。絶対危険水位、マイナス50センチを突破してしまった。この記録は昭和14年のマイナス71センチ、大正13年のマイナス51センチにつぐ史上3番目の記録を、更に更新しそうな気配のなかで、世界的異常気象がともなって、日本列島の危機感をこれほど身近に深め、予想される天変地異説が、今日ほど真剣に人々の話題の中心になったことも珍しい。(略)以上、今後起こり得るであろう天変地異に対処して、いまむかしの記録を記してみた。(藤原)

 『琉文手帖』(1999年5月)「沖縄近代文化年表」の明治44年6月のところに、首里旧城正殿(女子工芸学校)、地震(6-15)や暴雨風(6-18)のため天井破損とある。6月29日には今村明恒東京帝大助教授、北琉球大地震のため京城丸で来沖とある。
 いまむらあきつね【今村明恒】 1870‐1948(明治3‐昭和23)
明治,大正,昭和にまたがって活躍した日本の代表的な地震学者。旧鹿児島藩士今村明清の三男に生まれる。1894年帝国大学理科大学物理学科卒業。その後陸軍教授となり帝国大学助教授を兼ね,また震災予防調査会委員となる。1923年東京帝国大学教授,29年地震学会を創立し会長となる。31年帝大教授を退職,文部省学術研究会議地球物理学部長となり,また帝国学士院会員。1905年統計的見地から関東地震を予言し大森房吉と大論争したことは有名。⇒コトバンク

□1995年8月 加藤祐三『沖縄でも地震は起きる』ボーダ―インク
○沖縄は阪神と同じプレートー阪神と沖縄は大きく見て地質構造学的に同じような位置にあり、阪神で起きるような地震は沖縄でも起きる。・・1882年7月25日の午前1~2ごろ、沖縄本島南部を中心に地震による大きな被害が発生していたことが最近明らかになった。この地震は琉球大学法学研究科の大学院生、森宣雄君から情報提供を受けて調べた結果わかったもので、信頼するに足る互いに独立したいくつかの文書から、この被害地震の存在が確認された。・・この地震による被害は那覇がとくに多く、首里城の石垣が90メートルにわたって崩れ、那覇で石垣が500カ所、文献によっては600カ所で崩れた。これは震度5の地震である。・・

2011年3月11日「東北・関東大震災/大津波/原発事故」(首都圏崩壊)
 ニュージーランド地震も治まらないうちに今日も那覇市歴史博物館のテレビ(16時半)で津波警報のテロップが流れていた。続いて東北大地震のニュース。博物館を出ると『沖縄タイムス』『琉球新報』の大地震の号外が配られている。
 11日、文化の杜に行くと、金城さんが岡本太郎の件で今日東京に出張しているという(結局用事は出来なかった)。テレビでは東京の大混乱状況を報じた。午後2時20分に石原慎太郎東京都知事が知事選に出馬すると云った30分後に東北・関東大地震が発生している。現実の大問題で歴史的文化的な「琉球学」は暫し休止しないといけなくなった。かわり中古古書店で科学雑誌を買い「地球学」を総括する
 12日、『沖縄タイムス』『琉球新報』も全紙面的に「震度7 大津波」「宮城震度7 大津波」を報じていた。那覇市歴史博物館で輝広志氏が渡辺美季さんは元気という。町や村が壊滅したところもある。今日の5時ごろのNHK、民放の記者会見で枝野官房長官が福島第一原発の放射能漏れにかなり割いて事務的に話し、被害状況については少なかった。あろうことか国民・マスコミには文句をつけていた。続いて原子力安全・保安院という者が「あのあのー、えー」とか奥歯に物が挟まった言い方で、放射能漏れを枝野長官とは食い違う会見をしていた。またカン首相がヘリコプターで被災地と福島原発も視察している状況をテレビで流れていた。事は緊急を要する、呑気に党首会談をする暇など無いはずだ。直ちに被災地の現場近くで臨時の総理官邸を設け被災者救援の陣頭指揮に立ちリーダーシップを発揮すると思ったが所詮無理な注文であった。
 13日、『沖縄タイムス』は「死者・不明1800人ー宮城1万人安否つかめず」「福島原発炉心溶解ー避難した3人被ばく」、『琉球新報』は「死亡・不明1800人超ー1万人連絡取れず」「福島原発の建屋爆発」と大きな見出し。この沖縄の新聞は東日本の地元紙と間違うほど今日も全紙面的に東日本大震災の記事で埋め尽くされていた。テレビも全局が1日中大震災のニュース。問題はテレビが全局が同時にカン内閣の政府発表を垂れ流していることだ。
 14日、昨晩からのテレビを見ると、被災者情報より東電原発のニュースばかりが目立った。思うのはカン内閣の総理以下、枝野官房長官、原子力安全・保安院も東電の代弁ばかりで使い走り役に終始、テレビの評論家も原子力発電肯定者ばかりであった。先日のカン総理の被災地視察には原発事故も態態見ていた。本日は内閣と一体で、いきなり停電だという。避難所の被災者は「隣町のパチンコやのネオンはこうこうとしているのに何故わたしたちが停電で不安な目に会わなければならないのか」と発言。この停電の責任は誰が取るのか。例のタカ派石原東京知事も影が薄いがどうしているか。翌日の『沖縄タイムス』『琉球新報』にタカ派石原都知事が「『津波は天罰だ』」と発言したとある。テレビは本日からコマーシャルが流れている。
 15日、『沖縄タイムス』は「核燃料が全露出」、『琉球新報』は「核燃料が完全露出」。新報・タイムスによれば、佐藤雄平・福島県知事が「東電・国は責任を持て」と強く要望したという。福島原発のメンテナンス会社社長の名嘉幸輝氏は伊是名村出身で「社員の疲労は限界だ」という。福島第一原発協力会社の社員・安田慶人氏も沖縄出身で地震のときは作業中で辛うじて非難したという。地震・津波から5日目だというのに食料、毛布、飲料水が届かない。届けるための車両のガソリンが無い。無い無いづくしでカン内閣の危機管理の無さここ極まるであった。そのくせ東電原発本社の対策本部は政治主導にしたという。
スリーマイル島原子力発電所事故 
 最も技術の進んだ、情報公開先進国ともいわれるアメリカで発生し、大量の放射能を撒き散らすことになった重大な原子力事故です。1979 年3 月28 日、東部ペンシルバニア州にあるスリーマイル島(TMI)の原子力発所で事故がおきました。原子炉の核心部ともい える炉心部分が冷却水不足のために溶けてしまうという大変な事故でした。始めは原子炉の本体からは遠く離れた小さなトラブルをきっかけとして蒸気発生器の給水が止まってしまい、本来原子炉に冷却水を入れなければならないのに、ランプの表示が不適切であったことと炉心の 
 水位を外から見られない構造のため、運転員はそれと気付かず、かえって緊急冷却装置を絞ってしまいました。そのため、原子炉容器の圧力が上昇、圧力をにがすために開いた加圧器逃がし弁が開きっ放しになり、原子炉の冷却水が漏れて、原子炉の空焚き、燃料の溶融・崩壊に  至りました。

世界を震撼させた、チェルノブイリ原発事故
 1986年4月26日未明、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所(原発)の4号炉で、大きな爆発事故が起こりました。
 この爆発により一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生しました。火災を消火するために、ヘリコプターから原子炉の炉心めがけて総計5,000トンにおよぶ砂や鉛などが投下されました。火災は爆発から10日後の5月6日にようやく収まりました。
 被害は世界各地へ広がった
 この原発事故により、原子炉内にあった大量の放射能(※)が大気中へ放出されました。放射能は風にのり、世界各地に広がりました。チェルノブイリから約8,000キロ離れたここ日本でも、野菜・水・母乳などから放射能が検出されました。

小鳩・国民連立政権は「負担軽減」といいつつ「地位協定の見直し」もやらず、「密約」がバレても現状は前の政権と変わらない。米軍の「抑止力」といいつつ竹島問題や尖閣問題に何らクソの役にもなっていない。私は陰謀史観は持っていないが、陰謀史観の本は好きである。その発想からすると竹島問題や尖閣問題が解決されると、在日米軍の存在する意義が失われアメリカにとっては都合が悪いことになる。

2011 本日午前中は台風9号がノロノロと通り過ぎて行った。広島では年中行事の「原爆の日」で元市民運動家の菅首相も参列し、「原子力の『安全神話』を深く反省する」と云ったが、もう一つの安全神話の「日米同盟」(核の傘)には触れていない。云うだけヤボか。新報、タイムスの地元紙も通信社配信で13歳のときに被爆した男性(79)の「原発のエネルギーのおかげで日本は繁栄してきたことを考えると絶対反対ではない」との発言を詳しく紹介している。この被爆者も、通信社の記者も福島発の放射能騒ぎは無縁のようだ。
 明後日は長崎の「原爆の日」だ。また地元紙がどう報じるか見るのが楽しみである。地元紙も日頃「沖縄の心」とか「命ど宝」「琉球処分」とか云うてる割にはヤマト通信社の垂れ流し。この調子だから基地(核の傘)も戦後この方変わらない。「核の傘」を容認しているのは仲井真県政だけかと思ったら地元紙も通信社(官僚)の垂れ流しで県民の目をそらして、ヤマト(防衛官僚)に協力している。