浅野健一 2020-12-4 79日ぶりの菅首相の官邸での記者会見が6時から行われた。内閣記者会主催。NHKテレビの中継で見た。質問者のほとんどが内閣記者会常勤幹事社19社の記者たちで、緊張感が全くなかった。パンケーキ朝食会、オフレコ懇談会、グループインタビューで馴染みのLap Dog(愛玩犬、対語はWatch Dog)記者ばかりだから、菅氏も記者たちをなめている。安倍前首相の会見よりもっと閉鎖的で、首相の講演会のようだった。とても、自由で開かれた国の会見とは思えなかった。司会の山田真貴子内閣広報官は自分の名前を言わず、会見の開始を宣言。山田氏は9月16日の菅首相就任会見(30分)、外遊先のジャカルタ会見(26分)で司会をしたが、名前を名乗っていない。質問する記者には「社名と名前」をと要請しているのに、自分は役職、氏名を言わない。 
 朝日新聞、東京新聞(中日)、西日本新聞は指名されなかった。(略)
 私は菅首相、官邸報道室(広報室)、山田広報官邸に質問書を何度も送っているが、ファックスしか分からない。報道室は昨年11月以降、私の取材依頼書に回答しない。キシャクラブメディア以外のジャーナリストを無視する官邸報道室を糾弾する。安倍晋三政権の報道統制の縦割り、既得権益、あしき前例を踏襲し、さらに菅義偉流に改悪した記者会見だった。間違いなく、戦後日本の最悪の首相記者会見だった。 コロナ禍が深刻化し、政治と金の疑獄事件が相次ぐ中、こんな茶番劇の記者会見をやっていていいのかと思う、内閣記者会などすべてのキシャクラブを廃止し、広報センターを設置する以外に、ジャーナリズムの創成はない。

 「図書館へ行ってみよう - 琉球大学附属図書館」www.lib.u-ryukyu.ac.jp › biblio › bib36-1 › html初代学長、志喜屋孝信氏の退官を機に、その業績を記念するため新図書館ビルの建設を計画し、建設費を集めるため宝くじを発売したこと、1955年に完成した、当時としては最大の5階建ての図書館ビルは、翌年、火事で4階、5階部分を焼失 」を検索したら文字化け。
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1956年9月3日『沖縄タイムス』「琉大志喜屋図書館焼く」/1990年6月『琉大風土記 開学40年の足跡』沖縄タイムス社〇1956年9月3日午前9時頃、図書館4階にあるミシガン派遣団教官室より出火、4,5階は全焼、辛うじて3階は類焼は免れた。図書3000冊余が消失して、被害総額は千数百万円にのぼった。火災後、篤志家の寄付があり、火災保険金と一般見舞金及び琉球政府補助金等により翌年の7月には消失した4、5階部分は完全復旧した。出火の原因は漏電であり、当時はハシゴ消防車がなく、4階まで放水が届きかねて消火に手間取り5階まで延焼したといわれている。火災は軍民消防隊員の協力で2時間以内に鎮火した。伊波普猷文庫など貴重な図書館の蔵書は幸い難をまぬがれたが、4,5階にあった文理、教育学部各教授室の貴重な地図類や教官の多年の研究資料、学術資料が消失した。復旧まで1カ月を要した。→『琉球大学五十年史』

1956年9月14日、グランドオリオンで「スタリオン街道」(1947年製作/アメリカ原題:Stallion Road配給:セントラル)「凸凹カウボーイの巻」のアレックス・ゴットリーブが製作、脚本家出身のジェームズ・V・カーンが監督した1947年度作品。脚本は「ジョルスン物語」のスティーブン・ロングストリート、撮影は「王子と運ちゃん」のアーサー・エディソン、音楽はレオ・F・フォーブステインの担当。「恋の乱戦」のロナルド・レーガン、「夜も昼も」のアレクシス・スミス、「仮面の男(1944)」のザカリー・スコットの3人が主演し、ペギー・ヌードセン、ハリー・ダヴェンポートが助演している。→映画.COM

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 写真中央が山田勉氏、後列左から3人目が新城栄徳
1990年8月24日 ゆうな荘「山田勉『沖縄の図書館と図書館人』出版祝賀会」
○昭和60年4月より、図書館に部課長制が敷かれ、組織の強化とサービス体制の改善・整備が一段と進められた。それと共に業務の省力化、合理化に向けて見直しを図り、今日に至っている。初代事務部長に九大から前田正三氏、整理課長に尾崎一雄氏が阪大から着任、閲覧課長に当館の山田勉氏が昇任し、業務の電算化を推進することになった。又、昭和60年9月に閲覧課に図書館専門員が認められ、医学部分館に配置された。昭和61年1月より東京大学文献情報センター(現学術情報センター)と接続、これまでのカード目録作成に終止符が打たれ、目録業務の省力化が飛躍的に進み、本学図書館の電算化時代の幕開けとなった。→琉球大学附属図書館のあゆみ

前は沖縄県立博物館は歩いては行けなかったが、今は歩いて直ぐである。少し前までは沖縄県立図書館も歩いて行ったが、数え70になると東陽バスで行くのが増えた。平成30年12月15日(土)午後2時に図書館はモノレール旭橋駅と直結して開館するという。私にとって都合は良いが、旧図書館近くに住んでいた國吉さんは不便になるという。

 2018-12-14-辺野古んかい ちゅー んじゃびたん。埋め立て承認さる 仲井真とぅ 高良ぬ 腐りウチナー。くねーだ タイムスぬ文化欄かい 高良が 書ちょーたしが、タイムスぬ記者ん うぬ あたいるやさやー。護国神社ぬ ちゅん タイムスんかい 書ちょーたしが、うりがどぅ 図書館じ 講演すんなー? 


2000年10月 「沖縄の図書館」編集委員会(代表・伊藤松彦、喜納勝代、国吉綾子、島袋正敏、玉寄長信、中村誠司、本郷清次郎、森田牧子、山田勉)『沖縄の図書館 戦後55年の軌跡』教育史料出版会
沖縄の図書館【目次】
栗原均「戦後沖縄図書館人の澎湃たる熱い志を学びたい」3/大田昌秀「21世紀にむけて知の大道を拓くー沖縄の図書館の歩みに寄せて」7/伊藤松彦「序 知の自立へー戦後沖縄の図書館55年の軌跡を求めて」17
【1】占領下の図書館
山田勉「衣食の飢えと心の飢えと」32/伊藤松彦「琉米文化会館の光と影」39/漢那憲治「米軍占領下の沖縄からの一米国留学生の”個人的な回想〟」46/玉城盛松「琉球政府立図書館ー中央図書館を中心として」57/宮城剛助「琉球政府立立法院図書館の沿革ーその果たした役割」76/本郷清次郎「沖縄の大学図書館ー琉球大学附属図書館を中心に」84/平良朝子「回想の琉球政府立医学図書館」99/島元巌「不死鳥のごとく蘇るー沖縄の戦後教育と学校図書館」106/山田勉「沖縄へ本を贈る運動」110/山田勉「沖縄図書館協会結成へ」117/外間米子「コラム・初めての子ども文庫ー松尾児童文庫」122/伊藤松彦「コラム・知る人ぞ知る那覇の私立図書館ー沖縄人文図書館(喜久川宏)」123
【Ⅱ】復帰で拓く文化の回路
佐久本全「公共図書館にみる本土格差への挑戦」128/伊藝弘子「市立那覇文化センターのこと」134/喜納勝代「まち・むらに広がる文庫と図書館活動」136/松島弘明「『まちの文庫 むらの図書室』の三カ年」143/山城光重「沖縄県立図書館新館のビジョン」145/名護正輝「浦添市立図書館登場のインパクト」152/平湯文夫「沖縄の図書館人たちとの20年ーその極めて私的なかかわりの一端をそのままに」161
【Ⅲ】平和の樹を植え育てる図書館
<北部>大城道子「名護の『こんな図書館をつくろうよ会』から『<図書館友の会>をつくろうよ会』まで」176/<中部>玉寄長信「具志川市の図書館活動」190/金城清子「コザ市琉米親善センターは沖縄市立図書館の先駆け」203/山川裕美子「サークル活動の拠点としての宜野湾市民図書館」207/生沢淳子「石川市における公共図書館の歩み」210/親田浩美「勝連町立図書館」217/饒平名洋子「学校図書館情報化へのスタート」221/<南部>山内一美「豊見城村立図書館中央図書館の歩み」230/儀間良子「心地よい図書館を目指してー知念村立図書館」235/<宮古>砂川幸夫「県立図書館宮古分館など」240/東風平紀子「平良市立図書館のあゆみ」247/上原みち子「平良市に新しい図書館をつくろう会」249/宮里トヨ子・高江洲洋子「宮古の学校図書館」251/<八重山>潮平俊「石垣市立図書館づくりにかかわってーバス文庫からの出発」257/与儀文子「竹富町学校図書館の現状と課題」263
【Ⅳ】文化を束ね広げる
上間常道「戦後沖縄の出版事情」268/武石和実「復帰以降の古書業界と古本屋私史」293
【資料】
新城安善「沖縄の書誌(解題)」303、「沖縄県図書館年表」317、「沖縄県の図書館等一覧」307
伊藤松彦「あとがき」325/「執筆者一覧」331


写真右からー大城宗清氏、伊藤松彦氏、新城栄徳/2000年11月5日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評/『沖縄の図書館』戦後55年の状況をパック」
〇私が沖縄図書館協会に特別会員B「沖縄関係資料室(大阪)」として入会したのが1974年であった。そのころは大城宗清氏と山田勉氏が囲碁を打っておられた中に割り込んでも大阪から来たということで歓迎してもらったもので、大城氏にはその編著『戦後沖縄の文献解題』に署名してもらったりさまざま面倒をおかけしたと思うが記憶にない。
 山田氏には琉大図書館の郷土資料を職員並みに扱わせてもらったり、同志・伊佐眞一を引き合わせてもらった。この図書館人脈の延長で新城安善、宮城剛助、仲西盛秀、富島壮英らの諸氏を知った。
 復帰のころ、私は大城精徳氏の『琉球の文化』誌を手伝っていた。大城氏は首里高の社会科の教師も務められ、雑誌『青い海』を創刊した津野創一氏も教え子であった。琉球政府立博物館にもながく居られ、私はその博物館人脈の延長で宮城篤正氏を知ることになる。宮城氏が博物館を辞められて浦添市で図書館設立準備の忙しい中を訪ねると、わざわざ図書館敷地に案内され構想を語ってくれた。


 前述の交流の結果として、大阪に居ながら沖縄資料がどこにあるかが分かるように手元には県内の図書館の資料案内や目録類がそろった。古本屋からは上野図書館『琉球文献目録稿』、成城大学民俗学『南島文献資料目録』などを入手し補強もしている。県立図書館の展示目録『沖縄学の萌芽展』『八十年の歩み展』には資料協力者として私の名前も出ている。本書も居ながらにして沖縄図書館界とそれを取り巻く戦後五十五年の状況が分かるようにパックされ活用しがいがある。
 昨今、手軽に「知」を連発する痴の中にあって、大田昌秀氏の本書に寄せた「21世紀にむけて知の大道を拓く」は、コピー機がない時代に新聞を一枚一枚めくって記事をノ⋯トに写し沖縄の新聞史をまとめた大田氏の体験で、本書に花を添えるとともに依頼した編集委員会(図書館人)の見識をも示している。




1983年7月20日 『琉球新報』新城栄徳「落ち穂/幻の県立図書館蔵書」


写真左から大城宗清氏、新城栄徳、漢那憲治氏(梅花女子大学教授)
□大城宗清ー1932年1月生まれ。1958年ー琉球政府立法院事務局図書室。1967年ー琉球政府厚生局医学図書室。1972年ー沖縄県立図書館、73年に同館長。86年ー沖縄県立博物館長~1992年定年退職。昭和51年12月 大城宗清『歌集 古里の土』新星図書

1971年 沖縄の雑誌『青い海』5月号 喜納勝代「自らに投資する」
久茂地文庫(喜納勝代 ☎098-994-6162)



喜納勝代
1965年2月ー喜納勝代『歌集ゆうとい』日本文芸社

1971年8月15日ー『婦人と文化』編集発行人・喜納勝代
□徳田安周「その愛唱曲『ユリデーチェ亡き日に』」

□川平朝申「伊平屋島と私ー私が幼い日の古里」

1973年5月ー喜納勝代『歌集おなり神』新星図書

1976年10月27日ー久茂地文庫開設

写真・久茂地文庫で、右端が真喜志康徳氏、4人目、屋部公子さん、喜納勝代さん
1978年5月ー久茂地文庫1周年記念文集『照千一隅』

1979年10月26日ークラフト國吉ギャラリー「くもじぶんこ 愛の手づくり展とブックフェアー」

1980年10月ー『図書館雑誌』喜納勝代「街の小さな文庫 久茂地文庫のあゆみから」

1982年8月ー久茂地文庫、糸満の喜納の実家に移転


季刊『沖縄アルマナック』 沖縄人文図書館(喜久川宏)

1979年10月 季刊『沖縄アルマナック』1 沖縄人文図書館(喜久川宏)