11/27: 麦門冬・末吉安恭⓵
麦門冬自筆
麦門冬・末吉安恭は1886年5月に首里儀保で生まれた。沖縄師範附属小学校を卒業後の1902年上京した。杉浦重剛の日本中学や、神田の英語学校に通いながら演説会に行ったり、図書館で好きな本を読んで抜書きしたりして新しい知識を貪欲に求めた。1904年に一時帰郷し、名護真松と結婚。1905年再上京、弟の安持と同居。1906年、長男・安慶が生まれると帰郷。
麦門冬(龍の鬚・ヤブラン藪蘭)とは俳号のことで、歌人として落紅、漢詩人として莫夢山人と色々と使い分けていた。麦門冬も身内(先祖)の毛鳳儀を1919年の『沖縄朝日新聞』に「王舅・池城毛公」として長期連載している。→1919年8月26日 『沖縄朝日新聞』末吉麦門冬「偉人 毛鳳儀ー王舅池城毛公」」(喜安日記) 末吉麦門冬家は毛氏池城一門で、その始祖は新城親方安基、俗に<大新城>といい、トーナーは毛龍唫である。一門は八重山でも繁盛していて1928年9月の『先島朝日新聞』には「八重山毛氏一門の美挙 当地毛姓には本年大祖大新城親方の三百五十年忌に相当するを以って門族相図り記念運動場南の墓地に大祖の記念碑を建設し去る2日盛大に其の三百五十年祭を挙行せり」として毛姓・池城安伸の祭文まで記されている。
鎌倉芳太郎は戦前は麦門冬の紹介で八重山の毛氏を訪ね、戦後は八重山で麦門冬の娘、初枝さんに会っている。写真ーそのとき詠んだ歌。
大濵永亘さんのサイト「新・先島文化研究所」に八重山の池城毛氏が載っていたのでシェアさせてもらった。『元祖大新城親方安基』家譜の「一世安基大新城親方」の項に「嘉靖二十六年丁未(1547年)奉使到宮古八重山両訪定之制次年帰国」と記載されている。1547年竹富島の浦皆治原の「八重山蔵元」を石垣島の本名村へ移転の際に、琉球王国から御使者の毛氏大新城親方安基(童名:小太郎金、唐名:毛龍金、生年不伝~1577年卒)が派遣され来島、小浜島の百姓満慶の娘、美呂真を妾・(現地妻)にして初代の宮良頭の毛裔姓大宗宮良親雲上安英(童名:二千代、1547~1619年卒)が生まれている。
毛氏 池城殿内(もううじ いけぐすくどぅんち)は、唐名・毛龍唫、新城親方安基を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。五大姓(五大名門)の一つ、毛氏池城の大宗家(本家)。私は首里山川の18世・池城安正さんを訪ねたことがある。門中の方々の訪問も多いようで豪壮なマンションの1階の壁には毛氏 池城全体の系図が貼ってあった。私はそれに末吉家の系統を書き込んだ。別棟には毛龍唫、新城親方安基の肖像画が安置されていた。
毛龍唫、新城親方安基の肖像画
〇1977年9月8日『琉球新報』「アシャギー『見直せ麦門冬』と鎌倉氏」




「東京琉球泡盛商一覧」(1933年3月5日ー大宜味朝徳『南島』第三号)
麹町区
飯田町1の9-嵩原安智/丸の内丸ビル2階264-恩河朝健
神田区
淡路町2の15-宮城清/錦町3の16-鵜木清治/北神保町17-二幸商店/松富町1-前里宗恭/五軒町35-亀島靖治/鍋町201-比嘉林繁/美土代町1の2-加納太三次/今川小路1の1-瀬長カナ/榮町2-儀間偸/西小川町2の5-吉岡宏/北神保町17-高島喜代治
日本橋区
鉄砲町24(眞人園)-山田眞山/蠣殻町(うるま)ー松山清之丞
京橋区
槇町3の5龍宮園ー宜保友厚/八丁堀4の2-渋谷三郎/八丁堀3の6-嘉手苅信世/月島通り1の7-新垣清次郎/湊町1の6南国屋ー伊藤辰巳/湊町1の3の3-入江藤五郎□「私は琉球泡盛を取り扱ってから30余年になるが、(略)何といっても泡盛の黄金時代は明治30年ごろから明治38,9年の日露戦争直後の頃であった。日露戦争の時には泡盛を火薬の原料にすると云うので僕は海江田の代人として三萬圓の保証金を陸軍に供託して泡盛を陸軍に納入したのであるが其のときは容器が不足し阪神から酒樽を買い集めて沖縄に送りそれに泡盛を詰め込んで直航船で輸送したものである。火薬の原料であるから色とか香には頓着なく45度の度さえあればどしどし納入出来たものであるから愉快なものであった。(略)泡盛が今日の如く盛大になったことは鹿児島商人の力もあづかって大きい。初め東京に鹿児島の商人の手を経て売り込んだもので、鹿児島の商人は沖縄の酒造家に米を供給し其の代償に酒を受け取っていたので応でも之を売り捌かねばならぬので、盛んに宣伝したものであった」/新富町2ー田島清
芝区
新橋7の2-北浦未次郎/琴平町31-宮城邦英/金杉町4の10-田里丕顕/浜松町2の2-小堀幾志/浜松町市電停留所前ー未廣屋泡盛店/浜松町13の7-根路銘安昌/札ノ辻市電終点際ー宇崎市蔵
麻布区
龍土町32-森川清次郎
小石川区
江戸川町1春海ー宮城新保/新諏訪町1-有岡豊次郎/柳町11うるまー渡邉亀吉/大塚坂下町187三喜ー坂本トヨ/音羽町1の8-石川甚太郎
本郷区
駒込蓬莱町5-大宜味朝徳/駒込千馱木町218-山口光輝/台町2-漢那朝常/駒込曙町17-本部朝基/元町ー太田洋酒店/根津八重垣町20三金ー關ハル/真砂町37-和田榮次郎
下谷区
金杉下町105-亀島商店/竹町131-崎原嘉子/上車坂2-三島支店/御徒町1の56-松永美三/竹町12-儀間新/谷中初音町4の187-松島泡盛店/上根岸58-王冠泡盛店
浅草区
東仲町7-道政清次郎/北清島町25-小泉元松/七軒町2-外間則榮/山谷4の5-國吉眞善/千束3の146-三島支店/吉原裏門前ー佐原屋洋酒店/向柳原町1の11-小笠原ヒロ子/田中町72沖縄屋-矢賀宗友/新谷町12-スタンド呑樂/松清町4-寺田庄一
本所区
松井町2の1-平敷安用/亀澤町3の1ー川原田歳雄/緑町274-浦崎政永/江東橋町1の4寶屋ー久馬清光/吾妻橋2の1-宇辰重直/石原町4の26-小關信四郎
深川区
安宅町7電本1235-川村禎二/牡丹町3の11-新垣商店/東森下町40-山田利喜造/東森下町109-崎山喜昌/石島町163-平良幸盛/永代町1の10-屋宜盛繁
豊島区
巣鴨町2の34-金城時男/駒込6の535-山川喜蔵/駒込市電車庫下うるまー原口三次/巣鴨町3丁目ー増田屋泡盛店/池袋891-越中屋ー清水安次郎/駒込ー北島藤光
品川区
大井権現町3724-砂川泰教/東大崎居木橋際うるまー玉川庄右衛門
澁谷区
幡ケ谷本町679-仲本宗厚
中野区
打越25-上里参治
板橋区
清水町163-石川静子
淀橋区
東大久保290-河村高矩 /戸塚町3丁目うるまー杉本信夫/百人町うるまー北島三代吉/目黒区上目黒2の1963-照屋林仁
足立区
千住中居町6-小島金康
荒川区
南千住2の78-小林友次郎/北千住本町2の5-山盛泡盛店/南千住町2の76-鈴木長吉/日暮里旭町2の92-折原由太郎
瀧ノ川区
田端町380-八藤勅山/西ヶ原694-島田正義
荏原区
戸越350-大久保志郎
江戸川区
小松川2の60-今井清松/小岩町1の1288-三島支店








麦門冬・末吉安恭は1886年5月に首里儀保で生まれた。沖縄師範附属小学校を卒業後の1902年上京した。杉浦重剛の日本中学や、神田の英語学校に通いながら演説会に行ったり、図書館で好きな本を読んで抜書きしたりして新しい知識を貪欲に求めた。1904年に一時帰郷し、名護真松と結婚。1905年再上京、弟の安持と同居。1906年、長男・安慶が生まれると帰郷。
麦門冬(龍の鬚・ヤブラン藪蘭)とは俳号のことで、歌人として落紅、漢詩人として莫夢山人と色々と使い分けていた。麦門冬も身内(先祖)の毛鳳儀を1919年の『沖縄朝日新聞』に「王舅・池城毛公」として長期連載している。→1919年8月26日 『沖縄朝日新聞』末吉麦門冬「偉人 毛鳳儀ー王舅池城毛公」」(喜安日記) 末吉麦門冬家は毛氏池城一門で、その始祖は新城親方安基、俗に<大新城>といい、トーナーは毛龍唫である。一門は八重山でも繁盛していて1928年9月の『先島朝日新聞』には「八重山毛氏一門の美挙 当地毛姓には本年大祖大新城親方の三百五十年忌に相当するを以って門族相図り記念運動場南の墓地に大祖の記念碑を建設し去る2日盛大に其の三百五十年祭を挙行せり」として毛姓・池城安伸の祭文まで記されている。
鎌倉芳太郎は戦前は麦門冬の紹介で八重山の毛氏を訪ね、戦後は八重山で麦門冬の娘、初枝さんに会っている。写真ーそのとき詠んだ歌。
大濵永亘さんのサイト「新・先島文化研究所」に八重山の池城毛氏が載っていたのでシェアさせてもらった。『元祖大新城親方安基』家譜の「一世安基大新城親方」の項に「嘉靖二十六年丁未(1547年)奉使到宮古八重山両訪定之制次年帰国」と記載されている。1547年竹富島の浦皆治原の「八重山蔵元」を石垣島の本名村へ移転の際に、琉球王国から御使者の毛氏大新城親方安基(童名:小太郎金、唐名:毛龍金、生年不伝~1577年卒)が派遣され来島、小浜島の百姓満慶の娘、美呂真を妾・(現地妻)にして初代の宮良頭の毛裔姓大宗宮良親雲上安英(童名:二千代、1547~1619年卒)が生まれている。
毛氏 池城殿内(もううじ いけぐすくどぅんち)は、唐名・毛龍唫、新城親方安基を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。五大姓(五大名門)の一つ、毛氏池城の大宗家(本家)。私は首里山川の18世・池城安正さんを訪ねたことがある。門中の方々の訪問も多いようで豪壮なマンションの1階の壁には毛氏 池城全体の系図が貼ってあった。私はそれに末吉家の系統を書き込んだ。別棟には毛龍唫、新城親方安基の肖像画が安置されていた。
毛龍唫、新城親方安基の肖像画
〇1977年9月8日『琉球新報』「アシャギー『見直せ麦門冬』と鎌倉氏」



「東京琉球泡盛商一覧」(1933年3月5日ー大宜味朝徳『南島』第三号)
麹町区
飯田町1の9-嵩原安智/丸の内丸ビル2階264-恩河朝健
神田区
淡路町2の15-宮城清/錦町3の16-鵜木清治/北神保町17-二幸商店/松富町1-前里宗恭/五軒町35-亀島靖治/鍋町201-比嘉林繁/美土代町1の2-加納太三次/今川小路1の1-瀬長カナ/榮町2-儀間偸/西小川町2の5-吉岡宏/北神保町17-高島喜代治
日本橋区
鉄砲町24(眞人園)-山田眞山/蠣殻町(うるま)ー松山清之丞
京橋区
槇町3の5龍宮園ー宜保友厚/八丁堀4の2-渋谷三郎/八丁堀3の6-嘉手苅信世/月島通り1の7-新垣清次郎/湊町1の6南国屋ー伊藤辰巳/湊町1の3の3-入江藤五郎□「私は琉球泡盛を取り扱ってから30余年になるが、(略)何といっても泡盛の黄金時代は明治30年ごろから明治38,9年の日露戦争直後の頃であった。日露戦争の時には泡盛を火薬の原料にすると云うので僕は海江田の代人として三萬圓の保証金を陸軍に供託して泡盛を陸軍に納入したのであるが其のときは容器が不足し阪神から酒樽を買い集めて沖縄に送りそれに泡盛を詰め込んで直航船で輸送したものである。火薬の原料であるから色とか香には頓着なく45度の度さえあればどしどし納入出来たものであるから愉快なものであった。(略)泡盛が今日の如く盛大になったことは鹿児島商人の力もあづかって大きい。初め東京に鹿児島の商人の手を経て売り込んだもので、鹿児島の商人は沖縄の酒造家に米を供給し其の代償に酒を受け取っていたので応でも之を売り捌かねばならぬので、盛んに宣伝したものであった」/新富町2ー田島清
芝区
新橋7の2-北浦未次郎/琴平町31-宮城邦英/金杉町4の10-田里丕顕/浜松町2の2-小堀幾志/浜松町市電停留所前ー未廣屋泡盛店/浜松町13の7-根路銘安昌/札ノ辻市電終点際ー宇崎市蔵
麻布区
龍土町32-森川清次郎
小石川区
江戸川町1春海ー宮城新保/新諏訪町1-有岡豊次郎/柳町11うるまー渡邉亀吉/大塚坂下町187三喜ー坂本トヨ/音羽町1の8-石川甚太郎
本郷区
駒込蓬莱町5-大宜味朝徳/駒込千馱木町218-山口光輝/台町2-漢那朝常/駒込曙町17-本部朝基/元町ー太田洋酒店/根津八重垣町20三金ー關ハル/真砂町37-和田榮次郎
下谷区
金杉下町105-亀島商店/竹町131-崎原嘉子/上車坂2-三島支店/御徒町1の56-松永美三/竹町12-儀間新/谷中初音町4の187-松島泡盛店/上根岸58-王冠泡盛店
浅草区
東仲町7-道政清次郎/北清島町25-小泉元松/七軒町2-外間則榮/山谷4の5-國吉眞善/千束3の146-三島支店/吉原裏門前ー佐原屋洋酒店/向柳原町1の11-小笠原ヒロ子/田中町72沖縄屋-矢賀宗友/新谷町12-スタンド呑樂/松清町4-寺田庄一
本所区
松井町2の1-平敷安用/亀澤町3の1ー川原田歳雄/緑町274-浦崎政永/江東橋町1の4寶屋ー久馬清光/吾妻橋2の1-宇辰重直/石原町4の26-小關信四郎
深川区
安宅町7電本1235-川村禎二/牡丹町3の11-新垣商店/東森下町40-山田利喜造/東森下町109-崎山喜昌/石島町163-平良幸盛/永代町1の10-屋宜盛繁
豊島区
巣鴨町2の34-金城時男/駒込6の535-山川喜蔵/駒込市電車庫下うるまー原口三次/巣鴨町3丁目ー増田屋泡盛店/池袋891-越中屋ー清水安次郎/駒込ー北島藤光
品川区
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澁谷区
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中野区
打越25-上里参治
板橋区
清水町163-石川静子
淀橋区
東大久保290-河村高矩 /戸塚町3丁目うるまー杉本信夫/百人町うるまー北島三代吉/目黒区上目黒2の1963-照屋林仁
足立区
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荒川区
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瀧ノ川区
田端町380-八藤勅山/西ヶ原694-島田正義
荏原区
戸越350-大久保志郎
江戸川区
小松川2の60-今井清松/小岩町1の1288-三島支店







