10/31: 世相ジャパン(95)
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「くろねこの短語」11-6 流行語大賞にノミネートされた30の言葉の中に「検討師」が入っていないのでヘタレ総理がご立腹・・・なんて噂をネット雀がチュンチュク囀ってる今日この頃なんだが、そのヘタレ総理がまた迷い道くねくねしてくれたってね。なんとまあ、「手元にカードがない方も保険診療が受けられるよう、制度を用意する必要があり、関係府省による検討会で環境整備を行っていく」
だとさ。早速、ネットでは、「それを保険証と言う」なんて野次が飛び交っている。当然だね。だったら何のために国民健康保険証廃止なんてことをブチ上げたんだってことになる。さらに、「マイナンバーカードは、国民の申請に基づき交付されるもので、この点を変更する予定はなく義務づけるものではない」なんてことも答弁していて、もうひっちゃかめっちゃか。おそらく、当人も何言ってるんだかわかってないに違いない。
貧すれば鈍するで、迷い道くねくねどころか、一度病院行った方がいいんじゃないの・・・なんてことを我が家のドラ猫に囁いてみる日曜の朝である。
「くろねこの短語」11-5 昨日のエントリーで、「#走行距離課税」がトレンド入りって紹介したんだが、11月に入ってから「#自民党に殺される」が新たにトレンド入りしてるってね。
確かに、100年安心だったはずの年金は破綻の一途を辿り、防衛費増額を増税で賄おうと画策はするし、統一教会汚染の闇の深さに慄然たる思いに陥るし、とにかく自民党のやることなすこと、真綿で一般大衆労働者諸君の首を閉めているようなものなんだね。
でも、問題はそんな自民党を選挙ごとに勝利に導いてしまうマゾな有権者の存在なんだよね。それをさらに後押ししているのが選挙制度で、50%にも満たない得票率で議席の60~70%を占有しちゃうんだから話になりません。
統一教会の被害者救済新法だって、自民党はいつのまにかトーンダウンして、どうやらその背後には自民党を支援する宗教団体の思惑がチラホラしている。公明党が必死に新法成立にブレーキかけてるのも、創価学会の意向を受けてのことは自明のことだ。
こんなんだもの「#自民党に殺される」がトレンド入りするのも無理はないんだが、そう言ってるうちはダメなんだよね。自民党に殺されないためにはどうすべきか。そこに無い知恵を絞りたいと思う今日この頃なのだ。
「くろねこの短語」11-4 Jアラートってオオカミ少年みたいなものなんだね。ああ、それなのに、読売新聞は号外なんか出しちゃって、煽ること煽ること。そんなことより、「♯走行距離課税」がトレンド入りしたってね。これは何かって言うと、政府の税制調査会で提案された増税政策のひとつで、文字通り「走行距離に応じて課税」しようとするものだ。
ようするに、走れば走るほど税金取られるってことで、公共交通機関が脆弱で車に頼らざるを得ない地方にとっては死活問題なんだよね。物流だって大変ですよ。走行距離課税が採用されたら、当然その何割かは物流コストに上乗せされることになるから、それこそ日本経済全体に影響が出てくるだろうことはシロートにだって容易に想像がつこうというものだ。
そもそも、日本では車にかかる税金に「自動車税」「自動車重量税」「環境性能割」「消費税」があって、ただでさえ負担が大きい。そこにもってきて「走行距離課税」なんてことになったら若者の車離れはさらに進むことだって予想される。
「補助金は遅いが増税はクッソ早いからなぁ…この国」って声がネットでは飛び交っているけど、ヘタレ総理の「聞く力」ってのはどうやら財界に対してだけのようだから、そろそろ一揆でも起こさないと世の中どうにも立ちいかなくなりますよ。
11月2日、首里から伊佐眞一さんが泊まで歩いて(健康のため)きて『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号を恵まれた。



2022年10月 『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号 伊佐眞一「『復帰』思考を葬る」/安里英子・ 聞き手「新川明が語る『反復帰』論・自立の思想」



伊佐眞一「『世替』とぅ ウチナーンチュぬ 実」/又吉盛清「新垣弓太郎と辛亥革命」/大田静男「南西諸島の最前線基地化を断て!」



後田多敦「大龍柱向き改ざんを止められるか!」/永津禎三「首里城正殿大龍柱問題」/比嘉慂「じっと見る・私の怨念 日本復帰50年」

大濱 聡 11-2 ■本日(11.2)の『琉球新報』朝刊が伝えた普久原恒勇さん(沖縄市在/作曲家・音楽プロデューサー)の訃報に驚いた。昨夜、ある宴席で同席した琉球新報社のYさんが同紙に普久原さんが連載した「ぼくの目ざわり耳ざわり」の担当だったことから、普久原さんのことを話題にしたばかりだったからである。
11-6 コロナ 沖縄267人、/大阪3343人、3人死亡/ 東京6264人、1人死亡
11-5 コロナ 沖縄350人、/大阪4159人/ 東京7967人、1人死亡
11-4 コロナ 沖縄141人、4人死亡(米軍1)/大阪1536 人、6人死亡/ 東京 3090人、3人死亡
11-3 コロナ 沖縄274人(米軍1)/大阪 3781人、7人死亡/ 東京 6686人、2人死亡
11-2 コロナ 沖縄377人、5人死亡(米軍2)/大阪3868人、6人死亡 / 東京6346人 3人死亡
11-1 コロナ 沖縄363人/大阪4007人、6人死亡/東京6520人、5人死亡












2022-10-30 第7回世界のウチナーンチュ大会




2022年10月28日 なるみ堂で、店主の翁長良明氏(右)/写真「濱田庄司夫妻」/仲里正雄氏、屋良朝信氏/なはーと、左から村上佳子さん、仲嶺絵里奈さん、屋良朝信



2022年10月 深澤晴美(岡山県生まれ 和洋女子大学 総合研究機構 近代文学研究所 上席主任研究員 准教授 博士))『川端康成 新資料による探求』鼎書房(〒132-0031 江戸川区松島2-17-2 ℡・FAX 03-3654-1064)◇10月28日、川端康成研究家の深澤さんから『川端康成 新資料による探求』が献本で送られてきた。
◇第7章 川端康成と沖縄ー幻の長編「南島孤島」/米国統治下の沖縄行ー
一,幻の長編「南島孤島」ー戦前の企て
二,昭和33年、米国統治下の沖縄行
1,戦跡の巡拝、民芸の鑑賞
2,沖縄タイムス主催「川端を囲む座談会」、乙姫劇団
3,ハンセン病療養所愛楽園訪問と講演「逢い難くして」
4,琉球新報主催「川端康成氏を囲んで 文学を語る座談会」
5,タイムス文化講座講演「国際ペン大会と外国作家」
三、沖縄行以後の川端と沖縄

関連〇斎藤 陽子(Walnut, California)2019-10月22日 1958年私が高校1年生の、まだ沖縄が完全には戦争の復興から立ち上がれていない、日本復帰にはまだまだ遠い頃、のちにノーべル文学賞を受賞した川端康成氏が日本ペンクラブ会長として初めて沖縄訪問された時に、思いがけずお会いすることができ、お話までできた日に頂いた、鎌倉のご自宅の住所まで記載された川端康成氏の名刺が出てきました。
私は当時 首里城跡に創立された琉球大学の敷地内(首里円覚寺跡)に同じ形の10軒ほどの琉球大学官舎に父母が大学に勤めていた関係で住んでいて、(ここには当時琉球大学の主要教授が住んでいて)我が家のお隣には日本ペンクラブに所属していらした、琉球大学教授の亀川正東教授も、この官舎に住んでいました。
亀川氏の家に立ち寄られた日本ペンクラブの会長の川端康成氏が、亀川氏を庭でお一人で立って待っている姿を発見し、高校1年の小娘の私はあらん限りの勇気を持って、川端康成氏に挨拶をしに駆け寄り話かけたのです。
あろうことか、川端氏は紳士的に小娘の私に丁寧に話しかけてくださり、鎌倉にいらしたらお寄りなさいと、あの大きな眼で見つめられて話されて、鎌倉の住所の入った名刺まで下さったのです。
当時の私は文学にどっぷりと溺れている、ちょっとませた文学少女で当然川端康成の小説をほとんど破読していたので、天にも登る気持ちで5分間ほどの会話は1時間ほどの時間にも思えました。
今では川端氏の大きなギョロッとした眼だけを思い出しますが、丁寧に少女を相手にする川端氏の目は優しみをたたえていました。
「伊豆の踊子」にもみられるように、川端康成は少女を非常に丁寧に美しく描く作家だったと言われています。川端康成の少女愛的な趣向が、私に対しても優しかったのかとこの歳になると、うがった(穿った)思いをしてしまいます。

よみたんまつり。孫は三線で参加


保育園でハロウィン。家でもかぶっている
「くろねこの短語」11-6 流行語大賞にノミネートされた30の言葉の中に「検討師」が入っていないのでヘタレ総理がご立腹・・・なんて噂をネット雀がチュンチュク囀ってる今日この頃なんだが、そのヘタレ総理がまた迷い道くねくねしてくれたってね。なんとまあ、「手元にカードがない方も保険診療が受けられるよう、制度を用意する必要があり、関係府省による検討会で環境整備を行っていく」
だとさ。早速、ネットでは、「それを保険証と言う」なんて野次が飛び交っている。当然だね。だったら何のために国民健康保険証廃止なんてことをブチ上げたんだってことになる。さらに、「マイナンバーカードは、国民の申請に基づき交付されるもので、この点を変更する予定はなく義務づけるものではない」なんてことも答弁していて、もうひっちゃかめっちゃか。おそらく、当人も何言ってるんだかわかってないに違いない。
貧すれば鈍するで、迷い道くねくねどころか、一度病院行った方がいいんじゃないの・・・なんてことを我が家のドラ猫に囁いてみる日曜の朝である。
「くろねこの短語」11-5 昨日のエントリーで、「#走行距離課税」がトレンド入りって紹介したんだが、11月に入ってから「#自民党に殺される」が新たにトレンド入りしてるってね。
確かに、100年安心だったはずの年金は破綻の一途を辿り、防衛費増額を増税で賄おうと画策はするし、統一教会汚染の闇の深さに慄然たる思いに陥るし、とにかく自民党のやることなすこと、真綿で一般大衆労働者諸君の首を閉めているようなものなんだね。
でも、問題はそんな自民党を選挙ごとに勝利に導いてしまうマゾな有権者の存在なんだよね。それをさらに後押ししているのが選挙制度で、50%にも満たない得票率で議席の60~70%を占有しちゃうんだから話になりません。
統一教会の被害者救済新法だって、自民党はいつのまにかトーンダウンして、どうやらその背後には自民党を支援する宗教団体の思惑がチラホラしている。公明党が必死に新法成立にブレーキかけてるのも、創価学会の意向を受けてのことは自明のことだ。
こんなんだもの「#自民党に殺される」がトレンド入りするのも無理はないんだが、そう言ってるうちはダメなんだよね。自民党に殺されないためにはどうすべきか。そこに無い知恵を絞りたいと思う今日この頃なのだ。
「くろねこの短語」11-4 Jアラートってオオカミ少年みたいなものなんだね。ああ、それなのに、読売新聞は号外なんか出しちゃって、煽ること煽ること。そんなことより、「♯走行距離課税」がトレンド入りしたってね。これは何かって言うと、政府の税制調査会で提案された増税政策のひとつで、文字通り「走行距離に応じて課税」しようとするものだ。
ようするに、走れば走るほど税金取られるってことで、公共交通機関が脆弱で車に頼らざるを得ない地方にとっては死活問題なんだよね。物流だって大変ですよ。走行距離課税が採用されたら、当然その何割かは物流コストに上乗せされることになるから、それこそ日本経済全体に影響が出てくるだろうことはシロートにだって容易に想像がつこうというものだ。
そもそも、日本では車にかかる税金に「自動車税」「自動車重量税」「環境性能割」「消費税」があって、ただでさえ負担が大きい。そこにもってきて「走行距離課税」なんてことになったら若者の車離れはさらに進むことだって予想される。
「補助金は遅いが増税はクッソ早いからなぁ…この国」って声がネットでは飛び交っているけど、ヘタレ総理の「聞く力」ってのはどうやら財界に対してだけのようだから、そろそろ一揆でも起こさないと世の中どうにも立ちいかなくなりますよ。
11月2日、首里から伊佐眞一さんが泊まで歩いて(健康のため)きて『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号を恵まれた。



2022年10月 『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』第10号 伊佐眞一「『復帰』思考を葬る」/安里英子・ 聞き手「新川明が語る『反復帰』論・自立の思想」



伊佐眞一「『世替』とぅ ウチナーンチュぬ 実」/又吉盛清「新垣弓太郎と辛亥革命」/大田静男「南西諸島の最前線基地化を断て!」



後田多敦「大龍柱向き改ざんを止められるか!」/永津禎三「首里城正殿大龍柱問題」/比嘉慂「じっと見る・私の怨念 日本復帰50年」

大濱 聡 11-2 ■本日(11.2)の『琉球新報』朝刊が伝えた普久原恒勇さん(沖縄市在/作曲家・音楽プロデューサー)の訃報に驚いた。昨夜、ある宴席で同席した琉球新報社のYさんが同紙に普久原さんが連載した「ぼくの目ざわり耳ざわり」の担当だったことから、普久原さんのことを話題にしたばかりだったからである。
11-6 コロナ 沖縄267人、/大阪3343人、3人死亡/ 東京6264人、1人死亡
11-5 コロナ 沖縄350人、/大阪4159人/ 東京7967人、1人死亡
11-4 コロナ 沖縄141人、4人死亡(米軍1)/大阪1536 人、6人死亡/ 東京 3090人、3人死亡
11-3 コロナ 沖縄274人(米軍1)/大阪 3781人、7人死亡/ 東京 6686人、2人死亡
11-2 コロナ 沖縄377人、5人死亡(米軍2)/大阪3868人、6人死亡 / 東京6346人 3人死亡
11-1 コロナ 沖縄363人/大阪4007人、6人死亡/東京6520人、5人死亡












2022-10-30 第7回世界のウチナーンチュ大会




2022年10月28日 なるみ堂で、店主の翁長良明氏(右)/写真「濱田庄司夫妻」/仲里正雄氏、屋良朝信氏/なはーと、左から村上佳子さん、仲嶺絵里奈さん、屋良朝信



2022年10月 深澤晴美(岡山県生まれ 和洋女子大学 総合研究機構 近代文学研究所 上席主任研究員 准教授 博士))『川端康成 新資料による探求』鼎書房(〒132-0031 江戸川区松島2-17-2 ℡・FAX 03-3654-1064)◇10月28日、川端康成研究家の深澤さんから『川端康成 新資料による探求』が献本で送られてきた。
◇第7章 川端康成と沖縄ー幻の長編「南島孤島」/米国統治下の沖縄行ー
一,幻の長編「南島孤島」ー戦前の企て
二,昭和33年、米国統治下の沖縄行
1,戦跡の巡拝、民芸の鑑賞
2,沖縄タイムス主催「川端を囲む座談会」、乙姫劇団
3,ハンセン病療養所愛楽園訪問と講演「逢い難くして」
4,琉球新報主催「川端康成氏を囲んで 文学を語る座談会」
5,タイムス文化講座講演「国際ペン大会と外国作家」
三、沖縄行以後の川端と沖縄

関連〇斎藤 陽子(Walnut, California)2019-10月22日 1958年私が高校1年生の、まだ沖縄が完全には戦争の復興から立ち上がれていない、日本復帰にはまだまだ遠い頃、のちにノーべル文学賞を受賞した川端康成氏が日本ペンクラブ会長として初めて沖縄訪問された時に、思いがけずお会いすることができ、お話までできた日に頂いた、鎌倉のご自宅の住所まで記載された川端康成氏の名刺が出てきました。
私は当時 首里城跡に創立された琉球大学の敷地内(首里円覚寺跡)に同じ形の10軒ほどの琉球大学官舎に父母が大学に勤めていた関係で住んでいて、(ここには当時琉球大学の主要教授が住んでいて)我が家のお隣には日本ペンクラブに所属していらした、琉球大学教授の亀川正東教授も、この官舎に住んでいました。
亀川氏の家に立ち寄られた日本ペンクラブの会長の川端康成氏が、亀川氏を庭でお一人で立って待っている姿を発見し、高校1年の小娘の私はあらん限りの勇気を持って、川端康成氏に挨拶をしに駆け寄り話かけたのです。
あろうことか、川端氏は紳士的に小娘の私に丁寧に話しかけてくださり、鎌倉にいらしたらお寄りなさいと、あの大きな眼で見つめられて話されて、鎌倉の住所の入った名刺まで下さったのです。
当時の私は文学にどっぷりと溺れている、ちょっとませた文学少女で当然川端康成の小説をほとんど破読していたので、天にも登る気持ちで5分間ほどの会話は1時間ほどの時間にも思えました。
今では川端氏の大きなギョロッとした眼だけを思い出しますが、丁寧に少女を相手にする川端氏の目は優しみをたたえていました。
「伊豆の踊子」にもみられるように、川端康成は少女を非常に丁寧に美しく描く作家だったと言われています。川端康成の少女愛的な趣向が、私に対しても優しかったのかとこの歳になると、うがった(穿った)思いをしてしまいます。


よみたんまつり。孫は三線で参加


保育園でハロウィン。家でもかぶっている