山田真山(本名・渡嘉敷兼慎、童名・真山戸)は 1885年(明治18)、壺屋村(現那覇市壺屋)に生まれました。父は儒学者でしたが、世替わりの時代に一家で八重山に移住し、苦しい生活を送りました。真山は幼少時から手先が器用なことで知られ、その才に着目した大工に引き取られて十代前半に東京に移り住みました。大工仕事を通じてしだいに造形に目覚めた真山は、苦労の末、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、彫刻と日本画を学びました。山田泰雲、小堀鞆音ら高名な芸術家たちに師事した真山は才能を開花させ、1914年(大正3)に文展に入賞したことを皮切りに数々の絵画・彫刻作品が入選を果たしました。芸術家として地位を築いた真山は、昭和初期には明治神宮聖徳記念絵画館の「琉球藩設置」(首里市奉納)描きました。

本企画展では、山田真山の絵画・彫刻とともに、関連資料を展示し、その足跡と作品世界を紹介します。

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1926年6月『沖縄及沖縄人』眞帆「山田眞山画伯出世物語」
山田真山表紙絵




2013年1月16日 RBCiラジオ「民謡で今日拝なびら」で上原直彦氏が東恩納の文化部の絵の技官の話で山田真山、金城安太郎らにふれ、沖縄美術家協会から首里のニシムイ美術村、沖展まで話が展開していた。民謡は「梅の香り」を聴いた。→「梅の香り」

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2013年1月19日ー写真左から山田昇作氏、波照間三蔵氏(金城安太郎弟子/全九州水墨画協間会常任理事・審査員)







1945年 左から山元恵一、金城安太郎、ハンナ少佐、山田眞山