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英国人宣教師・医師ベッテルハイムの来琉を記念して居住地跡に建てられた記念碑。
キリスト教の布教のため来日した英国人宣教師・医師ベッテルハイムは、1846年に琉球に訪れ、家族とともに那覇市波の上(なみのうえ)の護国寺(ごこくじ)に滞在していました。滞在期間の8年間、本来の目的である布教活動を含め、英語講師、聖書の琉球語訳「流訳聖書」の発行、泊の仲地紀仁(なかち・きじん)医師にイギリスで発見されたジェンナーの牛痘接種法と西洋医学の伝授に努めました。記念碑は居住地跡である護国寺境内にあります。(→おきなわ物語)

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□新聞週間(15-21日)期間中の18日、戦没新聞人慰霊の集いが那覇市若狭の旭ケ丘公園内に建てられた「戦没新聞人の碑」前で行われた。県内の新聞人ら約20人が出席、碑に花をささげ、平和への誓いを新たにした。 琉球新報社の野里洋取締役が「戦時中、壕の中で新聞を発行し、多くの先輩が犠牲になった。沖縄の記者としてこの事実を心に刻み、住みよい沖縄をつくるために力を入れていきたい」とあいさつ。沖縄タイムスの真久田巧(さとし)中部支社編集部長が戦没新聞人の碑が建立されたいきさつなどを説明した。建立にかかわった共同通信初代那覇支局長の横田球生さんからメッセージが寄せられ、藤塚正道共同通信那覇支局長が「ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を誓う場所がこの碑ではないか」と読み上げた。集いは県内の新聞社、全国紙の那覇支局長らが呼び掛けた。碑には沖縄戦で亡くなった沖縄新報、同盟通信、毎日新聞、朝日新聞の14人がまつられている。今年は碑建立から40年になる。(『琉球新報』2001年10月19日)