みどり風通信に「アーチって何だろう?」が写真と共に載っている。 「みどり印刷」ここをクリック

辞書によれば、[建造物で、弓形に曲がった梁(はり)。半円・尖頭形・馬蹄形などがあり、窓・入り口・門・橋などに用いる。迫持(せりもち)とある。 その昔「琉球へおじゃるなら 草履はいておじゃれ 琉球石原小石原♪」 と薩摩の侍にからかわ れたが、首里城や勝連城、中城城、今帰仁城の立派な石積みを例に出すまでもなく、県内各地に 残る石畳道や石垣、また竹富島のサンゴ焦の石垣、農家の立派なフール(ウヮーフール・豚小屋と トイレを兼用した施設)など、沖縄の建造物は石と切り離す事は出来ない。  古代ローマ時代にすでに完成された石造のアーチの技術がシルクロードを伝って、中国に入り、 中国では主に城郭都市の城門として結実し、それが朝鮮(南大門は馬蹄形アーチ)や琉球にも伝 わった。


いつの頃からか、私は沖縄に多く見られる優美な三心円アーチという天井部が「かまぼこ型」の アーチに興味を持った。文系の私は、アーチ構造の力学的な解説や重力の方向や集中・分散等 の説明は出来ないので、現在も残っている歴史的な建造物、最近造られた新しいアーチ、現在 進行形のアーチと、その形状を収集し写真で載せる事で幼い頃からの「私のアーチへの想い入 れ」の一里塚としてみようと思ったのである。

アーチの基本型 単心円アーチ
沖縄自動車道橋脚部(南風原町大名)規模の大きさにおいても、連続性という点でも、他を 圧倒する県下最大のアーチ橋 [下]若杉保育園園舎(首里大名町)アーチの連続は幾何学的 な美しさがあり、スペイン瓦の屋根とマッチして夢のあるエキゾチックな雰囲気を醸しだしている。

三心円アーチとは?
 大きな1個の円弧を天井部として、2個の小さな同大の円弧が重なって、左右両面の壁と繋がる形状、これが三心円アーチと呼ばれるもので、大きな円弧と2個の小さな円弧の大きさの割合 いによって、2つのタイプに分かれる。[上]をAタイプ[下]をBタイプとしよう。

先ずAタイプ  (注意深く見ないと、単心円に見えてしまう。)
上之橋(ウィーヌハシ) 首里当蔵町と赤平町の境、真嘉比川中流域に架かる現役の石橋。 その200M下流の下之橋(シムヌハシ)も同じく現役の石橋だが、直角に近い湾曲部にある為、 他家の屋敷に侵入しなければ撮影できなかったので載せられなかった。天女橋(テンニョバシ)1502年 龍潭上部(南側)の円鑑池(エンカンチ)の中島にある弁財天堂に架かる。日本百名橋の一つ。


円覚寺左腋門 下川原橋(シチャーラ)沖縄自動車道那覇インターの北、県道との谷間にある。第2尚氏の最高神君、聞得大君(チフィジンウドゥン)の叙任式への斎場御嶽 への道にあり、島尻東方への宿道(国道)上の橋でもある。よく見ると左右の壁は下に狭まり馬 蹄形にも見える。金城ダムの上流部、安里川の上流、弁ヶ嶽のふもとにある。ヒジ川橋 首里城から南苑(識名園)への道にある。金城ダム敷地内、ダムで新しく水路を造った為、現在川床に水は無い。[右]金城ダム(上池水路)2001年竣工。

Bタイプ   数としても多く、典型的な三心円アーチ 
天井のアーチ部がカマボコ型。アンパンマンの友人、食パンマンの頭部に似て、ゆるやかで優 美な曲線である。琉球を代表するフォルムの一つだと思う。なお、ここでは写真掲載出来なかっ たが、県内各地に残るウヮーフールの屋根部分もきれいな三心円アーチである。安谷川御嶽(アダニガーウタキ)石碑などもあり、琉球王府でも格式の高い拝所の一つ、 アーチ上部の宝珠があることがそれを物語っている。前の道は、首里城・久慶門を起点とする 本島中北部への宿道(シュクミチ、国道) 崇元寺石門 三連アーチの安定感!


龍淵橋[リュウエンキョウ] 1502年頃 Aタイプにあった、天女橋のある円鑑池(エンカンチ)からのオーバーフロー(溢れた水)が龍潭へ 流れ込む短い水路。龍潭側から、東から見た龍淵橋、以前は石彫りの欄干があった。余談だが、円鑑池に中島があり、そこに弁財天が祀られている。琵琶湖には竹生島があり、 弁財天がある。東京上野、不忍池にも中島があり、弁財天がある。長野・野尻湖には琵琶島 があり弁財天が祀られている。




首里城の実質的な正門、歓会門 首里金城ダムドデカイ三心円を見て嬉しく なる、デッカイフールだ!と一人で笑った。

カド丸アーチ 
中の毛(ナーカヌモー)西側土手部分。これは天井部が直線であるのでカド丸アーチと名 付けたが、この連続形の美しさは三心アーチ由来のものと直感した。金城ダムのような大型工 事ではなく、土地買い上げと、アーチトンネル設計・施工の利益の相関を第一義とする公共工 事では、アーチの数だけ同じRの円で切っていくほうが経費の面でも安く仕上がり、時間的にも 早く仕上がるのだろう。(素人の推測ではあるが) 前方の県道が拡幅される事になり、一時は ナーカヌモーも狭くなるかとの危惧もあったが、自治会長の宮城修氏と町内の有志は県の土木 課と粘り強く折衝に当たり、歩道部の壁をアーチ式のトンネルとしトンネル内の採光を確保し併 せて上部のナーカヌモーの庭(ウナー)も損なうことなく問題を解決したのである。 (「首里かわらばん」より)
[中之毛、ナーカヌモー] テェーラ、ウフナ(平良・大名)の中央に位置することからの由来とされる。旧暦7月16日に恒例 として催された沖縄相撲大会は全県下から名だたるシマトゥヤー(相撲取り)達が集い、大変な賑わいであったという。(『首里の地名』久手堅憲夫著 より)    最後に龍潭と、そのオーバーフローの世持橋(横積型アーチ) 

今回は、写真の多さと「三心円アーチ」をどのように説明しようか?この数の写真をどのくくり で分割し、展開して行こうか?と、途方にくれる事もあった(壊れたオモチャを抱き上げて・泪目状態)。最後は得意のエイ!ヤー!でやった。出来映えはともかく、「大作」になってしま った。