『世界地理風俗大系 南アメリカ篇』新光社1935.12-南洋・印度篇 アメリカ合衆國篇 イギリス・フランス篇 サヴィエート・ロシヤ・北歐諸國篇 支那(中華民國)篇 滿洲帝國篇 中歐・バルカン諸國篇 北極・カナダ・アラスカ・メキシコ・中米・西印度諸島篇 南アメリカ篇 中央アジヤ・西アジヤ篇 イタリヤ・スペイン・ポルトガル篇 アフリカ・大洋洲・南極

 ブラジルでは「混血に対する差別がない」「すべての人種は平等である」というスローガンによって国民の統合を図ろうとしており、これがブラジル国民のイデオロギーといえるまでになっている。「多くの人種の混合によって超人種とでもよべるような世界でもっともすばらしい人間をブラジルはつくりだした」という主張までなされている(木村秀雄)。

1950年代以降、日本の高度経済成長期にかけて東芝やトヨタ自動車、東京海上日動、コマツ、ヤクルト本社、日本航空など、重工業から金融、サービス業や運送業に至るまで、様々な業種の日本企業がサンパウロを中心に数百社進出しており、世界でも有数の規模の日本人学校、サンパウロ日本人学校など、ブラジル国内に複数の日本人学校がある他、日本においてもブラジルの音楽やスポーツ、料理などの文化が広く親しまれており、また、両国間の人的交流が活発にあるなどその関係は非常に深いものがある。在留邦人は約6万人(2010年)、在日ブラジル人は約23万人(2010年、外務省)である。→ウィキ


1987年10月 屋比久孟清『ブラジルオキナワ移民誌』在伯沖縄県人会


2006年4月 宮城松成『忘れえぬ人々ーブラジル沖縄移民の秘話』沖縄タイムス社

『ニッケイ新聞』2012年4月17日
 【沖縄タイムス・南風原】県内から多くの移民が渡ったブラジルとの交流を推進し、次世代へと引き継ごうと、沖縄ブラジル ネットワーク・アミーゴ会(与那城昭宏会長)が発足し、7日、約60人が参加して喜屋武町の南風原文化センターで交流昼食会が開かれた。1908年の最初 の移民から100年余、ブラジル社会で6世の県系人が活躍する中、参加者は交流の発展を決意した。同会は次世代の交流へ向けて、若いリーダーの育成も目指す。与那城会長は「沖縄で活躍するブラジル出身の若者たちを支えながら、沖縄とブラジルの情報交換の会に育て、実のある交流をしていきたい」と抱負を述べた。昼食交流会では沖縄で学ぶブラジルの留学生らが手作りした同国の家庭料理「フェジョアーダ」が振る舞 われた。留学生たちはあいさつで「沖縄とブラジルの懸け橋になりたい」と流ちょうな日本語やウチナーグチで話し、会場を沸かせた。・・・
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2013年10月12日 (社)那覇市観光協会「市民演芸・民俗伝統芸能パレード」写真・吉田佐和子さん
沖縄ブラジル協会「ミス琉装」□国際貿易学を学ぶ大学生の比嘉ジュリアナさん(23)=3世、ヴィラ・カロン支部

2014年4月27日/粟国郷友会ー第51回定期総会写真左からオキジム会長の新里有四郎氏、糸数信一32代郷友会長、新会長の与那城昭広氏


2014年10月 赤嶺園子『笠戸丸移民 未来へ継ぐ裔孫』ニッケイ新聞


2016年10月26日 国際通り「世界のウチナーンチュ大会前夜祭パレード」


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2013年9月 泊の自宅から沖縄県立博物館・美術館まで