10/09: 辻/松村梅叟 まつむら-ばいそう
1885-1934 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治18年8月生まれ。円山派の今尾景年にまなび,京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)を卒業。文展でたびたび褒状をうける。のち日本自由画壇の同人。昭和9年3月2日死去。50歳。京都出身。本名は仁一郎。作品に「画室の花」など。(コトバンク)
□1910年8月9日ー馬山丸で第2観光団(70人余)の一人、松村梅叟(京都市立絵画専門学校生徒)来沖
1930年代ー首里城 歓会門
首里城の城郭内へ入る第一の正門で、俗に「あまへ御門(あまえうじょう)」といいます。「あまへ」は古い言葉で「よろこび」を意味しており、「歓会」はその漢訳になります。第二尚氏尚真王代(1477~1526)に創建されたといわれるこの門は、中央部に木造の櫓があります。
沖縄戦で焼失しましたが、1974年(昭和49)に復元されました。□→「首里城公園」
2003年1月15日『琉球新報』「あしゃぎー新城栄徳さん・30年の蓄積をネットに」
沖縄県立図書館東恩納寛惇文庫蔵
明治18年8月生まれ。円山派の今尾景年にまなび,京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)を卒業。文展でたびたび褒状をうける。のち日本自由画壇の同人。昭和9年3月2日死去。50歳。京都出身。本名は仁一郎。作品に「画室の花」など。(コトバンク)
□1910年8月9日ー馬山丸で第2観光団(70人余)の一人、松村梅叟(京都市立絵画専門学校生徒)来沖
1930年代ー首里城 歓会門
首里城の城郭内へ入る第一の正門で、俗に「あまへ御門(あまえうじょう)」といいます。「あまへ」は古い言葉で「よろこび」を意味しており、「歓会」はその漢訳になります。第二尚氏尚真王代(1477~1526)に創建されたといわれるこの門は、中央部に木造の櫓があります。
沖縄戦で焼失しましたが、1974年(昭和49)に復元されました。□→「首里城公園」
2003年1月15日『琉球新報』「あしゃぎー新城栄徳さん・30年の蓄積をネットに」
沖縄県立図書館東恩納寛惇文庫蔵