伊波が「沖縄学」を華々しく築いた大正・昭和初期、碩学からの学的影響を素直に認めながらも、県内の多くの知識人が伊波学問への批判、さらに時代への反間を雑誌・新聞等で論じた。新たに研究会等を組織し、自己を研鑽、学的な触発を得ながら時勢の言論をリードした末吉安恭(講師・粟国恭子)・島袋全発(講師・屋嘉比収)ら新聞人・文人、そして多くの教員たち。さらに「沖縄改革の急先鋒」と称された太田朝敷(講師・伊佐真一)の独自の言論活動・・・・・・・・・伊波を通して視た「郷土沖縄」の文化・歴史、近代という時代への問いとは。その言論・思想の意味するものは?。




写真・「この『琉文手帖』の末吉麦門冬特集は新城栄徳さんと、ここに居る伊佐真一さんが共同で作成したものです」と粟国恭子さん。伊佐真一氏、屋嘉比収氏


会場に展示されている『琉文手帖』「末吉麦門冬」「山城正忠」



満員の会場
□1991年1月 伊佐真一編『アール・ブール 人と時代』伊佐牧子
○(略)赤と黒の綱引きは相拮抗しており、それはそれで学問的に大いに議論をすればよいことである。だが、時として世の中にはこうした自由な言論・報道を封じ込めようとする者がいるものである。たとえばその一例、この赤黒論争が新聞紙上や巷間でにぎわっていたころ、沖縄総合事務局開発建設部の村山和義公園調整官から、18名の元委員に宛て、首里城にかかわる発言を統制しようという文書が出されている。その内容は、首里城正殿及び公園に関する出版物の刊行、公演、取材等多岐にわたる「マスコミ等への報道」を「公園調整官を窓口として一本化」するというものであった。これに対して、又吉真三氏と前田氏と前田氏はただちに抗議を行ったが、事の重大さに気づいた当局は6月12日付で、先の文書の廃棄処分するに至った(『琉球新報』1989年7月25日付夕刊)。戦前の大政翼賛会まがいの行為をしたわけであるから当然といえば当然である。(略)

□2009年10月 屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』世織書房
○(略)高良倉吉氏のそのような直接的な政治的役割にかんしてではない。琉球史研究という学問的意匠による非政治的立場を装いながら、きわめて政治的な役割を果たしている、その<政治性>の問題についてである。それは、党派的な主義主張やイデオロギーなどの「政治性」とは位相」を異にした、関係における認識や解釈などの<政治性>の問題である。


2013年9月13日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー大田朝敷」


2011年 粟国恭子さんに金城朝永賞


2011年10月16日 『琉球新報』 
沖縄文化協会賞 北村、仲原、粟国氏に
 【東京】沖縄学の研究者を対象にした第33回沖縄文化協会賞が15日、新宿区の早稲田大学で発表された。比嘉春潮賞に早稲田大学客員准教授の北村毅氏(38)=東京都、仲原善忠賞に琉球大学、沖縄国際大学などで非常勤講師を務める仲原穣氏(41)=久米島出身、金城朝永賞に沖縄国際大学非常勤講師の粟国恭子氏(48)=宮古島出身=が選ばれた。授賞式は11月19日午後1時から早大・大隈会館で開かれる。
 北村氏は沖縄戦後思想史をテーマにした研究、仲原氏は琉球文学・琉球方言をテーマにした研究、粟国氏は金属工芸を中心にした物質文化、芸能文化の研究がそれぞれ評価された。
 北村氏は「今後は沖縄戦による精神的な損失に取り組みたい」、仲原氏は「記録中心のこれまでの研究を発展させ、消えつつある方言を現代の財産として残せるような研究につなげたい」、粟国氏は「近代以降失われた琉球の金属工芸品作りが受け継がれるよう、活動を続けたい」と述べた。