比屋根安定 ひやね-あんてい1892-1970 大正-昭和時代の宗教史学者。
明治25年10月3日生まれ。16歳でメソジスト派に入信。キリスト教の布教と宗教研究に生涯をささげる。青山学院神学部,東京神学大,日本ルーテル神学大などの教授をつとめた。昭和45年7月10日死去。77歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「日本宗教史」「日本基督教史」など(コトバンク)



1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』


□著1935年12月ー比屋根安定『五餅二魚』日曜世界社「本書は随筆集である。所謂随筆は、閑文学を以って称せられるが、予は、多少のレイゾン・デエトルを具したつもりである。我国の基督教文壇に、説教あり、神学論あり、聖書講解あり、信仰談あり、時評あり、伝記もあるが、唯々随筆に至っては、殆ど見なかった。然し随筆なき基督教文壇は、前菜なき料理の如くである」/1937年3月ー比屋根安定『世界巡礼記』教文館「人生も亦、逆旅である。本朝の『朝比奈三郎廻島記』、唐土の『西遊記』、西洋の『ピルグリムス・プログレス』の如きは、紀行文的稗史を籍りて、実は人生行程を敍したるに外ならない。この『世界巡礼記』は、所謂紀行文であると共に、これも亦予が半歳に亘れる未曾有の生活記録を兼ねている」


比屋根安定の本


1945年6月沖縄戦が終って、その11月11日東京に沖縄人連盟が結成された時、比嘉春潮もその発企人の一人であった。その翌々1947年の8月15日芝労働会館で沖縄連盟総本部の部長会議が開かれたとき、言語文学部の宮良当壮氏、民族史学部の島袋源七氏、宗教部の比屋根安定氏が沖縄連盟内に沖縄文化協会なる部局を置くことを決定し、宮良氏がその会長格をつとめることになった。同時期、比嘉春潮、仲原善忠、島袋源七、島袋盛敏、金城朝永、宮良当壮(後に崎浜秀明も参加)は毎月一回、仲原君を中心におもろ研究会も開かれた。


アメリカ軍の爆撃で廃墟と化したキリスト教会(1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会)

○那覇市歴史博物館の2010年図録「本土人が見た1950年代の沖縄」に、米軍爆撃で廃墟と化した那覇久米キリスト教会の写真がある。米軍兵士はキリスト教会を目の敵にしているようで、よっぽど十字架がにくらしかったにちがいない。これは下記の原爆の事例でも分かる。

★浦上教会  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1945年8月9日、原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊された(また、原爆投下時間に聖母被昇天を迎えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われていた。そのため中にいた神父を始めとする信者の全員が死亡している)。