写真ー神山南星
真喜志ヌターリーから歌人・神山南星資料を贈られたことがある。南星は1913年、那覇の垣花生まれ。ライを病み鹿屋敬愛園に入りそこで林文雄園長から短歌を学んだ。南星の歌文集のひとつ『牡丹のあと』の表紙は斉藤茂吉研究家の山上次郎の色紙「海人保と続く歌よみを神山南星と言ひてさびしむ」で、扉絵には林竹治郎画伯の「沖縄なんみんもう」で飾られ巻頭の随筆は俳人正岡子規と野球、野球用語の歴史的考察、短歌も野球を詠んだのが多い。



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岡山後楽園「はすかい渡し」にて

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林家「しろたへの牡丹」の前で林富美子さんと道子さん
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写真左ー後藤静香/1922年4月 後藤静香『白熱』希望社出版部

静香ファンの永吉純一郎氏から『後藤静香選集』を借り拾い読みをした。後藤 静香(ごとう せいこう、1884年8月17日 - 1971年5月15日)は、大分県出身の社会教育家。静香が救ライにふれた文章には、沖縄に縁のある人物たちが出てくる。関連して真喜志ヌターリーから歌人・神山南星資料を贈られたことがある。南星は1913年、那覇の垣花生まれ。ライを病み鹿屋敬愛園に入りそこで林文雄園長から短歌を学んだ。南星の歌文集のひとつ『牡丹のあと』の表紙は斉藤茂吉研究家の山上次郎の色紙「海人保と続く歌よみを神山南星と言ひてさびしむ」で、扉絵には林竹治郎画伯の「沖縄なんみんもう」で飾られ巻頭の随筆は俳人正岡子規と野球、野球用語の歴史的考察、短歌も野球を詠んだのが多い。1980年11月本間一夫『指と耳で読む』(岩波新書)岩波書店「点字図書館の創立ーあれから40年、今では全国の各地に非常に盛んになっている点訳奉仕運動のノロシは、この日後藤静香先生によってあげられたのです。」

後藤静香ー相当ひろく活躍しているようでも、人間のとびまわれる世界は、たかの知れたもので、接する人も大体きまっています。ところが書物をひらくと、一瞬にして心を万里の外に放ち、思いを幾千年の昔に運ぶことができます。英雄偉人と親しみ、聖賢君子の声なき声に接します。書物は、空間と時間を抹殺して、万里の異郷を数歩の近きにおき、万古の哲人を生ける隣人の姿にかえます。書物を読まないと、心どまりの人間になり、自分免許の天狗になります。書物だけではありません。すぐれた人に接して、直接の教えをうけることもだいじです。


2015年5月 那覇市泊小学校