03/01: 1983年4月 『言語』第12巻第4号□上間常道「沖縄1983-我が沖縄の10年」
2016年7月8日ー左から宮城剛助氏、上間常道氏
上間常道
1983年4月 『言語』第12巻第4号 大修館書店□上間常道「沖縄1983-我が沖縄の10年」
写真左が上間常道氏、目取真俊氏
目取真俊
1987年3月1日『樹海1』(目取真俊・個人誌)/1985年9月『季刊おきなわ1』・1985年12月『季刊おきなわ2』
1989年6月『すくみち』第3号 「準備室の動きー6月1日、島袋正採用」
1990年3月『すくみち』第11号 「『琉球新報』3月13日ー『すくみち』10号を発行」(写真・仲原弘哲、仲里千恵美、島袋正)
1999年11月12日『琉球大学学生新聞』「2000年サミットと沖縄基地問題」
□目取真俊ー貴大学の高良倉吉先生のごとき御用学者は、『沖縄は主催者である政府の良いパートナーとしてサミットを成功させ、政府との新しい関係を築く布石として使えばいい。』(『アエラ』6/21号)などと述べていますが、いかにもマキャべリストらしい発言で笑止の極みです。(略)」
1998年『EDGE』№9 目取真俊「そこらへんをもっと、深めていかないと、高良倉吉みたいになるわけですよ。琉球王朝史観みたいなものを振りまわして、否定的な沖縄の歴史像に対し大交易時代の明るい俗受けするような歴史観をもってくる。しかし結局は現実主義の名のもとに政府の『沖縄政策』に対する批判力を失っていく。そういった危険性というのは絶えずあるわけです。」
写真左から上間常道氏、新城栄徳、大城光子さん
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戦後の沖縄芝居で一時代を築いた女性だけの劇団「乙姫劇団」のスターとして活躍した沖縄芝居役者で県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者の大城光子(おおしろ・みつこ)さんが13日午前3時33分、病気療養中のところ新型コロナウイルス感染症のため、那覇市内の病院で死去した。88歳。那覇市生まれ。→2022年8月20日タイムス
1983年9月 沖映本館「瀬名波孝子芸道40周年記念公演」
瀬名波孝子/みつわ座
大城光子と瀬名波孝子
「みつわ座」正月公演ー写真前列右から嘉手川重夫、松茂良興敬、玉城初枝、北島角子、山城興松。後列右から中山幸四郎、瀬名波孝子、宮城亀郁
みつわ座(宮古興行)
新城栄徳、上間常道氏
写真左からー新城栄徳、上間常道氏、山田實さんの旧知の大城立裕氏、石野朝季氏、岡本惠徳氏、奥が喜納勝代さん。
2011年2月15日~20日ー日本中国友好協会60周年記念企画「漫画展ー中国からの引き揚げ~少年たちの記憶」沖縄県立博物館・美術館
2011年1月26日『琉球新報』
□イザイホー・1924年9月ー『沖縄教育』又吉康和「久高島印象記ーそれは婦女の貞操を神の名に依って検査することである。即ち12年目毎、即ち午歳の8月10日から3日間厳粛に施行される、此の儀式をイザイホーと称して居る。」/1930年8月8日『沖縄朝日新聞』豊平良顕「憧れの離島訪問(4)ー『イザイホー』!それは世界何処探したって無い珍無類の奇習である。」/1936年9月30日『大阪朝日新聞』島袋源一郎「久高島の奇習 午年に貞操試験」
琉球東急ホテル「琉球民謡集」