1969年8月 山里永吉『松山王子尚順遺稿』(㈱)第一法規出版


写真ー尚順(昭和14年)


写真ー尚順と柳宗悦(昭和14年)

尚順の「鉄斎コレクション」

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2016-11-29 あけみ



nullnull1938年ー藤田嗣治来沖

写真ー左から田中、尚順、山里永吉、本山、南風原朝光画伯、南風原夫人、竹谷画伯、藤田嗣治画伯、加治屋夫人、加治屋画伯
□尚順「藤田さん、ピカソの画に就いて御説明を願えませんか。私達には此の絵は一寸も判りませんが、ピカソはたしかスペイン人でしたね」、藤田「そうです。(ピカソの画集を開く)これは古い画集ですね。」、尚順「その立体派は、いったいどういう風に鑑賞するんでしよう。」、藤田「さあ(微笑)難しいですね。(紙と筆を出して)此処にこんな茶碗があるとしますね。それを上から見ると、こう円く見える。側から見るとこういう風になって、中にこれ位お茶が入っていると、ここい等がこうお茶の色になりますね。つまり此処からも、そちらからも、物を立体的に見るんですね。ピカソ自身でも立体派と言っているでしよう。一枚の紙に一つの物体を形も色彩も質も克明に客観して表現するところに、この絵の主観があるんですよ。まあ一種の図案だと思って鑑賞なさるんですね。私達が鳥の鳴く音を聞くでしよう、鳥は何と言って鳴いているか解らないが、鳥の鳴声は愛する事が出来ますね。その気持でこの絵も愛してくれというのです。」、尚順「なる程、それでよく解りました」、藤田「そういうものは独創した人が偉くて、その真似をしたり、追隋すると云う事はつまらなく、いけないんですね。」
□川平朝申「昇スタヂオの𤘩宮城昇氏は中学(二中)の先輩であり、中学生のころ可愛がられたので、真から心配をしてからの忠告であった。」

2010年3月ー国建『首里城尚家関係者ヒアリング調査業務報告書』(財)海洋博覧会記念公園管理財団