1989年11月16日『琉球新報』「熊本大学五高記念館から琉球風俗絵巻が見つかる」

1989年11月16日『琉球新報』「熊本大学五高記念館から琉球風俗絵巻が見つかる」。私は当時『琉球新報社史』を手伝っていたので、記者から写真を貰った。上段は尾類馬の行列であった。



国会図書館の「琉球風俗図」の首里城①首里城正殿前の龍柱は正面向き ②1882年3月に首里城が陸軍省所轄永世保存城となり熊本鎮台分営が置かれた。入り口に鎮台兵が立っている。熊本のものは鎮台兵は描かれてない③重修天女橋碑記


1926年5月29日『沖縄タイムス』


復元された重修天女橋碑記

上は国立国会図書館の風俗画(国立国会図書館ホームページで「琉球風俗図」検索で見ることができる。)/1976年2月 田中俊雄・田中玲子『沖縄織物の研究』紫紅社)で国会図書館のものを引用。

1989年12月 『琉球大学附属図書館報″ぶぶりお〝』より

上記の絵巻は池宮正治琉大教授によって1989年12月発行の『琉大附属図書館報″ぶぶりお〝』で紹介された。また琉球新報発行の『新 琉球史』の表紙や挿絵にもなっている。


1936年12月3日~『琉球新報』「那覇 今と昔」絵・友寄親雲上、写真・本社写真部、文・山里永吉


八重山の桃林寺にある友寄喜恒 画「十王図」

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『琉球の文化』第四号
特集Ⅰ 琉球の伝統芸能
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2002年5月 東京国立博物館『東京国立博物館図版目録』カラー図版で友寄喜恒「ジュリ図」、モノクロで「按司夫妻図」「田舎婦女図」が載っている。翌年の12月、浦添市美術館発行『東京国立博物館所蔵 琉球資料展 琉球・沖縄へのまなざし』の表紙は友寄喜恒「ジュリ図」、カラー図版「花鳥図」「按司夫妻図」、「田舎婦女図」が載っている。




女性史資料

辻/樋口富麻呂【ひぐち とみまろ】
日本画家。1898年大阪生。本名は秀夫。京都絵専卒。北野恒富・西山翠嶂・小松均に師事する。美人画・仏画を能くする。帝展・文展・院展に入選する。1933年の住所ー京都上京区鹿ケ谷法然院町61。1981年(昭和56年)歿、83才。 (→コトバンク参照)
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1926年ー初来沖
1928年ー『川柳 大大阪』表紙絵
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1935年ー2回目の来沖
1960年ー3回目の来沖
1961年5月17日ー『京都日出新聞』「京にくる琉球の古典舞踊ー樋口画伯が恩返し。知名士らで”みる会”」
1961年5月31日ー『琉球新報』「京都の画家・樋口富麻呂さんが、沖縄を訪れた際モデルになった上津真紀子さん(24)を京都に招待。」

1899年7月27日『琉球新報』「社説ー史料調査」
第五高等学校教授文学士・武藤虎太氏は史料調査の為昨日入港の釜山丸より来県池畑へ投宿したり・・・・・・・・・。
1899年8月1日『琉球新報』「武藤文学士の帰任ー30日出港の薩摩丸で帰任・・・・。」
武藤虎太 むとう-とらた
1867-1934 明治-昭和時代前期の教育者。
慶応3年7月生まれ。五高,二高の教授となり日本史を担当。大正4年二高,10年四高,昭和6年五高の校長となった。昭和9年3月29日死去。68歳。肥後(熊本県)出身。帝国大学卒。→コトバンク

東恩納寛惇文庫には武藤虎太書簡が2通ある。