1974年1月『青い海』29号 安室孫盛「今を厚くし、古を薄くするー沖縄芝居の可能性についてー」


1975年11月『青い海』47号 安室孫盛「映画で”沖縄〝を撮りつづけてー再び沖縄の植民地解放宣言を」
安室孫盛
安室孫盛を検索すると、講談社のデジタル版 日本人名大辞典の解説に次のように出ている。
田部久 たべ-きゅう
1906-昭和時代の教育運動家。
明治39年生まれ。昭和5年新興教育研究所設立に参加し,中央委員となる。7年新興教育同盟準備会を結成して書記長となり,検挙される。戦後は教員組合運動をすすめた。沖縄県出身。首里中学卒。本名は安室孫盛。著作に「無産少年運動」。

1961年9月発行の「大琉球」(観光映画シリーズ三部作)には編集発行人として奈良三郎とある。
□目次
森政三「復元した守礼之門」/式場隆三郎「琉球の旅」/松本俊夫「琉球の祭りについて」/芦間冽「沖縄の祭り」
奈良三郎「復興する固有の文化」/南風原英佳①「この風土に育つ生きもの」/寺西春雄「交響曲・大琉球(三楽章)について」
田辺尚雄「琉球音楽の位置」/奈良三郎・南風原英佳「おもろ談義」/藤島宇内「沖縄が映画を作るしごと」/本田安次「沖縄舞踊の特色」/芦間冽「映画化される群星」

1992年9月9日『八重山毎日新聞』に「安室孫盛を語る展ー今日から13日まで労働運動家の一生(石垣市立図書館展示室)」とし、友寄英正氏の斡旋で東京在住の安室孫盛の長男・奈良一郎氏から同氏の図書や諸資料など4百余が市立図書館に贈られたことで企画されたという。安室のペンネームは北村、奈良など。


①1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「南風原英意」



2015年12月 『越境広場』1号
 粟国恭子さんから『越境広場』1号を恵まれた。粟国さんは同誌に「島に吹く『風』とウタの記憶ー周辺のポリティクスー」、謝花佐和子さんは「映像ー心の目で見る『ことば』」を書いている。紹介が後先になったが、特集1は<1995・沖縄>、特集2<追悼 真喜志勉>、今、辺野古でアベ国策に抵抗しているヒコクミン・山城博治氏の「インタビュー わが原点、われらが現場、抗う沖縄の思想」など。今回は老練書き手の大田静男「『セミの歌』が聴こえてくるとき」を見ることにする。

○「日本は戦後70年間戦争をしていない」のだそうですね。基地を提供している国が、戦争をしていないなどとは、欺瞞ですな。嘘っぱちだとおもいませんか。なんでかって?潜在主権て知らない?砂川判決知っているのにな~? 沖縄平和ゼロ年ですよ。知ってください。憲法ゼロ年です。(略)資源のない国、島国ニッポン。ミサイルを原子力施設に打ち込まれたら、国家は存立しなくなる。なんと、山本太郎議員が同じようなことを言ってアベ総理を追及していたな。答えられるわけがない。柴又の寅さんではないが、それをいっちゃお終いだよ。アイアムソウリーはそれをよくご存じだ。守るべき国民の屍累々。アア~ウウートードゥ。(略)嘘つきの始まりは政治家。そして国家。嘘つき国家の、嘘つき軍隊が武器を持ってやってくる。戦前の二の舞。ああ、70年も経つとみんな健忘症になるのですな~。

2013年8月 大田静男『夕凪の島ー八重山歴史文化誌』みすず書房

○国禁の書を読む尋常小学校教員たちー教員連盟や教労結成のメンバーに、石垣出身の安室孫盛がいた。安室は1906年生まれ。八重山古典音楽安室流の始祖安室孫師の孫である。3男で、8歳年上の兄孫伴は嘉手納警察署長などを務めた。社会主義運動に走った弟のため、在職中、心労が絶え間なかった。安室は童名をカニムイといい、アムヌカニムイ(安室のカニムイ)は小学校時代から成績優秀で知られたという-。

○「命どぅ宝」という語句を、琉球大学教授の高良倉吉は、「出所経緯が曖昧なのに不動の価値のごとく主張されている。と批判している。語句の「出所経緯」がそんなに必要であろうか。高良がそれにこだわるのは、武器のない島おきなわという幻想否定のためであろう。では高良はこの語句の出所経緯を証明するのであろうか。たとえ証明できたとしても、その言葉は作者の手を離れ、平和を願う民衆の共通の珠玉の言葉として、すでに市民権を得ているのである。「命どぅ宝」は否定されるものではなく、憲法前文のように不動の価値があるのである。
高良が師と仰ぐ故安良城盛昭沖縄大学教授は数年前、石垣市での有事立法反対集会で講演し、同法を非科学的だと批判し、日本は平和外交に徹するべきだと述べた。講演途中に戦死した同期生の話になると絶句し、涙を流された。日米安保や米軍基地を容認し、現状肯定の上に経済発展をめざすという高良らの「沖縄イニシアブ論」は、安良城の平和思想を乗り越えたというのであろうかー。



2013年12月『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』№2 大田静男「八重山から」