1950年6月 雑誌『おきなわ』高嶺明達「南島風土記に奇すー東恩納先生は又『自分は最後の沖縄人を以て自ら任ずる者である』と云われた。私も亦沖縄人、而も善かれ悪しかれ最も日本化した沖縄人を秘かに任ずる者である。先生に云わせれば、そんなのは沖縄人でないと云われるかも知れないが。自分のことを申し上げ過ぎて恐縮だが、私は那覇の久米村で生まれた・・・」

1952年11月 高嶺明達『太平洋の孤児 米国統治下の琉球』沖縄通商
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高嶺明達

高嶺明達 (たかみね・めいたつ)
1898~1966(明治31.8.22~昭和41.11.8) 官吏。旧姓・楚南。那覇市久米生まれ。東京帝大卒後、商工省入り。軍需省総務局長など歴任。戦後、B級戦犯で公職追放。復帰前の沖縄と政府のパイプ役を果たす。→沖縄コンパクト事典
妻・芳子は岸本賀昌の娘



1950年9月 雑誌『おきなわ』第1巻第5号 高里良恭「敗残者わが祖父」

1966年『現代沖縄人物三千人』沖縄タイムス社「高里良恭」

1951年1月 雑誌『おきなわ』第2巻第1号 新垣淑明「学園回顧/一中篇ー起て中山の健男児」

1966年『現代沖縄人物三千人』沖縄タイムス社

1993年5月1日 『おきなわの声』第161号 新垣淑明「散歩道/虎頭山周辺①」
1993年6月15日 『おきなわの声』第162号 新垣淑明「散歩道/虎頭山周辺②」

1981年7月ー『沖縄文化』石川正通「春潮曼荼羅

3月25日、与儀公園のデイゴが一本の木に一輪づつ花を咲かせていた。沖縄県立図書館で石川正通の「春潮曼荼羅」を見る。
□腕っぷし大佐とかけて、何と解く?
年頃の娘と解く。
心は?
初めて月の物を見た。
和意談で筆を起こした趣旨は、比嘉春潮の名に触れるプロローグに、したかったからである。腕っぷしはアームストロング。アポロで、初めて月に降り立った宇宙飛行士である。比嘉春潮の春潮、新潮社の新潮は、娘が初めて見る初潮と同じく、月経ではないでしょうかと、私が怪問したら、春潮さんは、びっくりして、早速中国人のインテリに、訊き正したそうである。
沖縄で、初めて春潮さんに接したころは、確かに春朝であったように記憶している。図書館で、エスペラント講習会をやられる前の話である。ハクソー嫌いで有名な東恩納寛惇君(彼は君という呼称が好きであった)が、「ハクソーを人間に分類したのは、神の誤りである」と言ったとかで、東京の沖琉群人の間で、ハクソー問題が話題になったとき、春潮さんは、親の代に西原にチジュー(居住)したが、僕は首里の士族であると、家系を明かされた。

沖縄師範を卒業したとき、東京の物理学校(今の東京理科大学)への入学資格を得たが、家が貧乏で、東京に行く金がないので、下級の島袋盛範に権利を譲ったと述懐された。春潮さんが小学校長のとき、部下の教員の使い込みの不始末に、心を痛めて毎晩さまよい歩き、石垣の穴を見つけては、指をつっこんで、ハブに噛まれて、死を選ぼうとした噂があったが、これはあの春風駘蕩たる春潮さんの温かい人柄を示すエピソードで、根も葉も無いフィクションかも知れない。
    深く掘りなどが胸うちぬいじゅん(泉)ゆす(他所)たゆ(頼)て水や汲まぬごとに
伊波普猷先生が四十四歳の春潮さんに送られた歌で、ニーチェの「人間的な余りに人間的な」というニーチェの言葉を、読書家の芥川龍之介は「芸術的な余りに芸術的な」と、文字ったが、私の発想は常に「沖縄的な余りに沖縄的な」でワラビナー(童名)に、薄れ行く沖縄情緒を、次のように偲んでいる。私の家は男女同県だから、沖縄語しか使わない。テレビはカーガーウドイ(影踊)、ラジオはドゥチュイムヌイーサー(独言者)という風に、マカイ(ご飯茶碗)と(湯呑み)茶碗とを区別しない国は野蕃国である。
    ミーニシの吹くころ鷹や渡るらむ東京に居て沖縄に住む
不治のノスタルジアに冒されて、馬齢を加えて行くばかりである。

伊波ぬヤマーウンチュー、漢那ぬモーサーウンチュー、比嘉ぬタルーッチー、当間ぬウシーッチー、瀬長ぬカミーッチー、仲吉ぬカマーターリー、大湾(中村政忠)ぬカナーグヮー、宇久(貞成)ぬマカラー、武元(朝朗)ぬサンデー、山里(永吉)ぬトラー、と呼ばして戴いていた。

伊波普猷=ヤマー
比嘉春潮・金城朝永・親泊政博・宮城邦栄・岸本賀章=タルー
宮里栄輝・比嘉俊成・渡嘉敷唯信・石川正通=ジルー
真玉橋朝起・当間重民・山里永明・比嘉賀成・渡嘉敷唯達・島袋全章・山之口貘(山口重三郎)=サンルー
漢那憲和・東恩納寛惇=モーサー
富名腰義珍・伊礼肇・瀬長良直・長浜真徳・宇良宗亀・親泊興照=カミー
池宮城積宝・山城政行・石川正義・古波鮫唯信(漂雁)=カナー
神山政良・許田重発・備瀬知範=スター
友寄英彦・嘉数詠達・照屋仁栄=ニヨー
高嶺明達・真玉橋朝英・照喜名重照・当間重国・船越義英・尚暢=カマデー
当間重剛・島清(島袋牛)・松岡政保(宜野座政牛)=ウシー
小嶺伸(幸申)・大湾政行・高嶺百才=ハークー
仲吉良光・嘉数昇=カマー
祖慶実徳・渡嘉敷唯義=トラジュー
石川逢篤・石垣孫顕=カミジュー
石川正芳(私の父)・照屋彰義・渡嘉敷唯仁・浦崎永錫・山口保仁・小禄朝器・比嘉賀秀(靜観)・南風原朝光=マチュー
照屋宏・浜松哲雄(比嘉)=マチャー
大浜信泉=マントゥー

伊波先生とは、毎晩のように、会談・快談・怪談に耽ったが、学術語以外は、殆ど沖縄語で終始した。私が、所かまわず、沖縄語を使うので、春潮さんは、「石川君、君の沖縄語は正しいと思うか」と言われた。いくら春潮さんでも、これは愚門だと思った。しかしこの質疑は、春潮さんの頭の中の学庫の秘密を解く重要な鍵である。
言葉は時代時代によって変遷するもので、その世代の仲間の言葉が、その世代では正しいのである。時代は動く。語法も語彙を包んで動く。