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1914年正月『琉球新報』広告

福禄寿は中国では南極老人という。いつも杖を手に持ち、腰には瓢箪、しばしば白い鶴、ときには亀を従えて、道教での理想の姿となっている。滝沢馬琴『椿説弓張月』の北斎挿絵には「球陽福禄寿」が登場する。寿老人も中国では同じく南極老人と言われた。序に京都に「都七福神」、神戸に「西国七福神」巡りがあるが七メンバーに定着したのは江戸後期と言われている。七福神のうち恵比須だけが日本固有の神だが、これとて夷、戎、蛭子とも書くように、海の向こうからやってきた荒神だ。大黒天は室町の頃から恵比須と一対になり、家を守る神として祀られた。大黒は円満温厚な福相とはうらはらに出自はインド・ヒンドゥ教の破壊を司る大変恐ろしい神マハーカーラである。毘沙門天もヒンドゥ教の神でヴァイシュラヴァナという軍神だ。布袋尊は宇治萬福寺天王殿に鎮座する布袋が有名だが、中国の後梁時代に実在した僧と考えられ、且つ弥勒菩薩の化身とも言われている。弁財天は奈良時代に8本の腕を持って伝来、本来はヒンドゥ教の水(河)の神、サラスヴァティであった。

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 1994年3月 松本三益『自叙』□戦争に反対した人ー(略)1941年(昭和16年)あの真珠湾攻撃で太平洋戦争がはじまる直前の10月、久場マカト(68歳)、宮城ツラ(77歳)、新垣カマ(68歳)の3人の女性が御先神という宗教結社をつくって、お先神が真の神で、天皇は御先神の子孫であって下民の資格しかない、と古事記の天孫降臨の建国神話を否定しています。これは国体を否定し、皇室の尊厳をきずつけたということで、治安維持法違反で検挙されています。(略)ここでは、こんな事も弾圧の対象にされたという意味で理解していただきたいと思います。
久場カマド(1972年12月19日死去、99歳)「御先神教」
久場カマド
1925年8月8日ー久場カマド「御先神教」(伊計島に降臨した神)を那覇久米町で開教、若狭は久米に隣接する。
 1927年1月1日ー出口王仁三郎、波上神社に参拝。2日は首里城見物、那覇市公会堂で講演、会場で御先神教の久場カマドが神がかりとなり大声を発す。
久場カマド(1873年~1972年12月19日)
久場を教祖とする那覇市在の宗教結社「御先神(うさちがみ)」の教義内容が、「真の神は御先神で、天皇はその子孫であって下民の資格しかない」と唱えたことから久場は国体を否定し、皇室の尊厳を冒涜するものとして、1941(昭和16)年10月2日、治安維持法違反により検挙された(1942年 那覇地方裁判所で治安維持法第八條違反により懲役2年、4年間執行猶予)

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儀間比呂志「ソテツ」

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出口王仁三郎「昭和の七福神」
大本の教典『霊界物語』は、人類を虚無苦悩の世界に追い込んでいく悪霊(ヤマタノオロチ)から人々を救いだすスサノオとその宣伝使たちの、地球全域が舞台の壮大な物語です。霊界をふくめての宇宙観、そのなかでの人生観、社会觀などなど、愉快で豊穣な世界が展開されています。(愛善苑)


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