2014年6月15日14時~16時 沖縄県立博物館・美術館3階講堂 吉浜忍(沖縄国際大学 教授)「戦後69年目に考える沖縄戦ー沖縄戦住民記録・日本軍史料から何がわかるかー」

1977年4月 沖縄の雑誌『青い海』 №62 「33年目の沖縄戦と集団自決」

慶良間チージ(シュガーローフ)は日本軍の首里防衛の要衝。そこでアメリカ軍第6海兵師団と激しい攻防戦が69年前の今日始まり1週間に及んだ。

沖縄戦激戦地ー慶良間チージ(シュガーローフ)

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那覇市旧跡・歴史的地名表示板「慶良間チージ(シュガーローフ)」那覇市おもろまち1-6 安里配水池 展望所内
□日本軍側は、シュガーローフを含めた3つの丘からなる巧みな防御陣地を構築し、海兵隊を撃退しつづけ、丘は戦闘が行われた1週間で11回も持ち主を変えた。この戦いで海兵隊側は、2,662名の戦死傷者と、1,289名の戦闘疲労患者を出したとされる。日本側の損害については、この戦闘に限った統計がないため明らかではない。

『未来』2010年5月号に後田多敦氏が「いまも続く『シュガーローフの戦い』」を書いている。これは最近単行本になっている。末尾で「天気のいい日に慶良間チージに立ち、遠くを見ると鮮やかな海と空が浮かび上がる。近くの雑然とした街からは、さまざまなざわめきが聞こえてくる。現在の慶良間チージの争奪戦で戦っているのは銃を持った兵士ではない。自覚的な人も少数かもしれない。その多くは住人や買い物客、ビジネスマンであり、旅人などの普通の人たちである。そして、結果として沖縄全体の人びとが各自の来歴のなかで『シュガーローフの戦い』に巻き込まれていく。やがて、沖縄人は追いやられ、その丘は『すりばち丘』あるいは『シュガーローフ』と呼ばれてしまうのか。しかし、それでも慶良間チージは、慶良間チージであるべきであろう。」と、シュガーローフの戦いはいまも続くとしている。