沖縄新報文庫の印が捺されている。

1943年  □仲本政基「私が沖縄新報の記者になったのは、昭和18年の10月であった。当時、沖縄は一県一紙になっており、琉球新報、沖縄朝日新聞、沖縄日報の3社が合併(昭和15年12月)してできたのが沖縄新報である。当時の社長は伊江朝助男爵で、専務が当真嗣合、常務が平尾喜一、総務局長兼編集局長が高嶺朝光、営業局長は親泊政博の各氏であった。工務局長はおらず、阿加嶺のターリーが工場長だったとおぼえている。編集局の陣容は、高嶺朝光氏の下に、外電関係整理が國吉眞哲氏、政経部に上地一史、仲泊良夫、与儀清三、座喜味盛良、勝連勇の諸氏、社会部は福地友珍、大城徳三(現在の牧港篤三)、友寄喜光、大山一夫の各氏が健筆をふるっていた。(以下略)」→1975年9月『那覇市史 戦時記録 資料篇第2巻中の6』

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新城栄徳宛、仲本政基ハガキ「先日はさっそくコピーを送っていただき誠に有難うございます。大変なつかしく拝見いたしました。また記事の中に昭和俳壇の選者比嘉時君洞さんの名前が出ており、これもなつかしく拝見いたしました。(略)」
□1928年9月9日『沖縄昭和新聞』


『沖縄タイムス』写真1951年ー一人おいて比嘉秀平琉球臨時中央政府主席、ビートラー軍政副長官、ザルツバーグ・ニューヨーク・タイムズ社長、高嶺朝光、上地一史、座安盛徳、豊平良顕、ディフェンダーファー米民政府情報教育部長


1951年10月22日、米民政府情報教育部で開かれ「琉球の声・AKAR」から放送された第一回新聞週間・各新聞編集長座談会。向かって右から司会・川平朝申(放送部長)、ハードウィック(新聞部長)、國吉眞哲(琉球新報)、金城直吉(琉球新聞)、豊平良顕(沖縄タイムス)、比嘉憲蔵(沖縄朝日新聞)、宮城鷹夫(琉球弘報)、外間征四郎(琉球弘報)
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1956年
1966年4月『新沖縄文学』創刊
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2017年9月2日 那覇市歴史博物館ー左から外間政明氏、屋冨祖仲啓氏、新城栄徳

1993年5月『新沖縄文学』95号 屋冨祖仲啓「本誌歴代編集長インタビュー/」重要な節目ごとに、考える作業をしてきたことは大きい」

2003年2月 『沖縄を深く知る事典』屋嘉比収「沖縄の雑誌に見る『自己意識』ー『新沖縄文学』を通して」


上里佑子さん、銘苅氏、川満信一氏、新川明氏、



1999年10月 真久田巧『戦後沖縄の新聞人』沖縄タイムス社



左から豊平良一氏、新城栄徳



左からー新城栄徳、諸見里道浩氏、平良知二氏

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立法院棟保存運動を取材する与那嶺記者/2022年4月11日、沖縄タイムス編集局長・与那嶺一枝さん


2002年5月 『歴史街道』第169号 神坂次郎「俺は夏草 麦門冬」/左から神坂次郎、末吉安允氏、与那嶺功沖縄タイムス記者

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黒島美奈子(くろしま みなこ)沖縄タイムス社 編集局デジタル部長 1993年沖縄タイムス入社。社会部、学芸部、八重山支局、政経部を経て2020年現職。2009年ファイザー医学記事賞受賞。10年新聞労連大賞優秀賞受賞。2014年4月~18年4月まで週刊金曜日の政治コラム担当