2014年10月11日『琉球新報』新城栄徳「山城知佳子 新作上映会に寄せて」
 2007年に沖縄県立美術館が博物館と同じ建物に開館した。その開館記念展図録『沖縄文化の軌跡1872-2007』に、私は「麦門冬の果たした役割」を書いたが、山城知佳子は出品作家として紹介されていた。また図録には鈴木勝雄が「映像と沖縄のダイアローグ」を書いている。鈴木はこの記念展と連動するように翌年、東京国立近代美術館で「沖縄・プリズム」展を開催、その図録には比嘉豊光らと共に山城も紹介されていた。
 山城は今回のドキュメンタリー映画「うちなー芝居 舞台の美術」では60年以上も裏方としてうちなー芝居を支えてきた新城栄徳を追っている。うちなーの舞台美術の始まりは、沖縄の新聞を明治期から捲って『沖縄芝居とその周辺』という著に結実させた名古屋の大野道雄によれば「幕の使用が確認できる最初の記述は明治33年3月の『琉球新報』『矯風会の演劇を見る』という記事である。(略)まだ幕があがらない。理由は役者が大道具方や小道具方を兼ねており、しかも素人だから手際が悪く『故に幕の長びくのも当然なればあへてとがめず』と幕の使用にふれている。」と舞台美術にも触れている。戦後うちなーの舞台美術については製作者の草分けでもある新城の兄・喜一も18日のトークショーに参加するので当事者としての証言が聞けると思う。
 18日には「現代歌劇・愛の雨傘」も上演される。愛の雨傘(一名 赤い目の兎)は1933年に真楽座の上間昌成が創作し、大正劇場で初演した。同時に上間作詞、多嘉良朝成作曲「新曲かたれ節」も挿入され唄とともに人気を呼んだ。「愛の雨傘」の唄は戦前のレコード(唄三味線・多嘉良朝成、多嘉良カナ子)解説によれば「美代子『庄さんやあらに実に気の毒ゆ、今ぬョーなりゆちや、庄さんよ、くりや我身ぬおばさんが、北海道にめんせーしが、札幌生りの白兎我身に送くて・・』この兎が愛の雨傘の別名ともなっている。
                                                                   新城栄徳(「琉文」主宰) 




2012年9月 アジアの女性アーティスト展実行委員会『アジアをつなぐー境界に生きる女たち』沖縄県立博物館・美術館
山城知佳子は、米軍基地や第二次世界大戦中の沖縄戦といった沖縄固有の主題を、墓庭*や美しい海などを舞台に、映像や写真など多様なメディアを用いて作品制作します。

山城知佳子さん、新城栄徳


2014年9月14日ー写真左から新城栄徳、金城美奈子さん、山城知佳子さん、画家の新城栄徳氏


2014年9月14日ー浦添市図書館前の蘇鉄

2017年10月31日『しんぶん赤旗』「ひとー沖縄の歴史や現状を表現する美術家 山城知佳子さん」








舞台美術家・新城栄徳氏が最近手懸けた「舞台」









1974年12月 『青い海』となきあきら「民謡とわたし」
1976年5月  『青い海』となきあきら「遊びの中のわらべうた」
1976年8月  『青い海』となきあきら「喜劇の王様・小那覇舞天を偲ぶ」
舞天 小那覇全孝作「健康いろは歌」
い、いつも健康楽しい家庭/ろ、路頭に迷うも病いから/は、早寝早起腹八分/に、俄の養生間に合わぬ/ほ、程よく食べて程よくねむれ/へ、部屋は明るく気持ちよく/と、兎角病いは油断から/ち、地獄の近道不養生/り、理屈云う間に養生しやれ/ぬ、濡れたら着替えよ風邪のもと/る、累を及ぼす伝染病/を、乙女の健康国の宝/わ、渡る世間に元手は要らぬ/か、貸すな借りるな手拭を/よ、良く働いて良くねむれ/た、只の養生日光浴/れ、冷水摩擦に深呼吸/そ、掃除する前に水を撒け/つ、慎む口に毒は来ぬ/ね、寝巻、腹巻、寝冷えなし/な、治す医者より罹らぬ予防/ら、楽園の扉は健康の鍵で/む、無茶な飲食生命取り/う、薄着に慣れて皮膚強し/ゐ、胃腸に歯はないよく噛んで/の、蚤取れ蠅取れシラミ取れ/お、親の健康子に光る/く、薬を知らぬ果報者/や、夜具は時々陽に当てよ/ま、マスク忘るな風邪引くな/け、化粧美よりは健康美/ふ、踏めよ朝露親しめ土に/こ、挙つて運動揃つて健康/え、英雄も病いに打ち克てず/て、鉄と身体は鍛えて光る/あ、安眠は最良の養生法/さ、酒は身を呑み家を呑む/き、金歯より磨いた白歯/ゆ、油断一日治療百日/め、迷信家の生命取り/み、見栄を張るより胸を張れ/し、四百四病も油断から/ゑ、笑顔は健康の旗印/ひ、一人の不養生万人の迷惑/も、もう一杯をひかえませう/せ、清潔整頓身だしなみ/す、過ぐれば薬も毒となる/京、京の医者より罹らぬ予防