3月21日『沖縄タイムス』末吉麦門冬「池宮城寂泡君の郷土文学叢書発行の序に代へて」
○池宮城君!君の郷土文学叢書発行の企ては誰も考えていて実行の機会を得なかったもので、至極賛成です。文学普及の為め其の効果頗る大なるものがあろうと思います。どうぞ根気よく続けて下さい。さてこれに序を書いて呉れとの御頼みですが、何を書いてよいものでしようか。此間御話したようなものを書きましょうか。私達の要求する所の郷土文学は一体どうあらねばならぬかと云うことは、私も考えないではありませんでした。一口に云うとそれは私達この郷土に生まれたのでなければ感じ得ない、把握し得ない、創造し得ない、表現し得ない内容でなければならぬと思います。本当の沖縄と本当の沖縄人が出て来なくてはなりません。而してこれを得るには、殊更に私達が郷土の色を深めよう濃くしようなどと意識的に努力しては駄目です。そうすると却って他国若しくは他県の者が、私達及び私達の環境を描いたものにあるような、●種の誇張され、歪曲されたものと似通ったものになります。それには私達の持とうと望んでいる或物が如実にあらわれません。似ても似つかぬものとなってしまう恐れがあります。殊更に他人に見せるようなものであってはならぬ、吹聴や宣伝では否ません、見せびらかしではない。・・・


3月23日『沖縄タイムス』伊波普猷「池宮城寂泡君の郷土文藝叢書発行に序す」
4月23日『沖縄タイムス』神田精輝「ペルリ提督 琉球訪問記 出版に就いて(上)」
4月24日『沖縄タイムス』神田精輝「ペルリ提督 琉球訪問記 出版に就いて(下)」
5月24日『沖縄タイムス』「琉球音楽界の長老 大田徳裕翁永眠 享年66歳」

6月 那覇の新天地でニコニコ大会メトロ社映画/バスターキートン主演「案山子・文化生活一週間」上映
○バスター・キートンは、アメリカの喜劇俳優、映画監督、脚本家。本名はジョセフ・フランク・キートン。チャーリー・チャップリンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。 ウィキペディア

◎1924年6月23日『沖縄朝日新聞』「歴史に現れた佛國と沖縄の交渉ー今を距る八十年前初めて佛船来たり泰平の夢を破る」

7月5日 佛艦アルゴール那覇港内桟橋に横着


1924年6月29日『沖縄朝日新聞』島袋源一郎「佛國宣教師渡琉史(1)」
1924年7月10日『沖縄朝日新聞』島袋源一郎「佛國宣教師渡琉史(10)」
◎1844年3月11日ー仏船アルクメーヌ号、那覇に寄港し、和親・交易等を要求、3月19日同船宣教師フォルカード①・清国人通事オーギュスタン=コウを残して那覇を離れる。  ①フォルカード Forcade, Théodore Augustin 1816-1885 フランスの宣教師。
1816年3月2日生まれ。パリ外国宣教会から派遣されて1844年(尚育王10)琉球の那覇に来航。布教には成功しなかったが,琉球語をまなび,「琉仏辞典」を執筆。日本代牧に任命され長崎にむかったが,鎖国のため上陸できず香港をへて帰国した。1885年9月12日死去。69歳。ベルサイユ出身。→コトバンク


1924年7月8日『沖縄タイムス』莫夢生「百日紅(1)ー仏蘭西と琉球ー唯一の外交史料」
  1924年7月25日『沖縄タイムス』莫夢生「百日紅(11)ー仏蘭西と琉球ー唯一の外交史料ー・・人類 もと一組より出て昔 遡れば皆同胞兄弟であるから、四海皆兄弟は人類の理想である。同胞兄弟おのおの父の家から分かれて 相拒み相絶つことを得ない。天下の兄弟も亦た然り 各々其の住むべき土地を分有しても、天下の大道は通行自由でなければならぬ・・・」



8月2日『沖縄タイムス』伊是名朝義「衆論・琉球人が答ふ 神村弔魚氏へ 」
8月6日『沖縄タイムス』伊是名朝義「衆論・正体を見よー排日法案」


8月12日『沖縄タイムス』「昨日女学校で伊東忠太博士の講演ー本県の建築に就て」


8月18日『沖縄タイムス』「伊東忠太博士の悦びー熱心な視察振に尚順男爵も感心」


8月19日『沖縄タイムス』「一昨夜、風月で昇曙夢 歓迎会」


8月26日『沖縄タイムス』「黒板勝美博士談ー首里城及び其の付近一帯を國寶として保存」