1914年1月ー横山健堂『薩摩と琉球』中央書院

1914年1月ー横山健堂『薩摩と琉球』中央書院○吾輩、那覇を発するに臨み、麥門冬、一巻の詩稿を携へ来たりて示す。試みに其の大半を摘読するに、逸気迸しる。吾輩琉球に入りて、詩篇の奇なる、此如きものを未だ見ず。恐らくは琉球の文学史に特筆すべき一詩人なるべし。乃ち、麥門冬に請ひ、借り得て船中に読む。毛有慶の遺稿也。○吾輩が、「泡盛」を愛好するの故を以て、球陽の俳人麥門冬、吾輩に餞するに家蔵の『椰子小』を以てす。



 写真中央が横山健堂ー右から伊波普猷、知花朝章、當眞嗣合、親泊朝擢、太田朝敷、崎濱秀主、伊是名朝睦、前列右が伊江朝助
1915年7月 健堂・横山達三『山水と人物』□「琉球の女」以文館





横山達三・葉書(新城栄徳蔵)

1914年1月ー横山健堂『薩摩と琉球』中央書院




 写真ー横山達三・葉書/短冊(新城栄徳蔵)
 横山健堂 よこやま-けんどう 1872-1943 明治-昭和時代前期の評論家。
明治5年11月5日生まれ。横山白虹(はくこう)の父。明治41年から黒頭巾(くろずきん)の名で「読売新聞」に連載した「新人国記」でみとめられた。維新史と人物評論を得意とした。のち駒沢大教授。昭和18年12月24日死去。72歳。山口県出身。東京帝大卒。本名は達三。著作に「大西郷」「旧藩と新人物」など。(コトバンク)横山白虹も沖縄に11回も来ている。その一句「斉場にてひそかに蘇鉄の花咲けり」
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