大阪のワタナベ写真にてー左が渡辺憲央氏と真喜志康徳氏





渡辺憲央氏は、「球一二五一七部隊、独立高射砲二七大隊」の「第一中隊第二分隊」に所属し、那覇市小禄のガジャンビラ台地に据えられた高射砲で那覇軍港と小禄飛行場の防衛にあたっていた。大隊本部の壕で本部指揮班が酒宴を開いていたのは、菊水作戦が実施された日とあるので、4月6日頃のことである。すでに沖縄島に米軍が上陸し、連日空襲や艦砲射撃を受けているさなかで、日本軍の将校たちは〈軍紀も風紀もありゃせんぞ〉という状態であった。