2009年6月『いのちの籠』12号 三井庄二「『反戦反核映画』考(5)ー『卵を割る壁』の側にならない」
2010年2月『いのちの籠』14号 三井庄二「『反戦反核映画』考(6)ー木下恵介作品に見る母親像(上)」
2011年6月ー『いのちの籠』第18号ー戦争と平和を考える詩の会(〒143-0016 大田区大森北1-23-11 甲田方)
堀場清子□いのち
(略)安全より利潤をむさぼる電力会社と
癒着する経済産業省 文部科学省
それにぶらさがる原子力安全・保安院は
まさに監督すべき危機に瀕し
真っ先に逃げ出した
役立たずでいながら高給を食む
原子力安全委員会委員長
族議員たち 御用学者たち
欠陥原子炉と 欠陥発電所の設計者 建設業者
電気機器等いっさいの設備製造会社と その施行業者
地元の誘致派に至るまで
儲けた人は数多く
利権の金の水脈 たふたふと流れ ゆきわたり(略)

2011年10月『いのちの籠』19号 三井庄二「『反戦反核映画』考(8)ー1950・60年代の『反原水爆』」
2012年2月『いのちの籠』20号 三井庄二「『反戦反核映画』考(9)ー70年代末以降の『反原発』『反核』」
2012年6月『いのちの籠』21号 三井庄二「『反戦反核映画』考(10)ー『劇映画』2000年以降と『記録・アニメ映画』」
2013年6月『いのちの籠』24号 三井庄二「『反戦反核映画』考(11)ー映画界・映画人の戦争責任」
2013年10月『いのちの籠』25号 三井庄二「『反戦反核映画』考(12)映画界・映画人の戦争責任」
2014年10月『いのちの籠』28号 三井庄二「キジバトになった少年の話」


2015年2月 『いのちの籠』第29号 発行所・戦争と平和を考える詩の会□〒143-0016大田区大森北1-23-11 甲田四郎(電話03-3761-8454)



2015年6月 『いのちの籠』第30号 発行所・戦争と平和を考える詩の会
発行所・戦争と平和を考える詩の会□〒143-0016大田区大森北1-23-11 甲田四郎(電話03-3761-8454)






国境線・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀場清子①
 
小学校の何年生だったか
はじめて『世界地図帖』をもらった
海と陸とを色分けする 不可思議なギザギザ
千変万化に入り組む 島々 半島 山々と川の流れ
その上を のたうち連なる赤い国境線

めくってゆくと なにか異様なページがあった
アフリカとアラビア半島が描かれ 
トルコとイラクの東北端は
「ナイル三角州」の拡大図で隠れていた
そのページだけ 国境にやたら直線が目立った
一五〇〇キロもの真っ直ぐな国境線・・・・・・
 
「東半球」の図の片隅で 小さくちぢかまる日本列島
その県境さえ 山々の稜線や川筋や谷々を辿り
こまかく折れ曲がり 反転しつつ連なる
なのに このページだけ 直線で国境が示されるのは なぜ?

その不思議さは
子供心に永く残った
(略)
第一次世界大戦の後
戦勝国のイギリスとフランスが
敗戦j国オスマン帝国の 広大な領土を切り分けた 
イラクやシリアにかけての中東一帯に 
密約「サイクス・ピコ協定」が
大きく不可解な直線と 大曲線を描いた 
土地の人々の生活の実情や
入り組んだ部族の居住地域など
自然のままに在り 親しんだ慣わしの一切を
例の如く 冷酷に断ち切る<線>だった

そこに由来する国境線を否定すると
「イスラム国」は 声高に揚言するが
同じ想いがわだかまっていよう
イスラム教徒の すべての人々の心の奥深くに
白人たちが 人種差別と長年の収奪により
天に届くまで層々と積み上げた 資本のツインタワー 
世界貿易センタービルが
アラブ系グループの奪った旅客機に激突され
微塵となった

歴史とは 
なんと象徴的なかたちを創るものか!

後世の歴史家は
ニューヨークの同時多発テロを
白人が ほしいままに牛耳ってきた数世紀の
転換点に位置づけるだろう

9・11は アメリカにとって
呪いと悲嘆の日だが
彼らの祖先は 無数の呪いと悲嘆を
大直線と大曲線の国境線により撒き散らしてきた

ブッシュが報復を仕掛けたイラク戦争は




①堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - )は、日本の詩人、女性史研究家である。
広島県安佐郡緑井村(いまの広島市安佐南区緑井)の祖父の病院で、母・雪子が里帰りをして生まれた。15年後、そこには米軍の原爆投下による重傷者約300人が運ばれ、生地獄の舞台となる。母と弟・信雄との3人で、そこに縁故疎開していた。早稲田大学文学部国文科卒業。鹿野政直の妻で本姓は鹿野。共同通信社勤務を経て詩作・評論に専念する。1982年10月、「詩と女性学との”接点”をめざし、人と創造力との”接点”となることを志して」、詩とエッセイの個人誌『いしゅたる』を創刊。1990年7月、『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』で第5回女性史青山なを賞、1993年6月、『首里』で第11回現代詩人賞受賞。2010年、第14回女性文化賞。ほか高群逸枝、原爆被害の研究をおこなう。

2015年12月 堀場 清子『堀場清子全詩集』ドメス出版
○地球全体を<非核地帯>とするために
核と 腐れた政権を放逐しよう

<いのち>を守ろう
子供たちの <いのち>を守ろう
大地と海との すべての<生命>を守ろう
<未来>を守ろう

そのためにこそ
闘おうではないか 
原発と その関連施設が まず最初の標的となる


1967年12月『守礼の光』「5年後に110階建て 世界貿易センター出現」
○世界貿易センターを設計したおもな建築家のひとりに、ミシガン州バーミンハム在住のヤマサキ・ミノル氏がいます。ヤマサキ氏は、そのすぐれた設計で多数の賞を獲得しています。氏の設計になる建物としては、ミズリー州セント・ルイス空港ターミナル・ビル、日本の神戸市にある米国総領事館、イランのシラズにあるパーラビ大学、サウジアラビアのダーラン空港ターミナル・ビルなどがあります。

 ヤマサキ氏は世界貿易センターについて所信を述べ、世界貿易と世界平和とは相互に関連すると言っています。「というのは、交易関係から必然的に生ずる国家間の意志疎通と相互理解こそ、平和の礎となるものだからです。どんな困難にも打ち勝って、貿易センターを世界平和への記念碑にしなければならないのはいうまでのないことですが、その重要性のゆえに、それはまず人間が人道主義を信じ、個人の尊厳を必要とし、相互協力をたのみ、その協力を通じて偉大なものを発見する人間の能力を信ずる生きたシンボルにならなければなりません。世界貿易センターは、人間が熱情的に希求する生活の属性ー全人類のための真実と平安、希望と喜びー人間が切望する民主主義の本質的属性ーを反映するものでなくてはなりません。世界貿易センターには、人間の偉大さと人間性に対する人間の信頼の情が体現されるべきです。」とヤマサキ氏はことばを結んでいます。