1943年7月ー月刊『文化沖縄』第4巻第7号 編輯発行兼印刷人・馬上太郎
月刊文化沖縄社ー那覇市上之蔵町1ノ21 東京支社ー東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局ーパラオ島コロール町 印刷所・向春商会印刷部ー那覇市通堂町2ノ1
表紙ー円覚寺の鬼瓦
近世日本と外国語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・城間盛善・・・2
アメリカン・シンプルトン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野崎眞一・・・8
琉球漆器に就て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・國吉瑞泉・・10
山本元帥国葬の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・川田順①・・・・・12
①川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。→ウィキペディア

神の金細射(かなままき)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・牧港策夫・・・13
沖縄文学韻律考・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小野重朗②・・・14
②小野重朗1911年2月 広島県生まれ、1995年7月9日逝去。広島高等師範学校卒。ペンネーム花城具志、俳号・十露。おもな著書『琉球文学』(弘文堂)、『南九州の柴祭・打植祭の研究』(第三回柳田国男賞)、『農耕儀礼の研究』(弘文堂)、『十五夜綱引の研究』(慶友社)、『南島歌謡』(日本放送出版協会)、『南日本の民俗文化 小野重朗著作集』(第一書房)。

海難記ー南洋伝道の思出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋寛範・・20
儒良・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩崎命吉(放送局長)・・・26
近事雑感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木愿三(教学課長)・・・29
病暦(7月)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉榮眞・・・30
或る書簡ー宗教に就て(上)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仲里誠吉③・・・33
③万人スバ屋の息子・仲里誠吉(誠桔・1916年10月2日~2002年9月20日)
1937年 旧制和歌山商業高校卒
1938年 那覇市立商業高校教諭
1945年 古知屋市助役
1945年4月 沖縄臨時政府貿易長、翻訳官兼通訳官
1946年4月 沖縄臨時政府翻訳課長
1949年 6月3日ー■『人民文化』創刊号□発行人・仲里誠吉/編集人・岡村哲秀、太田良博
1949年11月10日ー『うるま新報』「立候補の挨拶ー仲里誠吉」「沖縄人民党中央委員会ー仲里誠吉君を立候補させました」
1950年 人民党沖縄群島議会議員
1951年9月12日ー『琉球新報』「仲里誠吉人民党脱党」
1959年~1970年 『生長の家』地方講師
1969年 翻訳書ーベアード・Т・スポールティング『ヒマラヤ聖者の生活探求』霞ヶ関書房
1985年 沖縄伝導瞑想主宰
       □1月ー国吉真哲宛・ハガキ
1994年  □1月ー新城栄徳宛・書簡
2003年5月ー『とんぱ』第5号<仲里誠桔追悼>出帆新社

薬草を求めて(6)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久場仙眼・・・38
編輯後記(新崎盛珍)
○先月来文化聯盟並びに翼賛会の尽力によって我が沖縄の美術乃至工芸の優秀品を各般に亘りゆつくりと展覧鑑賞することが出来たのは近来にない喜びでなけでばならぬ。我等は此の際各部門の専門家に薀蓄を傾けて戴き、以って各位が展覧会場に於いて得られた印象を深め置かんことを期して御寄稿をお願いしてあった処、國吉氏の漆器に関する物しか載せることが出来なかった。(略)今迄頑張って居たが本誌も頁数を減ずるの余儀なきに至ったことは読者各位の御諒恕を乞はねばならぬが、価値多く興味津々たる玉篇を充実し得たことを秘かに喜んで居る次第を敢えて申し上げ度い。


1943年8月ー月刊『文化沖縄』第4巻第8号 編輯発行兼印刷人・馬上太郎
月刊文化沖縄社ー那覇市上之蔵町1ノ21 東京支社ー東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局ーパラオ島コロール町 印刷所・向春商会印刷部ー那覇市通堂町2ノ1

表紙ー崇元寺総門
佛領印度支那旅行記(1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・與儀喜宣・・・2
琉球藝術と伊東博士・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豊見川素堂・・・5
藝能展の聲なき囁き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安谷屋正量・・・・9
書画・彫刻の陳列を終へて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・屋部憲・・・・・・・11
沖縄の陶器・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原田貞吉・・・・16
山の香ひ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・兼村寛俊・・・・・21
標準語を尋ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松田精太郎・・・24
病暦(8月)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉栄眞・・・・・28
或る書簡ー宗教に就て(下)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仲里誠吉・・・30
楓橋夜泊断片・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湧川浩・・・・・33
薬草を求めて(7)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久場仙眼・・・35
荒鷲の雛敞ちゃん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・龍一枝・・・37
編輯後記(新崎盛珍)
○大東亜戦争を契機として、それまであられもない方面に向けられて居た眼を自らの伝統、自らの文化に向けるやうになったことは嘉すべき趨勢だ。かと云って、思ひ上がって排他的にとなったり、自己陶酔に陥ったりしないやうに戒むべきは言ふまでもないことだが、嘗て自己の有しりし誇るべき文化、尊き伝統を再研校して将来への向上、精進に資することは緊要である。此の意味に於いて曩者郷土の誇芸能展が開催されたことは、意義深い快挙であった。そこで本誌は、郷土芸術の各部門に亘り、それぞれ専門家に乞ふて、その薀蓄を披瀝して戴いたことは欣幸の至りだ。