編輯発行兼印刷人・馬上太郎
月刊文化沖縄社 那覇市上之蔵町1ノ21 東京支社 東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局 パラオ島コロール町 大宜味朝徳

表紙ー崇元寺本堂  
巻頭言 ”舟楫を以て萬國の津梁と為し、異産至寶十方に充満せり云々”の雄渾無比なる快文字の銘せられたる梵鐘が、その昔掛着せられたと云ふ首里城内に此の程安置された。古の我が琉球國は、唇歯輔車の仲に在る日本、支那は固より、北は三韓より、南は遠く安南、暹羅、満刺加、爪哇蘇門答刺等の諸域を比隣の如くに往来して、その異産至寶を将来し、その諸種の文化を鍾聚することに力めた。此の雄偉勁抜なる気魄を有したればこそ、洋中の蕞爾(さいじ)たる一小王国たるに拘わらず、清新溌剌たる気分の充満し、闊達にして高雅なる趣致の横溢せる藝術乃至文化を産出することも出来たのであった。

 高遠なる大東亜共栄の理想郷建設を豫示するが如き銘文の刻せられたる梵鐘が還元したるを機として、歪曲せられざりし我が民族の本来の面目に立ち帰り、皇国の新進路に向かって活溌溌地の大活動をなさねばならぬ。それに付けても吾人は、郷土史家を糾合して完全なる一大郷土史の編成を期せんことを敢えて提言し度い。従来幾多の郷土史はあれども、或物は忠実なる史料の羅列に過ぎず、或物は簡明なるが如きも粗雑に失するの嫌がある。されば衆智に依って整然たる、学問的な信憑すべき歴史を大成することは今日の急務ではなかろうか。

大舛大尉に就いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤野憲夫・・・・2
大舛大尉を偲ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・糸洲朝松・・・・3
秋夜想出せる詩歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷺泉・・・・・・・・6
首里城正殿の鐘を迎へて・・・・・・・・・・・・・・・・・又吉康和・・・・11

寒露漫筆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊野波石逕・・・・15
病暦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉榮眞・・・・・・18
新発足したる商工経済会に就て・・・・・・・・・・護得久朝章・・・・・20
勤労奉仕(○○造船所にて)・・・・・・・・・・・・・・徳田安俊・・・・・・21
佛領印度支那旅行記(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・與儀喜宣・・・・・23
梵鐘を送る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・田原惟信・・・・・26
無縁墓を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐渡山安治①・・28
僕の周囲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳村静農・・・30
四美具はる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新崎盛珍・・・34
伊豆味・瀬底・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泉國夕照・・37
編輯後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新崎盛珍

舟楫を萬國の津梁と為す  本来の面目に帰り  大舛大尉に続かん

①佐渡山安治著作目録


佐渡山安治著作目録
1974年
5月ー『琉球の文化』第5号「辻の話(佐渡山安勇遺稿)」
1975年
3月16日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球の棋客」
7月13日ー『沖縄タイムス』「墨俣宿の灯籠」
1976年
3月13日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球塚」
7月2日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー程順則の片りん」
7月20日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー唐海賊情報」
1977年
3月15日ー『沖縄タイムス』「『富士山の漢詩』について」
6月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー行路難」
8月18日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー雅懐」
12月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー伊波普猷の憤慨」
1978年
1月10日ー『沖縄タイムス』「ブサーばなし」
5月25日ー『沖縄タイムス』「『江戸上り』の吟行と萍水奇賞」
1979年
5月17日ー『沖縄タイムス』「風禍」
1980年
8月ー『沖縄アルマナック』「江戸上り賛歌」
1982年
11月22日ー『沖縄タイムス』「鞆の浦哀歌ー琉球司楽向生碑を訪ねて」
11月27日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー花売りの縁作者考」