06/29: 戦時体制下の沖縄/1943年11月 月刊『文化沖縄』弟4巻第11号①
編輯発行兼印刷人・馬上太郎
月刊文化沖縄社 那覇市上之蔵町1ノ21 東京支社 東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局 パラオ島コロール町 大宜味朝徳
表紙ー崇元寺本堂
巻頭言 ”舟楫を以て萬國の津梁と為し、異産至寶十方に充満せり云々”の雄渾無比なる快文字の銘せられたる梵鐘が、その昔掛着せられたと云ふ首里城内に此の程安置された。古の我が琉球國は、唇歯輔車の仲に在る日本、支那は固より、北は三韓より、南は遠く安南、暹羅、満刺加、爪哇蘇門答刺等の諸域を比隣の如くに往来して、その異産至寶を将来し、その諸種の文化を鍾聚することに力めた。此の雄偉勁抜なる気魄を有したればこそ、洋中の蕞爾(さいじ)たる一小王国たるに拘わらず、清新溌剌たる気分の充満し、闊達にして高雅なる趣致の横溢せる藝術乃至文化を産出することも出来たのであった。
高遠なる大東亜共栄の理想郷建設を豫示するが如き銘文の刻せられたる梵鐘が還元したるを機として、歪曲せられざりし我が民族の本来の面目に立ち帰り、皇国の新進路に向かって活溌溌地の大活動をなさねばならぬ。それに付けても吾人は、郷土史家を糾合して完全なる一大郷土史の編成を期せんことを敢えて提言し度い。従来幾多の郷土史はあれども、或物は忠実なる史料の羅列に過ぎず、或物は簡明なるが如きも粗雑に失するの嫌がある。されば衆智に依って整然たる、学問的な信憑すべき歴史を大成することは今日の急務ではなかろうか。
大舛大尉に就いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤野憲夫・・・・2
大舛大尉を偲ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・糸洲朝松・・・・3
秋夜想出せる詩歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷺泉・・・・・・・・6
首里城正殿の鐘を迎へて・・・・・・・・・・・・・・・・・又吉康和・・・・11
寒露漫筆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊野波石逕・・・・15
病暦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉榮眞・・・・・・18
新発足したる商工経済会に就て・・・・・・・・・・護得久朝章・・・・・20
勤労奉仕(○○造船所にて)・・・・・・・・・・・・・・徳田安俊・・・・・・21
佛領印度支那旅行記(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・與儀喜宣・・・・・23
梵鐘を送る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・田原惟信・・・・・26
無縁墓を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐渡山安治①・・28
僕の周囲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳村静農・・・30
四美具はる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新崎盛珍・・・34
伊豆味・瀬底・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泉國夕照・・37
編輯後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新崎盛珍
舟楫を萬國の津梁と為す 本来の面目に帰り 大舛大尉に続かん
1942年1月ー月刊『文化沖縄』第3巻第1号 編輯発行兼印刷人・本山豊
月刊文化沖縄社ー那覇市久米町1ノ32 東京支社ー東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局ーパラオ島コロール町 印刷所・向春商会印刷部ー那覇市通堂町2ノ1
巻頭歌「進め一億 火の玉だ!!」
戦捷の感激を生かせ!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
佐藤惣之助①「決意」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
まこと、戦ふべき時、遂に来る/満を持して、進もう、戦をう/この光輝ある歴史のまへに/この穢れなき皇土のうへに/死すべき命のいかに幸ひなるかな/歓べよ、われら、死し徹して/今ぞ、あらゆる理念を超克し/暴戻なる米英に宣戦しつつ/血と血はたぎり、歯と歯はふるふ/この攻防に於て、究局に進んで/ただ肉を斬らして骨を斬れ/骨を劈いて隋を踏みにじれ/悠然、爆死は桜のちるが如く/笑ってみ國に殉ずることなり/死なんかな、いざ、あくまでも/われらが持場の巨弾にゆらぐまで/必勝の決意に全我の生活を緊め/敢然と進もう、戦をう/つばさは天に、戦艦は海に/見よ、鉄壁の堅陣を有す/われらその奥底の魂に位置し/その凄まじき実相をつかんで/いかなる困苦も来らば来れ/血と血をつなぎ、骨と骨を組み/激しい一億の心臓を堵して/輝く日本の新歴史を作ろう!(宣戦布告の日)
①佐藤惣之助
さとうそうのすけ
[生]1890.12.3. 川崎[没]1942.5.15. 東京
詩人。正規の学業につかず少年の頃から佐藤紅緑の門に入って俳句を学び,18~19歳頃から千家元麿,福士幸次郎らと交友。『白樺』派の影響を受けた詩集『正義の兜』 (1916) ,『狂へる歌』 (17) では人道主義的詩風を示した。→コトバンク
蔵原伸二郎②「大詔を拝し奉りて」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
大詔を拝し奉りて/雀躍勇途にのぼる/一億の草莾/みたみわれら/今ぞ/一天に雲なき/磐空を仰ぎて征かん/ああ 早くも/天涯に敵なく/七つの海に敵なきが如し/見よ わが海鷲潜艦のゆくところ/身命を祖国に捧げ/心を天に奉るもの/歴史の光栄に生きるもの/開戦劈頭たちまち/敵の慴伏を見たり/南海におどれるわれらが血よ/大海原に羽搏くわれらが魂よ/熱河熱山を征くわれらが志よ/神武天皇の向ふところ/烏合百万の敵何するものぞ/敵国よ/更に大軍を擁して来れかし/敵いよいよ多くして/同胞殉国の志いよいよ固く/われらただ/大みことのりを奉じ/最後の一人といへども/闘ひ抜かんのみ
②蔵原伸二郎 くらはら-しんじろう
1899-1965 昭和時代の詩人。
明治32年9月4日生まれ。蔵原惟人の従兄(いとこ)。萩原朔太郎の「青猫」の影響をうけて詩作をはじめ,昭和14年第1詩集「東洋の満月」を出版。16年「四季」同人。昭和40年3月16日死去。65歳。熊本県出身。慶大卒。本名は惟賢(これかた)。詩集に「乾いた道」「岩魚(いわな)」など,詩論集に「東洋の詩魂」。コトバンク
地方文化と生活文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北川鉄夫・・4
戦争手帳「戦争と通信基地」「ボルネオに日本人島」「戦略と天気象」4ー8
「布哇の邦人」「ビール罎」「屠れ!米英 われ等の敵だ!」
本県女教師に望む(上)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・米國三郎・・・6
1人1語・戦争と文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田徳太郎・・・9
戦捷 笑唄話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9-10
新体制は遊女より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡口精鴻・・・10
「この一戦 何がなんでもやり抜くぞ!!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
島尻郡教育会修養部「教育振興座談会」於 昭和会館・・・・・・・・・・・・・・11
見たか戦果 知ったか底力 進め! 一億火の玉だ!」・・・・・・・・・・・・・・13
連載 琉球記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・須藤利一・・・14
情報局で壁新聞「空襲に血走るな」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
偉大なる一人の詩人(伊東静雄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新垣淑明・・・16
豆戦艦ABCD陣「比律賓群島」「ミンダナオ島ダヴアオ」「香港」・・・・・・・・・・・16-23
「ウエーキ島」「ペナン島」「グアム島」「ミツドウエイ島」「米の航空機生産高」
ブラジル風景=サン・パウロ=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤清太郎・・・18
敵性撃滅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿③・・・19
ルーズヴエルト一チャーチルのことにあらず世界の敵性を一挙に屠れ
ルーズヴエルトよ汝が頼みし戦艦は一瞬にして「顛覆」をせり
チャーチルよ頼みがたなきアメリカを頼みしことを国民に謝せ
世界戦争の煽動者たる「光栄」をアメリカ大統領よ墓に持ちてゆけ
忍び難きを忍びしはただ大東亜の平和のためと思ひ知るべし
③土岐善麿
歌人・国文学者。東京生。哀果と号する。早大卒。中学時代金子薫園の「白菊会」に参加し、大学時代は窪田空穂・若山牧水の影響を受けた。のち石川啄木と知り合い、二人で生活派短歌の基礎を作った功績は大きい。学士院賞受賞。文学博士。芸術院会員。昭和55年(1980)歿、94才。→コトバンク
琉球の古来工芸品(上)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖縄県工業指導所・・・20
子供の文化を覗く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・亀谷長輝・・・・22
雷火・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・太田水<穏ママ>・・・・・24
天つちの神もおどろけ巌ゆるぐ大き憤りのおほみことのり
しのびきて今ぞ宣らすと仰せ給ふ畏こさに沁みてわれは泣かるる
電撃機雷火を吐くとみる否やとどろきをあげて艦くつがへる
ふきあがる焔のなかに蒼白の照らし出されたる顔おもひ見む
馬来半島クワンタン沖のたたかひに覆へりたるは艦ばかりは
「尽せ総力 護れよ東亜」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
戦時体制下の沖縄/1942年1月ー月刊『文化沖縄』第3巻第1号
和光同塵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山裕児・・・26
短篇小説「馬」金城安太郎・絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新垣庸一・・・27
祝 皇軍之大勝 祝 御武運長久 輝やかし大東亜戦勝利の朝謹壽
一億進軍の春 皇紀二千六百二年正月・・・・・月刊 文化沖縄社社員一同
大東亜戦戦果日誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
1942年2月ー月刊『文化沖縄』第3巻第2号 編輯発行兼印刷人・本山豊
月刊文化沖縄社ー那覇市久米町1ノ32 東京支社ー東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局ーパラオ島コロール町 印刷所・向春商会印刷部ー那覇市通堂町2ノ1
「進め一億 火の玉だ!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
ラジオ放送 必勝「生活訓」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
雄大な創業の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新垣淑明・・・4
台風の描いた歴史=漂着物語=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・亀谷哲・・・6
豆戦艦ABCD陣「マニラの関門」「マレー半島の王」「」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
笑止!米・英 宣伝戦の実相「硝煙なき戦ひ 乱れ飛ぶ電波戦」・・・・・・・・・・・9
戦争手帳「ハワイ空襲譚」「道案内の猿公」「戦争と擬装」珊瑚礁とは?」・・・・・9
ボルネオ島とは?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
本県女教師に望む(中)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・米國三郎・・・12
和光同塵「翼賛運動の再出発」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山裕児・・・15
琉球の古来工芸品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖縄県工業指導所・・・16
連載 琉球人南進史(1)「比律賓群島篇」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
明暗道中記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山城正忠・・・20
文化映画「海の民」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村田達二・・・・21
半学半農教育と我が沖縄の理想・・・・・・・・・・・・・・・ワクガミ・ロー人作・・・・・22
シンガポール=旅の独白・回想=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山裕児・・・23
南洋はどんな処か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
琉球人の尽忠精神・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安里延・・・・26
わが南進陣営 南方資源開発ー邦人企業史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
戦争挑発者ルーズヴエルト大統領一家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30
戯曲 十二月八日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川文一・・・・。31
裏表紙「南進座」挨拶ー演劇は戦時下の精神的軍需品!!!
皇軍決死の奮闘に依り南方共栄圏愈々確立進展し県民今後の南進飛躍の程も期待せられる折柄時局に即応すべく此処にその名も輝しき劇団「南進座」を創設し県民に御見栄る運びに相成りました事は我々一同深く欣快とする所でございます。就きましては今後地方文化の昻揚並びに大衆指導と云ふ大旆をふりかざして演劇報国への道を邁進致し居りますれば今後何卒宜敷しく皆様の御指導御後援の程偏にお願ひ申し上げます。
佐渡山安治著作目録
1974年
5月ー『琉球の文化』第5号「辻の話(佐渡山安勇遺稿)」
1975年
3月16日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球の棋客」
7月13日ー『沖縄タイムス』「墨俣宿の灯籠」
1976年
3月13日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球塚」
7月2日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー程順則の片りん」
7月20日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー唐海賊情報」
1977年
3月15日ー『沖縄タイムス』「『富士山の漢詩』について」
6月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー行路難」
8月18日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー雅懐」
12月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー伊波普猷の憤慨」
1978年
1月10日ー『沖縄タイムス』「ブサーばなし」
5月25日ー『沖縄タイムス』「『江戸上り』の吟行と萍水奇賞」
1979年
5月17日ー『沖縄タイムス』「風禍」
1980年
8月ー『沖縄アルマナック』「江戸上り賛歌」
1982年
11月22日ー『沖縄タイムス』「鞆の浦哀歌ー琉球司楽向生碑を訪ねて」
11月27日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー花売りの縁作者考」
月刊文化沖縄社 那覇市上之蔵町1ノ21 東京支社 東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局 パラオ島コロール町 大宜味朝徳
表紙ー崇元寺本堂
巻頭言 ”舟楫を以て萬國の津梁と為し、異産至寶十方に充満せり云々”の雄渾無比なる快文字の銘せられたる梵鐘が、その昔掛着せられたと云ふ首里城内に此の程安置された。古の我が琉球國は、唇歯輔車の仲に在る日本、支那は固より、北は三韓より、南は遠く安南、暹羅、満刺加、爪哇蘇門答刺等の諸域を比隣の如くに往来して、その異産至寶を将来し、その諸種の文化を鍾聚することに力めた。此の雄偉勁抜なる気魄を有したればこそ、洋中の蕞爾(さいじ)たる一小王国たるに拘わらず、清新溌剌たる気分の充満し、闊達にして高雅なる趣致の横溢せる藝術乃至文化を産出することも出来たのであった。
高遠なる大東亜共栄の理想郷建設を豫示するが如き銘文の刻せられたる梵鐘が還元したるを機として、歪曲せられざりし我が民族の本来の面目に立ち帰り、皇国の新進路に向かって活溌溌地の大活動をなさねばならぬ。それに付けても吾人は、郷土史家を糾合して完全なる一大郷土史の編成を期せんことを敢えて提言し度い。従来幾多の郷土史はあれども、或物は忠実なる史料の羅列に過ぎず、或物は簡明なるが如きも粗雑に失するの嫌がある。されば衆智に依って整然たる、学問的な信憑すべき歴史を大成することは今日の急務ではなかろうか。
大舛大尉に就いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤野憲夫・・・・2
大舛大尉を偲ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・糸洲朝松・・・・3
秋夜想出せる詩歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷺泉・・・・・・・・6
首里城正殿の鐘を迎へて・・・・・・・・・・・・・・・・・又吉康和・・・・11
寒露漫筆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊野波石逕・・・・15
病暦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉榮眞・・・・・・18
新発足したる商工経済会に就て・・・・・・・・・・護得久朝章・・・・・20
勤労奉仕(○○造船所にて)・・・・・・・・・・・・・・徳田安俊・・・・・・21
佛領印度支那旅行記(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・與儀喜宣・・・・・23
梵鐘を送る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・田原惟信・・・・・26
無縁墓を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐渡山安治①・・28
僕の周囲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳村静農・・・30
四美具はる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新崎盛珍・・・34
伊豆味・瀬底・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泉國夕照・・37
編輯後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新崎盛珍
舟楫を萬國の津梁と為す 本来の面目に帰り 大舛大尉に続かん
1942年1月ー月刊『文化沖縄』第3巻第1号 編輯発行兼印刷人・本山豊
月刊文化沖縄社ー那覇市久米町1ノ32 東京支社ー東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局ーパラオ島コロール町 印刷所・向春商会印刷部ー那覇市通堂町2ノ1
巻頭歌「進め一億 火の玉だ!!」
戦捷の感激を生かせ!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
佐藤惣之助①「決意」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
まこと、戦ふべき時、遂に来る/満を持して、進もう、戦をう/この光輝ある歴史のまへに/この穢れなき皇土のうへに/死すべき命のいかに幸ひなるかな/歓べよ、われら、死し徹して/今ぞ、あらゆる理念を超克し/暴戻なる米英に宣戦しつつ/血と血はたぎり、歯と歯はふるふ/この攻防に於て、究局に進んで/ただ肉を斬らして骨を斬れ/骨を劈いて隋を踏みにじれ/悠然、爆死は桜のちるが如く/笑ってみ國に殉ずることなり/死なんかな、いざ、あくまでも/われらが持場の巨弾にゆらぐまで/必勝の決意に全我の生活を緊め/敢然と進もう、戦をう/つばさは天に、戦艦は海に/見よ、鉄壁の堅陣を有す/われらその奥底の魂に位置し/その凄まじき実相をつかんで/いかなる困苦も来らば来れ/血と血をつなぎ、骨と骨を組み/激しい一億の心臓を堵して/輝く日本の新歴史を作ろう!(宣戦布告の日)
①佐藤惣之助
さとうそうのすけ
[生]1890.12.3. 川崎[没]1942.5.15. 東京
詩人。正規の学業につかず少年の頃から佐藤紅緑の門に入って俳句を学び,18~19歳頃から千家元麿,福士幸次郎らと交友。『白樺』派の影響を受けた詩集『正義の兜』 (1916) ,『狂へる歌』 (17) では人道主義的詩風を示した。→コトバンク
蔵原伸二郎②「大詔を拝し奉りて」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
大詔を拝し奉りて/雀躍勇途にのぼる/一億の草莾/みたみわれら/今ぞ/一天に雲なき/磐空を仰ぎて征かん/ああ 早くも/天涯に敵なく/七つの海に敵なきが如し/見よ わが海鷲潜艦のゆくところ/身命を祖国に捧げ/心を天に奉るもの/歴史の光栄に生きるもの/開戦劈頭たちまち/敵の慴伏を見たり/南海におどれるわれらが血よ/大海原に羽搏くわれらが魂よ/熱河熱山を征くわれらが志よ/神武天皇の向ふところ/烏合百万の敵何するものぞ/敵国よ/更に大軍を擁して来れかし/敵いよいよ多くして/同胞殉国の志いよいよ固く/われらただ/大みことのりを奉じ/最後の一人といへども/闘ひ抜かんのみ
②蔵原伸二郎 くらはら-しんじろう
1899-1965 昭和時代の詩人。
明治32年9月4日生まれ。蔵原惟人の従兄(いとこ)。萩原朔太郎の「青猫」の影響をうけて詩作をはじめ,昭和14年第1詩集「東洋の満月」を出版。16年「四季」同人。昭和40年3月16日死去。65歳。熊本県出身。慶大卒。本名は惟賢(これかた)。詩集に「乾いた道」「岩魚(いわな)」など,詩論集に「東洋の詩魂」。コトバンク
地方文化と生活文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北川鉄夫・・4
戦争手帳「戦争と通信基地」「ボルネオに日本人島」「戦略と天気象」4ー8
「布哇の邦人」「ビール罎」「屠れ!米英 われ等の敵だ!」
本県女教師に望む(上)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・米國三郎・・・6
1人1語・戦争と文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田徳太郎・・・9
戦捷 笑唄話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9-10
新体制は遊女より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡口精鴻・・・10
「この一戦 何がなんでもやり抜くぞ!!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
島尻郡教育会修養部「教育振興座談会」於 昭和会館・・・・・・・・・・・・・・11
見たか戦果 知ったか底力 進め! 一億火の玉だ!」・・・・・・・・・・・・・・13
連載 琉球記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・須藤利一・・・14
情報局で壁新聞「空襲に血走るな」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
偉大なる一人の詩人(伊東静雄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新垣淑明・・・16
豆戦艦ABCD陣「比律賓群島」「ミンダナオ島ダヴアオ」「香港」・・・・・・・・・・・16-23
「ウエーキ島」「ペナン島」「グアム島」「ミツドウエイ島」「米の航空機生産高」
ブラジル風景=サン・パウロ=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤清太郎・・・18
敵性撃滅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿③・・・19
ルーズヴエルト一チャーチルのことにあらず世界の敵性を一挙に屠れ
ルーズヴエルトよ汝が頼みし戦艦は一瞬にして「顛覆」をせり
チャーチルよ頼みがたなきアメリカを頼みしことを国民に謝せ
世界戦争の煽動者たる「光栄」をアメリカ大統領よ墓に持ちてゆけ
忍び難きを忍びしはただ大東亜の平和のためと思ひ知るべし
③土岐善麿
歌人・国文学者。東京生。哀果と号する。早大卒。中学時代金子薫園の「白菊会」に参加し、大学時代は窪田空穂・若山牧水の影響を受けた。のち石川啄木と知り合い、二人で生活派短歌の基礎を作った功績は大きい。学士院賞受賞。文学博士。芸術院会員。昭和55年(1980)歿、94才。→コトバンク
琉球の古来工芸品(上)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖縄県工業指導所・・・20
子供の文化を覗く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・亀谷長輝・・・・22
雷火・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・太田水<穏ママ>・・・・・24
天つちの神もおどろけ巌ゆるぐ大き憤りのおほみことのり
しのびきて今ぞ宣らすと仰せ給ふ畏こさに沁みてわれは泣かるる
電撃機雷火を吐くとみる否やとどろきをあげて艦くつがへる
ふきあがる焔のなかに蒼白の照らし出されたる顔おもひ見む
馬来半島クワンタン沖のたたかひに覆へりたるは艦ばかりは
「尽せ総力 護れよ東亜」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
戦時体制下の沖縄/1942年1月ー月刊『文化沖縄』第3巻第1号
和光同塵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山裕児・・・26
短篇小説「馬」金城安太郎・絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新垣庸一・・・27
祝 皇軍之大勝 祝 御武運長久 輝やかし大東亜戦勝利の朝謹壽
一億進軍の春 皇紀二千六百二年正月・・・・・月刊 文化沖縄社社員一同
大東亜戦戦果日誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
1942年2月ー月刊『文化沖縄』第3巻第2号 編輯発行兼印刷人・本山豊
月刊文化沖縄社ー那覇市久米町1ノ32 東京支社ー東京市淀橋区東大久保2ノ278 南洋支局ーパラオ島コロール町 印刷所・向春商会印刷部ー那覇市通堂町2ノ1
「進め一億 火の玉だ!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
ラジオ放送 必勝「生活訓」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
雄大な創業の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新垣淑明・・・4
台風の描いた歴史=漂着物語=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・亀谷哲・・・6
豆戦艦ABCD陣「マニラの関門」「マレー半島の王」「」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
笑止!米・英 宣伝戦の実相「硝煙なき戦ひ 乱れ飛ぶ電波戦」・・・・・・・・・・・9
戦争手帳「ハワイ空襲譚」「道案内の猿公」「戦争と擬装」珊瑚礁とは?」・・・・・9
ボルネオ島とは?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
本県女教師に望む(中)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・米國三郎・・・12
和光同塵「翼賛運動の再出発」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山裕児・・・15
琉球の古来工芸品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖縄県工業指導所・・・16
連載 琉球人南進史(1)「比律賓群島篇」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
明暗道中記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山城正忠・・・20
文化映画「海の民」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村田達二・・・・21
半学半農教育と我が沖縄の理想・・・・・・・・・・・・・・・ワクガミ・ロー人作・・・・・22
シンガポール=旅の独白・回想=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山裕児・・・23
南洋はどんな処か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
琉球人の尽忠精神・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安里延・・・・26
わが南進陣営 南方資源開発ー邦人企業史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
戦争挑発者ルーズヴエルト大統領一家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30
戯曲 十二月八日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川文一・・・・。31
裏表紙「南進座」挨拶ー演劇は戦時下の精神的軍需品!!!
皇軍決死の奮闘に依り南方共栄圏愈々確立進展し県民今後の南進飛躍の程も期待せられる折柄時局に即応すべく此処にその名も輝しき劇団「南進座」を創設し県民に御見栄る運びに相成りました事は我々一同深く欣快とする所でございます。就きましては今後地方文化の昻揚並びに大衆指導と云ふ大旆をふりかざして演劇報国への道を邁進致し居りますれば今後何卒宜敷しく皆様の御指導御後援の程偏にお願ひ申し上げます。
佐渡山安治著作目録
1974年
5月ー『琉球の文化』第5号「辻の話(佐渡山安勇遺稿)」
1975年
3月16日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球の棋客」
7月13日ー『沖縄タイムス』「墨俣宿の灯籠」
1976年
3月13日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球塚」
7月2日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー程順則の片りん」
7月20日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー唐海賊情報」
1977年
3月15日ー『沖縄タイムス』「『富士山の漢詩』について」
6月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー行路難」
8月18日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー雅懐」
12月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー伊波普猷の憤慨」
1978年
1月10日ー『沖縄タイムス』「ブサーばなし」
5月25日ー『沖縄タイムス』「『江戸上り』の吟行と萍水奇賞」
1979年
5月17日ー『沖縄タイムス』「風禍」
1980年
8月ー『沖縄アルマナック』「江戸上り賛歌」
1982年
11月22日ー『沖縄タイムス』「鞆の浦哀歌ー琉球司楽向生碑を訪ねて」
11月27日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー花売りの縁作者考」