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Category: 02-関西の沖縄
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1971年10月22日の大阪『朝日新聞』で紹介された沖青友の会有志による密約復帰糾弾デモ


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1972年5月13日ー大阪『日本経済新聞』「民芸品・図書を守ろうー都島の『沖縄資料室』」
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1973年5月14日ー大阪『朝日新聞』「守れ!沖縄の心と自然ー埋もれた文化掘起す」

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Category: 04-書の森
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02/28: 伊波普益

Category: 01-人物名鑑
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Category: 02-関西の沖縄
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Category: 04-書の森
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Category: 01-人物名鑑
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Category: 04-書の森
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泥沼・東京の出版社から出ているルポライター佐野真一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』には仲井真沖縄知事がクソミソに書かれている。知事が抗議したとの話はないから事実であろう。当の知事は相変わらずポーカーフェイスで棒読みの会見で話題となっていたが、最近も変わらず飛ばし読みまでする。佐野が描いているのはホンネの沖縄戦後史、佐野はウラ社会にも詳しくその人脈を駆使し情報を集め本書が成り立っている。無論、ホンネの世界はコンビニで売られているヤクザ美化週刊誌やエロ週刊誌でも日常茶飯事に紹介されている。何かコトが起こるたび専門家と称する大学教授のタテマエ論でお茶を濁す新聞も最近はネットの陰(現実)の部分も指摘するようになった。新聞のコラムに新都心にある美術館を泥中の蓮華に例える文を見た。つまり、新都心のあまりにも最悪最低な欠陥構造、エコといいつつクルマ、パチンコ屋やゲーム屋で溢れかえり、高層ビルが次々と建ちならぶ。健康上も精神的にも悪そうな泥沼化(都市化)したクソミソ環境を「泥中」だと云うのだ。

□→「岡留安則の幻視行日記 - 噂の真相」
「琉球新報は一面トップで「辺野古は『不可能』」と大々的に打ち、沖縄タイムスは一面トップで「光市母子殺害 死刑確定」を持ってきて、二番手で「アセス知事意見175件 沖縄防衛局に提出」とやった。このところ、沖縄タイムスがスクープで奮起し、琉球新報に肉薄する紙面づくりをみせているが、一面トップのタイトル付という読者への見せ方も大切だという事を痛感する。(略)26日には野田総理がじきじきにやってくる予定だが、野田総理に秘策などあろうはずもなく、これまでの民主党代表や閣僚と同じく、ひたすら辺野古を哀願するだけだろう。子どもの使いじゃないのだから、沖縄県民が受け入れ可能な腹案くらい持って来い、だ。でないと、再び県庁前には「怒」のプラカードが乱立するはずだ。」 
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2月24日 沖縄県が首里城公園近くの第32軍司令壕(旧日本陸軍守備隊)に設置予定の説明板文案から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言削除を決めたことに、沖縄戦の無知をさらけ出した(単に知りたくないのが本音だろうが)仲井真カジノチジが何さまののつもりか、専門家でもないのに「わたしの判断」と記者に答えていた。大田元知事の「沖縄戦研究」に学ぼうとしない沖縄戦無知のダメチジには「名誉醜い日本人」の称号を進呈する。明日はその「醜い日本人」の代表が来るという。それには上のカードを呈したい。今後は沖縄戦抹殺に対しマスコミのキャンペーンが見どころになる。商業紙だからと言って遠慮してはならない。ここはかつて佐藤総理の毛嫌いした新聞の存亡(存在価値)を賭けて威力を発揮し「削除撤回」まで糾弾すべきだ。これまで新聞テレビは大学教授や評論家を動員し沖縄戦のタテマエ報道に終始、問題は一向に変わらず今日のように最悪の事態を招いた。佐野眞一氏の顰に倣い本音で仲井真知事の半生から洗い直し徹底的に糾弾すべし、である。

2012年3月8日ーカジノ知事は足元の県政「識名トンネル虚偽契約問題」で、沖縄県民代表の議会の意志を押し切る県政史上かつてない対応をとろうと(タイムス社説)している。新報の社説に「不当経理が発覚した3年前、沖縄県は会計経理に対する認識の甘さをわび『組織としてのチェック体制の見直し』を掲げた。しかし今回、巨額の虚偽契約が発覚したにもかからず、その後、新たに5件の不正受給も見つかっている。」と「ずさんなお役所仕事」と決めつけている。まったくもって如何わしいカジノ県政である。沖縄県民に5億7886万円も損害を与えている。

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首里城の城郭内へ入る第一の正門で、俗に「あまへ御門(あまえうじょう)」といいます。「あまへ」は古い言葉で「よろこび」を意味しており、「歓会」はその漢訳になります。第二尚氏尚真王代(1477~1526)に創建されたといわれるこの門は、中央部に木造の櫓があります。
 沖縄戦で焼失しましたが、1974年(昭和49)に復元されました。□→「首里城公園」

02/25: 名称不明

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Category: 01-人物名鑑
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1983年4月ー小島瓔禮『琉球学の視角』柏書房null

小島瓔禮琉大教授に柳田賞/著作「太陽と稲の神殿」が評価 2000年8月29日『琉球新報』
優れた民俗学研究者に贈られる第39回柳田賞(成城大学・柳田賞委員会主催)が25日決まった。受賞者は、「太陽と稲の神殿」(白水社)を著した小島瓔禮(よしゆき)・琉球大学教授と、「日本人と宗教」(岩波書店)などを著した故宮田登・筑波大学名誉教授の二氏。賞金は各30万円。小島教授は「高校時代に柳田國男の『田社考』を読んで民俗学を志したので、この賞は大変感慨深い」と喜びを語った。
受賞対象となった小島教授の「太陽と稲の神殿」は、朝廷の稲作儀礼の奥に、狩猟時代の面影を伝える儀式があることを指摘し、それが沖縄の民俗行事に残っていることを紹介している。その行事というのは、動物の骨を縄に挟んで村の入り口などに張る「シマクサラシ」と呼ばれているもので、本島南部のある村では現在でも旧暦2月に牛を殺して各戸に配る行事が残っており、与那国島では田を開いた時に鶏か牛の肉を供えたという伝承が残っている、と例を挙げている。


新城栄徳(左)、小島摩文氏
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2013年1月11日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー東恩納寛惇」
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2002年2月27日『沖縄タイムス』「沖縄の『麦門冬』に光-南方熊楠と交流、刺激与える」


2013年8月30日ジュンク堂那覇店で与那嶺功氏
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私は1999年5月発行の『沖縄近代文化年表』(琉文手帖4号)に「1916(大正5)年9月10日ー暁烏敏来沖」と記した。このときは琉球新報が11日に「暁烏敏先生を訪ふ」が載っている。公文書館が収集した1925(大正14)年3月4日『沖縄朝日新聞』に「暁烏敏 昨日来県、西新町南陽旅館へ」が載っている。

暁烏敏 あけがらす-はや
1877-1954 明治-昭和時代の僧,仏教学者。
明治10年7月12日生まれ。清沢満之(まんし)に師事して浩々洞(こうこうどう)にはいり,明治34年雑誌「精神界」を発刊,精神主義をとなえる。のち生家の石川県真宗大谷派明達寺の住職となり,布教と著述につとめた。昭和26年同派宗務総長。昭和29年8月27日死去。77歳。真宗大(現大谷大)卒。法名は恵祐。著作に「歎異抄講話」など。
【格言など】人が自分を軽蔑して居るというて憤慨するのは自分自らが軽蔑しているのだ。→コトバンク

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1935 慶留間知徳『琉球王代記年鑑』 山城正忠「序」
(前略)
○ご承知の如く、目下郷土研究熱が全国的に勃興し、それにつれてこちらでも、従来、極く少数の学者以外には、何等関心さへ有たれなかったのだが、斯道の権威眞境名安興氏の指導鞭撻の下に、漸次熱心な研究家が出て来て、今では多数の篤学者が各方面に渉り、その未耕地の開拓に鋭意して居られます。それに中央では、吾等の先輩伊波普猷氏、東恩納寛惇氏をはじめ、新進の学徒、宮良當壮氏や金城朝永氏などが献身的努力を以て、埋もれていた南島研究、琉球紹介を続けて居られます。その結果が、今日の「戯曲集」によって完全に酬られました。
慶留間知徳大人足下。
近年東都に於いても、郷里に於いても、相呼応して先輩諸氏の著書が簇々と上梓されます。これから愈々、益々、多事ならんとするの秋、貴下多年研究の結晶が、先に「那覇古實集」として発售され、更に今度の「琉球王代記年鑑」として、近く刊行されるといふことをきき衷心より歓喜を覚ゆるの余り、柄でもない序文の御需に背き、聊か寸楮を裁して、茲に敬意を表する次第であります。昭和辛未2月2日   


昭和13年3月1日 『琉球新報』「慶留間知徳氏 昨日永眠 享年70」「父知徳永々病気のところ昨日死去ー男・慶留間知範(在宮古)、慶留間知道(在宮古)、慶留間知進、慶留間知高(在東京)、慶留間知得(在大阪)、親戚・喜瀬知彦、友人総代・渡嘉敷唯良、比嘉崋山」

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02/22: 五人展

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1957年5月ー佐久本嗣康『沖縄郷土史年表』
この年表は小学4年のときに出会ったもので大分難しかったが島袋全発先生校閲というのが印象にある。当時は郷土史資料を持っているだけで満足しときおりザッと見るだけで内容は詳しくは知らなかった。その内容は古代史、吾が祖先の歩み、沖縄の孤立、南洋貿易を始める、両属政治、現実に即した明るい歴史を作れ、鳥井龍蔵氏の人類学的研究、年表、俚諺集、沖縄戦概略史となっている。この年表の最初のものは1949年12月に沖縄出版社(崎原久)から謄写版で出ている。1974年4月、石野三樹(朝季)と『沖縄歴史年表ー戦前、戦後ー復帰』を出した。この年表には山田真山が「推賞のことば」を寄せ、佐久本氏が40年前の真人園の同志であったことを記した。

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『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ)は、1712年(正徳2年)頃出版された日本の類書(百科事典)。

編集者は大坂の医師寺島良安で、師の和気仲安から「医者たる者は宇宙百般の事を明らむ必要あり」と諭されたことが編集の動機であった。中国の『三才図会』を範とし、いわば絵入りの百科事典である。全体は105巻81冊に及ぶ膨大なもので、各項目には和漢の事象を並べて考証し、図を添えた。本文は漢文で解説されている。

三才図会をそのまま写した項目には、空想上のものや、荒唐無稽なものもあるが、著者が医師(もちろん漢方医)であるだけに、東洋医学に関する記事は非常に正確で、鍼灸師の中には、これをもっとも信頼できる古典と見る人もいる(→ウィキペディア)

02/20: 栄喜久元

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□栄喜久元
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1960年10月ー『与論島の民謡と生活』/1964年12月ー『奄美大島 与論島の民俗』

2012年3月30日ー沖縄県立博物館・美術館「田中一村展ー琉球弧で開花した美の世界」
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田中一村の絵によく蘇鉄が描き込まれている。一村の蘇鉄の絵は幻想的というか神秘的でもある。

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ロートシュー『医療の原理』より引用

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1911年版『ネルソン百科全書』にチャンと我琉球の事が書いてあるのである。(略)

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「富士山」撮影・山田勉氏□(社)日本写真家協会会員 〒900-0033 沖縄県那覇市久米1-1-14 電話098-868-3841

2月2日、沖縄県立図書館から平成23年度・新収蔵資料展のハガキが来た。ハガキには山田有彜の美人画が載っている。

赤が山田有彜/下右が山田有彜の美人画

2009年7月 『琉球絵画展~琉球王朝から近代までの絵画』沖縄文化の杜(金城美奈子)/2012年2月 『沖縄県立図書館 新収蔵展』

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2012年2月22日午後6時30分
琉球レコードコレクターの仲里康秀氏(携帯090-3322-9908)の蓄音器操作で、伊佐川世瑞「瓦屋節」、赤嶺京子「鳩間節」、新崎まさ子「かなよう節」、多嘉良朝成「時局センスル」、糸数カメ「遊ビソンガネ節」「花風節」、前川朝昭「ジントヨー節」、平良良勝・宮里サダ子・宜保ツル子「女郎グンボー」、親泊興照・宮城能造「中城情話」のレコードを観賞した。解説は志村学芸員。ときおり我謝館長も解説。沖縄文化の杜企画班も来ていた。


2011年8月20日ー琉球古典音楽雑感
本日5時半、那覇グランドオリオン通りの「しんあい でんき」(携帯090-3322-9908)を訪ねると、店主の仲里康秀さんから、昭和初期の大型蓄音機で金武良仁の戦前の「琉球古典音楽・昔蝶節」「下出述懐節」、幸地亀千代(琴・幸地ナヘ)の戦後の「二揚仲風節」を聴かせてもらった。古典音楽は眠たくなるもt思っていたが食わず嫌いだとわかった。
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Category: 01-人物名鑑
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土田杏村 つちだ-きょうそん
1891-1934 大正-昭和時代前期の思想家,評論家。佐渡郡新穂村(現佐渡市新穂)に生まれる。
明治24年1月15日生まれ。土田麦僊(ばくせん)の弟。田中王堂,西田幾多郎(きたろう)にまなぶ。日本文化学院をつくり,長野,新潟の自由大学運動を援助する。マルクス主義批判の立場をとり河上肇(はじめ)と論争した。昭和9年4月25日死去。44歳。新潟県出身。京都帝大卒。本名は茂(つとむ)。著作に「文明思潮と新哲学」など。
【格言など】歴史の進展は自由でもあれば,また必然でもある(「人間論」)→コトバンク

1921年7月22日ー土田杏村、バートランド・ラッセルと都ホテルで会談。22日ー杏村、ラッセルを知恩院などを案内。24日、杏村、東上するラッセルを京都駅で見送る。

1925年5月ー土田杏村『自由教育論』内外出版。6月ー『自由大学雑誌』土田杏村「社会史学の方法論に於ける二大先覚者」

1929年10月ー土田杏村『草煙心境』第一書房
豚の膀胱
私の前に一つの幻想が浮かぶ。一年のどん詰りだ。内地なら寒くって仕方のない時だが、ここは琉球だから寒さで不自由をする必要はない。お正月の餅を搗く音がどの家からも聞こえて来る、-というと大変都合はよいけれども、琉球では肉を吉事に使い、餅を凶事に使うから、餅搗きの音などはどこからも聞こえはしない。

子供が数人駆けてきた。見ると銘々が同じ恰好の空気袋を持っている。提灯のようにも見えるが、その作りは断じて紙ではない。が、またゴム毬にしては、少しぢぢむさいところのその色を怪しむ。
  「俺いらの家のはこれだよ。
  「俺いらのはこれさ。
  「やい俺いらのが一番でっかいや。
なるほどその子供の持っている袋は、おそらくは乳なしで育ったこの子の不自然にでっかい頭よりも、もっと大きい恰好をしている。そこで子供は余程ご機嫌で、袋の首のところをしっかり握り、刀のような具合に身構えてほかの子供の袋とポンポン打ち合い、更に高く頭の上へそれをさし上げては、「萬歳!」と叫んだのである。ほかの子供は見るからに打ち萎れ、またその空気袋の空気もいつの間にかだいぶ漏れたと見えて、袋は皺だらけになり拳の上へ倒れかけた。

この空気袋は一体なにか。ここまでしゃべってさて話を落とすとしたら余っぽど間が抜ける。標題にちゃんと「豚の膀胱」と書いて置いた。それにしても子供が、豚の膀胱のような詰まらないものを誇り合う心理だけは、文明人の我々にちょっと解せない。が、古琉球では豚を飼養したからとてそれを皆んな食うわけではない。豚は他へ売る商品であって、自家で食う食料ではないのだ。ただ一年に僅か一度の例外、それがこの大晦日の豚屠りだ。屠られた豚の肉の大部分は鹽漬けにされ、その大事な「予算」の中から次年度の体力が小出しに生み出される。大きい豚を惜しげもなく屠る家が富んだ家なのはいうまでもない。


1931年11月ー土田杏村『道徳改造論』第一書房null

1932年7月ー土田杏村『文学理論』第一書房

1949年5月ー土田杏村『唯物史観の根本批判』富士書店
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本日はヤマトの「建国記念日」らしい。那覇では辻の旧二十日正月/はちか・そーがち、があるので写真家の山田勉氏と同行して見に行った。14時に辻新思会のメンバーが、海蔵院(花の代)、志良堂御嶽、祝女井戸、石被、いんだかりの火神/ひぬかん、軸/じく、辻むら開祖之墓を巡拝した。そして、じゅり馬行列が舞い踊った。会場には上江洲安明氏、真喜志康徳氏、壺屋焼物博物館の学芸員、建築家の普久原朝充氏、芸能研究家の与那覇晶子さん、オキナワグラフ記者ら大勢の写真家が来ていた。


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写真左からー平良米夫氏、与那覇晶子さん、新城栄徳、山本彩香さん、下地隆司氏 □→「志情(しなさき)の海へ」

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渡部ナカ
祖母・青山ナカ 明治5年1月 福井県丹生郡西安居村羽坂で族称平民父青山奥佐ヱ門、母サキの長女として生まれる。
夫・渡部高蔵 安政6年12月 新潟県佐渡郡相川で族称平民父渡部松平、母トクの長男として生まれる。

明治22年 北海道函館に渡る。18歳のころ渡部高蔵と結婚。
明治25年 十勝大津村に移住。
明治34年ごろ凋寒村下利別遍に移住。
明治42年 釧路国阿寒郡下辛村久著呂原野に入植。
昭和29年11月10日 渡部ナカ逝去

2007年から曾孫のひとりが沖縄在住

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平成元年6月ー宮城清市『回想録 八十余年の歩み』

昭和40年10月2日 大阪/太閤園にて
前列右より 嶋根英夫 大浜信泉① 夫人
後列右より 長谷川福政 喜納政泰 宮城桃幸 下地玄信 宮城清市 豊川忠進 西平守晴

①1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「大浜信泉」


昭和58年2月 守礼門を背景に
大正区地域振興会 沖縄研修視察旅行 桐山克己大正区長も参加

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02/08: 中村地平

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中村地平 なかむら-ちへい

1908-1963 昭和時代の小説家。
明治41年2月7日生まれ。井伏鱒二(ますじ)に師事,「土竜(もぐら)どんもぽつくり」「南方郵信」など地方色ゆたかな作品を発表する。戦後は日向(ひゅうが)日日新聞社編集総務,宮崎県立図書館長などをつとめながら「八年間」などをかいた。昭和38年2月26日死去。55歳。宮崎県出身。東京帝大卒。本名は治兵衛。(→コトバンク)






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1960年8月15日 『琉球新報』「大田主席の招きで大阪の竹下大正区長、宮城清市大阪沖縄県人会連合会長が来沖/与那原大綱引き賑わう」

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02/06: 安里延

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1942年9月 安里延『南洋諸島の話ー海外発展史』学習社(挿絵・具志堅古雅)/1941年11月 安里延『日本南方発展史ー沖縄海洋発展史』三省堂
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名渡山 愛擴(などやま あいこう、1932年 - 2011年6月6日)は、日本の画家、染織家。沖縄県那覇市出身。
画家の名渡山愛擴(などやま・あいこう)さんが6日午後4時57分、肝臓がんのため那覇市内の病院で死去した。79歳。自宅は那覇市首里儀保町4の79の3。告別式は8日午後2時から3時、那覇市松山1―9―1、大典寺で。喪主は妻・智子(ともこ)さん。

油彩で沖縄の風景や静物画を描いた。名渡山工芸館を立ち上げ紅型の復興・保存にかかわった。父は画家の名渡山愛順さん。新生美術協会長、光風会会員。日展会友。



翁長良明氏と名渡山 愛擴氏


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1997年5月ー三谷和合『続保険歳時記』木津川厚生会
□念仏踊は、夏季、お盆を中心に災厄退散、また亡魂鎮送のため、太鼓、鉦を打ちならしながら、踊躍歓喜する踊りの総称です。念仏を口中に唱えながら踊ることから、この名があります。

平安時代、空也上人が念仏の功徳を庶民に知らせる方便として始められたのが起源といわれています。しかし、踊りの形態に仏教的な雰囲気は全くなく、基本的には在来からあった原始宗教的な行動を示したものといえます。つまり、古くから行われていた村々の祭の行動に、念仏信仰が加わったものです。

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生誕100年・大嶺政寛
大嶺政寛(1910年2月10日~1987年12月20日)那覇久米町生まれ。
「赤瓦のセイクァン」で知られ、沖展の設立・運営の中心的メンバー。終始沖縄画壇をリードした。政寛の絵は弟の政敏によれば「一見、写実画のように見えるけれども、実は心象風景である」とし、それは「彼(政寛)における沖縄の心は、御岳(うたき)の心をとおして直接に迫ってくる」ものがあるとする。

1929年ー沖縄県立第二中学校卒業。/1930年ー沖縄県師範学校本科二部卒業、美術教師として伊江島に赴任。/1931年ー那覇尋常高等小学校訓導/1932年ー那覇市立商業高等学校美術教師嘱託。4月ー春陽会初入選。/1934年10月ー山里勝子と結婚。/1937年3月 仲地紀晃/仲地紀彦『私達の父』□大嶺政寛「蘇鉄」/1939年9月ー山形屋で第四回目の個展。1940年ー春陽会賞受賞。/1942年ー沖縄県立第一高等女学校兼沖縄師範女子部教諭。4月ー春陽会会友。7月18日『朝日新聞』大嶺政寛「画題になる南島風物」。/1943年ー第六回文部省展に「首里風景」入選。





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1947年ーアメリカ陸軍の部隊司令部で通訳兼運転手をしていた大城精徳は、このころ柳光観、大嶺政寛(越来部落)と出会う。/1949年7月2日ー沖縄タイムス創立一周年事業として崇元寺の本社で沖縄展覧会が開催。大嶺政寛、名渡山愛順、大城皓也、山元恵一の4氏が絵画の審査にあたった。作品も出品した。以後、沖展の発展に尽力する。/1956年10月ー沖縄美術家連盟結成/1979年6月ー沖縄タイムスホール「沖縄に生きる・大嶺政寛の世界展」/1988年5月『新生美術』<特集・大嶺政寛追悼アルバム>

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明治橋


大嶺政寛「壺屋風景」


大嶺政寛「壺屋風景」(60号)第21回春陽会

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