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Category: 04-書の森
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写真ー1989年6月1日、泊の自宅で民政府の表示板をバックにして國吉眞哲翁/1991年1月30日『琉球新報』


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03/27: 浦崎康華

Category: 01-人物名鑑
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浦崎康華翁の著作
1977年5月12日ー安里ホテル「第三回放談会」

写真前列右から、國吉眞哲、浦崎康華、宮里栄輝、末吉安久/後列右から外間政彰、山城善光、不詳、島袋哲、不詳

◎浦崎康華は、私の祖父です。祖父の文献を検索したら、久しぶりに祖父と、宅を見て懐かしく涙しました。
我が祖父とはいえ、沖縄を愛する行動と情熱に尊敬します。今、生かされている私たちウチナヮーの若い世代も、アイデンティティーを確認して、沖縄だけではなく、世界平和のために進むべきだと信じます。沖縄は、すばらしい!2011-8-17


Category: 04-書の森
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Category: 01-人物名鑑
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写真左から桑江純子さん、桑江良健氏、新城栄徳、神山泰治氏(那覇市民ギャラリーで志村絵里奈/撮影)


桑江良健氏の作品

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Category: 01-人物名鑑
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雑誌『青い海』創刊号を手にする津野力男氏
1985年6月『オキナワグラフ』「街のカメラマン津野力男さん」

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沖縄の写真家たち
2009年7月27日、那覇市銘苅の那覇北紫雲閣で写真家の津野力男氏の告別式があった。大城立裕、由井晶子、豊見山愛姉妹、山田實、前原基男、安里盛昭らの諸氏に、大阪から津野紀代志氏も参列された。津野力男氏と私が最初に出会ったのは不明だが手元にある氏の(財)沖縄県立海洋博記念沖縄館館長の名刺には1984年9月と記されているからその頃であろう。

2002年10月、津野氏は『陰翳礼讃ー津野力男写真集』を発刊された。その祝賀会が西武オリオンであった。そのときに撮った写真には印刷会社の金城一夫、星雅彦、宮城鷹夫、佐藤善五郎の諸氏が居る。同年暮れの沖縄タイムス年末回顧「写真」は洲鎌朝夫氏が担当され、津野氏の写真集にもふれた。また2003年は山田實写真展で明けると予告している。

1991年9月にもらった津野氏の名刺には沖縄県写真協会会長とある。そのときに沖縄県写真協会創立10周年で記念誌をつくるという。それなら那覇市歴史資料室に明治以降の新聞があるので写真関係の記事や広告をチエックすることを勧めた。ついでに92年の沖縄タイムスに私は「写真館開業第一号は山城正澤」と発表した。同年11月に『おきなわ写真の歩み』は発刊された。これらの経緯で2001年10月発行の『おきなわ写真の歩み』には私も「沖縄写真史散歩」を書いた。

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Category: 04-書の森
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新城栄徳「公同会運動」
1991年9月9日『琉球新報』「『公同会運動』に新事実ー新城栄徳さんは『今まで公同会運動は1897年を中心にとらえられていた。しかし、その2年前の新聞記事が見つかったことで1895年、97年それぞれの歴史的事実が明らかになり、歴史を新たな視点でとらえることができる』と、強調。さらに『この運動は、大田朝敷に代表される当時の琉球新報同人と、国民新聞、大阪朝日新聞などの通信員だった佐々木笑受郎の情報戦争の側面も持っていたのではないか』と指摘している。」(仲西真希記者)

Category: 04-書の森
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1937年10月の『月刊琉球』の葉書回答に山田有登の返事がある。「子供たちの名をお尋ねですが、夫々生まれた土地とも関係します。長女は石川県金沢市で宿し三州田原町の生まれ、女は貞操が第一と貞子、長男は三河武士家内の里が勝の通り名ゆえ有勝。次女は兵庫県鳴尾生まれ信子、次男も鳴尾で10月生まれ宅の前が一面稲田が實っていたので實。三男は城崎温泉近くの竹野鉱山で9月生まれ、田舎は豊年満作なりしゆえ豊。四男は竹野で宿し博々たる海を越え沖縄での初児。五男は大正14年2月純沖縄産で昭としたら次年が昭和となり偶然でした。六男は保、よく保つように」と記されている。

長女貞は一高女卒業で、那覇泉崎の旧家・仲尾次家の二男に嫁ぎ、その子孫は東京に男4人、女3人が居る。豊は精神科の医者で、戦争中は軍医、ニューギニア戦線で2回も乗っていた軍艦が沈没させられ無事だった。戦後は名古屋医大、国立の病院に勤めた。昭は戦前、那覇の自宅で柳宗悦、棟方志功を見た。またビルマ戦線での生き残りだ。戦後は中学校の教諭をつとめた。昭氏の詩集『老人戯画』に「ふるさとの那覇の人混みを歩きながら/わたしは独りユーラシア大陸のことを考えていた/友らはみんな死んで/わたしばかりが避難したのか/林立するビル群には少年の日のかけらもなく/迷路のような市場の辻を/わずかにつむじ風が動いて消えた」と戦争を引きずっている。

保は歯医者で兄のバトラー歯科医院につとめた。長女に山田美保子が居る。その兄・山田有勝は同人誌『カルト・ブランシュ』を1938年に創刊した。稲垣足穂(注2)はその第14号に「あべこべになった世界に就いて」を書いた。足穂に原稿を依頼したのが編集発行人の山田有勝である。有勝は詩集『残照』で「我が家の明治大正期の古い本は既に色あせ 古い辞書の皮革はボロボロとなる/岩本修蔵さんのロイドメガネ イナガキタルホさんの鼻メガネ」と足穂が出てくる。また過ぎた日と題し「六十三年前の思い出 阪神電車の鳴尾駅を降りて 右へつきあたり 左へ折れて 一町先の左側 白壁の四軒長屋 その端のガチョウが二羽いた家」が山田實さんの出生地である。

いながきたるほ【稲垣足穂】
1900‐77(明治33‐昭和52)
プランクの量子定数の発見とともに大阪に生まれ,少年期の飛行機幻想をそのまま70余年の孤高の日々にもちこんだ異色作家。10代後半に構想をまとめたという代表作《一千一秒物語》(1923)や,日本文学大賞受賞作の《少年愛の美学》(1968)にみられる〈人間をオブジェとして扱う手法〉は,タルホ・コスモロジーと言われる宇宙論的郷愁とあいまって,全作品に共通する特徴である。都市の幾何学,飛行精神,人工模型,英国ダンディズム,男色趣味,謡曲の幻想世界,物理学的審美主義,ヒンドゥーイズム,キネティックな手法,月光感覚などを駆使した作品群は,世界文芸史上にも類がない。(→コトバンク)


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写真左から山田晋氏、太田治子さん(桜庭氏、教員時代の教え子)、山田實氏の弟・桜庭昭氏ー1968年
◎はじめまして。桜庭暁子と申します。桜庭昭の娘です。この度は、琉文21に父のことを紹介して戴きまして
ありがとうございました。父も喜んでおりました。山田勉氏(従兄)から連絡を受け知りました。實伯父がいつまでも元気でいることを願っております。
これからもどうぞよろしくお願い致します。(2012-3-27)


太田治子 おおた-はるこ
1947- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和22年11月12日生まれ。太宰治(だざい-おさむ)と太田静子の娘。結婚して高木姓となる。高校2年のとき手記「十七歳のノート」を発表。昭和61年亡母を追想した小説「心映えの記」で坪田譲治文学賞。神奈川県出身。明治学院大卒。著作はほかに「石の花」「恋する手」「母の万年筆」「私のヨーロッパ美術紀行」など。(→コトバンク)


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東松照明写真集発刊の集いー前列左から2人目が山田實氏,]3人目・東松照明氏

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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
岡留安則氏の「幻視行日記 - 噂の真相」に□「消費税増税に対して国民が支持するとは思えない。しかし、財務省―財界を陰で支えているのが大手メディアである。その一点こそが野田―岡田の心のよりどころなのだろう。これを、国民不在の政治という。」とある。全くもって正論である。ここでは大手メディアについて記しているが沖縄のメディアも余り熱心では無く危機感も無い。消費税増税でますます出版社、新聞社は読者が減り壊滅するのは目に見えている。通信社の垂れ流しばかりしないで独自の取材(米軍の思いやり予算、政党助成金等など)で消費税を報じてほしいものだ。

□先の米朝会談の席上、北朝鮮側は米国に対して衛星打ち上げも伝えていたとされる。ならば、米朝了解事項にもかかわらず、壮大な謀略・やらせ報道という事になるのではないか。煽り役に徹する大手メディアは救いようのない「警戒区域」に突入しているといわざるを得ない。

□3年前に北朝鮮は衛星の打ち上げに失敗しており、技術的には難点があるとして、日米は共同で迎撃態勢をやろうとしている。米国の沖縄支配に説得性を持たせ、防衛省の石垣島や宮古島、与那国島への自衛隊配備の既成事実化を図ろうという目論みも感じ取れる問責決議が消えない、あのボケボケの田中防衛大臣が防衛官僚のロボットとして操縦されているだけではないのか。

 福島第一原発二号機では、冷却水が60センチしかなく、一時間に数トンの注水を続けているが、その汚染水は一体どこへいったのか。放射線は7万2900-ベルトを計則。大丈夫か、福島!脱原発に関しても無為無策で、逆に原発再稼働を画策する方向性が垣間見える。AIJ証券の厚生年金運用の大損失事件で浅川和彦社長が国会で証言したが、まさにカエルの面にションベン。悪びれる様子もなく年収は7000万円と言い放った。カンジンの野田内閣の消費税増税も本日中に結論を出す予定らしいが、党内に70名以上の反対派をかかえつつの強行作戦がどう転ぶかも予断を許さない。やるべきことをきちんとやらずに、どうでもいいことに執着する野田内閣の支持率があがっているというのだから、これも消費税増税を後押しする財務省や経団連の意を受けたメディア操作ではないのかと勘繰らざるを得ない。


□2012年3月22日『沖縄タイムス』「社説ー消費税増税論議、『身を切る改革』どこへ」
Category: 01-人物名鑑
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写真左からー末吉安允氏、與那嶺安彦氏、與那嶺氏の母と妻
Category: 04-書の森
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Category: 03-所感
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本日は東北大震災・原発大事故から1年。新報、タイムスは「34万人 今も避難」と報じている。国際通りを歩くと、脱原発や、原発ゼロのブラカードが目立った。

Category: 04-書の森
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□そんなら母系家族制度とは、どんな社会であるかと云うに、これに対する答を得るにはモルガンの古代社会論を若しくはない。モルガンの「古代社会論」は今私も之を読んでいないが、エンゲルスの「家族私有財産及國家の起源」と云う書に引いた分だけでも母系時代が如何なる社会状態であったかと云う一般は知らるるのである。其の家族制度という章中に下の一節がある。(以下略)


3月14日ー昼、このスクラップを持ち歩いているとき、パレットくもじで長元氏に出会ったので見せた。

Category: 01-人物名鑑
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Category: 04-書の森
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Category: 04-書の森
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写真左から新城栄徳、黒田恭正氏


Category: 01-人物名鑑
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諸見里耕三(通常は、耕司とー私のひいお爺さんです。朝進が、おじいさん。晋一が、父です。こんな記事が残ってるんですね。ありがとうございます。
Category: 01-人物名鑑
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山本森之助【やまもと・もりのすけ】
生年: 明治10.4.2 (1877)
没年: 昭和3.12.19 (1928)
明治大正期の洋画家。長崎の料亭一力2代目当主の長男として生まれる。明治27(1894)年大阪で山内愚仙の下で洋画を学び翌年上京,天真道場などに通い東京美術学校(東京芸大)西洋画科選科に入学,32年卒業した。白馬会展に出品し,35年白馬会会員。33年から3年間図画教師として沖縄に赴任する。38年第10回白馬会展に出品した「暮れゆく島」で白馬会賞を受賞。40年の第1回文展では代表作となった「曲浦」(東京国立近代美術館蔵)で3等賞を,翌年の第2回展でも「濁らぬ水」で2等賞を受賞した。45年には,中沢弘光らと光風会を結成し,のち文展,帝展の審査員も務めた。 (→コトバンク/三輪英夫)

03/10: 巌谷小波

Category: 01-人物名鑑
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いわやさざなみ【巌谷小波】
1870‐1933(明治3‐昭和8)
明治・大正期の作家,児童文学者。本名季雄,初期別号(■1)山人(さざなみさんじん)。東京生れ。父の一六は貴族院議員で書家として著名。裕福な家庭に育ったが,医者への道を歩ませられることをきらい,周囲の反対の中で文学を志して進学を放棄し,1887年文学結社の硯友社(けんゆうしや)に入る。尾崎紅葉らと交わって小説を発表したが,少年少女のセンチメンタルな恋愛を描く作品が多く,この傾向は,児童文学に転ずることによって成功する。(→コトバンク)


巌谷小波



Category: 04-書の森
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かわいぎょくどう【川合玉堂】「長閑」
1873‐1957(明治6‐昭和32)
日本画家。愛知県木曾川町に生まれる。本名芳三郎。別号偶庵。1887年京都に出て望月玉泉,続いて幸野楳嶺に師事。その後,橋本雅邦の《竜虎図》に感動,96年上京してその門に入る。狩野派を学び,岡倉天心,雅邦を指導者とする日本絵画協会に出品し,しだいに注目される。1907年東京府勧業博覧会出品の《二日月》が好評を博し,第1回文展以降審査員となる。四条派の親しみやすい即物的作風と,狩野派の折り目正しい品格を合わせた画境を開き,第2次大戦前の日本のどこにでも見られる風景と生活を主題とした。(→コトバンク)


比嘉崋山「臼アラサー」

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03/09: 嘉納辰彦

Category: 01-人物名鑑
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okinawa・時代の記憶~「嘉納 辰彦」
1952年、那覇市生まれ。
東京写真専門学院卒業後、雑誌やメディアを中心に活動。 1989年・90年・94年と南米の沖縄移民の人々を訪ね取材し、那覇市・名古屋・各地で写真展『もうひとつのウチナー』を開催してきました。
Category: 04-書の森
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Category: 04-書の森
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Category: 04-書の森
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Category: 04-書の森
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Category: 04-書の森
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03/07: 相川俊孝

Category: 01-人物名鑑
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1929年ー来沖

相川俊孝 あいかわ-としたか

1889-1940 大正-昭和時代前期の詩人。
明治22年12月24日生まれ。室生犀星(むろう-さいせい)に刺激されて詩作をはじめ,大正9-12年ごろ「感情」や「詩聖」に作品を発表。13年佐藤春夫の序文を得,前衛風の詩をまとめた「万物昇天」を刊行した。昭和15年11月18日死去。52歳。石川県出身。第四高等学校中退。(→コトバンク)





Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

写真上ー左から大田修氏、与儀達憲氏

2012年2月12日 『沖縄タイムス』「復帰40年うちなぁ時の旅ーコーラ瓶など数千本を集める南城市の収集家、大田修さんの『ビンの博物館』」

03/07: 小橋川嗣

Category: 01-人物名鑑
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写真左から、小橋川嗣氏(関西在住の洋画家)、新城栄徳、山城興勝氏



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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 『琉球新報』2017年4月4日ー大田昌秀元知事がこのほど、2017年のノーベル平和賞候補にノミネートされた。大田さんのノーベル賞受賞に向けて取り組む「『命どぅ宝のマブイ(魂)を継承し、平和の礎を創設した沖縄の人びとにノーベル賞を』実行委員会」が3日、沖縄県政記者クラブで記者会見し、3月上旬にノルウェーのノーベル平和賞委員会から連絡があったことを明らかにした。・・・・・

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第一書房社長から『大田朝敷選集』を受け取る大田昌秀氏

カジノ沖縄チジが沖縄戦専門家でもないのに検討委員が決定した沖縄戦の記述を「わたしの判断」で抹殺したと記者に答えていた。しかし、此の時期にカジノチジが敢えて表示板を委員にも諮らず勝手に削除したことは新聞にも大きく取り上げられ、首里の不発弾騒ぎとも相まって、「沖縄戦」に再び注目が集まったということだ。いわばカジノチジは「沖縄戦」注目の功労者である。委員もこの際、沖縄県・文部省干渉、あるいは骨抜きの「沖縄戦」情報でなく、大田昌秀元沖縄知事のように独自の『沖縄戦』情報を平和市民団体とも提携して発信して行かなければ折角チャンスを与えてくれたカジノチジに申し訳がない。

2012年3月1日ー『琉球新報』「戦争の醜さを知ってー大田昌秀さんが展示館」

2012年3月4日ー『沖縄タイムス』「沖縄戦映す1700点ー大田昌秀さん、あす展示館オープン」

ちょうどタイミングよくというか、沖縄戦研究を長年取り組んできた大田昌秀元知事が「沖縄戦 写真展」を開催している。3月5日、漠然と西町に行ってみた。ウロウロしていると、運よく顔見知りの金城君、喜納君のクルマに遭遇した。若い彼らはすぐ携帯で場所を見つけ案内してくれた。場所はロワジールホテルの手前であった。大田さんはテレビ取材の応対で忙しそうだった。

大田平和総合研究所「復帰40年 今、問い直すー沖縄戦 写真展」開館時間/午前9時~午後6時



2012年3月20日ー『琉球新報』玉城江梨子「消される沖縄戦(下)平良次子さん・南風原文化センター学芸員『(略)それでも、沖縄戦の事実は揺るがない。行政が消そうと」した事実が将来まで残る。このことは分かっているのか』」

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
去年の年9月25日、京都教育文化センターで「琉球民謡伝統協会京都支部三周年芸能発表会」があった。その舞台で見たかんじの会長さんが、本日のパレットくもじ前で「第16回 大民謡祭」での舞台に登場していた。あとで名刺を頂くと新崎松秀氏とあり「ジャンボ三線」ともあった。




写真ー1933年12月に東恩納寛惇が安南および福建より持ち帰った三味線、昭和会館に寄贈した。(1)ヤマト、(2)琉球、(3)安南、(4)安南


Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

1996年6月『新潮日本文学アルバム23 永井荷風』新潮社ー永井久一郎の死亡広告、弟が阪本釤之助、息子が永井壮吉(永井荷風)である。

※那覇市市民文化部歴史博物館所蔵「横内家文書」には阪本釤之助書簡が8通収蔵。

高見順 たかみ-じゅん
1907-1965 昭和時代の小説家,詩人。
1907年福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母・高間古代(コヨ)に阪本が視察で三国を訪れた際に生ませた。明治40年1月30日生まれ。学生時代から左翼運動に参加。コロムビア・レコードに勤務し,昭和8年組合活動のため検挙され転向。小説「故旧忘れ得べき」が芥川賞候補となる。詩,評論でも活躍。戦後日本近代文学館の創設にもつくした。昭和40年8月17日死去。58歳。文化功労者を追贈された。福井県出身。東京帝大卒。本名は高間義雄,のち芳雄。小説に「いやな感じ」,詩集に「死の淵より」,日記に「高見順日記」など。→コトバンク
Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02

[『沖縄タイムス』大田昌秀「『人類館』事件は、当時、日本において沖縄及び沖縄人をどう考えていたかを示す一つの象徴的な出来事だ。写真があったとはこれまでの調べで分からなかった。大きな事件を裏付けるデータとして、貴重なものだ。具体的なとっかかりが得られた。人間を一つの動物として見せ物にし、金をかせごうとは基本的人権上許しがたいことだ。明治36年は、沖縄の土地整理事業が完了し、税も物納から貨幣にかわるなど、夜明けの時期だった。また本土においては、堺利彦らが平民主義、社会主義を主張した年だ。日本の思想が、きわめて偏り、アンバランスであったことを露呈した事件だった。」



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