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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

那覇市上泉町にありて辻町遊女の拝所となれり



波上神宮以前の御拝所に祀りたる


田村浩 たむら-ひろし
1886-1945 大正-昭和時代前期の官吏,沖縄研究者。
明治19年5月5日生まれ。沖縄県の県視学,国頭(くにがみ)郡長,県産業課長をつとめ,その間に沖縄の地割制度や村落を調査・研究。のち東北各県の経済部長などを歴任した。昭和20年7月4日死去。60歳。群馬県出身。日大卒。著作に「沖縄経済事情」「琉球共産村落之研究」など。→コトバンク


  

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中村不折「猗器の誡(ききのいましめ)」 昭和16年(1941)
水を満たすと覆る猗器(画面左)を人間の高慢な心にたとえた、中国春秋時代の故事を題材とした作品。画面中央の人物は孔子である。[
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辻遊廓
戦前の沖縄観光において辻遊廓は重要な役割を担っていました。昼間、県内各地の観光名所を巡ったあと、夜は辻にて料理や舞踊を楽しみました。名所旧跡以外の観光スポットが少ない当時、辻が料理・音楽・舞踊といった沖縄文化の提供地となっていました。また、観光パンフレットやお土産用の絵ハガキに辻の女性の起用や、「那覇飛行場開き」といったイベントで辻の「美妓」によって、出店の飲食物が来場者に振舞われることもありました。当時の辻の女性は現在でいう観光キャンペーンガールの役割を果たしていました。→2013-8『戦前の沖縄観光~ディスカバー・オキナワ~』



1938年9月15日『大阪球陽新報』
□行雲流水ー辻遊廓問題は一応ケリが着いたかと思ったが余燼はまだブスブス燻って却々消えそうにもない。その顕著な一例は沖縄基督教聯盟の真剣な粛正運動である。同聯盟の熱意の籠った純理論には如何なる有力者も眞ッ向から反対を唱えることは出来まいだろうが其処が多年の因習と利害関係の錯綜した辻遊廓の事だからそう簡単に解決はつくまい。

家主や廓内の商売人からすれば全くの死活問題に違いないから凡ゆる手段を講じて之が阻止運動に出づべきは逆賭するに難くはない。然し改善論者側ではそんな個人的の利害問題などテンで眼中に置かず県の体面問題及び明日の沖縄を担ふべき青年の死生問題として重大視しているから決して馬鹿には出来ない。

県外識者中には沖縄から大人物が出ないのは辻と泡盛の為だと嘆いている人もあり「人生をテーゲードヤル」と茶化している不真面目の壮年老人連中は何うでもいいが未来ある青年だけは救わねばならぬと叫んでいる。大阪湯浅商店主の山川氏などは那覇市が辻遊廓から上がる公課を唯一の財源として之を擁護するのは淫売した不浄の金を重要予算として奨励しているようなもので市の不面目是より甚だしきはなく恥を天下に曝すものだと慨嘆している。

辻を市経済の有力機関だとの考え方が抑々の間違いで寧ろ家庭経済の破壊者であり産業発展の敵といっても過言ではない。那覇、首里の名家で辻のために産を破ったもの幾何なるを知らず農村民にして粒々辛苦折角儲けた虎の子を遊女に奪われて帰る旅費もなくなったという実例はザラにある。中には農村青年の娯楽機関として辻必要論を叫ぶ者もあるが以ての外の暴論で慰安の方法は演劇、映画等其他情操方面に幾らでもある。沖縄の都鄙を通じて演劇が発達しないのも辻許りに関心を持っている為で、この意味から云っても辻は精神文化の阻害者であり県民を亡国の民たらしむる囮である



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○一向宗の法難と廓
王朝時代の沖縄では御國元(薩摩)にならって一向宗の信仰を厳禁されていたが泉崎の名家仲尾次親雲上政隆や、備瀬筑登之などに依って密かに布教されその信者も相当の数を得ていたが遂に発覚されて仲尾次翁を始めその信者が処罰されたことがある。この仲尾次翁は初め辻の女郎屋に御本尊を安置して熱心に信仰し、また布教していたが、次第に信者も多くなり遊廓では都合が悪く自宅にこれを移したが、遂に発覚されて八重山に流刑されたのであるこの仲尾次翁の「法難日記」の一節に   荒神之前の牛あんま、真中のさまのかめあんま、雲登留の牛あんぐわ、も座窂より同日出窂云々とあるから処罰された信者の内には遊女だちもおたようである。

また、仲尾次翁の法難当時、大島あたりに行っていたので難をのがれたが明治10年10月 田原法水師の法難事件に殉した、備瀬筑登之の白状した所によると弘化元年渡地傾城荒神の前ウシ方で始めて一向宗を信仰したが、文久元年12月本山から御本尊を請受けて自宅で内秘に信仰していたが、元治元年に露顕を恐れて一旦本尊を本山に還したことにして、辻の染屋のカマ方に預けそこで法話をしたり経典を講じたりしていた。

明治9年5月に眞教寺の先代、田原法水師が商人田原里治と偽って大有丸で那覇に着き、長嶺筑登之の宅に宿して密かに辻遊郭で布教をし10月ごろまでに遊廓で78十人の信者を得た。
備瀬筑登之はその年の6月ごろ、辻の亀の油香々小で始めて法水師と会って、ともに布教につとめていたが遂に彼の法難に逢ったのである。このように禁制当時の一向宗の信仰や布教が遊廓を中心としてなされたことは、当時の遊廓がその取締もゆるくまた彼女だちが秘密を洩らすことなきを信頼してこの場所を選定されたのであろう。

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目次
編纂者の言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柳田國男
○比嘉春潮・島袋源七の二君は、最初からの援助者であった。と云はうよりも私は寧ろこの二人の沖縄衆によって、動かされたやうな気持ちである。各篇の配列は大体に筆者の年齢順によることにして見た。但し終りの両君だけは、それ程に年が若くはないのである。

沖の泡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幣原坦
ウルマは沖縄の古称なりや・・・・・・・・・・・・・・・・伊波普猷
沖縄の土俗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲垣國三郎
地割制・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東恩納寛惇
岩崎卓爾翁と正木任君・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大島廣
女の香爐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・折口信夫
性的結合の自由とミソギ・・・・・・・・・・・・・・・・・・奥野彦六郎
セヂ(霊力)の信仰について・・・・・・・・・・・・・・・・・・仲原善忠
耳学問・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・島袋盛敏
万葉と神座 附・沖縄神道の日本古代神道史性・・・奥里将建
八重山を憶ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮良當壮
琉球の地方算法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・須藤利一
琉球の同族団構成(門中研究)・・・・・・・・・・・・渡邊萬壽太郎
南島の入墨(針突)について・・・・・・・・・・・・・・・・・・小原一夫
阿兒奈波の人々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・島袋源七
尾類考・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柳田國男
○見やうによっては婚姻制の進歩であるが、その為に女の地位の又少し悪くなったまでは否むことが出来ない。是に対して他の一方の自由な女、幾度もツレアヒをかへて活きて行く者は、近畿地方ではジダラクといひ、隠岐の島などではタマダレ者又はドウラク者とも言って居たが、それもぢっとはして居ないで、新たに基礎を作り又組織を設けようとしたのである。我々の如く旧い一方の世界に住む者には、其當否を批判する力も無いが、是が幾つかの面白くないことの原因になって居ることだけは確かなやうである。だから改めて原因に遡って、もう一度詳しく知る必要があるわけで、斯んな疑問にすら答へられぬやうだったら、實は文化史などは尊敬するにも足らぬのである。(22,1,7)

□柳田國男『南島旅行見聞記』○1921念1月 地方小説の舞台 那覇には日刊四つあり。文学好きの青年多く之に参与せり。/渡地と思案橋 渡地中島の二遊郭は十数年前に廃せられ、今は辻一箇所となる。中島は停車場辺、渡地は旧宅存す。思案橋のありし地は久しき以前埋立てられ、今通堂より西本町に入る大通なり。県庁はもとこの此近くに在りき。在番屋敷。


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○エス、エス「萬葉歌と琉歌」(上)
昔の大和人の歌と、琉球人の歌とは其の思想や感情や表現法等に於いて著しく似通うた処がある。古今集以後の和歌が琉歌に影響を及ぼした事は想像もつくが萬葉集に至っては大和人でさえ訓話解釈に苦しんだもので、波路はるかの琉球人には到底手に入れる事さへも至難の事であったらろうと思われる。それが随所に似た歌を見出すことは誠に面白い事である。

萬葉ー目には見て手には取られぬ月の中に桂の如き妹を如何にせむ
琉歌ー玉こがね無蔵や水の上のお月をがみつめなげな自由もならぬ

萬葉ー夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿おもかげにして
琉歌ー夕間暮とつれて立ちゆる面影に浅間しや我肝とれていきゆさ



⑪/1928年7月 南島研究会『南島研究』第3輯
○エスエス「萬葉歌と琉歌」(下)
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11月15日『琉球新報』「八重山芸能団を囲んでー東京料亭なはの女将が上江洲文子さんが一行をねぎらうため招待」
11月18日『沖縄タイムス』「東京でうけた八重山芸能ー2・3日は日本青年館、6日は早稲田大学大隈講堂」
11月27日『琉球新報』「絶賛浴びた八重山芸能ー本社で東京公演を語る」
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題字ー兼次市長書  表紙ー徳村政雄氏宅 左から木麻黄、手前はバナナ、中央が椰子 右が黒木、裏はガジュマル


那覇市役所屋上の「やまびこの鐘」は兵庫県民の友愛の贈物/4月16日午後1時 那覇港に立寄った南極観測船「宗谷」

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泊港


上之屋外人住宅

東京銀座通り会から贈られた国際通りの柳





首里「末吉公園」ー熱帯植物の群生する首里末吉公園社壇は、那覇市を一眺におさめる景勝の地として、公園指定が急がれており、また世界平和を祈願して、近く建立される山田真山画伯の「平和慰霊象」が建てられると、いよいよ那覇市の近郊をかざることになります。



じゅり馬行列の獅子舞




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若狭市営住宅

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メーデー



那覇市商工祭でにぎわう広告カーニバル



安里上空から見た国際中央大通り



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2014年1月12日ー沖縄タイムス南部総局にて左が島袋和幸氏、内間健氏(手にしているのは沖縄タイムス南部総局がまとめた『十五の春ー沖縄離島からの高校進学』)


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写真左から大城宗精氏、新城栄徳、漢那憲治氏(梅花女子大学教授)
□大城宗精ー1932年1月生まれ。1958年ー琉球政府立法院事務局図書室。1967年ー琉球政府厚生局医学図書室。1972年ー沖縄県立図書館、73年に同館長。86年ー沖縄県立博物館長~1992年定年退職。昭和51年12月 大城宗清『歌集 古里の土』新星図書


昭和51年12月 大城宗清『歌集 古里の土』新星図書

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2014年1月 俳句同人誌『天荒』47号 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 
電話・FAX098-936-2536




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金毘羅宮は1935年2月に沖縄糖商同業組合が建立されたもので今では知る人も少ない。
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1935年3月11日 三重城金比羅宮鎮座奉祝祭並竣工式


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1938年3月『沖縄日報』「沖縄糖商同業組合」(上右から2番目に平敷慶福の砂糖委託商)□平敷慶福の子が平敷慶久


1939年 『日報の沖縄人名録』沖縄日報社
□金比羅会ー会長・平敷慶福/副会長・儀間光裕/副会長・森新太郎

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右から二人目が平敷慶久

同期生ー平敷慶久(琉球中央倉庫社長)、仲村清栄(第一相互銀行頭取)、野崎真雄(南西火災海上保険社長)子息に野崎真明氏も保険業。久髙唯栄(琉球銀行業務部長)、宮島長純(沖縄工業高校校長)

1958年4月


1960年 琉球中央倉庫株式会社ー前列右から3人目が平敷慶久




1966年 沖縄タイムス社『現代沖縄人物3千人』平敷慶福の子・平敷慶久

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去年の暮、部屋の掃除で古い戸籍謄本を見つけた。懐かしい。


本日正午、新都心上空を思いやり予算でオスプレイ1機がヨタヨタ飛んでいた。

●沖縄の自然破壊に狂奔する日本政府。オスプレイ1危100億円とともに押し付けるアメリカのオバマ大統領(黒人奴隷の末裔ー自民党の丸山和也参院議員)。□→瀬長瞳『生きてさえいれば』沖縄タイムス社2010年7月に□はじめにー1945年8月、日本はアメリカの原子爆弾で、一瞬にしてたくさんの人が殺されました。地震や津波よりも多い大量殺人でした。アメリカでは、今も、国内外で人殺しが行われています。アメリカ人は、百人中九十人が武器(ピストル等)を常時携帯しているといわれています。寝るときも寝室に武器を隠し持っているといいます。人を殺す人は『何故殺したのか』と、いつも何らかの理由を述べます。しかし殺された人は理由を述べることはありません。いや、理由など必要ないのです。何故なら死んだ人は、もう二度と生き返ることが出来ないからです。大量に人を殺せる人は、法律で保障された国家元首です。国の指導者が堂々と胸を張って、あたりまえのように、勝手に自分の都合のいい理由を作って大量殺人(戦争)を行ないます。それは歴史が証明しています。日本では昭和天皇(15年間に何千万人ものアジア人、日本人を死に追いやりました)、アメリカでは、歴代大統領(広島、長崎の原爆投下、朝鮮戦争、ベトナム、イラク、アフガンなど)が思い浮かびます。


一昨日の新報に共産党の赤嶺政賢沖縄県委員長が「仲井真県政が『辺野古断念を』と明言しないことに沖縄県民には不信感がある。高江ヘリパット建設、那覇軍港の移設は認めており、基地のたらい回しにつながる」とカジノチジの優柔不断さを述べ、普天間飛行場は「直ちに閉鎖し撤去すべきだ」と明快だ。しかし辺野古移設で目を奪われている最中ヤマトの岩国、佐世保、横須賀といった在日米軍基地にも注目することは重要だ。これはヤマトの新聞の力量が問われる。安倍首相の靖国参拝で中国、韓国は何やら怒っているが、それを容認しているアメリカに対して抗議すべきだ。アメリカ、黒人大統領の指導がなってないからで、アメリカは属国日本への指導力を発揮してもらいたいものだ。ま、余り文句をいうと「思いやり予算」を減らされるのも怖い。次に「美しい意日本」の安倍首相がアメリカに要求するのは国連の常任理事国入りだ。これは敗戦国の日本にとって悲願だが不可能に近い。

2015年4月記●1月30日の地元紙「防衛省がヘリ発注せず東京高裁が富士重工業に国が350億賠償命令」。関連して、桜林美佐『誰も語らなかった防衛産業』(並木書房2010年8月)に「コンビニ市場より小さい日本の防衛産業」と題しストックホルム国際平和研究所による2005年~2009年の世界の通常兵器輸出上位国は、1位がアメリカ、2位ロシア、3位ドイツ、4位フランス、5位イギリス、オランダ6位イタリア、スペイン9位が中国、スウェーデンで、アメリカの輸出は70億ドル以上で、世界市場の30%を占めている。と記されている。

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朝9時、年賀状を見て、昨日のニシムイ水を屋部公子さん(太田朝敷孫)、山田實さんに持って行く。
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昭和10年10月6日、東京市品川区大井町の伊禮肇宅にてー太田朝敷を中心に前列左から千絵子(音子)とその娘の菊子、公子、房子。後列左から2番目 長男正雄、雪子、武子
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波上宮にある明治天皇像


波上宮を通ってソープランド密集地の辻を通った。橋下大阪市長の顔が浮かんだ。




三重城の金毘羅宮



大田昌秀「沖縄戦・ホロコースト写真展示館」


末吉麦門冬が没した所


『琉球新報』創刊の地(タクシーが止まっている辺り)



正面ビル2階が「青い海出版社」が在ったところ


真教寺ーこの寺で末吉麦門冬の追悼会、太田朝敷の琉球新報社葬が執り行われた。


真教寺境内の「石川啄木歌碑」

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伊波普猷 生家跡



真喜志好一さんの事務所

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