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6月29日 元「文化の杜」に居たモモエさんの案内でコザを見学。沖縄市立図書館(新屋敷幸繁文庫)、沖縄市立博物館(琉球古典音楽湛水流創始者 湛水 親方顕彰碑)、沖縄市戦後資料展示館、銀天街の豊里友行写真事務所、帰りに娘宅、北谷のギャラリープルミエで喜友名ひとみさん。モモエさん地元だけあってスムーズに目的地に連れてもらった。

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沖縄まなざしの風景展(那覇文化芸術劇場なはーと)第3期、始まりました!中山良哲さん、前原基男さんお二人の作品、ぜひご鑑賞下さい(^^)

 安田菜津紀 6-27 何度でも言うけれど、大幅引下げの背景には、「生活保護を恥と思わないのが問題」(片山さつき議員)等、一部政治家のバッシング扇動がある。生活保護費削減を打ち出した自民党の「プロジェクトチーム」座長は裏金議員の世耕弘成氏。小泉進次郎氏もメンバーだった。

 おさかなちゃんー25 会見拝見しました。女性差別しているのが露骨過ぎます。国民民主党公認取り消し後に自殺した高橋茉莉さん、玉木雄一郎氏が直接謝罪せずに公認取り消しになった山尾しおりさん、アタシ以上に国民民主党のために頑張った女性ボランティア切り捨て。
 よしログ6-25 国民民主党の政策が女性には難しいのではなく(ようそんなこと言うたな)、女性の方が騙すのが難しいってことやろ。女性には見抜かれてるんだよ。

 an-ぽんた·6-24 ハイハイ、また閣議決定ですか。
連休中日に投開票をするのは1952年以来初なんですね。なぜこの日が適切か、国民を主体においた説明はできないでしょうね参院選7月3日公示、20日投開票 閣議決定…連休中日の国政選投開票は1952年以降初(読売新聞オンライン)

 山添拓 6-22 米国のイラン攻撃について「注視している」とのみ石破首相。
イスラエルの先制攻撃は「到底容認できない」と批判したにもかかわらず、イスラエルと「1つのチームで取り組んだ」米国は批判しない。過去日本は、米国の戦争を一度も非難したことがない。卑屈な従属はもうやめよ。

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6月21日 神奈川大和市の中山豊さんから 観光考古学会機関誌『観光と考古学』第5号 中山豊「伝承考古学と造墓銘写真資料」、『HOSEIミュ一ジアム紀要』第5号抜刷 中山豊「小説『ひめゆりの塔』の原点」を贈っていただいた。

山添拓6-21 米国政府、日本に軍事費GDP比3.5%を要求か。現在の水準なら20兆円を超える。
日本政府が「反発した」ため来月予定の日米2+2が取りやめにとあるが、「参院選が近いことも考慮した」とも。後者が本音か。米国の言うことになんでも付き従ってきた政治と決別するこの夏の選択を!

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6月20日 なるみ堂の翁長良明さんと同行、宜野湾市立博物館 戦後80年企画展Ⅰ「沖縄戦の中の宜野湾~戦後80年をむかえて~」⓶
☆森の川:森川公園にある湧泉で、天女が沐浴したという羽衣伝説があります。昔、奥間大親(おくまうふや)という男性が沐浴中の天女を見初め、彼女の羽衣を隠しました。天女は奥間大親の妻となり、一男一女をもうけますが、ある日、羽衣を見つけ天に戻ってしまいます。二人の子供のうち男の子が後の中山王となる察度(さっと)であったと言われています。
 元々は湧き出した水が地面の土を削ってできた小さな谷地形を呈する渓谷泉ですが、1725(雍正3・尚敬13)年に首里の向氏伊江家により石造で整備されました。→宜野湾市☆西森碑記

くろねこ短語 6-19トランプ「イラン核施設攻撃を検討」VS.ハメネイ「戦いが始まる」!!&「イランが組織的に核兵器を開発しようとしていた証拠はない」(IAEA事務局長)・・・「大量破壊兵器」と同じ轍を踏んだか!?

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6-18 「沖縄まなざしの風景 追憶と現在展」(那覇文化芸術劇場なはーと)では、8期に分けて11月3日まで写真を展示しています。仲嶺絵里奈(なはーと企画制作専門員)

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6月18日☁、なるみ堂に行くと一橋大学大学院社会学の須田佳実さんから店主の翁長さん、新城さんに世話になったとして『年報』日本現代史』第二九号2024-12抜刷「一九七〇~八〇年代の沖縄戦争体験記録運動と『記録者』たちの位置--著作権論争の再検討を中心に」が贈られていた。

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6月14日 父の日にちなんで午前 ゆんたん娘一家と、浦添市美術館を見学。○美術館で金城聡子さん
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「世界遺産 中国・泉州市ー伝統文化の今ー」
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 「泉州:宋朝(そうちょう)・元朝(げんちょう)における世界のエンポリウム 中国」が2021年7月25日 ユネスコ世界遺産に登録されました。浦添市と泉州市との交流は、はるか琉球王朝時代にまで遡ります。察度王が朝貢のために浦添から使節を派遣し、その際に入港したのが泉州でした。琉球と中国が公的に交流を開始した「ゆかりの地」である泉州の遺跡群が世界遺産に登録されたことは、友好都市である浦添市にとってもたいへん喜ばしいことです。
 この度、世界遺産に登録された遺跡群は、世界のエンポリウム(商業の中心地)として、宋・元時代(西暦10~14世紀)にアジアの海事貿易にとって、非常に重要な時期に繁栄したエリアです。その一帯には、ペルシャやアラブから来航した商人が拠点とした、イスラム教のモスク・清浄寺(せいじょうじ)をはじめ、仏教寺院・開元寺(かいげんじ)、道教の海の守り神・媽祖(まそ)をまつる天后宮(てんこうぐう)など、信仰の異なる建造物が遺されており、そのうち22か所の遺跡群が世界遺産に登録されたことは、世界の宗教や文化が争うことなく共存できるという平和のメッセージとも言えるでしょう。→浦添市

 斎藤 陽子 ·6ー13 不法移民の取り締まりをめぐり、ロサンゼルスではデモ隊とトランプ政権が、州兵や海兵隊の派遣を行い衝突が続いています。トランプ大統領とカリフォルニア州当局との対立は、トランプ氏がロサンゼルスに州兵を派遣したことで激化しています。トランプ氏はロサンゼルスを「解放する」と誓っていて、カリフォルニア州のギャヴィン・ニューサム知事は、「主主義への攻撃」だと非難しています。
 どこのテレビのチャンネルを観ても、デモ隊と州兵や海兵隊との衝突画面ばかりの、この3、4日、テレビを見るたびに気分が滅入ってしまいます。アメリカンドリームの有った、この国は一体どこへ行ったのでしょう。トランプと言う独裁政治家の出現で、この国は夢も希望もない、心の貧しい国に成り下がりました。
 こう言う時こそ、気分を変えて綺麗な花でも見るしかありません。今日の気温22℃と幾らか肌寒い日ですが、快適な木曜日です。庭のプルメリアも満開になり、夏がやってきたことを気づかせてくれます。

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大濱 聡·6ー10  ■9日、東京から元東京新聞論説委員の白鳥龍也氏(ジャーナリスト)が来沖、来村。11:00前、「ただいま那覇に到着しました」との連絡をMessengerでもらう。
■白鳥氏の来沖に合わせたかのように、「読谷村の米軍嘉手納基地内の自衛隊の施設で爆発 けが人の情報も」との速報が正午のNHK全国ニュースの最後に突っ込みで入った。12:29には1,2分の特設枠で同じニュースが繰り返された(現場は我が家から直線距離で約4㎞)。

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仲松 健雄 · 6ー10『東京竹富郷友会創立100周年記念式典・祝賀会』東京竹富郷友会が創立100年を迎え、記念式典と祝賀会が武蔵小杉にある川崎市コンベンションホールで開催され300名を超える参加者で大盛況❗️大谷喜久男会長の主催者挨拶に続いて、竹富町から来賓として参加した前泊町長ならびに内盛公民館長が挨拶✨私も祝辞を述べさせていただきました????

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戦後80年沖縄から問う・新刊3冊刊行記念 「緊急!トークイベント【ひめゆりの少女】の声を聞け!」6月7日(土)15:00~17:00 ジュンク堂書店那覇店B1Fイベント会場〈登壇者〉諸見里道浩(ジャーナリスト・『沖縄「平和宣言」全文を読む』仲松昌次(フリーディレクター・『島うたに刻まれた沖縄』)山本邦彦(高文研『新版 ひめゆりの少女・十六歳の戦場』編集者)写真:諸見里道浩さん/仲松昌次さん

朝日新聞 京都市議会は6日、自民党の西田昌司参院議員が「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の展示内容を「歴史の書き換え」などと発言したことをめぐり、「強い遺憾の意を表明する」とした決議案を賛成多数で可決した。
 決議案では、西田氏の発言や見解は「沖縄県民の心を深く傷つけるものと言わざるを得ない」と指摘。「京都選出の議員がこのような発言をしたことに強い遺憾の意を表明し、沖縄県民の心情に寄り添い、沖縄戦の歴史に真摯(しんし)に向き合うこと」を求めた。
 自民党や公明党、一部の無所属議員は、西田氏の発言に一切触れず「京都と沖縄の絆を次世代に伝え平和社会の実現を目指す」とする決議案を提案したが、否決された。

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6月5日 国際通り/那覇市民ギャラリー「新城征孝 絵画展」

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大濱 聡 · 6ー3■6.2放送のテレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」〈日米協議 “交渉カード”に防衛装備品購入が浮上〉――大変わかりやすい内容でした。■トランプ大統領1期目・安倍政権時「ステルス戦闘機『F15』147機購入」 ※総額は?■「負担増大の“思いやり予算” 福利厚生施設まで」「各国の米軍駐留負担費比率 日本約75% イタリア・韓国約40% ドイツ約30% 突出する日本」 ※米軍駐留費より日本国民にもっと温かい“思いやり”を!“米国”より“米穀”を!
■石破首相「日米安保条約 日米地位協定の改定主張(去年9月)」「思いやり予算はもっと減らす余地がある(2006年)」いずれも封印 ※政治家の言行不一致、無責任発言は今に始まったことではないが……。

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2025年6月 来間泰男『沖縄の昭和戦前期 よくわかる沖縄の歴史』日本経済評論社(東京都千代田区神田駿河台2-7-7)

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5ー25 粟国郷友会 第62回 定期総会
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浦崎憲二さん、赤嶺博章さん、赤嶺龍風さん、伊良皆武宣さん/玉寄貞一郎さん、浦崎洋一会長、上原一宏村長
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仲松 健雄『第25回 東京八重山郷友連合会が主催する「東京八重山まつり」に参加,東京八重山郷友連合会は、八重山の各地区、各島々の12の郷友会で組織され「八重山はひとつ」の掛け声の下、2000年に発足✨12の郷友会は、お互いに連携しながら、故郷を偲び親睦や交流を深めています
(一社)東京沖縄県人会 知念辰昇 監事が東京八重山郷友連合会 第11代会長に就任????おめでとうございます,前会長の仲本学氏も東京沖縄県人会で副会長や理事を長年務められ、同連合会は
東京沖縄県人会とは特に親しい間柄です❗️懇親会では、八重山高校郷土芸能部の皆さんが、迫力ある素晴らしい郷土芸能の数々を演じて、大盛況でした

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5-25 大濱 聡 ·■ミャンマーとドイツを拠点に活動している石谷崇史さん(石垣出身/音楽家・TVディレクター)撮影・構成のドキュメンタリー映画「珈琲の流れ 薫る時」(62分)を観に那覇へ。栄町市場内のミャンマー料理店での上映会。■「予約は3人だけだったが、来てみたらこんなに」と本人がビックリするくらい5倍の人数で満席状態。共通の知人で、ミャンマーの写真集を出している東 邦定さん(写真家)も遠路名護から参加。

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5-22 沖縄地方が梅雨入り 九州南部より遅れるのは約50年ぶり 気象庁

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5月ー密約復帰記念日をさけて1日早く誕生した関西の孫こうた、近鉄特急しまかぜで賢島駅で遊ぶ

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大濱 聡 · ■本日(5.15)、日本復帰から53年。「基地なき島 実現遠く/歴史認識 本土との溝も」「平和な島遠く」「過重負担 解消めど立たず」――半世紀以上経っても、新聞・TVの見出し、タイトルどおりの現状が続いている。


1972年12月 雑誌『青い海』1月号 通巻19号 窪徳忠「中国の習俗と沖縄地方」


1970年7月 『季刊人類学』1巻3号 有馬真喜子「ひと ひと・・・・ー窪徳忠氏」
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中央ー窪徳忠氏、當間一郎氏
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1980年11月24日ー豊中市立婦人会館で開かれた南島史学会第9回研究大会。右手前2人目が安良城盛昭氏と牧野清氏、左端が喜舎場一隆氏 同日、受付の永峰眞名さんに安良城盛昭氏を確認してもらう。大会終了後、安良城氏を都島の沖縄関係資料室まで案内。色々と歓談する。資料室で自著を見つけた安良城氏が本代を払いそれに署名献本した。このとき以来、理論嫌いな私でも沖縄出身の理論家については、これ傾聴に努めることにした。
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写真上ー左から新城栄徳、窪徳忠先生、仲松弥秀先生、眞喜志康徳さん
写真下ー元沖縄都ホテル社長の桑原守也さん、京都西方寺の袋中上人手植えの蘇鉄を前に(新城栄徳撮影)

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2025-5 20年近く営業した「てるや商店」が閉店

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山城 明 · 5-2 GW晴れると良いね。

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4-30 翁長良明さんと同行、国際通り/那覇市歴史博物館で山城みどりさん、吉田佐和子さん/ギャラリー象

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大濱 聡■5月3日、憲法記念日。過日の地元紙に「本土で見ない憲法9条の碑」「憲法9条 再確認し守りたい」という千葉県と横浜市(沖縄出身)の70代女性の投書が掲載されていた。■いずれも日本初の「憲法9条の碑」が那覇市の与儀公園に建ったことにふれ、前者は沖縄に7カ所(全国最多。私が住む読谷村にもあります)あるのに対し本土ではあまり見ないこと、後者は伊藤千尋 著『非戦の誓い「憲法9条の碑」を歩く』には国内で計画中を含めて25基、海外に2基あることを書いている。
■ネットで検索すると、2024.6.5付「しんぶん赤旗」は、全国に39基(他に4基計画中)、海外に3基あると紹介。■本日付『毎日新聞』は伊藤千尋氏に取材し、4月現在、全国に53基あり、〈「特に2022年ごろから増え始めた。……伊藤さんはその背景として、ロシアによるウクライナ侵攻の開始(22年)や台湾有事に対する懸念を挙げ、『黙っていたら戦争になる』『何かしなければ』という焦燥感がある」と指摘する〉と結んでいる。■不肖大濱絶賛のお気に入りの写真――私のふるさと石垣市の「憲法9条の碑文」前に佇む森口 豁氏。撮影は知人の大森一也氏(南山舎)。モデル、設定、カメラマン――三拍子揃った珠玉のカット!



1947年5月22日 憲法普及会『新しい憲法 明るい生活』 新しい日本のために――発刊のことば
古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
わが国が生れかわつてよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。
新憲法の施行に際し、本会がこの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長 芦田 均


◇もう戦争はしない
私たち日本国民はもう二度と再び戦争をしないと誓つた。(第九条)
これは新憲法の最も大きな特色であつて、これほどはつきり平和主義を明かにした憲法は世界にもその例がない。
私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束したのである。わが国の歴史をふりかえつてみると、いままでの日本は武力によつて国家の運命をのばそうという誤つた道にふみ迷つてゐた。殊に近年は政治の実権を握つていた者たちが、この目的を達するために国民生活を犠牲にして軍備を大きくし、ついに太平洋戦争のような無謀な戦いをいどんだ。その結果は世界の平和と文化を破壊するのみであつた。しかし太平洋戦争の敗戦は私たちを正しい道へ案内してくれる機会となつたのである。
新憲法ですべての軍備を自らふりすてた日本は今後「もう戦争をしない」と誓うばかりではたりない。進んで芸術や科学や平和産業などによつて、文化国家として世界の一等国になるように努めなければならない。それが私たち国民の持つ大きな義務であり、心からの希望である。
世界のすべての国民は平和を愛し、二度と戦争の起らぬことを望んでいる。私たちは世界にさきがけて「戦争をしない」という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに「戦争のない世界」をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり、私たちの誓いでなければならない。


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憲法九条の碑清掃に参加した高良勉さん、近くの山之口貘詩碑も清掃
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呼びかけ人の真栄里泰山さん「経過報告」
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与儀公園の憲法九条の碑/2025年4月29日昼、有志の人たちによる清掃/集合写真(撮影・嘉数よしのタイムス記者)
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2014年4月12日ー与儀公園
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4月27日、新城あけみさん「歩こう会」参加:万博記念公園の日本庭園では「藤が咲き誇っていた」

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4月27日『琉球新報』

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仲松 健雄 一般社団法人 関東沖縄経営者協会主催「経営セミナー」開催✨講師は、同協会 重田辰弥 顧問(第7代 会長)演題は、「実業家 ・重田辰弥の人生ストーリー」競争の激しいIT業界で、20年間に渡り黒字を達成した経営の真髄について語りました❗️重田辰弥顧問の卓越した実績と人脈の広さ ならびに人間力の素晴らしさを改めて認識

4ー22 勇気?”本名を偽って不倫”の一回生議員が謝罪した日に「山尾志桜里氏」の出馬報道…日本国民は“不倫まみれ”の「国民民主党」をどこまで許容するのか不倫した山尾志桜里が国民民主党から出馬❓国民民主党は不倫した人の集まりになってしまったようです❗完全に不倫党です❗

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山城 明 4-15 屋慶名漁港

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2025 4/8~4/13 那覇市民ギャラリー「第28回 高良憲義個展 米兵によるレイプの島」伊良波賢弥氏、高良憲義さん


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真栄里泰山4-5「竹富島/デイゴの花」

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 斎藤 陽子 4-7 早いもので、4月も1週間が過ぎました。南カリフォルニアは木蓮や桜 ライラックの競演の開花の季節が終わり、庭はいつの間にかバラ園になりました。全米各地で4月5日、市民がトランプ政権の政策に抗議する大規模なデモを実施しています。全米50州で約1200のデモが行われたとみられ、カナダとメキシコでも開催が予定されていると言います。
  ワシントン中心部の国立公園「ナショナル・モール」でもデモが行われ、主催者は2万人以上が参加するとロイターに述べています。欧州でも同日、ベルリンやフランクフルト、パリ、ロンドンなどでトランプ氏やDOGEを率いる実業家イーロン・マスク氏に対する抗議活動が行われ、現地在住の米国人らが参加しています。ロンドンでは数百人がトラファルガー広場に集まり、「カナダに手を出すな」、「グリーンランドに手を出すな」、「ウクライナに手を出すな」などと声を上げた
 南カリフォルニアは春真っ盛り、まさしく春爛漫です。
南カリフォルニアの気温は15℃、朝夕はまだ6℃とまだ肌寒いですが、柑橘類の中で最も大きな品種の、ポメロ(Pomelo)の花が満開を迎え、連日の雨天の晴れ間の日、庭中に甘い香りを放ち、ミツバチの羽音が聴こえてきます。この写真に写っているものは、1,750gの重さです。家の裏庭の木に毎年11月ごろには10個ほど、生後間もない乳児の頭ほどの大きさの実が、それこそ枝が折れるのではないかと思えるほど、たわわに実ります。あまりの大きさにレモンと対比するために並べて写してみました。
 原産はマレー半島、別名、中国では晩白柚(バンペイユ)と呼ぶようで、中国のお正月(旧正月)には、豊かな大きいな果実は福を呼ぶという縁起物として貴重な扱いを受け、新年の訪問先の手土産に、大きなポメロを持参して贈り物とするならわしがあると言います。中身は果汁が少なめで、ナツミカンのような味がします。皮は砂糖漬け菓子を作るようで、日本で改良された物に、文旦、ザボンなどがあります。

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大濱 聡さんは金城実さんと一緒にいます。4-6■4月5日のチビチリガマ慰霊祭(4.5投稿参照)の後、中国・重慶の「沖縄平和訪問団」のメンバー20名は、金城実彫刻アトリエに場所を移して地元との交流会に臨みました。■日中戦争当時、1938-41年にかけて日本は重慶に200回以上爆撃を行い、約1万2千人の市民が犠牲になったとされます。訪問団にはその被害者や遺族、関係者が参加しています。沖縄訪問の目的は、爆撃の事実を広く伝えたいこと、同じように戦争の被害を受けた沖縄と連帯し、ともに非戦や平和を訴えていきたいという思いからといいます。
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大濱 聡 ■本日(4.5)読谷村のチビチリガマで慰霊祭が執り行われました。
■1945年4月2日、前日に読谷村の海岸から上陸したアメリカ軍が迫る中、ガマに避難していた住民が「集団自決」に追い込まれて、子どもを含む85人(うち2人はガマから出たところをアメリカ兵に射殺される)が犠牲になった場所です。
■「戦後80年」の節目とあって、100人を超える参加者と、地元紙・全国紙、地元TV4局(全局)の取材陣で広場は埋まりました。■慰霊祭には来沖中の中国・重慶の「沖縄平和訪問団」(第2次大戦中に日本軍が繰り返した空襲の被害者や関係者で結成)20名も参列しました。

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4月5日、ユンタン孫たちと、沖縄県立博物館・美術館「Hello Kitty展 ―わたしが変わるとキティも変わる―」、コープで遊ぶ/孫2歳からのお友達、金城美奈子さん
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2025年4月4日 大城精徳の姪・當銘藤子さんが古美術なるみ堂に来られて南城市知念安座真に「大城精徳資料館」の開館に向けて準備していると言われた。

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4月1日 希望ヶ丘公園から市内を見る
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4月1日 なるみ堂の翁長良明さんと同行し、名護博物館「新収蔵展」を見に行く。昼、ヒンプンガジマル近くのソバ屋。翁長さんが寄贈した鳥籠、謝花雲石書を見た。宮城与徳の絵が3点(月光像,牡丹花、やまなみ)あった。帰り与徳と徳田球一の碑も見た。

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大濱 聡 ー1  ■80年前の1945.4.1、沖縄戦で米軍は慶良間諸島への上陸に続いて、沖縄本島へは読谷山村(現読谷村)から北谷村(現北谷町)にかけて上陸した。■当時の状況に思いを馳せようと、読谷村の上陸地、渡具知海岸に出かけた(自宅から車で10分くらい)。■「3月下旬、親戚のおじさんや村人たちと一緒にガマから出て海を見たら、米軍の黒い船がびっしり並んでいた。伊江島までつながっているような感じで、船から船を歩いて行けるくらいの数だった」――生前、聞き取りをした義父(当時15歳)の言葉を思い出した。

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2025年3月 『沖縄県立博物館・美術館 美術館紀要』第13号
梶原正史「大城皓也作の油彩画作品≪イエファィイエファィ(À)≫修復について~修復作業報告~」
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豊見山愛「雑誌『青い海』を表象文化論から解くー1」/亀海史明「森口豁の仕事」
☆森口豁3-27「沖縄について誌紙に書いた僕の文章が401本に上ることが分かりました。(1956年の初の沖縄訪問から2024年末まで)65年間としては少ないのかも。著作物は『最後の学徒兵』や近著の『島のことだま 』など14冊。」

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仲松 健雄 『琉球民謡協会関東支部 第38回定期総会・懇親会』日本教育会館 喜山倶楽部で開催され、新支部長に仲松秀市さんが就任、片峯智恵子 前支部長は理事長に就任✨会員数235名が所属す琉球民謡協会関東支部の発展と繁栄を誓い合いお開きとなりました.
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3-20 春分の日 ユンタンの孫たちとコ一プ、ジュンク堂で遊ぶ/古美術なるみ堂で、右から店主の翁長良明さん、前田比呂也さん、彬さん親子
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近鉄永和駅前「万博、カジノ反対市民集会」
☆大阪万博344億木造リング、竹中平蔵とミサワホーム竹中宜雄会長兄弟の利権でフィンランド産木材の使用疑惑
☆2025年のいま、世界は気候変動や戦争、AI(人工知能)の急速な発達など、様々な問題や課題を抱えていますが、今回の万博がこうした大きな問題に向き合っているとは思えません。そういう大きなテーマへの言及はあっても、『お飾り』や『ウォッシュ(見せかけ)』になっているようにみえます。気候変動への対応を考えれば、本来、こういうイベントをやるべきではない。たった半年間のために木材を切って持ってきたり埋め立て地を開発したり、そういう行為が気候変動対策と矛盾しています」(朝日新聞、3月12日)

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2025年3月 『琉球』浦崎成子「【大城宜武さん追悼】さようならポパイ」/また友人が居なくなった。

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大濱 聡 3-16 · ■『沖縄タイムス』に連載していた木名瀬高嗣 東京理科大学教授の「オペラ開拓――粟國安彦と沖縄――」が36回で終了した。
■粟國安彦(1941-1990)は南大東島出身のオペラ演出家。ローマサンタ・チェチーリア音楽院・演出を主席で卒業、日本人として初めてローマ歌劇場の演出助手になる。昭和54年度芸術選奨文部大臣賞新人賞受賞。「トスカ」「蝶々夫人」「フィガロの結婚」「椿姫」など藤原歌劇団、二期会他で多数のオペラを演出。がんのため48歳で逝去。
■45年前、番組の取材で藤原歌劇団に粟國を訪ねてインタビューしたことがある。沖縄でのオペラの可能性と期待を語ってくれた。早逝が惜しまれる。

関連:1996年9月 『新沖縄文学』85号 重田辰弥「疾走した寵児・粟国安彦」

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3月14日 なるみ堂で、左から店主の翁長良明さん、屋良朝信さん、スウェーデン出身のヘンリック・ホカンソンさん/沖縄県立博物館・美術館館で里井洋一館長、屋良朝信さん/左から與那覇政直美術館副参事、屋良朝信さん、前田比呂也美術館班長/真栄里泰山さん、屋良朝信さん

大石あきこ れいわ新選組 衆議院議員 3-11 費用は増えない→増えた メタン爆発しない→爆発した チケット売れる→売れない 個人情報抜かない→抜ける リング護岸が浸食⬅️イマココ 万博行ったらダメ???? 中止するべき。責任者出てこい。万博の大屋根リング護岸が浸食被害 海水注入後に強風影響か | 毎日新聞

3-10 日本共産党の山添拓議員は7日の参院予算委員会で、海上自衛隊が紛争当事国であるウクライナとの多国間軍事演習に参加していた事実を防衛省が公表していなかった問題を取り上げ追及しました。同軍事演習「シーブリーズ」は米国とウクライナが共催する多国間演習で、昨年9月はウクライナ南部とクリミア半島に面し緊張が高まるブルガリア沖の黒海で実施。海自は米軍、ウクライナ軍などと機雷の水中処分などの訓練を行ったとされていますが公表されていませんでした。中谷元・防衛相は、同演習について自衛隊は2021年にオブザーバーとして初参加し、22年はウクライナ情勢勃発により中止、23年から本参加を開始し、24年には英国での演習に1人、ブルガリアに10人派遣したと説明しました。

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3月8日 小島摩文鹿児島純心大学教授(父小島瓔禮/祖父又吉康和) 那覇日誌 /沖縄県立博物館・美術館 民家前/新城良一さん、小島教授/古美術なるみ堂で右から店主の翁長良明さん、小島教授、松島弘明さん

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 斎藤 陽子ーー7【思い出のアルバム】
57年まえ航空便はべらぼうに高価で、フライト便も少ない頃、貨客船の最終運航便 プレジデント ライン社のクリーブランド号に乗り込んで、横浜港から2週間をかけて、朝日に映える早朝のゴールデンゲイト・ブリッジの下を抜け、サンフランシスコ港に到着した日を思い出しています。
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57年前の当時1ドルが360円の時代、日本人は日本国から円の持ち出しも規制される貧しい日本の国力でした。
 当時サンフランシスコでアパートを借りて、大学へ通学する日本人の留学生には、授業料免除の恩典を得ても、生活する上では経済的には苦しいものでした。
当時のほとんどの留学生はサンフランシスコの富裕層の家に寄生し、5時頃までには急いで帰宅し、寄生している家の夕食準備の手伝いと後片付けなどに従事し、朝は早朝に起きて犬の散歩と家族の朝食作りをこなして、学業の一日が始まります。土曜日は寄生している大きな家の掃除や洗濯アイロンがけやシルバー食器磨きなどでのメイド業で一日過ごし、夜は家人がパーティーなどへ出かけると、子どもたちのシッターをする等で、留学中の「屋根と食事」が保証されるという生活を得て、勉学をする日々でした。
これがほとんどの日本人留学生の生きる方法で、そういう学生はスクールガールまたはスクールボーイと呼ばれ、大学の昼食時間には日本人学生同士が出会うと、寄宿先の主人の悪口を言ってウサ晴らしをしたものです。
 日本で大学も修め、天職とする獣医師にもなって、この地でお手伝いさんのようなメイド業の労働をしなくてはならない自分の姿に、気持ちの沈むこともありましたが、若いということはそれまで経験したことのないメイド業までも、面白がっている自分を楽しんだ面もありました。
当時は日本とは随分格差の有ったアメリカの生活でしたから、生活文化の面では随分学ぶことも多く、後の私のアメリカでの永住生活に、この頃アメリカの生活習慣を学んだことは、後々とてもプラスになっています。
 渡米と同時にアメリカ人の家庭に飛び込むことは、アメリカの生活文化や語学にも、かえって素早く慣れて良かった面もありました。学生ビザの身分では正規に働けない外国人学生ですから、日曜日は富裕層の家を周り、屋内の掃除などをするアルバイトが有ればで、小遣い稼ぎもしたものです。
 現在の学生は春、冬、夏休みやは帰国するか、アメリカ国内旅行などで、時間を使っているようですが、私の時代は円とドルの格差が大きく皆が貧乏学生で、時間のある長い休みの時には富裕層の家庭の、大掃除などのアルバイトをしているという生活で過ごしたものです。
サンフランシスコの大抵の富裕層はユダヤ系の人で占めていて、十代の頃にユダヤ人強制収容所で、腕に刺青の通し番号を入れられ、あのアウシュビッツ強制収容所から奇跡の生還をし、アメリカに戦後渡り、富をなしたが家族をアウシュビッツで失った悲しい歴史の話をする、苦労人のお婆ちゃんもいました。
 アウシュビッツ強制収容所で何時ガス室に送られるか分からない、過酷な経験をした人に比べると、未来のための今の学生生活は苦労のうちには入らないと思えて、帰路のサンフランシスコの坂道を歩いていたものです。この街は「1日に四季のある町」と言われるように、朝は春めいて、昼は初夏になり、夕方から夜にかけては冬が来たような気温の街です。57年まえの当時はビートルズの「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)の歌が大はやりで、どこへ行っても ♪♪~Hey Jude don't make it bad~♪♪が聞こえて来て、徴兵でベトナムの戦線に送られてゆく若者もいて、戦争はごく身近なものであり、若者のベトナム反戦のデモンストレーション集会が至る所であり、髪に花飾りをして若者は平和を歌っていたものです。
 日本での大学1年は60年安保闘争で迎えられ、暗い学生生活が東京での幕開けでした。
東京の学生生活と研修時代は、人々は経済成長にガムシャラに働き詰めの、暗い日々を送っていた後だけに、サンフランシスコの街はヒッピー文化花ざかりで、ベトナムでの戦時中でありながら、自由を謳歌しながら明るく反戦の意思表示をしている若者が、Hey Judeを歌い溢れて、その風景は余りにも日本との温度差に、戸惑いを感じたのも確かです。
1ドルが360円という為替レートの厳しい時代、海外からの貧乏留学生の生活はいろいろと言い難い辛苦もありましたが、いまでは生涯のいい体験にもなりました。84歳になった今も、この歌を聞くたびにサンフランシスコで青春を過ごした日々を思い出します。
 そして今も変わらないのはサンフランシスコのビクトリア風の、街並みのたたずまいです。
私にとってアメリカ生活最初のサンフランシスコは、青春の日々を時間を惜しんで、勉学と労働とを必死にこなし、切磋琢磨した地でもあり、サンフランシスコはアメリカ 57年前の、出発点でもあります。

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沖縄県の米軍北部訓練場返還地で米軍廃棄物を回収する活動を巡り公務執行妨害や火薬類取締法違反など複数の罪に問われている同県東村のチョウ類研究者、秋乃さん(46)の判決公判が6日、那覇地裁(佐藤哲郎裁判長)で開かれた。佐藤裁判長は被告の研究者に懲役3年、執行猶予4年、罰金30万円(求刑懲役4年、罰金45万円)を言い渡した(怒)。公務執行妨害罪については無罪とした。

 斎藤 陽子3-6 トランプ大統領がメキシコとカナダに25%の関税を昨日3月4日から導入したことを受けて、アメリカでの食料品は2%ほど、値上がりするとされています。価格の上昇で人がどんどん買わなくなり、アボカドはメキシコから来ているので、値段があがる一方で、ロスアンゼルスに多いメキシコ料理店のメニュー表の価格も値上りすることでしょう。
 アメリカは輸入する果物の53%、野菜の89%をメキシコとカナダに頼っています。
研究機関の試算では、関税導入の影響で食料品は最大2%ほど値上がり、ひと家庭当たりの生活費は年間2000ドル=30万円ほど増えるとしていて、トランプ大統領の荒っぽい政策の被害はアメリカの家庭に大きく影響して来るでしょう。
 また、自動車の価格への影響も大きく、新車は最大180万円ほど値上がり、平均価格は5万ドル=750万円を超える見込みです。既に中古車にシフトする消費者が増え始め、中古車価格も上がると予想されています。
 南カリフォルニアの雨季のシーズンは3月で終わりとなりますが、今年は雨が少ない雨季でしたが、水の好きな沖縄から来た月桃は、気丈夫に頑張り緑の葉をつやつやと輝かせ、ビワの木は枝の先に新芽を作り、ひと回りおおきくなっています。

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Posted by: ryubun02
「読売」 公益財団法人「国家基本問題研究所」が中国のミサイル部隊を衛星画像で分析した結果、日本を射程に収めるミサイルの拠点がこの数年で増設されていることがわかった。

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3-1 関西の孫こうた/なるみ堂のお客さん 國場政志さん


2-27『琉球新報』

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新城あけみ 柏原市立玉手山公園:梅林見学/2-26 新城良一さんと、真栄里泰山さんを訪ねる

上里清美·2-18  宮古島市住民約2万人は、宮古空港から鹿児島空港に向かい、北九州、久留米、大牟田、飯塚、田川、朝倉の6市に分散。石垣市民は、福岡市が二万七千人受け入れる。受け入れ計画は1ヶ月だとさ
 私たちは、何の為に島に陸自基地を配備されたと思います?「島の皆さんを守る為に島に来た」「基地があれば敵は攻めて来ない」と言われたんですよそれなのに、何故、島を捨てて流浪の民にならないとならない?何故、そんな計画を自治体が先頭に立ってやる?怒りしか湧かない?県も市も、「そんな計画は作れない、それでは住民を守れない」と何故言わないあ〜、腹立つ、知事も市長も職員もいい加減にしてよ‼️

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大濱 聡 2-16■高校級友の宮里正子さん(元浦添市美術館館長)から取材を受けたニュース番組がサイトに上がったという案内があった。見逃していたので有り難く視聴する。■「自分では見られない“最期の顔”を残す」という特集で、志喜屋孝信(初代沖縄民政府知事・初代琉球大学学長)のデスマスクがとられたいきさつや、安次嶺(宮里さん旧姓)家に残る二人(祖父と父)のデスマスクについて紹介していた。

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仲松 健雄· 『第47回 板橋区沖縄県人会 総会・懇親会』板橋区沖縄県人会総会・懇親会が、2月16日に板橋区グリーンホールで開催された✨板橋区沖縄県人会 花城昇宏 会長が、「設立当初から参加している板橋区主催区民祭り(10月)で2日間にわたり沖縄の物産販売を実施。また初参加の板橋沖縄ゆんたく祭りでは、エイサーや琉球舞踊、琉球民謡などを披露して大好評でした」と挨拶

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仲松 健雄 · 2-11東京琉球舞踊協会相談役金城康子 先生(玉城流 康舞会 金城康子琉舞道場 宗家)が、2月4日に御逝去されました。告別式が2月11日(火)15時から大阪沖縄会館で執り行われ、一般社団法人東京沖縄県人会 会長として、東京琉球舞踊協会特別顧問として、お別れのご挨拶を行いました。
☆歴史

2018年6月3日 国立文楽劇場ー金城康子琉舞道場「開設50周年記念発表会/島々の踊り

1972年3月 『青い海』春季号 「青い海芸能ー情熱と美の琉舞を大阪の地に  金城康子」
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那覇大綱引きで子息の衣装を整える金城康子さん

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2025ー2-4 関西沖縄文庫の金城馨さんと同行、沖縄県立博物館・美術館/新城良一さん/真栄里泰山さん

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Posted by: ryubun02
☆2024-2 星雅彦さん(ほし・まさひこ=県文化協会顧問、詩人、美術評論家)1日午前1時29分、病気療養中のところ浦添市の病院で死去、92歳。那覇市久米出身。自宅は浦添市伊祖。

星雅彦/1932年1月5日 那覇市久米町で生まれる。     
1944年4月 那覇国民学校に入学、8月23日、妹と二人で疎開、巡洋艦で鹿児島港に入港。9月、千丁国民学校中等科1年に転入。
1945年4月、熊本県立八代中等学校入学。
1948年4月、熊本県八代高等学校1年に入学。春休み、上京し上野公園や御徒町で野宿しながら3週間過ごす。☆6月、翁長良明 首里に生まれる/12月、新城栄徳 粟国島で生まれる
 星雅彦/1949年8月 母からのまとまった金を持って上京。小田急線・参宮橋近くに三畳部屋のアパートを借りる。1951年7月、鎌倉の由比ガ浜の「海の家」で働きながらひと夏を過ごす。8月、父の位牌(享年74歳)と対面。1954年、東京中を歩き回り、勝手に記事を
書いて週刊誌や業界紙に売り込む。またサンドイッチマンをしたり、街角で似顔絵を描いたりする。いっぽう、「プロバンス」「風月堂」にも通ったが、ときたま池袋の「おもろ」「さんご」、新宿の「山原」にも出かけた。11月、杉並区でおおのしずこ(1956年7月、婚姻)と同棲、やがて中野区江古田に移る
 星雅彦/1959年8月、りらを連れて親子3人、那覇丸で14年振りに那覇へ渡航。母はスクラップ業をやめて松山町に「満月」という旅館を経営していた。

 ☆1964年4月 新城栄徳、集団就職で白雲丸に乗船、那覇港から上京、晴海桟橋に着く。後に知るが芥川賞作家・東峰夫も乗船していた。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。錦糸町駅から御茶ノ水駅で降りてニコライ堂の傍を通りながら神田古書街にも近い神田錦町三丁目の錦城商業高校夜間部に通う。神保町には新刊書店もあるが何故か古書店や古書展が面白い。古書店に積まれている雑誌は安く、主に週刊誌を買って切り抜いて手帳に貼っていた。この頃の週刊誌を切り抜かず、そのまま保存出来たらミニ大宅壮一文庫となっていた。しかし手帳は残っていない。

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1966年7月『新沖縄文学』2号 星雅彦「南の傀儡師」
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1971年8月 『青い海』星雅彦「沖縄戦からの 発想」

1982年9月 星雅彦、新生美術協会設立に参加、機関誌『新生美術』を編集発行。
1984年8月 『新生美術』<特集・玉那覇正吉>

1984年10月 やちむん会機関誌『』編集担当

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儀間比呂志、星雅彦

1987年5月 『新生美術』6号□新城栄徳「『浦崎永錫画伯』美術史を語る」
1988年5月 『新生美術』7号<特集・大嶺政寛 追悼アルバム>


1990年4月12日八汐荘にて、左から福本泰男氏、大城精徳、星雅彦氏/左から屋部公子さん、喜納勝代さん、船越義彰氏、星雅彦氏、新川明氏
1990年5月 『新生美術』8/9合併号<特集・山里永吉・豊平良顕・宮城孝也
1992年6月 『新生美術』10号<追慕・山元恵一・山田昌弘・浦崎永錫>
 
        □新城栄徳「浦崎永錫ー美を追求する人」

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1994年6月21日 川平朝申さんを訪問した星雅彦氏

1996年3月 『新生美術』11号<特集・安次嶺金正の画業を偲ぶ>
1996年6月 星雅彦、『うらそえ文芸』の企画編集を担当
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2000年4月 『うらそえ文芸』第5号
座談会「琉球処分から沖縄戦まで・・・・-戦争への道・100年ー」司会・星雅彦/大田良博/金城正篤/比屋根照夫
2001年3月 『新生美術』12号<特集・追悼 思い出 アルバムー具志堅聖児・金城安太郎・大嶺政敏・大嶺信一・宮良信成>
         □新城栄徳「金城安太郎さん」
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左から新城栄徳、幸地学氏、山城興勝氏、星雅彦氏

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新城栄徳、星雅彦氏、翁長良明さん



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2006年10月 沖縄県文化協会『10周年記念誌』

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2013年9月24日 十貫瀬橋近くでー詩人・星雅彦氏








2014年8月30日 「星雅彦 詩集『艦砲ぬ喰え残さー』出版記念会」

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Posted by: ryubun02
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2-1 古美術なるみ堂に珍客が見えていた。東京の日本経営者同友会の下地常雄さん
屋宜宣久さん御一家、下地常雄さん/翁長良明さん、下地常雄さん

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1月30日.娘の後輩たちの那覇市民ギャラリーT第65回そめおり展」見学

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2025-1-24 那覇市民ギャラリー「比嘉清眞 写真展」/比嘉清眞さん、森山朝栄さん/小谷武彦さん

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 テープカット:高江洲昌幸沖縄県文化観光スポーツ部文化スポーツ統括監/中村一彦琉球放送社長/岸本一夫氏/村野一オリオンビール社長/内間安彦日本グラフィックデザイン協会沖縄地区代表幹事

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内間安彦氏、岸本一夫氏、大城さゆりさん/新城栄徳、岸本一夫氏、大城さゆりさん
2025-1-24 岸本一夫 オキナワデザイン [会期:2025/1/25 -2025/10/19]
主催:沖縄県立博物館・美術館後援:公益社団法人 日本グラフィックデザイン協会[JAGDA] オリオンビールや琉球放送(RBC)のロゴ制作などで知られる岸本一夫(1935- )

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2022年3月 『岸本一夫のめざすデザイン1960-2020』岸本一夫デザイン研究室


1982年2月 沖縄の雑誌『青い海』100号 津野創一インタビュアー「岸本一夫/視覚的なもの、すべてを栄養�

写真左からー岸本一夫氏、與那原慧氏、神山泰治氏、宮城篤正氏

雑誌『青い海』岸本一夫「表紙絵」
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1996-1『新沖縄文学』1号 岸本一夫「表紙」安谷屋正義「目次カット」/『新沖縄文学』2号 安谷屋正義「表紙」岸本一夫「目次カット」
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『新沖縄文学』岸本一夫「表紙・中扉デザイン」/2019-8 『謝名元慶福戯曲集 島口説』岸本一夫「装丁」ゆい出版

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1972年3月 『琉球の文化』創刊号 岸本一夫「グラフィックデザインに於ける自分を考える」




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