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2017年5月31日 那覇・大典寺「山田實 告別式」

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2017年」5月28日 山田實さん死去を一面で報じる『琉球新報』(左)『沖縄タイムス』

2017年5月27日ー山田實さんを語る写真仲間たち


2017年5月27日ー主なき部屋



 月刊『CAPA』 2017年4月号「名作誕生とその時代 沖縄の戦後復興を記録 山田實『こどもたちのオキナワ1955-1965』」

2017年4月19日 病室で新聞に目を通す山田實さん

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安藤盛は戦前、来沖した人物で、ジュンク堂那覇店で青木澄夫『放浪の作家ー安藤盛と「からゆきさん」』(風媒社)を入手した。私の知らない安藤の沖縄関連の著作もその目録にあった。本誌に収録されてない琉球新報の1938年6月の記事を紹介する「南洋及び支那通として知られていた著述家安藤盛氏は21日東京の自宅において逝去した。氏は昭和11年、同12年の2回に亘り本県に来遊し週刊朝日其他の雑誌で紀行文を発表、本県紹介に努め県人から親しまれていた。なほ生前本社へ長編小説(琉球新報に連載「紅雀」絵・西銘生一)を寄せたが未発表のうちに急逝し遂に遺稿となった享年41」とある。

関連資料ー2001年9月『けーし風』第32号「特集 旧南洋群島のウチナーンチュ」


2002年2月 『旧南洋群島と沖縄県人ーテニアンー』(沖縄県史ビジュアル版 近代②)沖縄県教育委員会

2017年5月21日 ホテルロイヤルオリオン「三木健『空白の移民史』出版祝賀会」

2017年5月 三木健『空白の移民史 ニューカレドニアと沖縄』シネマ沖縄

座開き舞踊「鷲の鳥節」

稲嶺進名護市長「乾杯音頭」/写真左から我部政男氏、真喜屋美樹名桜大学准教授(リベラルアーツ機構)、宮城晴美さん


写真左から山入端津由(つよし)氏、東江平之氏、我部政男氏/東江平之氏「原稿」
〇「沖縄国際大学」2017年3月19日ー沖縄国際大学総合文化学部人間福祉学科心理カウンセリング専攻、ならびに地域文化研究科人間福祉専攻臨床心理学領域において、長きにわたり研究・教育活動に携わり、前学生部長としても大学を支えてくださった山入端津由教授が来る3月をもって退職されることとなりました。

2017年3月 辻󠄀本昌弘『沖縄、時代を生きた学究 伝 東江平之』沖縄タイムス社
〇『琉球新報』1999年12月22日ー名桜大学の次期学長に、東江平之・国際学部経営情報学科教授(69)が就任することが、21日の理事会で承認された。任期は来年4月1日から3年間。東江教授は、1955年米国・アイオワ大学心理学科卒業、61年エール大学大学院博士課程を修了。55年に琉球大学に採用され、以後法文学部長などを務めた。96年に琉大を退官後、同年4月から名桜大教授。琉大名誉教授でもある。専門は社会心理学。兄の東江康治現学長は、名桜大開学から二期6年間の任期を来年3月に終える。

2014年12月 季刊『多島海』第12号  山入端津由「祖先を祀る位牌や墓の物語ー祖先崇拝は何処へー(11)」

写真左、山口栄鉄氏、新崎盛暉氏/三木健氏


写真左から松島弘明氏(島田叡氏事跡顕彰期成会実行委員長)、島袋数也氏、比嘉良雄氏、大山哲氏/新川明氏

写真左から松島弘明氏、大塚勝久氏、高嶺久枝さん

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1977年10月『青い海』67号 「インタビュー/甦る”ハイサイ、昌吉さん〟」



□写真左から新城栄徳、喜納昌吉氏、中里友豪氏、詩人花田英三氏、屋部公子さん

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 1964年4月、私は集団就職。白雲丸で那覇港から上京、晴海桟橋に着く。後に知るが、後の芥川賞作家・東峰夫も乗船していた。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした映画「キューポラのある街」、主演が吉永小百合で1962年に上映された。その西川口工場で半年、あと錦糸町の工場に移る。1972年2月 『青い海』10号に「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」が載っているが、この号には大阪の沖縄関係資料室も紹介され私の名前も出ているから、7年ぶりの誌上を通じての再会となる。


西川口がある川口市は近年、全国で最も中国人が増えた自治体だ。市内の中国人は2012年末~17年6月末で6222人増え、1万8898人に達した。市民の3.2%が中国人だ。これらの中国人は横曽根、芝といった地区に特に集住している。そしてその核を成すのが、JR西川口駅を中心とする半径300メートルに形成されているチャイナタウンだ。→2018年2月『週刊東洋経済』


大濱聡■2019年3月ー先月下旬、埼玉の女性と結婚してさいたま市に住む息子を訪ねた折り、大宮駅前で大々的にPRしていたのが映画「翔んで埼玉」だった。予告編では「ここ日本には最も虐げられた県があった」「前代未聞!愛と爆笑の“埼玉ディスり映画”」「邦画史上最大の茶番劇」「どうか寛大な心で劇場へ」と言いたい放題の文言が並ぶ。
■公開初日のTVには主演の二階堂ふみ、GACKTが出演して番宣をしていたが、なぜか二人とも沖縄出身。
このなかで「関東住みたい街ランキング2018」で大宮と浦和が初めてベスト10入りしたことが紹介されていた。今回、浦和駅前のホテルに泊まり、所用のあった大宮に出向いたが、どちらも住みやすそうな街との印象を受けた。
■因みに、「日本で最も虐げられた県」は埼玉のみに非ず、米軍基地の過重な負担に苦しめられている沖縄も然り。その共通項といい、埼玉の方と縁戚関係になったことといい、ますます埼玉との縁が深くなった。近々、映画を観に行こう。

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2017年6月 『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』 No.8 伊佐眞一「ぬーんち、伊波普猷 ぬらいが?」

2017年5月 『月刊琉球』伊佐眞一「試金石としての県外移設」/金城馨「県外移設を考える」


2017年5月 『月刊琉球』伊佐眞一「試金石としての県外移設」/金城馨「ヤマトに暮らす沖縄人として『県外移設』を考える」

伊佐眞一〇うぬあたいぬ くとぅん 言ゆーさんでー ウチナーンチョー またん ヤマトゥんかい 使(ちか)らーらってぃ、いん、まやーぬぐとぅしっ 殺(くる)さったるむん やさ。ヤマトゥぬ うとぅるさしぇー わかいしが、なーふぇー 意地ぐゎーぬ ねーんがやー。

 昨今の沖縄産業にふれたのが『月刊琉球』№14の仲村渠克「時評 新『琉球司令官』降臨」である。「名護市・南風原町・うるま市のジャスコは、いずれもサトウキビ畑の広がる農業地に姿を表した。農地転用に厳しい制限があることを考えれば」、よほど地元自治体がバックアップしたことがわかる。大型スーパーを呼び込み、振興を図る手法が沖縄でも蔓延しているが、その町並みは、全国どこにでもあるような景だ。牛丼・ファストフード・カジュアルウエア・スポーツ用品・靴・家電・紳士服。おなじみの看板・ロゴだらけ。南国沖縄の風情もない。(略)『ジャスコ栄えて、街滅ぶ』という言葉が日本各地でささやかれているー。」と沖縄の現状は鎌倉さんの方向の逆をめざしているようだ。


2014年6月15日 『月刊琉球』№14 Ryukyu企画 宜野湾市嘉数4-17-16

2011年10月5日ー10時半、近鉄永和駅から奈良に行く。新大宮駅で手前にイトーヨーカードーが見えてきた。このスパーの関西進出は1986年の堺店が始まりである。当時はイトーヨーカードーの関西進出予定の土地をダイエーが押さえていたという話もあった。堺店は2011年に閉店し阿倍野再開発地域に進出するようである。最近はイオンが目につく。沖縄でも1999年に沖縄ジャスコ(2011年にイオン琉球)として設立され現在は那覇、南風原、具志川に大規模店舗がある。イオンの岡田社長の弟が民主党の岡田克也である。ダイエーも沖縄から撤退し、那覇店の跡はジュンク堂が入っている。

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 佐野眞一氏の本に出会ったのは沖縄出身の与座弘晴を紹介した『業界紙諸君!』(1987年)が最初である。この本には佐野氏自身のタウン紙「新宿れぽ-と」(旬刊)の記者時代に触れ「オーナーはこの街を根城にする本職のヤーさんだった」と書く。「新宿れぽーと」は1982年の時点で240号を出している。発行人は伊藤晃三郎である。伊藤は沖縄の宜保俊夫と共に東亜友愛事業組合の大幹部,『月刊友愛』も発行、1981年9月号は「沖縄本土復帰十周年記念」であった。


 『中央公論』2008年5月 佐野眞一「時評2008/満映人脈が照らす歴史の残酷さ」〇(前略)学生時代によく観た東映ヤクザ映画がきっかけだった。東映の三角マーク映画から伝わってくる異様な感触には、ほかの映画会社にはないデモーニッシュな衝動と官能があった。『飢餓海峡』の内田吐夢も『緋牡丹博徒』シリーズの加藤泰も満映出身者である。管理部門では、『きけ、わだつみの声』を制作した元東映専務の坪井與氏も、赤川次郎の父親で日本初の長編アニメ『白蛇伝』を制作した赤川孝一氏も満映にいた。(略)

 2013年12月18日『沖縄タイムス』記事に「知事、『辺野古』承認へ事実上の条件」、権力に通じている御用新聞(御用が悪いと言ってない)の産経新聞は辺野古移設を断定的に報道していた。官僚と安倍の戦術が旨く行っているということだろう。19日知事は安倍首相と二人きりで7分会談している。この時に「秘密文書」で交換条件を出したであろう。この密約も60年間公開はされないだろう。沖縄県民もそういうことは織り込み済みであろうし、そのために「安保容認」知事を選んだということだ。この知事は佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』の「沖縄知事選コンフィデンシャル」の中でボロクソに書かれている、一例「官僚退職、副知事退職、沖縄電力退職、沖縄で最高額の退職金を3回も手にした人」と選挙ビラを引いて紹介している。沖縄県民は官僚や安倍に騙されたはもう通用しない。本気で次の知事や名護市長は「安保ノ-」の候補者を選択しないといけないだろう。革新側も理屈っぽい学者やタレントではなく現実と未来を見据えた経済政策(安保・原発・消費税・思いやり予算などを廃止)でもった政党を中心に、心ある政治家(利権世襲の政治屋ではない)の結集を望みたい。

2015年5月 佐野眞一『沖縄戦いまだ終わらず』集英社文庫
 宇宙といえば、沖縄取材のとき必ずといっていいほど訪ねる宜野湾市の「BOOKSじのん」①という古書店の棚にも、宇宙を感じる。(略)沖縄の政治家から経済人、沖縄ヤクザの抗争から軍用地主、沖縄の金融事情から芸能情報までゴッタ煮のように満載した前記の『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』は、よく沖縄名物のチャンプルーのようだと言われる。ここで白状すれば、この本は「BOOKSじのん」の棚に刺激されて書いたものである。
①BOOKS じのん営業時間:9:00~20:00、年中無休
〒901-2215沖縄県宜野湾市真栄原2-3-3TEL:(098)897-7241 / FAX:(098)898-7039
E-Mail:info@jinon.ginowan.okinawa.jp
レジ前に佐野眞一の著20余冊があった側に紅型装幀の宮﨑義敬『繚乱の人』展望社があり、帯で平良リヱ子の評伝と分かった。

佐野眞一の本
 沖縄知事選のクライマックスは、私が那覇入りする四日前の11月1日の午後3時から、那覇市にある沖縄セルラースタジアムで開かれた翁長支援の1万人集会だった。(略)仲井眞側の応援弁士の小泉進次郎の応援は凡庸で聴衆もせいぜい300人程度だった。進次郎のオバちゃん人気の神通力が通じるのも本土だけかもしれない。官房長官の菅が、「もし仲井眞さんが当選したら、沖縄にユニバーサルスタジオをプレゼントする」と約束したのも笑止千万だった。これは沖縄のカジノ計画に賛成している仲井眞への援護射撃のつもりだったのだろうが、どうみても逆効果だった。菅は秋田県の雪深い村から集団就職で上京し、働きながら大学の夜間部に通った苦労人だが、権力の座に長くいたせいか、最近とみに傲慢になったような気がする。そもそも私は、通産官僚から沖縄総合事務局、沖縄電力理事、沖縄県副知事、沖縄電力社長、そして沖縄県知事と天下りして、その都度庶民にはおよそ手の届かない巨額の退職金を手にした仲井眞という男を最初から信用していなかった。

 佐野眞一をウィキペディアで見ると、乾物屋を商った東北出身の父は婿養子。3人兄弟の長男。初孫だったために粋人の祖父に溺愛され、小学生のころから浅草で酒の味や映画、演芸の享楽を仕込まれた。早稲田大学第一文学部在学中は映画監督を志し、「稲門シナリオ研究会」に入った。大学卒業後、主に子供向けソノシート制作などを手がけていた音楽出版社・勁文社に入社。1971年12月、自ら編集を手がけ発行した「原色怪獣怪人大百科」がこの当時の第二次怪獣ブームを受け、53万部を完売するという当時としては画期的なベストセラーになったが、労組を結成したため1年半で解雇された。

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  「くろねこの短語」2017年5月 10日ー「2020年に新憲法施行」を質されて「東京五輪も予定されている年だ。新しい日本を始めようという機運がみなぎっている」(安倍晋三)。正気か!? 医者を呼べ!!&安倍VS蓮舫の国会質疑文字起こし。ハナモゲラ答弁、笑えます。「読売新聞読め」ってペテン総理がほざいた読売新聞のインタビュー記事なんだが、見出しには「首相インタビュー」って文字が踊ってたってね。共産党のとっちゃん坊や・小池君に、「自民党総裁として言ったと仰ったが、私、読売新聞を熟読しました。『首相インタビュー』って書いてあるじゃないですか。首相のインタビューに対して国会で質問するのは当然。3項をどう書くのか言ってください。読売新聞では縱橫に語っておきながら、国会ではそれを熟読しろとは無責任な話」と突っ込まれてタジタジです。

 「しんぶん赤旗」共産党の小池晃議員は「読売新聞を熟読しましたよ」と発言。そのうえで、記事の見出しが「首相インタビュー」であることに言及し、「9条3項をどう書くのか言ってください」などと真意を問うた。安倍首相の答弁は「熟読されたことに、敬意を表したい。私は自民党総裁として語ったが、タイトルは読売新聞がつけたもの」「自民党の草案とは大きく違うが、どのように書き込むかということは自民党においてオープンに議論してもらいたいと思っている。これ以上、私が踏み込むべきではないが、この1項2項を残すという方針について問いかけていく」(永田町の砂防会館であった改憲勢力の集会/事務局:日本会議)。


「しんぶん赤旗」2017年5月 4日ー憲法が施行されて70年の節目を迎えた3日、「いいね!日本国憲法―平和といのちと人権を!5・3憲法集会」(同実行委員会主催)が、東京・有明の東京臨海広域防災公園で開かれました。

 「くろねこの短語」2017年5月 4日ー2020年、新憲法施行・・・だそうだ。改憲したくてしようがない日本会議関連の会合にビデオレターで、ペテン総理がそう宣言した。宣言といったって、別にペテン総理に改憲のリーダーシップをとる権限なんてないし、そもそも総理大臣なんだから憲法遵守義務があるわけで、ここまで踏み込んだ発言をしたってことはもし日本に憲法裁判所があったら即罷免。そして、逮捕なんじゃないの。
・首相、改憲踏み込むも持論封印 最速シナリオは来夏発議  それはともかく、このビデオレターの中で、9条の1項、2項はそのままに自衛隊の存在を明記する3項を設けることと高等教育の無償化という具体的な改憲項目を口にしている。自衛他の明記ってのは公明党の喜ぶいわゆる加憲ってやつで、高等教育無償化は維新の提案を受け入れることで改憲に手を貸してねってラブコールなんだろう。

 「くろねこの短語」2017年5月 3日ー 憲法施行70年。ネットで特別公開中のジャン・ユンカーマン監督の『映画 日本国憲法』をテキストに、改めて憲法について考えてみたい。憲法施行から70年。まさか、憲法発布のその時に、「みっともない憲法ですよ」と公言して憚らない男が総理大臣の椅子に座るなんて、誰も想像すらしなかったに違いない。でも、それが現実なんだね。(以下略)

 「朝日新聞」2017年5月3日ーこれでいいじゃないか」――。日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部(GHQ)草案の受け入れをめぐり、1946年2月22日に昭和天皇が幣原(しではら)喜重郎首相(当時)と面談した際の天皇の発言を示すメモが、憲法学者の故宮沢俊義・東大教授のノートに記されていたことがわかった。「安心して、これで行くことに腹をきめた」という幣原氏の心情も記載されている。(以下略)

”憲法9条の提案者は幣原首相だった!”
2016年5月3日は憲法記念日で、21:54 - 23:10 テレビ朝日報道ステーションは”憲法9条の提案者は幣原首相だった!”を放映しました。安倍政権は、今の憲法はGHQに押し付けられたとして、自主憲法を作らねばならないと改憲理由にしています。ところが、9条の発案者は当時の幣原総理であると裏付ける資料が出てきた。木村草太は「密室のことなので確実にこうだと言えるものはなかなか無いが、幣原氏もマッカーサー氏も公式発表においては幣原氏が発案者であったと認めていて、この事実が憲法を解釈する上で非常に重く受け止められている」と述べた。憲法9条は世界を意識した条文で、”日本が非武装を選択できるような国際社会の実現””国際社会が協力して世界平和に向けて努力する”という理念を究極の理想として表現したものでもある。



新しい日本のために――発刊のことば
古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
わが国が生れかわつてよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。
新憲法の施行に際し、本会がこの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長 芦田 均


◇もう戦争はしない
私たち日本国民はもう二度と再び戦争をしないと誓つた。(第九条)
これは新憲法の最も大きな特色であつて、これほどはつきり平和主義を明かにした憲法は世界にもその例がない。
私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束したのである。わが国の歴史をふりかえつてみると、いままでの日本は武力によつて国家の運命をのばそうという誤つた道にふみ迷つてゐた。殊に近年は政治の実権を握つていた者たちが、この目的を達するために国民生活を犠牲にして軍備を大きくし、ついに太平洋戦争のような無謀な戦いをいどんだ。その結果は世界の平和と文化を破壊するのみであつた。しかし太平洋戦争の敗戦は私たちを正しい道へ案内してくれる機会となつたのである。
新憲法ですべての軍備を自らふりすてた日本は今後「もう戦争をしない」と誓うばかりではたりない。進んで芸術や科学や平和産業などによつて、文化国家として世界の一等国になるように努めなければならない。それが私たち国民の持つ大きな義務であり、心からの希望である。
世界のすべての国民は平和を愛し、二度と戦争の起らぬことを望んでいる。私たちは世界にさきがけて「戦争をしない」という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに「戦争のない世界」をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり、私たちの誓いでなければならない。


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 友人のFBを見ると、〇日本常民文化研究所では2019年度より共同研究「便所の歴史・民俗に関する総合的研究」を立ち上げました。便所の歴史と民俗の多様性はもとより、糞尿は「土」そのものとの観点をふくめ、建築史、人類史、社会学、環境学などさまざまな立場から、面白く、大真面目に考えようとする研究体です、とある。私の手元に関連する本として1932年発行、李家正文『厠(加波夜)考』六文館、1934年発行、金城朝永『異態習俗考』成光館書店だが、金城の本は最初は六文館から出ている。

1932年ー李家正文『厠(加波夜)考』六文館、1933年ー金城朝永『異態習俗考』成光館書店/李家正文「厠神の系図」、金城朝永「琉球の厠は、その墓と共に最も特色のあるもので、一般の農家でも家は茅葺でも両者は石造の立派なものである。」



2014年10月26日 沖縄県立博物館・美術館「神奈川大学常民文化研究所非文字資料研究センター『日本近世生活絵引』奄美・沖縄編」

 1927年3月3日、澁澤栄一は自らが組織した日本国際児童親善会長として日本と米国の人形交換につとめた。3月25日には沖縄にも青い目の人形がアメリカから贈られてきた。小学校47校に分配した(沖縄女子師範附属小学校と首里第二尋常小学校は同一の学校だが2つ貰っている)。
関連〇「公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センター」ブログ
関連〇「ツトムさん家の写真日記/第1013回 日米交換人形 ミス群馬と青い目の人形」


1933年12月 澁澤敬三『祭魚洞雑録』郷土研究社
〇南島見聞録ー(略)首里市長仲吉朝助氏も、親しく同氏の研究にかかる地割制度の話を二時間以上も講義して下さった。同氏は農大実科を出られてから琉球各地を農政課の官吏として巡廻され、其の間集められた資料亦極めて豊富で、而も今となっては再び得難いものが多かった。此の内琉球産業資料は美濃判で二千枚以上の大部であるが、自分は同氏に御願いし、同氏の物故後は図書館長真境名安興氏の御尽力によって四部の謄写を了し、二部は図書館へ、二部は当方に取り寄せた。いつか折もあったら、仲吉氏の此の資料に基づいて立論された論文と共に、世間の学者に此の貴い資料を利用して頂きたいと思って居る。折角そんな考えで居たのに、当の仲吉さんに死なれたのは何としても残念でたまらない。仲吉さんと真境名さんと、それから元図書館長をしていた伊波(普猷)さんとは三人仲の良い学者で、愛郷の念熱烈なものがあり、仲吉さんは主として経済史的に、真境名さんは歴史上から、伊波さんは言語学並びに文学上から、新古の琉球の為に萬丈の気焔を挙げて居られる。右の三方の如きは琉球に生まれ琉球を愛し、琉球を研究して居られる学者である。同時に他方外来者として柳田国男氏とか、八重山の岩崎氏とか、前述の田村氏とかは、又自郷の人々の鼻には既に解らなくなって居る香を嗅ぎ出す、特殊な機能を働かしつつ同じく南島研究に尽力されて居る。結局内外両方面からの研究が完成された時、真の琉球研究が出来上がるのであろう。

1935年11月 岩倉市郎『喜界島生活誌調査要目』(アチックミユーゼアムノート第六)、1936年6月『民具蒐集調査要目』(アチックミユーゼアムノート第七)

1961年9月 澁澤敬三『犬歩当棒録』角川書店
〇九百二十五万六千人の心/沖縄戦災校舎復興後援会会長就任のいきさつー昭和二十八年の初夏でありました。東京在住の仲原善忠氏が郷土の新崎盛敏氏及び沖縄教職員会会長屋良朝苗氏を伴い、以前からお親しく願っていた金城朝永氏の東道で拙宅にまいられ、皆様方も御覧になったと思われる、見るも無残な戦災校舎の写真帳を示されながら、真剣そのものの顔色で私に後援会の会長就任を求められました。

しぶさわけいぞう【渋沢敬三】 1896‐1963(明治29‐昭和38)
近代の実業家。東京の生れで,渋沢栄一の孫。東京帝国大学経済学部卒業後,横浜正金銀行に入るが,のちに第一銀行に移る。1944年には日本銀行総裁に就任し,第2次大戦後は幣原(しではら)喜重郎内閣の大蔵大臣となるなど経済界の指導者として活躍した。一方,大学在学中から穂積陳重,石黒忠篤,柳田国男などの影響を受けて,文化の基層を,支配階級を除いたごく普通の庶民すなわち常民の文化に求め,とくに漁業関係の社会経済史料に注目した。
 〇にほんじょうみんぶんかけんきゅうじょ【日本常民文化研究所】1925年渋沢敬三により設立された,民具・民俗資料の収集・研究,漁業・水産史の研究を中心とした民間研究所。初め,渋沢邸(東京深川)の物置の2階に生物の標本,郷土玩具などの民具を集め,同好の士と研究をはじめたことから,アチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)と名づけられた。42年,官憲の干渉・詮索が著しくなったため,英語の研究所名から日本常民文化研究所と改称された。この間,収集された膨大な民具は,77年に開館された国立民族学博物館にすべて寄贈され,設立の基礎となった。


 1926年、渋沢栄一の孫・渋沢敬三が石黒忠篤と台湾から来沖。沖縄県沖縄図書館で仲吉朝助の『琉球産業資料』を複写、これは後に小野武夫によって『近世地方経済史料』に収録される。渋沢は案内役をつとめた沖縄県殖産課長・田村浩の著『琉球共産村落之研究』を岡書院から出版させた。同行した石黒は石黒忠悳の息子、妻は穂積重陳の娘で渋沢栄一の孫娘。渋沢敬三は南方同胞援護会(現・沖縄協会)の初代会長で、また東洋大学名誉学位第1号でもある。


1951年ー南方熊楠全集 全12巻 乾元社版 / 南方熊楠 澁澤敬三編 ミナカタ・ソサエティ

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 「くろねこの短語」5月1日ー(前略)勇ましいことを口にして危機感煽るどこぞの世襲政治屋に爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。アメリカの尻馬に乗って喚くんじゃなくて、冷静に状況分析したうえでトランプに物申すくらいの気迫と胆力がいまこそ日本の総理大臣には必要なはずなんだね。このタイミングでのアメリカの補給船の警護なんてのは、ある意味で北朝鮮に喧嘩売ってるようなもんですから、とどのつまりは攻撃する理由を与えているようなもんなんだね。ドゥテルトの言うように北朝鮮で一朝事が起きれば、「最初に犠牲になるのは韓国と日本」なんであって、アメリカではありません。そこんところがスッカリ抜け落ちて、北朝鮮のミサイルの恐怖をいたずらに煽るペテン総理一派の愚かしさは、いつかこの国を滅ぼすことになりますよ。

 『しんぶん赤旗』4月30日ー「全国で沖縄のようにたたかおう」―。安倍政権が法も民意も無視して名護市辺野古の米軍新基地建設を強権的に進めようとする中、「沖縄連帯のつどい」(全国革新懇主催)が29日、都内の日本教育会館で開かれました。
米軍新基地ノー

(写真)沖縄県民と共にたたかおうと手をつなぐ連帯のつどい参加者=29日、東京都千代田区
 つどいには1500人が参加しましたが、会場は開会の1時間前には満席となり、多数の人が第2会場にも入りきれないほど、多くの人が足を運びました。登壇者の発言のたびに拍手と指笛が響き渡り、連帯への熱気がみなぎっていました。
 沖縄からは、高江の米軍ヘリパッド建設に現地でたたかっている日本共産党東村議の伊佐真次・育子夫妻、辺野古ゲート前の座り込みで役割を担っている沖縄県統一連の中村司代表幹事、反戦地主弁護団の仲山忠克弁護士が発言。法秩序の破壊と暴力で基地建設を進める安倍政権に対する非暴力のたたかいを紹介するとともに、全国からの連帯強化を呼びかけました。
 衆院沖縄4区選出の仲里利信議員は「戦争体験者として、声が続く限り、沖縄から基地をなくすまでがんばる」と訴えました。
 「総がかり行動実行委員会」の福山真劫(しんごう)共同代表は「まなじりを決して、沖縄と連帯し、安倍政権とたたかう」と力を込めました。
 沖縄県の翁長雄志知事、名護市の稲嶺進市長からは連帯メッセージが寄せられました。知事は「辺野古に新基地を造らせないため、今後も全力でたたかう」と表明しました。
 政党から、日本共産党の志位和夫委員長が報告。「勝つ方法はあきらめないこと。翁長知事、稲嶺市長を先頭とした県民の決意に、全国が連帯してたたかおう」と訴えました。
 平和・女性・労働など各分野からの決意表明に続き、歌手の普天間かおりさんが歌声を披露しました。

  「くろねこの短語」4月30日ー北朝鮮がミサイルぶっ放したってんで、東京メトロが一時的に運転見合わせたそうで、おいおい、そんなに煽ってどうする、ってなもんです。なんてったって、ペテン総理を筆頭に閣僚の皆さんは優雅に外遊中ですからね。ペテン総理なんか、ロンドンから「わが国に対する重大な脅威」ってなんとかのひとつ覚えコメント出して、遙か異国から吠えてるだけですから。

 『しんぶん赤旗』4月29日ー「森友」音声記録 佐川局長 確認を拒否 宮本徹議員が批判
 「報道されている音声記録についての確認は控えさせていただきたい」―。「森友学園」の籠池泰典前理事長らが財務省の田村嘉啓国有財産審理室長らと面会した際のものとされる音声記録について、同省の佐川宣寿理財局長からこんな開き直りが飛び出しました。28日の衆院財務金融委員会での日本共産党の宮本徹議員への答弁です。
 宮本氏は「これだけ国民が疑念をもっているのに調べようともしない。全体の奉仕者たる公務員になったときの初心に照らしてどうなのか」と厳しく批判。記録が本物か、田村室長や同席職員に確認するよう理財局長に指示を出すことを御法川信英委員長に求めました。同記録は2016年3月15日に籠池氏夫妻と田村室長らが、面会した際に録音されたものとされ、籠池氏が交渉の際に安倍晋三首相夫人の昭恵氏の名前を挙げていたことも記録されています。
 宮本氏が、録音記録の真偽について田村室長らに確認したのかとただすと、佐川局長は「コメントを差し控えたい」などと発言。報道で音声を聞いたが、「(田村氏)本人かどうかはまったくわからない」とうそぶきました。

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