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Category: 04-書の森
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2017年10月10日~15日 那覇市民ギャラリー「第20回 高良憲義個展 普天間、辺野古、高江、地位協定、地球惑星の花の人(土人)」

 「くろねこの短語」10月 9日ー(前略)さらに、「(報道してますよ」って切り返されると、「ほとんどしておられない。しているというのはちょっとですよ。アリバイ作りにしかしておられない。加戸(守行・前愛媛県知事)さんについては、(国会で)証言された次の日には全くしておられない」と気色ばんじゃうんだから、よくよく器が小さいんだね。でもって、それにも「してますよ」って反論されて、とうとう「ぜひ国民の皆さんに、新聞をよくファクトチェックしていただきたい」って言い放っちゃいました。稀代の嘘つき野郎に「フェイクニュース」呼ばわりされるありませんよ、ったく。それにしても、こういうシーンを、TVのニュースはなぜカットするかねえ。日本記者クラブ主催の党首討論なんだから、特別枠を設けてノーカットで流すのが務めなんじゃないのか。

 「くろねこの短語」10月 8日ー(前略)身内からもそんな声があるようで、胡乱な目つきの進次郎も昨日の街頭演説で「野党をいくら非難しても、森友、加計学園について総理がしっかり説明しないという声がつきまとう」「疑念を払拭できるのは安倍総理しかいない。真摯に説明を果たしていく選挙にしなければいけない」と叱咤したそうだ。でもって、ペテン総理はとくれば、柏駅前の「ステルス作戦」演説の最中に「森友、加計学園を説明してくれ」との聴衆の声にまるで無反応。あげくには、「安倍辞めろ」コールを浴びせられたってね。 ぼったくりバーのチーママ・小池君が公認欲しけりゃ金寄こせ新党を立ち上げてからというもの、小池劇場の猿芝居にメディアは大騒ぎしてるけど、「さらさらない」発言で自爆しちまったいまこそ、「森友・加計疑獄隠し」が今回の解散のそもそもの原点であることに思いを馳せたい日曜の朝なのであった。

 「くろねこの短語」10月 7日ー反安倍の野次から逃げるようにゲリラ的に展開しているペテン総理の街頭演説を、自民党内では「ステルス作戦」と呼んでいるそうだ。それでも、情報というのはどこからか洩れるもので、昨日の国分寺駅前では「お前が国難」のプラカードを掲げるひとたちに囲まれて大荒れだったらしい。おそらく、選挙戦最終日は秋葉原駅前で演説ってことになるんだろうが、いまからどんな騒ぎになるか楽しみな今日この頃なのだ。そんなことより、公認して欲しいなら金寄こせ新党の公約が発表された。「ユリノミクス」だの「花粉症ゼロ」だの、ひとつもヒネリのないスローガンだらけで、オツムの程度がわかろうとうものだ。なんだかんだ言っても、ハッキリしているのは「9条を含めた改憲の推進」ってことだ。「憲法改正に向け大きなうねりをつくる役割を果たすのではないか。議論を堂々と行っていく」ってぼったくりバーのチーママ・小池君はかなり踏み込んだ発言をしている。(略)
  でもって、チーママ小池君は、「衆院選期間中に希望の『首相指名候補』を示すかどうかについて、『基本的にはない』と述べた」そうだ。有権者に向かって白紙委任要求してるようなもので、厚かましいにも程があるってもんだ。ていうより、選挙後は自民党と連携しますよっ言ってるようなものだろう。首班指名候補として、娘が東電のアンポンタン石破君や出戻り聖子の名前が上がっているのも、おそらく裏で何らかのコンタクトを取り合っている証拠なんじゃないのか。(略)「安倍政権打倒」を信じて投票したら、選挙後に自民党と連立で卓袱台返しされるのがオチですよ。桑原桑原。最後に、ノーベル平和賞を核廃絶NGOが受賞。カズオ・イシグロの文学賞受賞には政府が賛辞のコメント出したくせに、こちらにはノーコメントだとさ。やっぱ、「シンゾー、ちいせえ」を確認した土曜の朝であった。

 「くろねこの短語」10月 6日ー(前略)要するに、野次が恐くてトンズラしたってわけだ。ゲリラ的にしか街頭演説できない総理大臣ってなんだよ、ってなもんです。演説すれば、「北朝鮮が~、北朝鮮が~」と喚くばかり。森友・加計学園疑獄には「も」の字も触れませんからね。こんな演説を公示後も続けていたら、秋葉原とは比べものにならない罵詈雑言を浴びせられることになりますよ。ところで、共産党は各地で候補者を取り下げ、立憲民主との連携を本格化している。共産党の本気度は、かなりの浮動票を掘り起こすことになるだろうから、「自公・希望・維新VS立憲民主・共産・社民」の2極対立がますます鮮明になっていくことを期待する今日この頃なのだ。

 「くろねこの短語」10月 5日ー党を売り飛ばした口先番町のユダ前原君が地元の京都で街頭演説したら、大ブーイングでざまあかんかんです。「演説中は地元からの拍手も受けたが、終始聴衆から『裏切り者』『恥ずかしないんか』とヤジが飛び、『帰れ』のプラカードが掲げられ」たりしてたっていうから、国民舐めたらあかんでえってことだ。(略)ところで、衆議院選挙の争点から「森友・加計学園疑獄」がスッカリ抜け落ちちゃって、「選挙期間中に説明する」と言い訳していたペテン総理もまったく街頭演説で触れようとしない。新聞・TVは小池劇場一色で、モリ・カケ隠しに加担しているんじゃないのと勘繰りたくもなろうというものだ。そんな状況を打破するために、「今月中にも、加計孝太郎理事長を補助金詐取、安倍首相を詐欺幇助で告発する」動き出てきたのはなんとも喜ばしいことだ。共産党は「森友・加計学園疑獄追求」を公約に掲げているが、立憲民主党も是非ともこの疑獄追求の旗を上げて欲しいものだ。

Shoko Egawa‏7:43 - 2017年10月4日
小池さんと仲良しの野田聖子さんや石破さんや鴨下さんや、都政に協力してもらいたい公明党の太田さんの選挙区には候補者を立てないとか、「希望の党」がやっていることは、まさに「しがらみ政治」ではないのかな?小池さんとの関係という新たな「しがらみ」

 「くろねこの短語」10月 4日ー(前略)ぼったくりバーのチーママ・小池君は立憲民主党に対して「立憲なんたら」と言い放ったそうだが、昨日のエントリーで書い大阪のチンピラ知事・松井君の「ポンコツ一掃」といい、今回の白塗り野郎の「頭が乏しい」といい、さらにはペテン総理の「あんなひとたち」といい、改憲勢力の奴らってなんでこうも品性下劣というか、まるで子供の喧嘩のような口汚ない言葉でひとを貶めようとするんだろう。これだけで、政治家はもちろん、社会人としても失格だろう。こんな奴らが唱える「道徳」がいかにロクでもないかわかろうというものだ。
 ところで、湯上りの口先番長・前原君が民進党分裂について、「全てが想定内だ。政権交代可能な状況をつくらないといけない。自分の判断は正しかった」って居直っている。代表の座にありながら党を売った下衆野郎に、永田町での居場所は断じてない。(略)おそらく、裏では自民党と選挙後の連携について話がついてるかもね。昨日の日本テレビ「ミヤネ屋」では、お先走って自公+希望の大連立について御用コメンテーターがぐちゃぐちゃ言ってたのも、ああやっぱりね、ってなもんです。新聞・TVは、三つ巴なんて煽ってるけど、今回の選挙は「自公・希望・維新VS立憲民主・市民連合」の二極化ということを忘れてはいけない。

 「くろねこの短語」10月 3日ー(前略)メディアは、自公VS希望+維新VS立憲民主+共産+社民の三つ巴って言い出してるんだが、ホントにそうかねえ。ぼったくりバーのチーママ・小池君は東京新聞のインタビューに答えて、改憲も安保法制も共謀罪も賛成ってのたまっている。つまり、政策上はペテン政権の対抗軸にはなりようがないんだね。どう考えたって、希望+維新は自民党の補完勢力でしかないわけで、そうなれば三つ巴じゃなくて、自公+希望+維新VS民主+共産+社民の二極化になるんじゃなかろうか。
 ペテン総理が解散を打たざるを得ないきっかけとなった森友・加計学園疑獄にしたって、維新のチンピラ知事・松井君は当事者のひとりでもありますからね。東京、大阪にそれぞれ対立候補を立てないという連携体制の希望+維新連合が選挙後に、森友・加計学園を追求するとはとても思えない。
 そもそも、チンピラ知事なんか、立憲民主党グループを「ポンコツ」呼ばわりしてますからね。こういう下衆な言葉を弄して公党の代表者が他党を貶めるってのは、恥ずべきことなんじゃないか。品性下劣も甚だしい。新聞・TVは、こうした発言に毅然とした態度で立ち向かうべきなんじゃなかろうか。
 それはともかく、チーママ小池君の政治の師匠と言われる細川の殿様がチクリと苦言を呈している。曰く、「同志として小池を手助けしたいと考えてきたが、排除の論理を振り回し、戸惑っている。公認するのに踏み絵を踏ませるというのはなんともこざかしいやり方で『寛容な保守』の看板が泣く」政治的理念はともかくとして、これが大人の意見ってもんでしょう。

 「くろねこの短語」10月 2日ー(前略)猪八戒・枝野君がリベラルをまとめて新党結成となれば、そうはいかない。野党共闘が一定程度の成果をあげることは参議院選挙でわかってますからね。そうなると、自民・公明・希望・維新による改憲翼賛体制の目論見に陰りが出てくることになる。それを阻止するためにも、新聞・TVに放ったペテン総理の草たちがいっせいに活躍し始めることでしょう。
 (略) だからこそ、新党結成は極めて重要な意味がある。こうなると、自由党のオザワンはどういう動きをしてくるだろう。湯上りの口先番長・前原君を小池新党との合流でそそのかしたのはオザワンだという噂があるけど、森ゆう子君のツイートではそれはガセだともされている。願わくば、新党+共産+社民+自由の野党4党がひとつになって、ドカーンと記者会見やって、世間をアッといわせるような華麗なパフォーマンスを披露してほしいのだが・・・。


前田ちひろさん

宮里ノボル氏

左から伊波洋一氏、糸数慶子さん/伊波洋一氏、あかみね政賢、糸数慶子さん


写真左ー国吉真太郎氏(翁長雄志後援会会長)/写真右ー真喜志好一氏、前田ちひろさん

 10月1日ーおもろまちの沖縄県立博物館・美術館近くでの「新基地・オスプレイ・9条改憲・消費税増税・疑惑かくしノー/赤嶺政賢事務所びらき」。大勢の人が参加。無理もない一区の新基地反対は、あかみね政賢だけだから。

 「くろねこの短語」10月 1日ー(前略)どっちに転んでもこの国の将来は暗いものになるだろう。
そうさせないためには、希望の党の踏み絵を蹴っ飛ばす連中がひとつにまとまって、野党共闘の原点に回帰して戦うことだ。「打倒安倍」を目的化するあまり、ペテン政権を倒したのはいいが、「独裁者気取り」の後に「女帝気取り」が権力の座についてしまったら、洒落になりませんからね。「リベラル派は排除する」ってチーママ小池君はほざいてるんだから、売られた喧嘩は買うしかないってことだ。そして、ペテン総理が解散に踏み込むきっかけとなった森友・加計学園疑獄に改めてフォーカスすべきだろう。「政権選択選挙」なんてことがいつのまにかクローズアップされているけど、それは森友・加計学園疑獄隠しの方便になっている気がしてならない今日この頃なのだ。

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Posted by: ryubun02

 日頃、「しまくとぅば」について、継承、記録、保存、表現、研究、実践などさまざまな活動をしている人々に集ってもらい、それぞれの好きな「しまくとぅば」で語ってもらいます。メンバーの中心はしまくとぅばプロジェクトに2008年から関わっている人や最近からしまくとぅばを学びはじめたメンバーまで、立場や興味もそれぞれ異なる人々で意見を述べ合います。
なぜ「しまくとぅば」を話し、次世代へと引き継ごうとしているのか、どうして研究しているのかなど、はじめのきっかけ、理由、取り組みの状況、勉強法など、いろいろなことを互いに問いかけたり、一人で語ったりしながら、その想いをぶつけ合います。
また、最後のセッションでは、来場の方々とのクロストークもまじえ、今後の活動のモチベーションへとつなげていければと考えています。「しまくとぅば」について興味を抱いている方、すでに何らかの実践を行っている方、仲間で集って活動している方、若い世代へと継承運動に取り組んでいる方、など、多数の方々の来場をお待ちしております。

【コーディネーター】
仲原穣(沖縄県立芸術大学ほか 非常勤講師)
【対談者(五十音順)】
上原美智子(しまくとぅばプロジェクトメンバー)
小禄隆司(琉球大学学生)
西岡敏(奈良出身 沖縄国際大学 教授)
ハイス・ファン・デル・ルベ(オランダ出身 浦添市立仲西小学校ALT  うちなーぐち習得勉強会)
比嘉豊光(写真家)
真栄里・サマンサ・明美(ハワイ出身 県系4世 琉球大学研究生)
宮里朝光(NPO法人沖縄県沖縄語普及協議会 名誉会長)


写真右ー左からハイス・ファン・デル・ルベ(オランダ出身 浦添市立仲西小学校ALT  うちなーぐち習得勉強会)・西岡敏(奈良出身 沖縄国際大学 教授)仲原穣(沖縄県立芸術大学ほか 非常勤講師)


比嘉豊光(写真家)・宮里朝光(NPO法人沖縄県沖縄語普及協議会 名誉会長)


写真右ー左が上原美智子(しまくとぅばプロジェクトメンバー)・真栄里・サマンサ・明美(ハワイ出身 県系4世 琉球大学研究生)


写真左ー左が小禄隆司(琉球大学学生)・西岡敏(奈良出身 沖縄国際大学 教授)
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2017年9月『広報あぐに』№116「粟国村教育委員会通信 11号」



2017年1月『広報あぐに』№108「粟国村教育委員会通信 4号」

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2011年6月 新川明・儀間比呂志・知念ウシ/翻訳『りゅう子の白い旗ー沖縄いくさものがたり』 出版舎
Muɡen(〒900-0013那覇市牧志1-4-31-2F 電話&fax 098-863-2562)□新川明ーあとがき/(前略)あれから二十六年たって、さきの「集団自決」訴訟と文部科学省のあり方が象徴するように日本の国全体がますますおかしくなっていくのを見るとき、私たちはすでに絶版になっていたこの絵本を復刻再刊したい、と強く思ったのです。さいわい出版舎 Muɡenの上間常道さんが私たちの思いを受けとめてくれて、ここに絵本「沖縄いくさものがたり」を正真の沖縄発の”非戦の思い〟をこめた絵本として再生させることができました。上間さんと英訳の知念ウシさんにあらためて感謝したいと思います。/儀間比呂志ーこの作品を描いてから二十六年の歳月が過ぎました。この間、戦争への危機はなくなるどころか、広大な米軍基地は沖縄に、相変わらず我がもの顔で居座り、戦争への構えをとり続けています。その事実を近隣諸国が黙認し、侵略者の暴挙を容認している国際事情には、何たることかと憤りはつきません。


2003年2月 多和田真助『沖縄の海図 「復帰」30年のメッセージ』「上間常道」沖縄タイムス社


写真左から儀間比呂志さん、新城征孝氏、新川明氏、新城栄徳、その前が舞台美術家・新城栄徳氏/チニンウシィさん、伊佐眞一氏


1999年1月 儀間比呂志『絵本 沖縄のわらべうた』沖縄タイムス社□儀間比呂志ーあとがき(前略)本書の出版にあたっては、島袋全発氏の『沖縄童謡集』ほか、数々の本を参考にさせていただいた。また、楽譜の提供をいただいた比嘉悦子さん、エッセーをよせてくださった船越義彰さん、翻訳者のR・トンプソンさん、出版元の沖縄タイムス社と編集の上間常道さんに、心から感謝の意を表したい。




1985年8月 新川明(沖縄タイムス東京支社長)・儀間比呂志『りゅう子の白い旗ー沖縄いくさものがたり』築地書館


1971年12月 『新沖縄文学』21号 「儀間比呂志版画集/詞章・新川明」
1974年10月 『新沖縄文学』26号  儀間比呂志「表紙のことばー私が最も好み、数多く描いてきたおなじみの沖縄伝統民俗芸能『七月エイサー』である。」
1975年2月 『新沖縄文学』27号 儀間比呂志「表紙のことばー沖縄民衆は、ワジワジーしている。”日本に復帰すれば、平和がよみがえり豊かな沖縄県が実現する〟ふりまかれた幻想ー。”海洋博は、沖縄経済の起爆剤〟ユクシムニーするな!原爆つきの基地はそのまま 山からは、みどりをうばい 海からは、 魚をおいはらい わったぁからは、生活をうばう。それは、だれなんだ!
1975年11月 『新沖縄文学』30号 儀間比呂志「<随筆>沖縄の女」

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 泊の我が家から、おもろまちの沖縄県立博物館・美術館は10分ぐらいの所にある。ロビーには全国の博物館・美術館のイベント情報パンフが所狭しと並んでいる。中に立命館大学国際平和ミュージアム「儀間比呂志版画展ー沖縄への思いー」もある。原爆の図丸木美術館学芸員・岡村幸宣の日誌(2010/4/19)に「那覇について最初に訪問したのは、沖縄大学。小図録に寄稿して下さった沖縄大学法経学部の若林千代先生に、ご挨拶に伺いました。ちょうどお昼時だったので屋嘉比収先生の研究室に案内され、そこで若林先生ら数人の方とお弁当を食べることに。そこには沖縄の近現代文化史を精力的に調査されている新城栄徳さんもいらっしゃいました。新城さんはネット上で「琉文21」と題する研究報告をされている民間の沖縄文化研究者。「ワタシは大学の先生の使う言葉(業界用語)はわからんヨ」とニッコリ笑う」と紹介されているように、ワタシは理論より自分の情念に忠実でありたい。
 日本伝統文化の屋台骨・京都は私が沖縄青年運動に目覚めた地でもあり様々な感懐を抱くものである。上記のチラシは京都関連だけでも、京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」や九州国立博物館の「京都妙心寺ー禅の至宝と九州・琉球」「本願寺展ー親鸞と仏教伝来の道」「黄檗ー京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風」などがあり、よく行ったところなのでチラシは部屋の壁に貼って眺めている。

新城栄徳「関西日誌2008-5」
 2008年5月4日 午前9時半、あけみと散歩に出かける。司馬遼太郎記念館をのぞくと、竹富島などの映像が放映されていた。近鉄八戸ノ里駅から乗車し東花園駅で下車。12時半に元長栄氏宅に着く。前からお願いしておいた元長氏の「履歴書」をいただいた。氏は1969年8月、沖縄と本土を結ぶ月刊誌『沖縄ジャーナル』を大阪で創刊している。この雑誌は70年に『沖縄ポスト』と改題、10号で休刊。70年9月には元『沖縄ポスト』編集人の座喜味康夫が京都長岡町で『沖縄群像』を出している。偶然なことだが元長氏宅の近くには『青い海』編集デスクであった小渡照生氏も住んでいる。ちなみに『青い海』社長の山城賢孝氏は元長氏の沖縄教員時代の教え子であった。


2016年5月10日 写真-沖縄県立博物館・美術館ー左が小渡照生氏、田名真之氏/2016年5月10日 写真-沖縄県立博物館・美術館ー小渡照生氏

①小渡有得の二男/2008年9月 小渡有得『小石のつぶやき 或るクニンダンチュ(久米村人)の95年、心の軌跡』琉球新報社○小渡有得略歴ー1913年9月16日、那覇松山町に父邦光、母マカトの3男として生まれる。生家は萬履物小渡商店、道向かいに日秀上人が建てた地蔵堂があったので「ドゥヌメーヌーウドゥグヮー」と呼ばれた。1928年、『日本少年』11月号に「綴方/健ちゃん」を投稿し銀メダル。1931年3月、沖縄県立第一中学校修業。一家をあげて台湾台北千歳町に居住。1937年、基隆市義重町に転居、台湾総督府交通局基隆築港出張所に臨時夜警兼務。1939年、台北市御成町に転居。台湾総督府交通局逓信部工務課・台北電信電話技術官駐在所勤務。6月、臨時招集により台湾第一連隊補充隊に輜重兵二等兵として入隊。(1940年、南寧作戦に参加、欽寧公路警備に就く。1941年、台湾第一連隊補充隊に転属、海南島を経て基隆に帰還。)1943年、台湾総督府交通局逓信部工務課に復職、台中電信電話技術官駐在所勤務、台中市老松町に転居。1943年9月、玉城オトと結婚。1946年11月、具志川村高江洲区に居住。

5月12日 3時ナンバの大阪府立上方演芸資料館に行く。この資料館も大阪のタレント知事のリストラの一つにあげられている。この知事は職員に「一緒に死んでくれ」と相変わらずのパフォーマンスで宮崎県の知事同様テレビにもよくとりあげられその経済効果は十分期待されている。それはさておきこの資料館で私の好きな浪曲「紺屋高尾」を篠田実、富士実、浮世亭雲心坊、東家燕左衛門の節で聞いた。芝居のビデオでは松竹新喜劇の藤山寛美の「紺屋と高尾」を見た。沖縄の歌劇の「染屋の恋唄」も紺屋高尾をアレンジしたものだ。私が沖縄近現代芸能史の源流というノンキなことを調べている最中に中国では大震災が起きていた。

5月14日 ナンバの日本工芸館に行く。沖縄の漆器展が開かれていた。数十年前になるが同館での沖縄展のおり、三宅忠一館長と儀間比呂志さんが会話しているのを間近で聞いたことがある。この時は、儀間さんとは面識はなかった。

5月15日 沖縄が密約復帰をした日で、戦前の1932年のこの日は犬養首相が海軍将校らによって射殺された国家改造クーデターテロ事件が起きている。同日、京都では葵祭がある。葵祭は何回か見ているから二千円札にちなんで宇治を散策。平等院に寄り「鳳翔館」ができていたので観覧、コンピューターグラフィックスによる彩色復元の平等院の映写はコンピュータ技術を駆使したものだ。また売店で絵ハガキを買い求めた際に、お釣りを二千円札でくれと注文したら二千円札は用意して無いとのことだった。鳳凰堂は何回も見ているので丁度修学旅行生とはちあわせしたので周辺(大書院、浄土院、羅漢堂、頼政の墓、不動堂)、宇治市源氏物語ミュージアムを見た。帰途、萬福寺を見学。

2012年5月 コルシカ島生まれのナポレオンは、新聞一紙は5千の兵に匹敵するとし新聞統制を計り活用した。駅逓頭・前島密が指導した『郵便報知新聞』が創刊された1872年、川崎正蔵は大蔵省の命で琉球物産調査に赴き「経済交流で琉球を日本に依存させよ」と主張して前島に認められて日本政府郵便蒸気船会社の副頭取に就任し、琉球との郵便航路を開設。73年には海軍大佐柳楢悦らが測量で来琉した。川崎は後に川崎造船所を興し神戸又新日報社、神戸新聞社にかかわる。郵便報知は後に報知新聞となり読売新聞と合併する。
□1918年9月 山本實彦『川崎正蔵』 
□1928年10月 『目録』(神戸 川崎男爵家蔵品入札目録)
□1936年2月 『神戸 川崎男爵家蔵品入札目録』
「支那宋、元古画の蒐儲に於いて、世界にその名を知られている川崎美術館は、神戸川崎男爵家の先々代・故川崎正蔵翁が明治23年神戸布引の邸内に建設されたもので、一に長春閣と呼ばれている。これは其当時翁と親交のあった伊藤博文公が命名されたのである。→当社(川崎重工業)の創立は1896(明治29)年10月のことですが、造船業の歴史としては、それより18年前から始まっています。創業者の川崎正蔵が1878(明治11)年に東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが、当社の起源です。川崎正蔵は1837(天保8)年、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。17歳(嘉永6年)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎に出て貿易商の修行を積み、27歳(文久3年)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を成功させました。この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くようになりました。1878(明治11)年、時の大蔵大輔(現在の次官)であり同郷の先輩でもあった松方正義などの援助があって、東京・築地南飯田町(現在の中央区築地7丁目)の隅田川沿いの官有地を借りて川崎築地造船所を開設、造船業への第一歩を踏み出しました。(→川崎重工業ウェブサイト)

□2005年5月2日ー自宅で去年上六の天地で買った『沖縄アーカイブス写真』(生活情報センター)を見る。関連して、沖縄タイムス出版部が編集し琉球銀行が発行した『あんやたん-沖縄、写真が語る50年』(1995年9月)、『時の謡人の譜・街の紋-山田實写真50年』(2003年1月)を見る。

平凡社の1963年3月の『月刊百科』は「『PR誌』-機能・沿革と現状」、1968年3月の『月刊百科』には勝連哲治「沖縄の経済」が載っている。1970年から日本メール・オーダー社から出はじめた『アルファ大世界百科』と、1972年版の平凡社『世界大百科事典』が手元にある。南方熊楠や末吉麦門冬を単に博覧強記の人として片付ける嫌いがあるが、今はネットの時代である。熊楠や麦門冬が人を喜ばせるために書いた情熱はネット空間でますます輝くであろう。

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Posted by: ryubun02
 「くろねこの短語」9月 30日ー(前略)社民党との共闘を進める共産党は、希望の党に合流しなかった民進党議員とは共闘するとエールを送っている。今回の民進党解体騒動は、リベラル勢力がひとつにまとまって「反安保法制」「反改憲」で選挙を戦うチャンスと捉えたい今日この頃なのだ。最後に、山口ノリマキの準強姦疑惑を不起訴相当とした検察審査会の議決に対して、補助弁護人の名前と審査員の平均年齢の情報開示請求をしました。これでチャラにはさせませんよ。


写真左から柳澤協二氏、鳩山友紀夫氏、松竹伸幸氏(かもがわ出版)

9月29日ージュンク堂書店那覇店「鳩山友紀夫×柳澤協二『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも国外」』かもがわ出版 刊行記念トークイベント」
2017年7月 鳩山友紀夫×柳澤協二『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも国外」』かもがわ出版 〇鳩山ー好き嫌いという話が、政策の前にあるような気がします。民進党からすると、共産党と組んだというイメージをつくられると、マイナスになると思っているんですよ。特に、労働組合の一部には、共産党に対するアレルギーが大変に強い。(略)その意味で言うと、共産党は、よほど大人になったと思います。志位体制のなかで、共産党があそこまで柔軟になっているということは、私はすごいことだと思います。

【琉球新報電子版】9月29日ーゲート前には鳩山由紀夫元首相が駆け付け、市民らと共に座り込み、機動隊が市民を強制的に移動する様子を確認した。鳩山元首相は「日本という国がガタガタ崩れていく現場をゲート前で見ることができた。米国の言うままに動かされる、まさに現在の日本の政治の姿だ」と指摘した。続けて「軍事基地は日本から撤去しなければならないのに、新基地建設を進める日本政府はおかしい」と新基地建設を強行する日本政府のやり方を批判した。シュワブ沿岸部の「N5護岸」建設予定地付近の仮設道路では、作業員が袋詰めされた砕石を投下する作業が確認された。新基地建設に反対する市民らは抗議船2隻と少なくともカヌー8艇で抗議を実施した。

『沖縄タイムス』9月29日ー座り込みには、たびせん・つなぐ(東京都・大西健一代表)が企画した旅行でゲート前を訪れたメンバーと、ツアーに同行した元首相の鳩山友紀夫さんも参加。初めて座り込んだという鳩山さんは「米国の意のままに動かされている政治を目の当たりにした」と話した。/小池百合子氏は沖縄担当相時代の2006年7月に、那覇市内での講演で基地問題を念頭に「沖縄のマスコミとアラブのマスコミは似ている。反米、反イスラエルでそれ以外は出てこない」と発言。13年3月の党の部会では「沖縄の先生方(国会議員ら)が闘っているのは、沖縄のメディアだ」と述べ、報道が普天間の県内移設に反対する論調をつくっているとの見解を示した。

 「くろねこの短語」9月 29日ー(前略)「維新との連携も視野に入っているようで、大阪のチンピラ知事なんか早速、秋波を送ってますからね。でも、そうなったら、これはもう巨大な第二自民党の誕生なんだね。つまり、選挙後は、保守二大政党の改憲翼賛体制が出来上がるってわけだ。ようするに、民進党を潰すことが、改憲勢力の狙いだったんじゃないのかねえ。チーママ小池君が衆議院選挙に出馬しないようなことがあったら、それが民進党潰しの証拠かもしれない。
 ところで、民進党が希望の党に吸収されたことで、ハシゴを外された共産党はさぞかしはらわたが煮えくり返っていることだろう。湯上りの口先番長・前原君は、共産党にちゃんと仁義を切っているんだろうか。いまのところ、民進党の誰からも共産党を裏切ったことの反省の弁が聞かれない。これって、ひととしてどうよってことだよね。そんな奴らが何言ったって、もう誰も信じやしませんよ。

 『京都新聞』9月28日ー小池代表は自民党衆院議員時代、集団的自衛権の行使を可能にした安全保障関連法に賛成し、改憲にも前向き。民進議員に「リアルな安全保障政策」を認めるかどうかで、「踏み絵」をするという。「安倍政権と、見せかけの反安倍勢力という構図になれば、安倍政権の乱暴な政治手法への是非、という争点がぼやけかねない」と心配した。候補一本化を京都の野党に求めていた「ユナイトきょうと」の事務局松本修さん(66)=山科区=も「小池代表は安倍首相よりも改憲に積極的。安倍政権を倒すなら何をしてもいいという考えには賛同できない」と落胆。「市民との連帯を捨て、ただ選挙で勝てればいいということなのか。希望の党と共産党が競合しても、一本化を求めて運動するのは難しいだろう」と嘆いた。民進、共産ら4野党は昨夏、野党共闘を求める市民連合の提出した安保法廃止・改憲阻止の要望に合意していた。京都総評の梶川憲議長(58)は「安倍政権の退陣を求めるデモに(民進支持の)連合系組合員も参加し、連携が進んでいた。市民との合意はなんだったのか。怒り心頭だ」と語気を強める。


『しんぶん赤旗』9月28日ー「希望の党」に集うのは、政権ささえてきた面々 右翼勢力とベッタリ/小池新党を持ち上げるテレビ各局の異常

 「くろねこの短語」9月 28日ー(前略)「打倒安倍」のためには「毒を持って毒を制す」ことも致し方ないって声もチラホラなんだが、ホントにそうかなあ。どう考えたって、チーママ小池君はペテン総理と同じ体質だし、安保法制や共謀罪に賛成票を投じた輩が仲間ですからね。仮に政権交代が起きたところで、それは改憲に向けての翼賛体制が整ったことを意味するんじゃないか。自民党との合流だって、けっして妄想ではないかも。
 いまの流れだと、希望の党が勝利する確率はかなり高い。でも、こやつらが実際はどんな政治理念の基に動いているか、じっくり吟味する必要がある。チーママ小池君とゴリゴリの改憲派である民進党離脱組の長島君は、アメリカのネオコン軍需産業の覚えがめでたいということが意味するものは何か・・・たまには陰謀論に耳傾けてみるのも面白いかもね。、

 「くろねこの短語」9月 27日ー公明党の長沢広明とかいう復興副大臣が「議員宿舎に知人女性を宿泊させた」のがバレちゃって、議員辞職だそうだ。下世話に言えば、規則を無視して「ネーチャンを議員宿舎に連れ込んで一夜を共にした」ってことだ。いやあ、選挙前のスキャンダルですからね。不倫騒動の時と同じように、TVのワイドショーは女性のプロフィールはもちろん、「一線を超えた」かどうかまで、根掘り葉掘りとほじくりまくってほしいものだ。そんなことより、ペテン総理が「国難だ!」って喚いて消費税増税分の使途変更を解散の言い訳にしたその舌の根も乾かないうちに、自民党の税調が使途変更は選挙後に議論するって言い出しとります。ようするに、「森友・加計学園疑獄隠し解散」をさとられないためにデッチ上げた言い訳ってことだ。

 「くろねこの短語」9月 26日ー「少子高齢化、北朝鮮情勢という国難を乗り越えるため、どうしても今、国民の声を聞かなければならない。『国難突破解散』だ」とさ。ははは、いっせいに「国難はお前だ」って声が上がってます。「国論を二分する大改革」なんてことも口にしてるんだが、どこに国論を二分する議論があるんだ。臨時国会も開かずに、そもそも議論を閉ざしているオメーだろ。「国論を二分する」ってんなら、秘密保護法、安保法制=戦争法、共謀罪でスッタモンダした時にこそ解散して信を問うべきだたったんじゃないのか。さらに、森友・加計疑獄から逃げたことについても「選挙は民主主義における最大の論戦の場だ」なんてふざけたことも口走っている。最大の論戦の場は、国会だ。何をたわけたことを。
 「民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅しによって左右されてはならない」なんて訳分かんないことも喚いているようだけど、ここまでイカれてるとはねえ。ようするに、「国難突破解散」ってぶち上げたってことは、ペテン総理にとっては「気分は、もう戦争」なんだろうね。でなけりゃ、「国難」なんてアナクロな言葉は出てきません。中国に言われるまでもなく、アメリカと北朝鮮の戦争を一番待ち望んでいるのはペテン総理ということだ。
 でもって、「希望の党」なんだが、ぼったくりバーのチーママ・小池君がシャシャリ出てサンバに合わせて踊りだす、ってなもんです。「基本的な理念は同じだろうと思う」なんてペテン総理からもエールを送られちゃって、さぞかしご満悦なことでしょう。それに引き替え、リセットされちゃったエロ髭・若狭君とモナ細野の哀れなことよ。役に立たないクズって言われたようなもんですからね。「希望の党」が「絶望の党」にならないように、せいぜいおきばりやす。

 「くろねこの短語」9月 25日ーどうやら、小池新党の本性が顕になってきたようだ。な、なんと、日本のこころが合流するらしい。北朝鮮拉致問題でさんざんおいしい思いをした中山恭子とその旦那の成彬の日本のこころってのは、自民党以上につむじが右に曲がっている連中だ。それが合流するってことは、小池新党ってのは改憲の一翼を担うもので、維新に代わる自民党の補完勢力ってことを証明したようなものなんだね。

 『朝日新聞デジタル』9月24日ー堺は大阪市に隣接する大阪府第2の都市。維新は、大阪市を特別区に分割・再編する大阪都構想の住民投票を来年秋に実施する方針を掲げており、今回の堺市長選を政治的な影響力を示す「重要選挙」と位置づけて総力戦を展開した。前回も、現職の竹山氏と維新の公認候補の一騎打ちだった。維新の代表だった橋下徹氏が先頭に立ち、堺市を都構想に加えるかを争点に掲げたが敗退。(略)  維新代表の松井氏は選挙期間中、衆院解散が迫ったことを念頭に、大阪府内で公明が議席をもつ4小選挙区に日本維新の会の候補者を立てない考えを表明し、堺市長選での協力に期待した。維新が敗れたことで、今後の公明の対応にも影響する可能性がある。日本維新の会は2012年の結党以来、地元の大阪での選挙の強さを基盤に国会で一定の勢力を築いてきた。12年の衆院選では大阪府内19選挙区中12区を制し、全国で54人が当選。その後は出身政党の異なる議員が分裂するなどし、党の顔だった橋下氏も15年末に政界を退いている。


2012年9月7日 『しんぶん赤旗』「橋下「維新八策」 どんな国めざす?強権独裁政治を全国に」

 「くろねこの短語」9月 24日ーいやはや、ひょっとこ麻生って、ペテン総理に負けず劣らず頭が悪いくて、イカれてる。なんとまあ、北朝鮮難民について「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」ってぬかしたそうだ。北朝鮮情勢が緊迫していることにひっかけて、いつもの銀座のクラブのネーチャンとの馬鹿話と同じ調子で口にしたんだろう。でも、北朝鮮難民なんていま日本のどこにも存在しないし、そもそも難民を射殺なんてことをしたらそれはもう虐殺です。「武装難民」なんてのは言い訳にもなりません。それが国際社会の常識というもので、へたすると「ナチスの手口」以上に悪質な発言だ。
 少なくとも、政治家に限らず、真っ当な人間だったら「射殺する」なんてことを平然と口にはしませんね。ひょっとこ麻生がどれだけ怪しい人間関係の中で暮らしいるか、これだけでも想像できるというものだ。
出戻り聖子は旦那が元ヤクザだったとかで週刊文春にバッシングされているけど、ひょっとこ麻生の「射殺」発言はそれ自体がヤクザ体質そのもので、元ヤクザがダメならこちらも当然アウトだろう。北朝鮮をいたずらに挑発して、この国の安全保障をピンチに陥らせかねない発言を連発するペテン総理とひょっとこ麻生は、こまわり君ならずとも「死刑!」って言いたくなりますよ、ったく。


『しんぶん赤旗 日曜版』2017年9月24日号〇追い込まれた安倍政権倒すチャンス/「野党は早く共闘まとめて」作家・室井佑月さん/有馬頼底さん(臨済宗相国寺派管長、金閣寺・銀閣寺住職)「大同団結で9条守ろう。仏教の根本は不殺生戒です。お釈迦様は戒律の第一に掲げています。」

9月 23日ー(前略)この中百舌鳥駅の乗り換えは、選挙戦に入ってから維新側は「不便だ」と失政の例でしばしば取り上げている。ところが、今年3月の大阪市議会で、中百舌鳥駅の乗り換えに関して質問した議員に、大阪市交通局は、「乗り換え時間短縮のために南海電車中百舌鳥駅の工事をすると、ホームが狭くなるなど安全性に課題がある」と改良工事できない理由を答弁。吉村市長も「南海電鉄が安全性の確保に課題があると認識しているのは重要なこと」と述べており、堺市長の意向に関する言及はない。いつのまに「堺市長のせいで便利にできない」ことになったのだろうか。
 投開票3日前の9月21日、堺市北区で行われた竹山候補の街頭演説。応援に立った渕上猛志・堺市議は、永藤陣営が「無計画なハコモノ事業に税金浪費」と市政批判している点に「百舌鳥古墳群のガイダンス施設建設を無駄なハコモノ建設と言うが、施設を建てる土地を購入する時は、堺市議会で維新の議員も賛成して決まった。今になって税金の無駄遣いと言い出すなんて無茶苦茶な話だ」と反論した。
このほかにも「がん検診の無償化」「市長、議員らのボーナスアップ」「堺市からの人口流出」など維新側の公約や批判に、竹山陣営はことごとく反論、反発している。渕上・堺市議は「今回の市長選の争点は『停滞か、成長か』ではない。『嘘か、真実か』の戦いだ。嘘が支配する政治を堺に持ち込んではいけない」と話す。堺市の有権者の審判はいかに――。→幸田 泉

 「くろねこの短語」9月 23日ー(前略)原子力村の無責任体質が続く限り、この国が原発によって沈没する危険性はなくならない。その危険性は、北朝鮮のミサイルよりも数段確率が高いということを忘れちゃいけない。(略) 最後に、ヤメ検のエロ髭・若狭君とモナ細野の一族郎党が結集する新党の名前が「希望の党」になりそうなんだとか。郷原さんのツイートが言い得て妙で、それをご紹介してお後がよろしいようで。「希望の党」??? なんか、「幸福実現党」という名の”政党”と、イメージがだぶる。「日本ファースト」が「希望」ということなのだろうか。小池氏の東京都での現状からすると、「希望」より「失望」の方がぴったりくる感じ。

 「立憲フォーラム通信872」9月23日ー米朝の口汚い批難の応酬はやがてミサイルが飛んで ということにならないよう全世界が核戦争阻止に努力すべき時安倍日本の国連演説はむしろけしかけているものだ。自分勝手なおともだち優先政治それをごまかすために憲法違反の国会解散 米中紛争でうやむやにしようというのご狂気、わがまま政治を辞めさせなければ日本は自滅するぞ。 
 与野党は15日、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け幹事長・国対委員長会談で「立法府の意思を示す」ため臨時国会冒頭に北朝鮮非難決議を採択することで一致していましたが、与党が不信任案を警戒し、非難決議を見送るもようです。国連演説で8割をついやして北朝鮮非難を行った安倍首相ですが、立法府での与野党合意を踏みにじってまで批判を受ける場から逃亡する姿は卑怯・卑劣としか言えません。今日、今治市で「加計隠し解散は許さない」とのデモが展開されます。また、民進党は熊本3区で候補者を取り下げ、同区は自民vs共産となります。

9月 22日ー(前略)吉村市長は特別委員会の翌日、7日になって、山中議員に「謝罪して撤回しろとまで言ったことは失礼だった」とお詫び。「カモフラージュと言ったことを忘れていた」と信じがたい言い訳をした。支援者に囲まれるパーティーで「(大阪市を残す)総合区構想なんか本気でやってないよ」とつい本音が出てしまったということだろう。それにしてもお粗末な発言だ。吉村市長は議会で常々「特別区(大阪都構想)も総合区も、どちらもベストな案を作る」と言っているが、カモフラージュにベストを尽くしているということだろうか。(略)大阪都構想の賛否を最大の争点として対決した結果、維新が敗北。堺市では大阪市ほど都構想の受けが良くないのだ。堺市長選は今月24日が投開票。吉村・大阪市長発案の「争点隠し」で維新の新人候補が勝利するかどうか。維新の都構想の今後を左右し、今は維新に協力的な公明の方針にも影響する。維新の盛衰をも決めかねない選挙になりそうだ。→幸田 泉(ジャーナリスト)立命館大学理工学部卒業。1989年に大手新聞社に入社。

 「くろねこの短語」9月 22日ー(前略)う~ん、にわかには信じ難い話なんだが、ペテン総理にすればこうした噂が流れるのはけっして悪いことではないだろう。ひょっとしたら、「北朝鮮危機を煽ってくださいよ。そうすれば選挙で勝利は間違いなし。どんな兵器だって言い値で買い上げますから」なんてことを、トランプにオファーしてたりして。妄想だけど。
 それはともかく、こうした噂を耳にすると、ゲーリングの言葉をつい思い出してしまう。
「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいいい」
 (略) 解散を前に、自民党は「北朝鮮対策を最優先」にした公約づくりをしているっていうし、ようするにペテン総理の国連におけるやたら北朝鮮を挑発する演説は、国内向けのパフォーマンスだったんだろう。道理で、会場がガラガラだったわけだ。世界はそんなペテン総理の思惑を見透かしてるってことなんだね。
 ところで、顔も頭も貧相な官房長官・菅君が定例会見で、「解散は総理の専権事項です。憲法で保障されています。それに尽きます」って口走ったてね。おいおい、憲法のどこに「解散は総理の専権事項」って書いてあるんだ。

 「くろねこの短語」9月 19日ー(前略)国連総会に出発する直前の羽田空港でペテン総理は、「解散について、いちいちお答えすることは差し控えるが、帰国後に判断したい」と捨てゼリフを残してニューヨークへ飛び立った。このニュースを我が家でディナーの最中に観ていたんだが、思わず食事を吹きだすところでしたよ。「お答えすることは控える」ってんならまだしも「いちいち」とは何たる言い草だ。「いちいちお答えする」のが政治家の務めだし、そもそもこやつは「5年前、政権を奪還したときの原点に立ち返り、謙虚に丁寧に国民の負託に応えるために全力を尽くす」とぬかして内閣改造したんじゃないのか。それが「いちいちお答えするのは控える」とくるんだから、国民も舐められたもんだ。

 「くろねこの短語」9月 18日ー(前略)それはともかく、22日か29日に投開票ってんだが、これって加計学園獣医学部新設認可の最終判断が下される時期とピタっと重なってるんだね。もうバレバレやん。加計学園とズフズフの萩生田君は「解散するのであれば、北朝鮮の脅威にどう向き合うか、安全保障関連法がどう機能するかを含めて国民に理解をいいだく」ってぬかしているようだけど、そんなものが争点になりますかいな。どう詭弁を弄したところで、「モリ・カケ疑獄隠し解散」は間違いないところで、想田監督が指摘するように「よほどやばいこと」があるんでしょうね。それでも、ペテン総理一派が選挙に勝つようなことがあったら、それはもうこの国の民度がその程度ってことなんでしょう。いやはや。

 「くろねこの短語」9月 17日ー「臨時国会冒頭解散ありやなしや!?」と昨日のエントリーで書いたら、台風18号に後押しされるように新聞・TVがいっせいに解散風を吹かし始めた。民進党が離党ドミノでモタつき、野党共闘もままならず、小池ファシスト新党もようやく政治熟を立ち上げばかりというタイミングなら、どう転んでも政権に有利な状況は変わらないと踏んだからなんだとか。もちろん、北朝鮮ミサイルで危機感煽ったことも功を奏しているのだろう。さらに、国会冒頭で解散してしまえば、ペテン総理のアキレス腱である森友・加計学園疑獄もウヤムヤにできちゃいますから。まさに、一石二鳥どころか三鳥も四鳥あるってわけだ。

 「くろねこの短語」9月 16日ー「北朝鮮のミサイルより重要なニュースがあるだろう」。長嶋一茂がワイドショーでそうつぶやいたそうで、万雷の拍手を送りたい。最大高度770kmの宇宙空間を「日本の領域」なんて言ってみたり、NHKなんか女子アナが根室港からヘルメット姿で中継したりもしている。こんな馬鹿げた状況を一茂の一言がまんま言い当ててるんだね。でもって、「北朝鮮のミサイルより重要なニュース」のひとつが、いまだくすぶり続ける森友・加計学園疑獄だ。産経新聞までもが社説で、「森友学園事件 財務省は自ら疑念晴らせ」と呆れ顔なんだが、そんな中、最高裁がとんでもない判決を出した。(略)どうやら、28日に臨時国会が召集されるようで、そうなれば森友・加計学園疑獄がまたクローズアップされるのは避けられない。北朝鮮危機を煽ったおかげで支持率も若干回復してきたなかで、ペテン総理にすれば森友・加計学園疑獄で追求されちゃたまらんと思っていることは間違いない。となると、疑獄隠しのためなら、なんだって仕掛けてくるだろうから、国会冒頭の解散なんてのも、ひょっとしたらひょっとするかも・・・。

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沖縄県人会兵庫県本部 機関紙『榕樹』第431号 2017年10月「亡き先人に捧げるー大正区でエイサー祭り」「儀間比呂志版画展~沖縄への思い 立命館大学国際平和ミュージアムで11月1日から」


1995年9月 『島を出た民の戦争体験集』沖縄県人会兵庫本部/2017年5月『榕樹』第426号


1982年6月 上江洲久『ここに榕樹あり 沖縄県人会兵庫県本部35年史』儀間比呂志「扉及び見返し版画」


那覇港近くのバーで写真左から新城栄徳、永峰眞名さん、当山忠氏(島尻雅彦撮影)


沖縄県人会兵庫本部機関紙『榕樹』〒660-0805 兵庫県尼崎市西長洲町2丁目26-12 中央ビル601 ☎06-6487-0535 FAX06-6482-4048


沖縄県人会兵庫県本部で機関紙『榕樹』担当の永峰眞名さん/沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さん

新城栄徳日記メモー1995年1月1日ー奈良東大寺大仏初詣/1月17日午前5時過ぎに京都で大きな揺れ。東大阪の息子に電話。午後2時23分電車で京阪淀から近鉄経由で布施。/1月24日、尼崎市の兵庫沖縄県人会事務所。沖縄県からのビニールシートが届いていたので配送を手伝う。息子名義で見舞金を贈ったとき宮城幹夫氏も来所し見舞金を贈られた。挨拶をした。1月30日、西宮からバスで三宮。午後8時に帰宅。1月31日、大正区へよって、阪神青木から東灘区へ。

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「阪神大震災」関連資料
1951年7月11日ー宮城久隆『球陽新報』創刊
 沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さんに『球陽新報』の情報を流すと、県人会機関紙『榕樹』で紹介した。次々と関係者が現れた。大阪の県人会長の諸喜田さんは印刷に関わった。久隆の子息で生駒市在住の宮城敬さんからは久隆に関する情報が寄せられた。作家の宮城聡は敬さんの祖父の弟である。1961年4月10日の『沖縄タイムス』に宮城久隆の死亡記事「沖縄タオル社長、琉球大学理事、中央教育委員。10日あさ8時、首里大名町の自宅で死去。58歳、国頭村出身」。
                                 
□→2001年3月ー『史料編集室紀要』第26号□納富香織「在本土沖縄県人紙についてー『大阪球陽新報』『球陽新報』『内報』『自由沖縄』目録ー」  ○2010-5-20記


写真ー宮城久隆・琉大理事





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万年筆にネームを入れる彫刻機/実演する渡口彦邦氏



右ー琉球独立論者・渡口彦邦さん、琉球国王に変身!
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2017年9月9日 とまりん地下「島尾敏雄 生誕100年 シンポジウム<ヤポネシア論>を問う」


新川明「主催者あいさつ」写真左から司会の岡本由希子さん、パネリストの仲程昌徳氏、西蔵盛史子さん、仲里効氏、川満信一氏





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コメントはメールにお願いします→shinjo8109@yahoo.co.jp
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1990年11月 日本放送出版協会『NHKさわやかくらぶ』「沖縄の心を彫る●儀間比呂志」









1991年5月 斎藤公子編 絵・儀間比呂志 作詞・木村次郎 作曲・丸山亜季『わらしべ王子』

□2004年8月26日「蘇鉄庵」ー小泉自公政権の危機管理の無責任さはリストラありきの郵政民営化にも見られ資本の論理では離島も破滅だ。リストラ優先は安全の手抜きにつながりその結果、台風被害、福井県美浜原発死傷事故や、米軍ヘリ沖国大墜落事故も招いてしまった。国防とは国民の安全を守ることで「死の商人」(ブッシュ)に奉仕し海外に自衛隊を派遣し殺されることではない。自衛隊は自然災害に強い国土をつくる公共事業などに協力させることも重要な任務であるべきだ。福井県の若狭湾に突き出た常神半島の常神岬は蘇鉄自生の北限地とされ天然記念物の「大ソテツ」がある。沖縄に「米軍基地」が差別的に集中しているように、若狭湾周辺は「原発」が集中している。賢しらに言うことではないが、どちらも地域住民をなだめるために巨額の資金(税金)が動いている。

2004年8月26日 新城栄徳『蘇鉄庵』(題字・国吉真哲)「危機管理」

○我が琉文菴は近鉄奈良線の布施駅近く(上の赤丸・東大阪市)にある。奈良公園や、唐招提寺・薬師寺、大和文華館(山口宗季の花鳥図、座間味庸昌の人物画が所蔵されている)、近鉄資料室や大阪ミナミ(道頓堀)に出るのに便利である。奈良はシルクロードの終点と言われているが、1977年発行の辛島昇①編『インド入門』に「日本人のシルクロード好きは、毎秋奈良でひらかれる正倉院展にどっと人があつまる事情と軌を一にしたものである」とし「むかし大東亜共栄圏という日本を扇の要においたひろい意味での文化圏を捏造した国粋主義に通じる」とする。奈良は東大寺の大仏や興福寺の五重塔、阿修羅像でも知られ世界遺産でもある。
①辛島昇 からしま-のぼる
1933- 昭和後期-平成時代の南アジア史学者,インド史学者。
昭和8年4月24日生まれ。専門は南アジア史。昭和50年東大教授。のち大正大教授。平成15年「History and Society in South India:The Cholas to Vijiayanagar(南インドの歴史と社会─チョーラ朝からビジャヤナガル王国へ)」で学士院賞。19年文化功労者。東京出身。東大卒。著作に「インド入門」など。→コトバンク


奈良近鉄駅ビル3・4階に歴史・観光の展示館「なら奈良館」(旧・奈良歴史教室)/源平争乱によって焼失した東大寺を、重源はその資金を広く寄付にあおいで各地をまわる勧進上人となって、宋人陳和卿の協力を得て再建にあたりました。そのとき採用されたのが、大仏様の建築様式で、大陸的な雄大さ、豪放な力強さを特色するもので、この東大寺南大門が代表的遺構です。

国宝・銅造盧舎那仏坐像/重文・如意輪観音坐像/大仏殿にある広目天像  多聞天像 /小説家して有名な森鴎外は、大正6年に帝室博物館の総長に任命され、東京・京都・奈良の帝室博物館を統括する要職でした。大正7年から10年まで、秋になると鴎外は正倉院宝庫の開封に立ち合うため奈良を訪れている。
□2005年5月2日ー自宅で去年上六の天地で買った『沖縄アーカイブス写真』(生活情報センター)を見る。関連して、沖縄タイムス出版部が編集し琉球銀行が発行した『あんやたん-沖縄、写真が語る50年』(1995年9月)、『時の謡人の譜・街の紋-山田實写真50年』(2003年1月)を見る。平凡社の1963年3月の『月刊百科』は「『PR誌』-機能・沿革と現状」、1968年3月の『月刊百科』には勝連哲治「沖縄の経済」が載っている。1970年から日本メール・オーダー社から出はじめた『アルファ大世界百科』と、1972年版の平凡社『世界大百科事典』が手元にある。南方熊楠や末吉麦門冬を単に博覧強記の人として片付ける嫌いがあるが、今はネットの時代である。熊楠や麦門冬が大衆を喜ばせるために書いた情熱はネット空間でますます輝くであろう。

 2006年5月13日ー午後、近鉄丹波橋で降りて、御香宮神社に行く。名水「御香水」が境内にある。この神社には京都市天然記念物のソテツがあり、その実は「延命厄除そてつ守」になっている。鳥せい本店側では名水「白菊水」、月桂冠大倉記念館では名水「さかみづ」を飲んだ。同時に昼間からきき酒で顔が赤くなった。

御香宮神社ー近鉄奈良駅西口を出て地下道を通って近鉄高天ビルに出て歩道を西の方に歩くと直ぐ通称「山の寺」という看板が見える。奧まったところに「葵」の紋を打った山門が建っているところが浄土宗降魔山「念仏寺」である。門をくぐると降魔山と記された燈篭がある。その傍らに蘇鉄。1614年(慶長19年)11月15日徳川家康が大阪冬の陣の折、木津の戦いで真田幸村の軍勢に敗れ、奈良へ逃げ延び、この地の小字山の寺に至って、桶屋の棺桶の中に隠れ、九死に一生を得た。その後に、家康が豊臣方を破って、天下が治まった、1622年(元和8年)徳川家康の末弟で当時伏見城代を務めていた松平隠岐守定勝が、ここ油坂・漢国町を買い受け、袋中上人を開山として諸堂を建立したのが、山の寺「念仏寺」の始めである。/浄土宗降魔山「念仏寺」

〇御香宮神社は徳川家と深い関わりがある。徳川家康が豊臣秀吉のあとをうけ伏見城で天下の政事をとったおり、尾張、紀伊、水戸の御三家の藩祖と、秀忠の娘千姫はこの伏見で誕生している。御香宮を産土神として特別な崇敬を払っている。御香宮の神門は1622年に水戸中納言頼房(水戸光圀の父)が伏見城大手門を寄進したものと言われている。
□御香宮神社は江戸末期の慶応4年(1868)正月に勃発した「伏見・鳥羽の戦」では、吉井孝助率ら官軍(薩摩藩など)の屯所となった。片や幕府軍は大手筋通りを隔てた南側200mほど離れた伏見奉行所に陣(伝習隊、会津藩、桑名藩、新撰組などが)を構えた。大砲・鉄砲などの弾が激しく飛び交ったが、御香宮は幸いにして戦火には免れている。官軍の屯所となった境内には「明治維新伏見の戦跡」の石碑がある。□→1983年9月ー山本眞嗣著・水野克比古撮影『京都伏見歴史紀行』山川出版社

近松門左衛門
井原西鶴(浮世草子)、松尾芭蕉(俳諧)とともに元禄三大文豪として名高い浄瑠璃・歌舞伎作者の近松門左衛門の墓は尼崎の広済寺(→HP)と、地下鉄谷町線「谷町6丁目」下車、谷町筋を南へ 谷町7丁目交差点南へすぐ、ガソリンスタンド手前の狭い道の奥にある。墓は、当初近くの法妙寺境内にあったが、同寺は大東市へ移転し、墓だけは現在地におかれ、押し込まれたようにして残っていた。1980年に整備が図られ、国の指定史跡となった。【広済寺】尼崎市にある日蓮宗の寺(ソテツもある)。957年(天徳1)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建したと伝え、のち荒廃。1714年(正徳四)日昌が堂宇を建立。近松門左衛門の墓がある。俗称、近松寺。(広辞苑第四版)帰途、浄土真宗本願寺派西正寺のソテツを見る。□→「HP・近松のまち・あまがさき」
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2008年5月4日 午前9時半、あけみと散歩に出かける。司馬遼太郎記念館をのぞくと、竹富島などの映像が放映されていた。近鉄八戸ノ里駅から乗車し東花園駅で下車。12時半に元長栄氏宅に着く。前からお願いしておいた元長氏の「履歴書」をいただいた。氏は1969年8月、沖縄と本土を結ぶ月刊誌『沖縄ジャーナル』を大阪で創刊している。この雑誌は70年に『沖縄ポスト』と改題、10号で休刊。70年9月には元『沖縄ポスト』編集人の座喜味康夫が京都長岡町で『沖縄群像』を出している。偶然なことだが元長氏宅の近くには『青い海』編集デスクであった小渡照生①氏も住んでいる。ちなみに『青い海』社長の山城賢孝氏は元長氏の沖縄教員時代の教え子であった。
5月12日 3時ナンバの大阪府立上方演芸資料館に行く。この資料館も大阪のタレント知事のリストラの一つにあげられている。この知事は職員に「一緒に死んでくれ」と相変わらずのパフォーマンスで宮崎県の知事同様テレビにもよくとりあげられその経済効果は十分期待されている。それはさておきこの資料館で私の好きな浪曲「紺屋高尾」を篠田実、富士実、浮世亭雲心坊、東家燕左衛門の節で聞いた。芝居のビデオでは松竹新喜劇の藤山寛美の「紺屋と高尾」を見た。沖縄の歌劇の「染屋の恋唄」も紺屋高尾をアレンジしたものだ。私が沖縄近現代芸能史の源流というノンキなことを調べている最中に中国では大震災が起きていた。
5月14日 ナンバの日本工芸館に行く。沖縄の漆器展が開かれていた。数十年前になるが同館での沖縄展のおり、三宅忠一館長と儀間比呂志さんが会話しているのを間近で聞いたことがある。この時は、儀間さんとは面識はなかった。
5月15日 沖縄が密約復帰をした日で、戦前の1932年のこの日は犬養首相が海軍将校らによって射殺された国家改造クーデターテロ事件が起きている。同日、京都では葵祭がある。葵祭は何回か見ているから二千円札にちなんで宇治を散策。平等院に寄り「鳳翔館」ができていたので観覧、コンピューターグラフィックスによる彩色復元の平等院の映写はコンピュータ技術を駆使したものだ。また売店で絵ハガキを買い求めた際に、お釣りを二千円札でくれと注文したら二千円札は用意して無いとのことだった。鳳凰堂は何回も見ているので丁度修学旅行生とはちあわせしたので周辺(大書院、浄土院、羅漢堂、頼政の墓、不動堂)、宇治市源氏物語ミュージアムを見た。帰途、萬福寺を見学。
2012年5月 コルシカ島生まれのナポレオンは、新聞一紙は5千の兵に匹敵するとし新聞統制を計り活用した。駅逓頭・前島密が指導した『郵便報知新聞』が創刊された1872年、川崎正蔵は大蔵省の命で琉球物産調査に赴き「経済交流で琉球を日本に依存させよ」と主張して前島に認められて日本政府郵便蒸気船会社の副頭取に就任し、琉球との郵便航路を開設。73年には海軍大佐柳楢悦らが測量で来琉した。川崎は後に川崎造船所を興し神戸又新日報社、神戸新聞社にかかわる。郵便報知は後に報知新聞となり読売新聞と合併する。
□1918年9月 山本實彦『川崎正蔵』 
□1928年10月 『目録』(神戸 川崎男爵家蔵品入札目録)
□1936年2月 『神戸 川崎男爵家蔵品入札目録』
「支那宋、元古画の蒐儲に於いて、世界にその名を知られている川崎美術館は、神戸川崎男爵家の先々代・故川崎正蔵翁が明治23年神戸布引の邸内に建設されたもので、一に長春閣と呼ばれている。これは其当時翁と親交のあった伊藤博文公が命名されたのである。→当社(川崎重工業)の創立は1896(明治29)年10月のことですが、造船業の歴史としては、それより18年前から始まっています。創業者の川崎正蔵が1878(明治11)年に東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが、当社の起源です。川崎正蔵は1837(天保8)年、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。17歳(嘉永6年)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎に出て貿易商の修行を積み、27歳(文久3年)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を成功させました。この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くようになりました。1878(明治11)年、時の大蔵大輔(現在の次官)であり同郷の先輩でもあった松方正義などの援助があって、東京・築地南飯田町(現在の中央区築地7丁目)の隅田川沿いの官有地を借りて川崎築地造船所を開設、造船業への第一歩を踏み出しました。(→川崎重工業ウェブサイト)

 円山公園の蘇鉄/妙心寺退蔵院襖絵「山羊と蘇鉄」

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 9月3日旧盆、朝お寺さんに行く。沖縄市プラザハウスショッピングセンター3Fにある「ライカムアンソロポロジー」の山田實展を見るため山田勉氏と同行。途次、儀間比呂志の絵がシャッターに描かれている久茂地・抱瓶店を見る。ゆいレール・那覇空港駅には儀間比呂志の「万国津梁の民」(2003年8月)がある。

 〇2012年4月19日昼、沖縄大学に寄って宮城先生紹介で大学図書館に『青い海』創刊号と、沖縄関係資料室が載っている10号を寄贈する。帰途、那覇市歴史博物館に寄って、5時から久茂地・抱瓶の高橋淳子さんのお別れ会に参加。壁には淳子さんの写真が所狭しと貼られていた。アルバムには喜屋武真栄氏や西平守良さん、喜納昌吉、大田昌秀、具志堅用高、新城亘、儀間比呂志、ひさみ夫妻の諸氏らが淳子さんと収まっているのもある。私は1973年頃、高円寺・球陽書房の西平守良さんに近くの「きよ香」に連れて行かれそこで淳子さんを知る。知るといってもそれが最初で最後の出会いであった。会場の抱瓶にはひさみ夫妻らが居られた。1時間半ごろ経って大田昌秀氏、岡留安則氏や沖縄大学のO教授、S氏らが参加し故人が好きだった民謡で追悼した。しばし大田氏、岡留氏と懇談する。岡留氏に東郷健の消息を尋ねた。(4月26日の新報、タイムスに同性愛者の差別撤廃運動で知られた東郷健の死亡記事が顔写真入りで報じられていた。)


昔ープラザハウス/今ープラザハウスショッピングセンター

写真左が山田勉さん、山田實展を企画した波平雄太氏/「山田實展『Eternal lights』」2017年8月15日(火)〜9月24日(日) 11:00〜19:00 入場無料 沖縄・沖縄市「プラザハウスショッピングセンター」3階「ライカムアンソロポロジー」にて開催



山田實さん所蔵の儀間比呂志作品「伊野波節より」


2017年9月22日『沖縄タイムス』仲嶺絵里奈「展評ー山田實展」/2014年3月ー左から豊里友行氏、山田實さん、金子隆一氏、仲嶺絵里奈さん

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2017年8月 同人誌『南溟』3号 『南溟』同人会 〒904-2166 沖縄市古謝津嘉山町8番9号




2017年2月 同人誌『南溟』2号 『南溟』同人会 〒904-2166 沖縄市古謝津嘉山町8番9号

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 1957年 野口昭二・儀間比呂志『詩画集 琉球』→1957年5月『図書新聞』火野葦平「『ちぎれた縄』という芝居を書いていて、自分も沖縄の苦しみのなかに入ってみようと試みたばかりの私には、この、詩と版画とで彩られた『琉球』という美しい本を、異様な息苦しさなしでは、最後のページまで見終わることができなかった・・・」

 1957年6月9日『琉球新報』石野朝季「関西の沖縄地帯ー郷里の体臭ただよう ミナト神戸に沖縄通いの船」/1957年10月27日「商都に生きる(2)儀間比呂志ー商都のボヘミアン 画面に”生きるうた〟を」〇『何んやて”商都に生きる〟?そらきみ、オレの場合はちがうな。そらたしかに、ここでメシ食って、ここの空気を吸って・・・つまりここで生きてるにはちがいないが、ほんとのいみで”生きる〟となると”沖縄に生きる〟とでも云いたいな。』のっけからこうである。うるさい男だ。が、かれのいうのももっともなはなし。かれくらい商都に似つかわしくない風体の人間も少ない。


山田實・撮影「瀬長亀次郎」
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1970年9月 瀬長亀次郎『沖縄人民党ー闘いの二十五年』新日本出版社(装幀・儀間比呂志)/8月7日  『人民』儀間比呂志「沖縄を描くー絵画を語る」
     

儀間比呂志「母と子」1972年




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 「くろねこの短語」9月 9日ー(前略)阿呆くさとくれば、ペテン総理とプーチンの会談だ。そもそも、ペテン総理はなんのためにロシアくんだりまで出張ったんだろうね。「私たちを北朝鮮と同じ制裁に載せておきながら、北朝鮮に対する制裁に私たちの助けを要請するとは笑わせる」ってプーチンは吠えてるんだから、どう考えたってペテン総理ごときが「制裁に協力してくれ」と言ったくらいで首を縦に振るわけがない。案の定、「2人は笑顔で握手をしましたが、安倍総理が発言している際に、プーチン大統領は鋭い目でにらみ付けるように話を聞いて」いたそうだ。あげくには、「(問題の解決は)政治的・外交的手段によってのみ可能というロシアの見解を伝えた。まずは緊張状態を緩和し、その後、すべての関係国と対話にこぎつける」と合同記者会見で表明されちゃって、これのどこが「今後も緊密に連携、緊密に協力していくことで一致した」(ペテン総理)ことになるんでしょうねえ。

 「くろねこの短語」9月 8日ー(前略)民進党の中から、「離党」だの「議員辞職」だのって声が上がるってのは不思議な話だ。いったい誰がそんなことを言いふらしているのか、実名で報道して欲しいものだ。スピード今井君の騒動の時に自民党の中から「離党」や「議員辞職」を叫ぶ声なんか聞こえてきませんでしたからね。自民党のしたたかさってのはこういうところにもあるんだね。どんなに問題児であっても、仲間はとりあえず守る。少なくとも悪し様に罵ったリしない。言いたかないけど、モナ細野のロチュー事件では「離党」なんて誰も言ってなかったよね。ましてや、パンティー泥棒した過去が暴露されても大臣をクビにならずに済ました奴だっている。こちらは犯罪ですからね。
 それはともかく、永田町ってのは「自覚」のない奴らの巣窟なんだね。お友達を優遇して恥じないペテン総理、ナチス大好きなひょっとこ麻生、加計学園からのパーティー券疑惑の不正献金王・下村君、あっせん利得疑惑の布袋頭・甘利君、「自衛隊・防衛大臣としてもお願いしたい」発言の網タイツ・稲田君、さらに小物だけども男性買春の武藤君なんてのもいた。もちろん、パンティー高木君やパソナ小野寺君なんてのも忘れるわけにはいかない。アニー山尾君もそうした政治家のひとりだったわけで、同じ「自覚」なき政治なら自民党に票が流れのもむべなるかなってことか・

 「くろねこの短語」9月 7日ー(前略)湯上りの口先番長・前原君が、「次期衆院選の選挙協力を盛り込んだ共産党などとの四党合意について見直すよう執行部に指示した」ってさ。「独裁者ではないので、自分が言ったことが全部その通りになるとは思っていない」ってエクスキューズもしてるんだが、だったら「いまは何も言うな!」だ。そもそも、「協議を加速させ、四野党が協力して候補者調整を行い、一致したところを順次発表する」と合意文書には明記されている。これを反故にしようってんなら、それなりの根回しだって必要だろうし、だいたい民進党だけで選挙やったって惨敗するのは目に見えているんだから、これが事実とするなら負けるの分かって解散総選挙に突入した暗愚の司令官・ノダメと一緒だね。
 でもって、アニー山尾君が離党を検討してるとさ。そんなことしたら、不倫スキャンダルを認めちゃったようなもんだろうに。民進党は、ハッキリ言って、ペテン総理打倒を目指す者にとっては、はなはだ迷惑な存在になってきたようだ。くそっ!

 「くろねこの短語」9月 6日ー(前略)最後に、自民党が東京新聞に突きつけた記者会見における質問などに関しての要望書の全文が出てきました。東京新聞は、これを是非とも自らの紙面で公開すべきだろう。


 「くろねこの短語」9月 4日ー(前略)日朝国交回復ってのにもっと尽力すべきだったのだ。小泉訪朝ってのはその最大のチャンスだったのに、拉致問題を政治利用しようとしてすべてをチャラにしてしまいましたからね。その主犯格が当時官房副長官だったペテン総理で、もっと粘り強く交渉して拉致の全容を明らかにするべきだったのに、それを怠っちゃったのが痛恨の極みなのではなかろうか。とにかく、いまは頭抱えて這いつくばるんじゃなくて、とりあえず原発停めたら、と思う月曜の朝である。
 ところで、いちご鼻の竹下君が北朝鮮のミサイルが島根、広島、高知の上空を通過すると予告したことに関して、「広島はまだ人口がいるが、島根に落ちても何の意味がない」ってほざいたそうだ。これって、島根のひとたちを馬鹿にしているどころか、「国民の生命と財産を守る」という政治家の最大の仕事を放棄してますね。そもそも、島根には原発があるんだぞ。こいつらが、いかに日本の安全保障を真剣に考えていないかわかろうというものだ。5日□ところで、北朝鮮のミサイルが「島根に落ちても何の意味もない」ってほざいたいちご鼻の竹下君が記者に突っ込まれて「どこが不適切なのか、教えてくれれば考える」って居直ったってさ。なんかもう、立て板に水の馬鹿だね・・・って、そんな言葉はないか。


『しんぶん赤旗 日曜版』2017年9月3日「防災の日9・1 どう備える?大震災」

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2017年9月 俳句同人誌『天荒』58号 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536



1981年6月 雑誌『青い海』104号 井沢唯夫(俳人・「聚」発行人)「野ざらし延男編『沖縄俳句総集』発刊によせてー見よ!この海上の道を。このニライカナイの海を』と力をこめて書いている。それを物語るように、見返しの儀間比呂志氏の版画は、太陽を背に鐘打ち鳴らす爬龍船の男たちが強いタッチで描かれており、裏表紙の見返しは更に強烈である。前方に突き出された巨きな掌と五本の指、その下方に黙々と鍬を振る農夫、鮫を後ろに鉄兜の男の半顔が浮ぶ。片方の目はぎらぎらと輝き、片方は鳥の羽毛のようである。これは獲物を狙う鷹の翼か、或いは平和を装う鳩の羽根か。いづれにしても正に沖縄である。」

『詩画集 琉球愛歌』右の儀間作品は1981年4月野ざらし延男『沖縄俳句総集』、1990年6月『脈』「儀間比呂志と沖縄」(表紙)にも使われている。



「末吉麦門冬」

「原田紅梯梧」/「山田真山」
1981年4月 野ざらし延男『沖縄俳句総集』」