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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

11月23日 沖縄大学同窓会館「おきなわに『自治の風』をーおきなわ住民自治研究所設立総会」宮本憲一「記念講演/沖縄の地方自治とその歴史と未来」
〇『沖縄タイムス』2016年9月2日 沖縄県外の有識者でつくる「普天間・辺野古問題を考える会」(代表・宮本憲一①大阪市立大名誉教授)は9日、東村高江周辺のヘリパッド建設などを強行する政府に対し、抗議声明を発表する。ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんら計71人(8月31日現在)の有識者が声明に賛同しており、名護市辺野古の新基地建設と高江のヘリパッド建設に対し「沖縄の人権・自治・環境・平和を侵害する不法な強権発動を直ちに中止せよ」と訴え同会は9日に東京の参院議員会館で記者会見を開き、声明を発表する。事務局を担当する寺西俊一一橋大学名誉教授は本紙の取材に「安倍政権は、民主主義に基づく法治国家にあるまじき、極めて無法な強権的対応を強めている。本土から声を上げ、さらに賛同の輪を広げたい」と話した。同会は昨年4月にも、辺野古新基地建設の作業中止を求め、安倍晋三首相宛てに緊急声明と8千人を超える署名を提出している
①宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )は、日本の経済学者。元滋賀大学学長、大阪市立大学名誉教授、滋賀大学名誉教授。専門は財政学、環境経済学。経済学博士(京都大学)(1972年)。
〇1980年6月『青い海』94号 「沖縄問題研究センター(上江洲久理事長)設立総会/宮本憲一大阪市大教授が記念特別公演『基地がある限り、自治はない』と語り、財政学の立場から、沖縄の現状を分析しました。」

 「くろねこの短語」10月 24日ーヤメ検のエロ髭・若狭君と透析患者は死ねの長谷川君が国民から排除されたのは、自公の漁夫の利勝利の中にあって、なんともめでたい。でもって、その自公の漁夫の利勝利なんだが、NHKの選挙特番スタートと同時に「自公圧勝」ってアナウンサーが吠え立てた瞬間、思わず「殴るぞ!」とつぶやいちまった。それはともかく、本当に自公圧勝なのかという疑問が、ふつふつと湧き上がる火曜の朝なのである。(略)しかも、議席数に目をやれば、自民は横ばい、公明は5議席減なんだね。これのどこが圧勝なんだってことだ。議席数だけで「圧勝、圧勝」って新聞・TVが喚き散らすのは、どうも納得がいかない。(略)そうは言っても、公明党は、野党第一党との合意が大事、というのがスタンスで、ただでさえ議席を減らしたんだから、存在感を示すためにもそう簡単にペテン総理の改憲への目論みに乗っかるわけにはいかない。
 選挙終わったとたんに、新聞・TVは「改憲」の大合唱なんだが、そんなことは選挙前にちゃんとすべきことだろう。そんなことより、まずは「森友・加計学園疑獄」だ。加計学園とズブズブの萩生田君なんかは、すべてリセットされたかのようにでかいツラしてるようだが、ペテン総理共々けっして逃がしはしないから、首洗って待っていやがれ!!

【立憲フォーラム通信:857】2017年10月23日-4議席が確定していませんが、自公が312議席、立憲民主54、共産12、社民1、希望49という獲得議席数です。立憲フォーラムで当選は近藤昭一代表、辻元清美幹事長、阿部知子副代表、逢坂誠二事務局次長、佐々木隆博、玉城デニー幹事、赤松広隆、菅直人、照屋寛徳顧問、荒井聡、玉木雄一郎、長妻昭、中島克仁、西村智奈美、初鹿明博さん。落選は小山展弘、田島一成さんで15勝2敗(吉川元さんが未定)。また大河原雅子、川内博史、生方幸夫さんらが復帰を。新しい力として池田真紀、岡本章子さんらに期待。今回の選挙、自民党議員の二人の言葉を書きます。小泉進次郎氏の「今回もし野党がボタンを掛け違えていなかったら、政権交代の可能性もあった」、あるベテラン議員の「小池の“排除”発言さえなければ、今頃、自民党は大変なことになっていたぜ。過半数ぎりぎりで、政局になり、安倍さんは代わっていたよ!せっかく、期待していたのに、もう小池人気も終わりだろう。小池の自滅が今回の選挙戦のすべて」。しかし、1996年の総選挙で(旧)民主党が獲得したのは選挙前と同じ52議席(小選挙区17議席/比例代表区35議席)でした。それを立憲民主は上回ったのですから、へこたれている暇はありません。枝野代表が語ったように、市民と立憲野党が共闘する国民運動で安倍9条改憲に立ちふさがりましょう。

 「くろねこの短語」10月 23日ー投票率が53%台という、なんとも悲惨な状況がすべてなんだろうね。だから、自公圧勝というよりは、現状維持ってのが正しいところなのだろう。ペテン総理がなんとなく浮かない顔していたのも、これからの国会運営考えたら、「森友・加計学園疑獄」追求が待ってたりするんだから、至極もっともなことなのだ。(略)
 今回の選挙で改めて確認できたことは、野党共闘で1対1の対決になれば、十分に政権交代がうかがえるということだ。実際、一騎打ちとなった選挙区では野党の強さが目立ってますからね。その意味では、今回の選挙における共産党の候補取り下げという大英断には改めてエールを送りたい。立憲民主の躍進も共産党の英断があればこそなのだ。こうした野党共闘に対する共産党の本気度を、けっして裏切ることなく次へと繋げなくてはいけない。なんてったって、いまや共産党は「護憲」を旗印にした「寛容な保守」そのものですからね。

 10月22日、午前5時、台風21号は南大東島、久高島、沖縄島に最接近だという。台風接近で期日前投票を済ましていたので、今日が投票日との国営放送の全国ニュースに違和感。相変わらず、3勢力(まやかし希望、古い維新)の争いとの妄言も垂れ流していた。

【立憲フォーラム通信:855】2017年10月21日-昨夜のNHKの最終議席予測数値で、立憲民主51、希望52と出ているようです。野党第一党(国会での与党協議など果たす役割と責任で大きな差)となるために、もう一息の働きかけを期待したいです。比例で候補者不足などという情報操作に乗らないでください。「琉球新報」は社説「平和の砦崩していいか」で「想起してほしい。2014年12月の衆院選では、改憲勢力が3分の2以上の議席を占めたことで、安倍政権が勢いづいた。その結果、憲法に反する法律が一気につくられたのである。安倍政権は14年7月、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更を閣議決定し、国民から大きな反発を招いた。それでも5カ月後の衆院選で自民党は圧勝した。15年9月に安全保障政策を大転換する安保関連法が成立し、16年3月に施行され、集団的自衛権の行使が可能になった」と。長谷部恭男早大大学院教授は「安倍さんは改憲そのものが自己目的化している。改憲で何をしたいのかが見えないのです」と「目的が分からないだけ不気味」と指摘しています。


左ー下地候補のポスター/右ー『しんぶん赤旗』10月21日「新基地建設だんまり自民候補/一族の会社(国場組)が工事受注で巨利」

 「くろねこの短語」10月 21日ー(前略)かつてオバマを黒人奴隷呼ばわりして大顰蹙を買ったタレント弁護士崩れの丸山君が、岩手県一関市で自民党議員の応援演説の際に、「相手候補に投票する人は脳がおかしい」「認知症と言ったら怒られるけど、判断力、脳がおかしいとしか言えない」って言い放ったってね。相手候補というのがオザワンだから、さあ大変。オザワンの怒るまいことか。
 自民党参議院議員の一関市でのこの発言は、認知症で苦しまれている方々やそのご家族、そして何より岩手県の全有権者を愚弄するものであり、到底許しがたい。このような発言が堂々と行われることこそ、安倍政権の本質をよくあらわしている。苦しむ人々をあざ笑う自民党に絶対に負けるわけにはいかない。— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2017年10月20日
 オザワンの怒りはもっともとして、これまでにも自公の政治屋どもはやたら野党を罵り、ひいては彼らを支持する有権者に対して喧嘩売ってくれちゃってるんだね。「野党の中には衆院を解散する意義が乏しいと言う人がいるが、それは自分たちの頭が乏しいためだ」「たたきつぶせ、立民、共産」と喚いた公明党の白塗り野郎・山口君、「消費税上げるな」の野次に「黙っとれ」と何様発言した土建政治の自民党幹事長・二階君、さらにペテン総理の街頭演説では「森友・加計学園問題」で声を上げると警官に取り囲まれるんだとか。

 「くろねこの短語」10月 20日ー(前略)「GDPは過去最高だ。株価は21年ぶりの高水準。有効求人倍率は1倍を超えた」って、昨日も京都でペテン総理は自画自賛していそうだが、なんのことはない、GDPは「定義が変わっただけのふくらし粉」(小池百合子)だし、株価は年金を大量投入した官製相場だし、有効求人倍率だって非正規だらけが実情だ。というわけで、選挙の前にもう一度ペテン総理の悪行の数々を思い返し、「安倍はノー」こそ選挙の争点と心に刻んで選挙に行こう!!最後に、売文芸人の百田君が「立憲民主党は政党要件を満たしていない」なんてデマを飛ばして、公職選挙法違反の疑いが浮上している。逮捕しろ!!


2017年10月18日~19日『琉球新報』『沖縄タイムス』、テレビなどで、高江の墜落ヘリの片づけも早々に演習再開の報道で、怒りが沸き起こる中で「あかみね政賢候補 街頭演説」。米軍の占領意識は自公の都合などは目に入らないらしい。


写真右ー左から高江洲義一氏、宮里政秋氏、古堅実吉氏

写真右ー嘉陽宗儀氏

2017年10月18日-沖縄県庁県民広場「あかみね政賢候補 街頭演説」

『しんぶん赤旗』10月19日「18日、あかみね政賢候補 街頭演説/志位委員長の街頭演説」

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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
コメントはメールにお願いします→shinjo8109@yahoo.co.jp

ゴーヤー/フーチバーヨモギのこと。沖縄料理に欠かせない食材で、クセの強いヤギ汁などの料理のにおい消しとして利用するほか、沖縄そば、じゅーしー(雑炊)、菓子、お茶などにも使われている。 →「沖縄大百科」
Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
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原爆ー1969年11月ー沖青友の会機関誌『石の声』第1号□[もしも沖縄で爆発したらこのようになる]□真栄田義秀「日本国憲法第九条」/「沖縄にあるB52は24メガトンの水爆を積むことができる(広島の1,200倍) もしも沖縄で爆発したらこのようになる。!▲150~570キロ以内の住民半分が即死し、生き残った人も4カ月以内にはほとんど死亡する。▲爆発にともなう地震津波がおしよせてくる。▲水や食物も多量の放射能を浴びて生き残っても奇型児や発育不能な人間が生まれてくる。▲北は奄美大島、鹿児島迄も被害は及ぶ。-沖縄の住民は今日も原爆をかかえて生活をしている。」


関連ー「核はこうして貯蔵されている<辺野古の核弾薬庫>」『週刊ポスト』1973年11月15日号「平野部の”70%„が米軍基地の沖縄」。アベ政治が辺野古に拘る一因か。

1971年5月 沖縄の雑誌『青い海』2号 「あるグループ 沖青友の会(大阪)」

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1971年5月 沖縄の雑誌『青い海』第2号/1972年5月 青い海出版社『はだか沖縄 ジャンプ・イン<沖縄>青春広場』六月社書房

1971年4月 大阪市北区で あすの沖縄をつくる若い広場『青い海』創刊
青い海文芸/祖慶美佐江「母校のナンキンハゼ」、宮城清子「短歌」、平良寿美子「青春て何だ」、宮城敏夫「生きる、大城悦子「ささやかでも尊い想い出」」(何れも『石の声』転載)
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沖青友の会機関誌『石の声』

 『石の声』10号は、1972年11月に発行されていて、新城栄徳、嘉陽宗博と新里金福の往復書簡が載っている。新里「沖縄も日本に復帰したのだから、沖縄人も日本人になる努力をしなければならないという説もあります。が、それは戦前、すでに破産した発想にすぎません。沖縄の人々は日本人の同化の努力のはてに、より収奪を強化され(ソテツ地獄)、文化的にも破壊され(方言撲滅運動)、そしてついに沖縄戦を迎えました。そして沖縄戦では<それでもお前らは日本人か>といわれて、日本人のあかしをたてる為に死地に沖縄人はおもむきました。つきるところ、沖縄人にとって、日本人になろうという努力は、自滅しかもたらさなかったのです」、嘉陽「沖縄と本土を往来し沖縄を理解したかのような口振りで<悲劇の島>とか<基地の島>とか、エトセトラのレポートを書いた大和人の知識人ち呼ばれるインテリゲンチャのなんと多いことよ。沖縄を食いものにする、沖縄をテコにして“日本を見つめよう”“己を問い直そう”等とほざく利用主義者の厚顔無恥(知)、エセ文化人を徹底的に糾弾する」、新城「僕らはこういうヤマトーの人間達をふやさぬためにも最後にはテロも辞さぬつもりですが、論には論で行った方が正当かと思われますので新里先輩の手でひとつよろしくお願いします」とある。

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1963年6月30日『沖縄タイムス』「座談会・関西の住人 大いに語る」
 1971年9月のある日、私たち「沖青友の会」会員は女性3人、男性4人で機関誌『石の声』八号のガリを徹夜で切っていた。変色した1963年6月3.0日の『沖縄タイムス』3面にわたっての特集「関西の郷土地図」を転載し、主張に「沖縄の禁断の書『さまよへる琉球人』の封を自ら、はがしたように、われわれは自らの心のヤミを見据えよう」と記した。そして偶然のことだが、ガリ切り作業をやっていた嘉陽宗博(沖青友の会会長)の間借り先の、その小さな部屋の番地は、大阪市港区市岡元町で、戦前の関西沖縄県人会本部の近くの番地であった。
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 私は『石の声』八号への提言として「僕らは、今の県人会には、大いに不満の点がある。そこで僕らはユニークな機関を創造して行きたい。現時点で実用的なものは、関西沖縄ミニ・シンクタンクであろう」としていて消化不良的な用語を使っているが、要は各種の問題解決のための資料(経験)を蓄積し、すぐ活用できる沖縄青年の「資料センター」を創造していこうということである。 この「資料センター」の考え方が、この「琉文21」の出発点でありプロトタイプといえる。

 『石の声』九号に「沖青年譜」があるので沖青友の会の歩みを紹介する。1969年4月20日に大阪城公園にて50名参加して発足、会長・宮城晃で11月には『石の声』一号を出している。「沖縄子供の国」資金カンパや、女子高生刺傷事件の署名カンパ、1970年6月は仲宗根正順(マンガ家)さん捜しに取り組む。兄弟団体の三和同郷青友会(尼崎)、南風サークル(大正区)との六甲山登山やソフトボール大会で交流。また、映画「水俣病」、「沖縄列島」上映会にも参加した。

 1971年12月11日、沖青友の会会員9名が初めてのテレビカメラのライトを浴び、あがってしまいながらの「関西テレビ土曜イブニングショウ」の沖縄討論に参加。司会は、栗原玲児、上原「最近よく沖縄について語られているけれども、安易な気持ちで語ってもらいたくないですね」、喜納「沖縄が返還されても我々は沖縄解放の闘いを続ける」、三郎「沖縄人としての自立を踏まえて沖縄人としての思想を構築していく」、新城栄徳「沖縄は経済的に自立できるかということを考えた上でなければ沖縄を語る資格はないですね」というと、司会者が「語る資格はあるかないか別として、自分の話で恐縮だけれども沖縄に関する司会をするのは十三回目です」、紀美枝「自らのことも出来へん状態で沖縄に連帯、連帯とそんな簡単に言えるべきもんではない」、比嘉「私達は皆さんが沖縄のことに口に出す場合、日本の歴史の中から、どうして現在の沖縄ができたんか考えてから」などと発言した。

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1972年11月発行の沖青友の会機関誌『石の声』所載『青い海』の紹介。

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Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
 1972年11月、沖青友の会機関誌『石の声』10号を出して休刊した。この頃から、それぞれが結婚し、子育てに忙しく沖青友の会も役目を終える。1975年1月26日に、新たな関西沖縄青少年の集い「がじゅまるの会」(会長・玉城利則)発足。大阪沖縄会館での発会式には、青年会のOBということで私も参加した。9月には機関誌『がじゅまる』が創刊された。歴史はくりかえすという事であろうか。
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写真左上ー1969年4月20日ー大阪城公園で「沖青友の会」発足。機関誌『石の声』
写真左下ー1975年1月26日ー大阪沖縄会館で、がじゅまるの会発足。左端、新城栄徳(元沖青友の会)。
写真右上ー1996年12月7日/大阪・大正駅前「居酒屋ゆんた」で、左から金城勇(演劇「人類館」上演を実現させたい会)、息子、諸見里芳美(演劇「人類館」上演を実現させたい会)、仲間恵子(大阪人権博物館学芸員)、崎浜盛喜(奈良沖縄県人会副会長)、右端がゆんた主人の玉城利則(関西沖縄青少年の集い「がじゅまるの会」初代会長。1981年、『ハイサイおきなわ』編集人、発行人は嘉手川重義(現大阪沖縄県人会連合会長)と夫人、真ん中の女性はお客さん。撮影・新城栄徳/(下)1996年12月8日/大阪港区・池島保育園(近鉄の野茂英雄投手も同園出身)階上で、左より西平久子、西平守晴夫妻、娘、後に息子。撮影・新城栄徳


1975年9月ー関西沖縄青少年の集い・がじゅまるの会機関誌『がじゅまる』創刊号
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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
コメントはメールにお願いします→shinjo8109@yahoo.co.jp








東京ディズニーリゾートから飛び出して来た、ミッキーマウスと仲間たち
10月7日ー市民演芸・民俗伝統芸能パレード

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
10-5

山田勉氏、ヒデ/那覇市歴史博物館ーヒデ、嘉数理紗さん

みずほ銀行横/沖縄県立博物館・美術館

沖縄県立博物館・美術館ー左から豊見山愛さん、ヒデ、玉那覇英人氏/ニシムイ

ヒデ、伊佐真一氏/ちらー小で沖縄そば

眞正陶房ー左から安里真尚氏、ヒデ、末吉安允氏/末吉陶房ー末吉安允氏、ヒデ

なるみ堂ーヒデ、翁長良明氏/壺屋
Category: 03-所感
Posted by: ryubun02

1979年 沖縄の雑誌『青い海』6月号 古堅実吉「沖縄社会大衆党に望む」

1953年6月 大田昌秀・外間守善編『沖縄健児隊』日本出版協同 古堅実吉「地下の友よ」
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2017年10月19日ーあかみね政賢 選挙対策本部で左が古堅実吉氏/2014年12月24日は私も知人が居たので古堅実吉氏の隣りに座り込んだ。


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