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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
日本画家。1898年大阪生。本名は秀夫。京都絵専卒。北野恒富・西山翠嶂・小松均に師事する。美人画・仏画を能くする。帝展・文展・院展に入選する。1933年の住所ー京都上京区鹿ケ谷法然院町61。1981年(昭和56年)歿、83才。 (→コトバンク参照)

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1926年ー初来沖
1928年ー『川柳 大大阪』表紙絵
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1935年ー2回目の来沖
1960年ー3回目の来沖
1961年5月17日ー『京都日出新聞』「京にくる琉球の古典舞踊ー樋口画伯が恩返し。知名士らで”みる会”」
1961年5月31日ー『琉球新報』「京都の画家・樋口富麻呂さんが、沖縄を訪れた際モデルになった上津真紀子さん(24)を京都に招待。」


Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

左から9番目に宮城源四郎(大宜味村字塩屋)の名がある。宮城保氏の父である。



沖縄コレクター友の会ー前列右から二人目ー宮城保氏



大阪は1923年に関東大震災を機に沖縄青年たちの赤琉会が結成された。それを母体にして24年に関西沖縄県人会(渡口精鴻会長)が結成された。28年には『(関西)沖縄県人住所案内』が発行された。1935年8月には大阪市西成区鶴見橋通り6ノ4の関西沖縄興信社から『関西沖縄興信名鑑」』が発刊された。同社の顧問、編集同人に豊川忠進、眞栄田勝朗、下地玄信、山城興善、翁長良孝、古波蔵太郎、比嘉繁雄、古波蔵加壽が居る。

本名鑑の序文「関西地方は大阪市を中心として我国産業都市の中心地であると共に又最大の経済都市である。就中大阪市は人口三百有余人を擁し近代的文化施設は施され世界第三位の大都市である。殊に関西地方を理想郷に求めて来阪する県民は其数実に5万人と註されて居る。学者、弁護士、医師、実業家、学生、労働者、紡績女工等ありて各方面に亘りて各々其の職業生線(ママ)に健闘しつつあるは刮目に値する。近時我が県民が各方面に著々として地位を確保し成功しつつあるは吾人の意を強うして祝福せざるを得ない。然るにいまだ県民の消息近況を知るに完全なる機関なきは甚だ遺憾とする所である。茲に於いて吾人は『関西沖縄興信名鑑』を上梓し県民の頒布状態並びに活動状態及び職業、居所を詳細に記述して県民諸氏の座右に供せんとす。幸いに本名鑑が県民多数の連絡機関と徒然の好伴侶として聊かなりとも裨益する所あらば幸甚である。」とする。

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1912年2月ー太平洋画会の吉田博、石川寅治、中川八郎と丹青協会ー左端が比嘉崋山、右へ一人おいて兼城昌興




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1932年2月 太田朝敷『沖縄県政五十年』「普通語奨励にも意義はあるが、この奨励が公式的に方言禁止の傾向を帯びることが往々あるのは考えものだ。余り普通語を強いるやうになると、私は県人の性格に不純の変化を生ずる恐れがあると思ふ。母の乳房をいじりながら頭に沁みこんだ方言には、いふにいはれぬ微妙の力がある・・・・・普通語の奨励より今日最も必要とするのは『趣味の一致』である。」

1934年7月 『養秀ー創立五十周年記念』第35号 仲宗根政善「思い出ー母の懐から習ひ覚えた方言は忘れようしても忘れられるものでもなく更に覚えようともよし只其れ以上に標準語を習得すること是れが普通語奨励ではなかろうか。」

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仲宗根政善の本
仲宗根政善 略年譜(沖縄言語研究センター)

1942年(昭和17年)
女子師範付属国民学校主事に任命される。
1943年(昭和18年)
新制師範沖縄師範学校女子部教授兼予科主事に任命される。
1945年(昭和20年)
沖縄,戦場と化す。
3月24日晩,貴重資料の中から方言ノート2冊をリュックサックにおしこみ,城岳の家を出,そのまま,女生徒を引率して,南風原陸軍病院に向かう。第1外科に配属。
5月25日,米軍,南風原陸軍病院近くまで侵攻,南部へ移動しなければならなくなり,方言ノートを壕の奥の抗木におし込み,壕脱出。島尻摩文仁村波平第1外科壕に入る。
6月18日晩,軍は解散命令を発して,学徒動員を解く。第1外科勤務の生徒は伊原の壕で解散。
6月19日未明伊原道路上で負傷。砲弾の破片はまだ首筋に残る。
6月23日,喜屋武海岸で米軍に包囲され,生徒12名と一緒に捕虜となる。
8月15日,ポツダム宣言受諾。終戦。東恩納にあった教科書編集所で,戦後の小中高校の教科書編集に従事。
1946年(昭和21年)
沖縄文教部(東恩納在,部長・山城篤男)編集課長に任じられる。
金城和信夫妻が中心となり,摩文仁に集まっていた真和志村民によって,「ひめゆりの塔」が建立された。7日に除幕式と第1回の慰霊祭を挙行。戦死した生徒たちを弔った「いはまくらかたくもあらむやすらかにねむれとぞいのるまなびのともは」の歌をささげる(4月)。後に真和志村民によってその歌碑が建てられた。
沖縄師範健児之塔(建立,昭和21年3月)に,「いはまくら」と同日詠んだ「みんなみのいはをのはてまでまもりきてちりしたつのこくもまきのぼる」の歌が後に刻まれる。

写真-[]いわまくらの碑(山田實氏撮影)
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(角川文庫)「真新しい塔に祭られた二百余名の御霊の前にぬかずいて、仲宗根はとぶらいの歌をささげた。 いはまくらかたくもあらむやすらかにねむれとぞいのるまなびのともは  この歌を真和志村民がきざんで歌碑を建てた。」「まえがきー原子爆弾で人類は破滅へとすすみつつある。核戦力増強による核抑止力では戦争はなくならない。地上から戦争をなくすことはとうてい不可能である。生命は尊い。こうした厳粛な事実をもっと深く考えるのでなければ永遠の平和は望めない。」

□2012年6月 仲程昌徳『「ひめゆり」たちの声ー『手記』と「日記」を読み解く』出版舎Muɡen(上間常道氏寄贈)
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
名度山愛順(山田實撮影)
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01/24: 村社講平

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むらこそこうへい【村社講平】 1905(明治38)‐
日本陸上競技長距離界の一時代をつくったランナー。酒造業を営む一家の五男として,宮崎県赤江町に生まれる。日露講和条約締結に因んで講平と命名されたという。宮崎中学時代に,同校卒業の熊谷一弥選手のアントワープ・オリンピック(1920)におけるテニス競技銀メダル獲得の報道に接し,長距離競走への興味を高めた。兵役を終えて県立図書館に勤め,織田幹雄の金メダル獲得に触発されながら一層練習に打ち込む。27歳にして中央大学進学を決意し,苦学と独創的な練習によって,第21回全日本選手権大会で5000m,1万m両種目に優勝。

01/24: 宮平初子

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宮平初子






宮平初子 みやひら-はつこ
1922- 昭和-平成時代の染織家。
大正11年11月6日生まれ。沖縄県立女子工芸卒業後,上京して日本民芸館や柳悦孝(よしたか)の工房で染織技法をまなぶ。昭和16年郷里の沖縄県にかえり,母校でおしえるかたわら首里織物の技法を研究。戦後,首里織物の技術保存と技術者の組織化につとめ,45年宮平染織工房を設立。平成10年人間国宝。→コトバンク
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柳田国男 やなぎた-くにお
1875-1962 明治-昭和時代の民俗学者。
明治8年7月31日生まれ。井上通泰(みちやす)の弟。松岡静雄,松岡映丘(えいきゅう)の兄。農商務省にはいり,法制局参事官をへて貴族院書記官長を最後に官を辞し,朝日新聞社客員論説委員,国際連盟委員として活躍。かたわら雑誌「郷土研究」の刊行,民俗学研究所の開設などをすすめ,常民の生活史をテーマに柳田学とよばれる日本民俗学を創始。昭和24年学士院会員,同年日本民俗学会初代会長。26年文化勲章。昭和37年8月8日死去。87歳。兵庫県出身。東京帝大卒。旧姓は松岡。著作に「遠野(とおの)物語」「海上の道」など。
【格言など】我々が空想で描いて見る世界よりも,隠れた現実の方が遥かに物深い(「山の人生」)→コトバンク


1962年10月 琉球大学民俗研究クラブ『民俗=柳田国男先生追悼号=』第5号


1975年8月10日 大阪市立博物館「生誕百年記念 柳田国男」展

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写真ー窪徳忠御夫妻を囲んで、石垣繁氏、石垣博孝氏


2014年1月1月『沖縄タイムス』「うちなぁタイムス」



左ー石垣繁氏、新城栄徳

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Posted by: ryubun02


1978年11月 『沖縄紅型 城間栄喜作品集』京都書院□渡名喜明-終戦直後首里市に文化部が設置され、部長の豊平良顕氏を先頭に活発な文化運動が行われた。首里城をはじめとする市内の旧跡からは市民の手で文化財の残欠の収集活動が盛んに行われ、昭和21年3月には首里市郷土博物館が設立された。城間栄喜氏は仕事のことで博物館に出入りし、館長を兼ねた豊平氏や2代館長の原田貞吉氏の激励を受けた。実業家の稲嶺一郎氏や名渡山愛順氏の激励があったのもこの時期である。昭和25年にはじめて国展に首里風景の紅型を出品した。昭和27年まで出品を続け、毎回入選した。戦後の混乱が続くなかで、一介の職人が日本本土の展覧会に作品を出品し、入選したというニュースは時の文化人を驚かせたものだと城間氏は笑って語る。

城間氏の紅型は次第に人々の注目をひくようになった。昭和27年から画家の末吉安久氏をはじめとして同じく画家の大城貞成、屋宜元六(1923 - 1996)、森田永吉氏等が紅型を習うためにつぎつぎ城間氏のもとに通い始めた。4氏ともに沖縄美術家連盟の会員として、また末吉、大城、屋宜の3氏は、豊平良い顕氏等の主唱で昭和24年から始まった沖縄タイムス社主催の「沖展」の当初からの主要メンバーとして、時の沖縄画壇の指導的立場にあった人々である。名渡山千鶴子、渡嘉敷貞子、藤村玲子さん等女性グループが城間氏の工房に通うようになったのもこの年である。紅型の家系とは無縁な画家や女性が本格的に紅型を学ぶということは、戦前では考えられないことであり、これらの人々が紅型復興にはたした役割を思うとき、この昭和27年という年は戦後の紅型の歴史のなかで画期的な意義を持つ年である。この年の10月に城間氏は高江洲鶴子さんと再婚、鶴子さんは家業を手伝っていた長女道子さんとともに城間氏を助けることになった。



1987年3月 那覇市民ギャラリー「明治・大正生まれの作家たち」 屋宜元六「がじまる」、屋宜元六、儀間比呂志/1989年3月 儀間比呂志『新版画風土記 沖縄』海風社〇琉球紅型ー紅型作家の屋宜元六君は、私の戦前からの数少ない画友である。儀間比呂志「がじまる」

翌年の昭和28年5月に、城間氏を中心に「琉球紅型技術保存会」がつくられた。メンバーは画家の名渡山愛順、末吉安久、大城皓也、大嶺政寛、大城貞成、屋宜元六、主婦の名渡山鶴子、渡嘉敷貞子の各氏である。やるからには昔通りのすばらしい紅型をつくろう、というのが会員に共通する思いであった。いつまで続くともわからない米軍支配のもとで、そして日本復帰など思いもよらない状況下で、画家や新聞人をはじめとする住民の伝統文化再建にかける意気込みはすさまじかった。終戦直後から芸能活動は盛んであったが、柳宗悦の沖縄文化論等を支えにして、伝統工芸復興の気運もいよいよ高まってきた。紅型復興はその先端を行く運動となり、「紅型技術保存会」は産業としての道を模索すべく「琉球紅型技術振興会」に改称、琉球政府から15万円の補助金を受けた。この補助金は材料の購入費や工房の建築費用となったほか、東京在住の鎌倉芳太郎氏所蔵の紅型型紙を複写する費用に当てられた。大嶺政寛氏が上京して染色作家の岡村吉右衛門氏とともに鎌倉氏を訪ねたところ、、同氏は所蔵する型紙のなかからすぐれた型紙3百枚を快く選ばせてくれたという。複写された型紙が紅型復興に大いに役立ったことはいうまでもない。

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01/21: 城間喜宏

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02





2012年10月10日~14日 美術研究会「白馬会」絵画展
出品者・上原はま子/与那嶺芳恵/高野生優/佐久間フサ子/島袋孝勇/鶴見伸/高原武子/具志堅古秀/城間喜宏/宮里友三
□具志堅古秀「チムグクルー沖縄の祖先崇拝は、人との和合にある。チムグクルは、まさに和を表現された言葉である。(略)今、沖縄では、オスプレイや基地問題もあり、チムグクルで世界に発信する時ではないか。」


写真左が城間喜宏氏、沖縄文化の杜の金城美奈子さん


2015年7月19日 写真左から宮城保武氏、城間喜宏氏、宮里昌信氏

□城間喜宏略歴
1935年  沖縄県那覇市生まれ
1958年  第1回個展
1960年  第12回沖展『榕樹』初入選
1961年  第46回二科展『殻』初入選
1962年  大浜用光、大嶺實清らと「グループ耕」結成
1965年  沖展会員
1967年  第10回新象展『饒舌1』『饒舌2』初入選
1968年  「亜熱帯派」結成。新象作家協会会員
1970年  「沖縄新象作家協会」結成
1982年  ジュネーブ第21回個展(スイス・ギャルリーチェキ)
1983年  サロン・ドートンヌ会員
1983年  第17回沖縄タイムス芸術選賞大賞
1986年  沖縄国際美術家協会結成
1987年  メキシコ美術賞展『曼荼羅宇宙幻想』優秀賞
1996年  沖縄戦後美術の流れシリーズ1『亜熱帯の島から』『滴』出品
1997年  個展(那覇市民ギャラリー)画業40年記念
2004年  県文化功労賞
                       (□→沖縄県立博物館・美術館)

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01/21: 大城皓也

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

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1935年4月「第一回沖縄洋画協会展」①大嶺政寛 ②大嶺政敏 ③大城皓也 ④大城皓也夫人 ⑤末吉安久 ⑥具志堅以徳 ⑦桃原思石 ⑧山田有昂 ⑨西銘生一 ⑩國吉眞喜 ⑪宮平清一⑫許田重勲 ⑬渡嘉敷唯盛 ⑭安仁屋政栄


大城皓也(山田實さん撮影)
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昭和50年7月 『大城皓也の世界』同編集委員会
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写真ー高安重正

大峰林一作成「高安重正氏関連文献資料」(部分)


特高がでっち上げた「日本共産主義者団組織一覧表」(昭和14年10月20作成)高江洲重正と記している。


1967年1月1日『沖縄・小笠原事情』高安重正「『沖縄事情』創刊のころー1959年はじめ、それまで大阪で発行されていた『基地沖縄』を東京に移して発行し宣伝していたが、このような形ではまずいということで、沖縄問題懇談会の機関紙として『沖縄事情』を発行することが決定され、1959年3月に第1号が発行」 


1970年6月  沖縄返還同盟機関紙『沖縄』写真ー左から高安重正常任理事、又一郎氏、親川仁助氏


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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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1955年8月  警視庁正門、左から宮本顕治、紺野与次郎、志田重男、志賀義雄、2列目中央に松本三益

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1956年 四原則貫徹・県民代表として本土渡航の瀬長亀次郎沖縄人民党書記長を羽田空港で出迎える松本三益(瀬長の右)、志多伯克進(瀬長の左)

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1967年11月 新宿・酒礼門で「瀬長亀次郎歓迎会」中央に瀬長亀次郎、その左が松本三益、右隣りに比嘉春潮

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1974年7月15日 那覇市民会館「日本共産党創立52周年記念集会」で中央委員会を代表して講演する松本三益

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1987年10月 東京調布市で第28回「赤旗まつり」の沖縄物産店で懇談する、左より古堅美吉、瀬長亀次郎、松本三益

01/10: 嘉数能愛

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

嘉数能愛

○嘉数 wrote:
能愛の孫にあたる嘉数能彦と申します。このようなサイト
があることを知り嬉しく思います。03/27 16:47:17

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1886年11月  在京沖縄学生「勇進社」結成。(1888年3月沖縄学生会と改称)

前列向かって右から宮平良応、大宜見朝英、小橋川朝重、渡慶次柴起。2列目ー和宇慶良忠、仲吉朝助、高宮城朝文、花城長清、新城安定、高嶺朝教、諸見里朝鴻、比嘉。3列目ー富永實益、富島良功、糸満盛三郎、富川盛睦、岡崎、嘉数詠清、花城、山口全述。後列ー真境名安宏、大田朝敷、渡久地政勗、護得久朝惟、桃原良得、高嶺朝申、百名朝申、百名朝計、謝花昇