08/16: 糸満和美
1985年3月 『琉舞 華の会 糸満和美の会』
1985年10月 琉舞 華の会『会誌 華』創刊号(表紙題字・新崎白玄)
1998年11月 琉舞かなの会『踊い愛がなと』
オリオンビールポスター(糸満和美)/写真手前左から糸満和美さん、、金城安太郎さん、山城光重沖縄県立図書館副館長、後方左が宮城保氏、新城栄徳
ウィラード・A・ハンナ(1911年8月3日~1993年10月5日)
1974年発行の『琉球の文化』第5号の特集は<沖縄戦と終戦直後の生活>であった。掲載の戦後沖縄の写真はハンナ少佐が撮ったもので、少佐の友人ジョージ・H・ケアから博物館研修で渡米中の大城精徳に譲られ沖縄の博物館に収蔵されたものである。同誌には画家・大嶺信一の戦後回顧が載って「終戦後の行政の中心地は石川市であったが、当時沖縄最大の人口密集地帯で、バラックやテントの人家がまるでカスパの街のようにひしめきあっていた」と記し続けて「諮詢委員会が東恩納に軍政府の下に設立され、志喜屋孝信氏を長として多くの部が作られ、その中に文化部があって故当山正堅を部長として、官費の芸能団が組織され、官費の画家が誕生して、荒んだ戦後の人心に慰安を与えた。軍政府の文化部担当将校がハンナ少佐で、理解の深い人であったらしく、大城皓也、山元恵一、金城安太郎の3氏が毎日出勤して絵画に専念」と記した。
□ハンナ博士プロフィール
学歴ー1932年 ウースターカレッジで文学士修得/1937年 オハイオ州立大学で文学修士修得/1940年 ミシガン大学で英文学博士号修得/コロラド大学U.S.海軍日本語学校/コロンビア大学U.S.海軍学校/ワシントンD.C.国家軍事大学1953年卒業生
職歴ー1932-36年 中国 上海 杭州で英語教諭 ミシガン大学で英文学教諭/1940-41年 ミシガン州立ノーマルカレッジ(現サザーンミシガン大学)で英文学教諭/1942-46年 U.S.海軍/1945-46年 海軍教育部長(沖縄民政官として赴任)/1946-54年 U.S.国務省 マニラ文化担当調整官 /1947-52年 ジャカルタ広報部部長/1953-54年 東京広報部部長/1954-76年 (American Universitie’s Fields Staff)東南アジア専門委員会 ジャカルタ、シンガポール、マレーシア、ホンコンを基地に時事問題についての報告書を作成。また3年ごとに会員の大学で講義をおこなう。 1976年退職。その後数年間、AUFSの特別な仕事を続ける。結婚は1953年である。
金城安太郎氏とハンナ博士御夫妻
右から新城栄徳、金城安太郎氏、ハンナ博士
2013年1月 『島袋光史伝 琉球芸能発展の礎』沖縄タイムス社
写真上左ー眞喜志康忠優、新城栄徳/写真下ー左、眞喜志康徳氏、新城栄徳、宜保栄治郎氏/右、新城栄徳、人間国宝の島袋光史氏(糸満和美さん撮影)
1966年度 第一回 琉球古典音楽コンクール
歌三味線最高賞ー上地源照、照喜名朝一 他10人
新人奨励賞ー西江喜春、他9人
太鼓優秀選賞ー玉城節子(国場徳八太鼓研究所)、宮里敏子、金城美枝子、他6人
琉球古典舞踊最高賞ー谷田嘉子、平田行正、石川節子、松村典子、宮里敏子、他5人
1989年11月ー「第24回 琉球古典芸能祭プログラム」
琉舞優秀部門ー新城あけみ、他62人
1994年11月ー「第29回 琉球古典芸能祭プログラム」
琉舞最高賞ー新城あけみ、他42人