05/29: 麦門冬と上間朝久
1924年12月18日『沖縄タイムス』上間草秋「末吉安恭君を悼む」
1955年4月19日『琉球新報』上間朝久「琉球舞踊雑観」(1)
○琉球歴史は既に郷土研究の先哲 伊波普猷先生を初め、真境名笑古、末吉麦門冬、東恩納寛惇、島袋全発の諸家に依って解明されたが、中にも琉球古文化の研究という点に於いては、郷土史家の鬼才 末吉麦門冬に負うところ多大であった。
上間正雄(1890・6・29~1971・4・12)
別名ー草秋、朝久
実父上間正富は松山王子尚順の守役であった。後に那覇上之蔵の亀山朝奉の養子となる。沖縄県立中学校在学中から詩や歌を作り、1910年に同人誌『雑草園』を発行。同年上京。帰郷して樗花、夏鳥、梅泉、正敏のペンネームで新聞雑誌に文芸・美術・芸能の評論や創作を発表する。特に12年に『三田文学』に発表した「ペルリの船」は注目された。14年琉球新報歌壇選者、16年琉球新報記者、19年沖縄時事新報記者、20年沖縄タイムス編集長。→1991年1月 新沖縄文学別冊『沖縄近代文芸作品集』「上間正雄」