09/19: 宜湾朝保(1823年3月5日~1876年8月6日)
宜湾朝保
近世末期琉球の政治家,歌人。唐名は向有恒。明治政府が樹立し,廃藩置県が行われると,維新慶賀副使として上京,琉球藩王を受けて,琉球王国の日本への編入の道を開く。琉球の名門の家に生まれ,父親は幼時に死去したものの,やはり三司官(本土の家老などに相当する首里王府の要職)だった。本人も尚泰15(1862)年から死の前年まで三司官を務める。歌を,香川景樹の高弟で薩摩藩士八田知紀に師事し,『沖縄集』(尚泰23年刊),『沖縄集二編』(同29年刊)を編集刊行するなど大いに歌道を興す。家集に『松風集』がある。
(池宮正治)→コトバンク
宜湾朝保の父ー向延楷・盛島親方朝昆
1969年3月 昭和女子大学近代文学研究室『増訂 近代文学叢書』「八田知紀」第一巻 昭和女子大学
左から池宮正治氏、新里彩さん、田口恵さん/左、池宮正治氏、新城栄徳
池宮正治(1940年― )は、日本の琉球文学研究者、琉球大学名誉教授。 1964年早稲田大学文学部国文科卒、67年同大学院修士課程修了、琉球大学法文学部助教授、教授、2006年定年退官。 1980年沖縄文化協会賞、96年伊波普猷賞受賞。
2023年11月1日『琉球新報』田口恵「琉歌大鑑ー発刊の意義と可能性 上」
近世末期琉球の政治家,歌人。唐名は向有恒。明治政府が樹立し,廃藩置県が行われると,維新慶賀副使として上京,琉球藩王を受けて,琉球王国の日本への編入の道を開く。琉球の名門の家に生まれ,父親は幼時に死去したものの,やはり三司官(本土の家老などに相当する首里王府の要職)だった。本人も尚泰15(1862)年から死の前年まで三司官を務める。歌を,香川景樹の高弟で薩摩藩士八田知紀に師事し,『沖縄集』(尚泰23年刊),『沖縄集二編』(同29年刊)を編集刊行するなど大いに歌道を興す。家集に『松風集』がある。
(池宮正治)→コトバンク
宜湾朝保の父ー向延楷・盛島親方朝昆
1969年3月 昭和女子大学近代文学研究室『増訂 近代文学叢書』「八田知紀」第一巻 昭和女子大学
左から池宮正治氏、新里彩さん、田口恵さん/左、池宮正治氏、新城栄徳
池宮正治(1940年― )は、日本の琉球文学研究者、琉球大学名誉教授。 1964年早稲田大学文学部国文科卒、67年同大学院修士課程修了、琉球大学法文学部助教授、教授、2006年定年退官。 1980年沖縄文化協会賞、96年伊波普猷賞受賞。
2023年11月1日『琉球新報』田口恵「琉歌大鑑ー発刊の意義と可能性 上」