12/07: 我如古弥栄
我如古弥栄(1881年~1943年9月2日)
首里生まれ、仲毛芝居をへて、劇団全盛時代にかかり、1911年、沖縄座で歌劇「泊阿嘉」を初演。その後「八重山行き」「貞女と孝子」「情無情」「普天間権現」「黄色うらんさん」などの歌劇を残した。ハワイ、南洋にも巡業。(大城立裕)
中央ー我如古弥栄
1931年 ハワイから帰った我如古弥栄一行
1949年6月 『芝居と映画』6月号□芝居狂言作者年表
我如古弥栄
明治42年2月 泊阿嘉
娘の我如古安子
1962年7月 『芸能マガジン』「人物クローズアップー我如古安子さんの若き日を偲ぶ」
日夏耿之介の本/左下ー東恩納寛惇宛の日夏書簡(東恩納寛惇文庫蔵)
1917年12月ー日夏耿之介「まことの詩は、詩篇ではなくて詩人其のものである」
1931年10月-崎原好仁遺稿集『琉球のローマンス』(装丁・岸畑久吉)□日夏耿之介「好仁君崎原氏南島に人となりて早稲田大学文学部にまなび、その業まさに成らむとして癘疾俄かにいたり、卒然として逝く。君が丹念の資性素僕の感情は、まさしく命永く存らへて最も佳くその天賦を発揮すべかりしもの、半道に僵るるのなげきは、啻に遺子戚族の哀哭にとどまらむや、生まれて学を等しうするわれらの綿々限りなき愍惜也。いまその遺文、同学厚情の僚友等が手によりて開雕せられむとす。顧みて仲々然として剥哀をあらたにす。虔みて悼む」
1942年5月ー日夏耿之介『風塵静寂文』桜井書店□「母は詩人としての小泉八雲、学者としての南方熊楠翁の清節高風に傾倒した」
1942年9月ー日夏耿之介『黄眠零墨』擁書閣赤門書房□「『おもろさうし』ー伊波普猷/南島古神謡の校冊は、別に伊波氏の選釋本あつて、吾々琉球語に縁のないものも些かこれを解釋することが出来るが、予の立場からいうても、いろいろー。詳かに上げる余裕がないがーな點で、實にいろいろな點で、庇陰をうける本である」
日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年(明治23年)2月22日 - 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の詩人、英文学者。本名は樋口國登(ひぐち くにと。通称は圀登)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人など30数種類を数える。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。詩人としては自らゴスィック・ローマン詩體と称す高踏的で荘重幽玄な詩風であり、その神秘主義的な象徴詩は他に類をみない個性を放っている。また訳詩、文学論考、随筆などの幅広い著作があり、明治・大正期の文学論でも知られる。→ウィキペディア
立てるは岸畑久吉
首里生まれ、仲毛芝居をへて、劇団全盛時代にかかり、1911年、沖縄座で歌劇「泊阿嘉」を初演。その後「八重山行き」「貞女と孝子」「情無情」「普天間権現」「黄色うらんさん」などの歌劇を残した。ハワイ、南洋にも巡業。(大城立裕)
中央ー我如古弥栄
1931年 ハワイから帰った我如古弥栄一行
1949年6月 『芝居と映画』6月号□芝居狂言作者年表
我如古弥栄
明治42年2月 泊阿嘉
娘の我如古安子
1962年7月 『芸能マガジン』「人物クローズアップー我如古安子さんの若き日を偲ぶ」
日夏耿之介の本/左下ー東恩納寛惇宛の日夏書簡(東恩納寛惇文庫蔵)
1917年12月ー日夏耿之介「まことの詩は、詩篇ではなくて詩人其のものである」
1931年10月-崎原好仁遺稿集『琉球のローマンス』(装丁・岸畑久吉)□日夏耿之介「好仁君崎原氏南島に人となりて早稲田大学文学部にまなび、その業まさに成らむとして癘疾俄かにいたり、卒然として逝く。君が丹念の資性素僕の感情は、まさしく命永く存らへて最も佳くその天賦を発揮すべかりしもの、半道に僵るるのなげきは、啻に遺子戚族の哀哭にとどまらむや、生まれて学を等しうするわれらの綿々限りなき愍惜也。いまその遺文、同学厚情の僚友等が手によりて開雕せられむとす。顧みて仲々然として剥哀をあらたにす。虔みて悼む」
1942年5月ー日夏耿之介『風塵静寂文』桜井書店□「母は詩人としての小泉八雲、学者としての南方熊楠翁の清節高風に傾倒した」
1942年9月ー日夏耿之介『黄眠零墨』擁書閣赤門書房□「『おもろさうし』ー伊波普猷/南島古神謡の校冊は、別に伊波氏の選釋本あつて、吾々琉球語に縁のないものも些かこれを解釋することが出来るが、予の立場からいうても、いろいろー。詳かに上げる余裕がないがーな點で、實にいろいろな點で、庇陰をうける本である」
日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年(明治23年)2月22日 - 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の詩人、英文学者。本名は樋口國登(ひぐち くにと。通称は圀登)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人など30数種類を数える。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。詩人としては自らゴスィック・ローマン詩體と称す高踏的で荘重幽玄な詩風であり、その神秘主義的な象徴詩は他に類をみない個性を放っている。また訳詩、文学論考、随筆などの幅広い著作があり、明治・大正期の文学論でも知られる。→ウィキペディア
立てるは岸畑久吉