1971年10月 数田雨条『句集・夜光虫』

1915年ー西原村字小波津89で生まれる。
1929年ー高等小学受持訓導の富川盛信より俳句の手ほどきを受く。
1930年ー沖縄県師範学校入学。
1935年ー同校卒業、八重山与那国へ赴任。
1937年ー台湾台北州へ出向 山本孕江主宰「ゆうかり」会員。
1942年ー台湾総督府専売局勤務 「ゆうかり」支部「みなみ句会」創設。
1943年ー興南新聞文芸募集に応募「天」入賞「みんなみに友邦生れて年あらた」
1944年ー応召で香港に赴く 「光洋句会」創設。
1945年ー部隊歌応募当選受賞。
1946年ー復員
1950年ー「みなみ吟社」創設、句誌「みなみ」刊行。
1951年ー沖縄群島政府弘報室勤務 句集『章魚の樹』(装丁。安谷屋正義)発刊。
1952年ー句集『翠巒の島』発刊。
1955年ー千葉県佐倉市南部中学校勤務。
1965年ー文芸出版社発行『愛の俳句集へ』2句採用 「女の唇凍てしままなる訣れかな」「白手袋恋情を断ち女踊る」
1967年ー文芸出版社発行『県の花』へ3位入賞 「花菜風利根の枝川遠光る」