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1994年12月 『土着の人ー平良幸市小伝』平良幸市回想録刊行委員会(代表・瑞慶覧長方)

平良幸市 たいら-こういち
1909-1982 昭和時代後期の政治家。
明治42年7月23日生まれ。戦後,生地沖縄県西原村の村長をへて,昭和25年沖縄社会大衆党結成に参加し,初代書記長,のち委員長をつとめる。また27年より琉球立法院議員。47年の沖縄の日本復帰後,県議会議長をつとめ,51年県知事となった。昭和57年3月5日死去。72歳。沖縄師範卒。→コトバンク
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家族写真

  
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1950年ごろー左から西銘順治、平良幸市、平良辰雄夫妻


1958年ごろー山田真山激励訪問、前列左から安里積千代、山田真山、平良幸市、山城善光

1959年1月『オキナワグラフ』「社大党ー中央に平良幸市」

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1960年6月ーアイゼンハワー米大統領来沖、握手する平良幸市


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1962年10月ーキャラウエイ高等弁務官①と
①第三代高等弁務官
ポール・W・キャラウェイ中将1961年2月-64年7月
【プロフィール】
1905年アンカーソー州ジョンスボロー生まれ。
陸軍省参謀本部、中国戦線の米軍部隊の計画部長などを務めた後、同部隊の副参謀長、軍事司令官に就任。戦後、ワシントンD・Cの陸軍本部では作戦担当の参謀次長室計画部部長、韓国在留の米第七歩兵師団の軍事司令官、東京の在日国連軍並びに米極東軍総司令部の参謀長補佐等を歴任し、58年、ワシントンD・Cに戻り米統合参謀本部と統合戦略調整委員会の陸軍側委員を務める。
【主な仕事】
最も長期に渡り在任した。キャラウェイ旋風と呼ばれるほど強烈な個性を印象づける。
この時期、日本政府の沖縄への関わりが目立ちはじめるほか、住民の自治権拡大の要求、復帰運動が高まる。しかし、弁務官は離日政策に終始したため住民から反発を招く。また、金融機関や政界に幾度となく介入し、峻厳な施策を執る。→「沖縄県公文書館」



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比嘉春潮を迎えて

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青島幸男②と
青島幸男 あおしま-ゆきお
1932-2006 昭和後期-平成時代の放送作家,政治家。
昭和7年7月17日生まれ。テレビ放送の草創期に放送作家,俳優などとして活躍。昭和43年参議院全国区で2位当選(当選4回)。二院クラブに属し,庶民の視点から金権政治を批判。56年「人間万事塞翁(さいおう)が丙午(ひのえうま)」で直木賞。平成7年東京都知事となる。11年退任し,以後タレント活動を再開。平成18年12月20日死去。74歳。東京出身。早大卒。→コトバンク


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瀬長亀次郎と