07/06: 戦時体制下の沖縄/沖縄県師範学校『同窓会会報』昭和17年10月現在
1881年5月卒業 速成科
田頭景明(那覇)、知志喜榮(那覇)、富永實政(那覇)、永田長恭(那覇)、花城康故(那覇)
1881年7月卒業 速成科
仲里常徳(那覇)
1881年10月卒業 速成科
仲尾次政雅(那覇)
1881年11月卒業 速成科
照屋興仁(那覇)、山口恵知(那覇)
1882年2月卒業 速成科
饒平名知新(那覇)
1882年4月卒業 速成科
糸数昌功(那覇)、島袋全榮(那覇)、下地寛清(宮古)、砂川昌治(宮古)
1882年6月卒業 速成科
安里昌一(島尻)、太田朝敷(首里)、岸本賀昌(那覇)、謝花昇(島尻)、謝花寛煌(那覇)、高江洲春錦(那覇)、富永實文(那覇)、眞榮田岩助(那覇)
1882年7月卒業 速成科
城間恒洪(那覇)
1882年7月卒業 初等師範学科
嘉手川重慶(那覇)、漢那憲昭(那覇)、比嘉平長(那覇)、松本維榮(那覇)
1882年12月卒業 初等師範学科
伊舎堂孫全(八重山)、大見謝恒有(那覇)、喜舎場英正(八重山)、名嘉眞春教(宮古)、譜久村昌匤(宮古)、松田賀烈(那覇)、安元實明(那覇)
1883年10月卒業 初等師範学科
上江洲由恭(八重山)、嘉数詠詩(那覇)、高良睦喜(那覇)、知念蒲戸(中頭)、平安山長保(那覇)、普久原宗丕(那覇)、眞榮田岩助(那覇)
1883年11月卒業 初等師範学科
大野要一(鹿児島)
1884年11月卒業 初等師範学科
大嶺快安(那覇)、神里多一郎(島尻)、喜屋武英守(中頭)、玉城克全(那覇)
1923年3月卒業 本科第一部
安里永慶(中頭)、安里源秀(中頭・台湾)、新垣信用(八重山・東京深川区毛利校)、新垣壮永(中頭)、上江洲智亭(島尻)、内間仁徳(島尻)、榮野川浩(中頭・旧名)盛貴)、島袋松五郎(中頭)、知念俊吉(中頭・台中州豊原郡神岡校)、吉川眞順(島尻・旧姓 渡嘉敷・東京市本郷区元町校)、仲里朝亭(八重山・台南州新豊郡関廟公学校)、羽地恵信(宮古)、平良恵路(宮古・東京市本所区江東学校)、宮島肇(中頭 ・旧姓 宮城)、宮良寛好(八重山・台湾基隆暖々公学校)、山里昌英(島尻・東京市下谷国民学校)、与那原昌茂(宮古・東京市本所外手校)□1959年5月『オキナワグラフ』「師範学校同期生 大正12年卒ー新垣隆蒸(55・東京工芸社長)、葉山靖(55・旧姓 羽地 江戸川区大杉東小学校長)、喜友名正規(56・江戸川区上一色小学校長)、内間仁徳(56・品川区上神明小学校長)、平良恵路(渋谷区松濤中学校長)、山里昌英(千葉県遠山中学校教頭) 」
1925年3月卒業 本科第一部
石垣英完(八重山・死亡)、糸数昌一(那覇・沖縄県学務課)、伊波嘉三(中頭・国頭楚州校長)、上原健明(島尻)、上里総恭(島尻)、大城亀助(国頭)、兼島方源(宮古)、下地恒忠(宮古・台中州)、島袋貞吉(国頭・東京市中野区野方東国民校)、瀬良垣松重(中頭)、知念清一(中頭)、渡嘉敷眞徳(中頭・死亡)、名幸正期(中頭)、名嘉原安利(中頭)、野原幸輝(島尻)、南風原英寛(八重山・死亡)、比嘉幸全(中頭・東京市中野本郷校)、比嘉永賀(中頭・死亡)、前川守皎(島尻)、宮城清宜(国頭)、宮良寛雄(八重山・朝鮮全州地方法院司法官試補)、本村恵康(宮古・台湾)、屋良朝苗(中頭・台湾台南第二中学校)、屋比久孟林(国頭)、与儀三郎(島尻)
1942年3月卒業 本科第一部
瑞慶村智啓(島尻・八重山与那国校)、砂川恵勝(宮古・与那原校)、西平守晴(八重山・恩納校)
西平守晴□このようにしてようやく卒業、新任教師として国頭郡恩納国民学校へと赴任することになるのです。その間いわゆる徴兵検査を受け甲種合格、しかも海軍への入隊がきまったのが5月末でした。愈々来るものがきたと思うと1年後の4月には軍人として出征しなければならないと思うと、1日1日が惜しまれ身の引き締まる思いで毎日教壇に立ったものでした。
1983年10月11日『沖縄タイムス』「二度と教壇に戻らなかった青年教師ー教え子と40年ぶりに再会」
沖縄県師範学校同窓会資料
1901年10月 『沖縄県師範学校一覧』
1931年6月 『沖縄県師範学校創立五十周年記念誌』
1936年11月 龍潭同窓会『会報』島袋盛敏「此の頃の暮らし」
1967年11月 『東京龍潭会報ー名簿付』(奥間徳一会長)山城文盛編
1975年 『龍潭 大正14年卒』(卒業五十周年記念誌)
1979年 『龍潭』(昭四会 五十周年記念誌)
1980年11月 『龍潭百年』(沖縄師範学校百年記念誌)
1983年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟3号(題字・仲宗根善行、表紙絵・平田善吉)
1984年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟4号(題字・当銘睦三、表紙絵・平田善吉)数田雨條(昭和10年卒)「俳句紀行・地球の海山を垣間見る」
1985年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟5号(題字・当銘睦三、表紙絵・平田善吉)与那嶺思郎(大正12年卒)「戦後四十年の夏」/「山田親度理事長の追悼」
1987年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟6号(表紙絵・平田善吉)山城文盛(昭和2年卒)「先生方かれこれ」/棚原盛吉「恩師宮良長包先生の思い出」/崎浜秀明(昭和7年卒)「比嘉春潮先生との出会い
触れ合い」
1985年11月 『龍樋』(沖縄師範学校昭和19年卒 卒業40周年記念)南風原英育「花も嵐もふみこえて」/宮平守光「師範学校受験を目指して」/浦崎晃「卒業四十年の歩み」/宮里朝光「思い出すままに」/西平守栄「教員落第生の弁」
南風原英育(はいばらえいいく)
大正13年(1024)石垣市登野城生まれ。昭和19年沖縄師範卒。同21年海南時報記者。昭和34年沖縄タイムス八重山支局長。同社関西・東京両支社編集部長、本社広告局長、東京支社長を経て取締役専務。沖縄タイムス・サービスセンター代表取締役社長。平成2年定年退職。昭和63年(1988)著書『南の島の新聞人』(おきなわ文庫・ひるぎ社)刊行。東京・八重山文化研究会長。
2016ー8-13『沖縄タイムス』
1988年10月 沖縄師範学校龍潭同窓会「会員名簿」
1988年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟7号(題字・当銘睦三、表紙絵・平良泉幸)外間正幸(昭和15年卒)「鎌倉芳太郎先生と首里」
1989年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟8号(題字・当銘睦三、表紙絵・平良泉幸)安里盛市(昭和13年卒)「畏友、吉田嗣義さんと三冊の本」
1991年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟10号(題字・当銘睦三、表紙絵・平良泉幸)山川武正(昭和9年卒)「心があるから古里だ」
田頭景明(那覇)、知志喜榮(那覇)、富永實政(那覇)、永田長恭(那覇)、花城康故(那覇)
1881年7月卒業 速成科
仲里常徳(那覇)
1881年10月卒業 速成科
仲尾次政雅(那覇)
1881年11月卒業 速成科
照屋興仁(那覇)、山口恵知(那覇)
1882年2月卒業 速成科
饒平名知新(那覇)
1882年4月卒業 速成科
糸数昌功(那覇)、島袋全榮(那覇)、下地寛清(宮古)、砂川昌治(宮古)
1882年6月卒業 速成科
安里昌一(島尻)、太田朝敷(首里)、岸本賀昌(那覇)、謝花昇(島尻)、謝花寛煌(那覇)、高江洲春錦(那覇)、富永實文(那覇)、眞榮田岩助(那覇)
1882年7月卒業 速成科
城間恒洪(那覇)
1882年7月卒業 初等師範学科
嘉手川重慶(那覇)、漢那憲昭(那覇)、比嘉平長(那覇)、松本維榮(那覇)
1882年12月卒業 初等師範学科
伊舎堂孫全(八重山)、大見謝恒有(那覇)、喜舎場英正(八重山)、名嘉眞春教(宮古)、譜久村昌匤(宮古)、松田賀烈(那覇)、安元實明(那覇)
1883年10月卒業 初等師範学科
上江洲由恭(八重山)、嘉数詠詩(那覇)、高良睦喜(那覇)、知念蒲戸(中頭)、平安山長保(那覇)、普久原宗丕(那覇)、眞榮田岩助(那覇)
1883年11月卒業 初等師範学科
大野要一(鹿児島)
1884年11月卒業 初等師範学科
大嶺快安(那覇)、神里多一郎(島尻)、喜屋武英守(中頭)、玉城克全(那覇)
1923年3月卒業 本科第一部
安里永慶(中頭)、安里源秀(中頭・台湾)、新垣信用(八重山・東京深川区毛利校)、新垣壮永(中頭)、上江洲智亭(島尻)、内間仁徳(島尻)、榮野川浩(中頭・旧名)盛貴)、島袋松五郎(中頭)、知念俊吉(中頭・台中州豊原郡神岡校)、吉川眞順(島尻・旧姓 渡嘉敷・東京市本郷区元町校)、仲里朝亭(八重山・台南州新豊郡関廟公学校)、羽地恵信(宮古)、平良恵路(宮古・東京市本所区江東学校)、宮島肇(中頭 ・旧姓 宮城)、宮良寛好(八重山・台湾基隆暖々公学校)、山里昌英(島尻・東京市下谷国民学校)、与那原昌茂(宮古・東京市本所外手校)□1959年5月『オキナワグラフ』「師範学校同期生 大正12年卒ー新垣隆蒸(55・東京工芸社長)、葉山靖(55・旧姓 羽地 江戸川区大杉東小学校長)、喜友名正規(56・江戸川区上一色小学校長)、内間仁徳(56・品川区上神明小学校長)、平良恵路(渋谷区松濤中学校長)、山里昌英(千葉県遠山中学校教頭) 」
1925年3月卒業 本科第一部
石垣英完(八重山・死亡)、糸数昌一(那覇・沖縄県学務課)、伊波嘉三(中頭・国頭楚州校長)、上原健明(島尻)、上里総恭(島尻)、大城亀助(国頭)、兼島方源(宮古)、下地恒忠(宮古・台中州)、島袋貞吉(国頭・東京市中野区野方東国民校)、瀬良垣松重(中頭)、知念清一(中頭)、渡嘉敷眞徳(中頭・死亡)、名幸正期(中頭)、名嘉原安利(中頭)、野原幸輝(島尻)、南風原英寛(八重山・死亡)、比嘉幸全(中頭・東京市中野本郷校)、比嘉永賀(中頭・死亡)、前川守皎(島尻)、宮城清宜(国頭)、宮良寛雄(八重山・朝鮮全州地方法院司法官試補)、本村恵康(宮古・台湾)、屋良朝苗(中頭・台湾台南第二中学校)、屋比久孟林(国頭)、与儀三郎(島尻)
1942年3月卒業 本科第一部
瑞慶村智啓(島尻・八重山与那国校)、砂川恵勝(宮古・与那原校)、西平守晴(八重山・恩納校)
西平守晴□このようにしてようやく卒業、新任教師として国頭郡恩納国民学校へと赴任することになるのです。その間いわゆる徴兵検査を受け甲種合格、しかも海軍への入隊がきまったのが5月末でした。愈々来るものがきたと思うと1年後の4月には軍人として出征しなければならないと思うと、1日1日が惜しまれ身の引き締まる思いで毎日教壇に立ったものでした。
1983年10月11日『沖縄タイムス』「二度と教壇に戻らなかった青年教師ー教え子と40年ぶりに再会」
沖縄県師範学校同窓会資料
1901年10月 『沖縄県師範学校一覧』
1931年6月 『沖縄県師範学校創立五十周年記念誌』
1936年11月 龍潭同窓会『会報』島袋盛敏「此の頃の暮らし」
1967年11月 『東京龍潭会報ー名簿付』(奥間徳一会長)山城文盛編
1975年 『龍潭 大正14年卒』(卒業五十周年記念誌)
1979年 『龍潭』(昭四会 五十周年記念誌)
1980年11月 『龍潭百年』(沖縄師範学校百年記念誌)
1983年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟3号(題字・仲宗根善行、表紙絵・平田善吉)
1984年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟4号(題字・当銘睦三、表紙絵・平田善吉)数田雨條(昭和10年卒)「俳句紀行・地球の海山を垣間見る」
1985年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟5号(題字・当銘睦三、表紙絵・平田善吉)与那嶺思郎(大正12年卒)「戦後四十年の夏」/「山田親度理事長の追悼」
1987年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟6号(表紙絵・平田善吉)山城文盛(昭和2年卒)「先生方かれこれ」/棚原盛吉「恩師宮良長包先生の思い出」/崎浜秀明(昭和7年卒)「比嘉春潮先生との出会い
触れ合い」
1985年11月 『龍樋』(沖縄師範学校昭和19年卒 卒業40周年記念)南風原英育「花も嵐もふみこえて」/宮平守光「師範学校受験を目指して」/浦崎晃「卒業四十年の歩み」/宮里朝光「思い出すままに」/西平守栄「教員落第生の弁」
南風原英育(はいばらえいいく)
大正13年(1024)石垣市登野城生まれ。昭和19年沖縄師範卒。同21年海南時報記者。昭和34年沖縄タイムス八重山支局長。同社関西・東京両支社編集部長、本社広告局長、東京支社長を経て取締役専務。沖縄タイムス・サービスセンター代表取締役社長。平成2年定年退職。昭和63年(1988)著書『南の島の新聞人』(おきなわ文庫・ひるぎ社)刊行。東京・八重山文化研究会長。
2016ー8-13『沖縄タイムス』
1988年10月 沖縄師範学校龍潭同窓会「会員名簿」
1988年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟7号(題字・当銘睦三、表紙絵・平良泉幸)外間正幸(昭和15年卒)「鎌倉芳太郎先生と首里」
1989年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟8号(題字・当銘睦三、表紙絵・平良泉幸)安里盛市(昭和13年卒)「畏友、吉田嗣義さんと三冊の本」
1991年11月 龍潭同窓会『龍潭』弟10号(題字・当銘睦三、表紙絵・平良泉幸)山川武正(昭和9年卒)「心があるから古里だ」