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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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資料の大半を提供している翁長良明氏(携帯090-3793-8179)なるみ堂主人、左・新城栄徳
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2013年7月29日 玉那覇展江さん(沖縄タイムス社ミニコミ紙担当記者)と翁長良明氏


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2013年7月28日~8月31日 平和通り三越側入口「平和通りアーカイブス展」
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山田實 写真コーナー

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2011年4月19日-5月22日「國吉清尚展」沖縄県立博物館・美術館
3月23日ー放射能騒ぎの東京から奥間政作氏が大震災前からの予定していた帰省で帰沖。3時すぎ那覇市歴史博物館で志村学芸員と共に会った。そして写真家の山田實氏のところに寄った。平和通りの古美術なるみ堂に寄ると店主の翁長良明氏、画家の新城喜一氏が居られた。六時前に沖縄文化の杜で金城さん、謝花さん、仲里さん、國吉さんと会う。元琉大教授の西村貞雄氏も居られた。奥間氏は2006年7月に早稲田大学で開催された「沖縄の壺体 國吉清尚」展にも関わったこともある。後、私の家を案内した。

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照屋重男コレクション

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翁長良明コレクション
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写真左から新城栄徳、黒田恭正氏


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Posted by: ryubun02
さて、NYを訪れた一番の目的は、現代美術を見ることでしたが、それも含めて4つの美術館を見学しました(初心者はメジャーなところから)。「メトロポリタン美術館」、「Moma(近代美術館)」、「ホイットニー美術館」、「グッゲンハイム美術館」。他にも、ラテンアメリカ美術館(エル・セル・ムセオ・デル・バリオ)や、ユダヤ人美術館など、気になる所もありましたが予定が合わず、この4館の見学となりました(残念)。メトロポリタンは全世界の美術や工芸品などが見れます。ここでの目当てはイスラム美術でした。イスラム美術の細かな装飾やガラス、モザイクタイルなどを見ました。ホイットニーは、ナンゴールディンの映像作品を覚えています。本当はここでライアン・マッギンレーという作家の写真が見たかったのですが、この時は展示されていませんでした。Momaは一番良かった。ピカソ、ゴッホ、ルソー、マチスなど、有名どころの作品が多くありました。いままで、あまり関心がなかったのですが、ゴッホのスケッチが一番印象的でした(本物を見てみるものだ)。膝を抱えて顔もうなだれている女性の図(sorrow)ですが、ゴッホの印象が変わりました。グッゲンハイムは、建物の造りから面白いです。そろそろ沖縄に帰りたいと思い始めていた時にフラッと行ってみたのですが、入口でチケットを買ってすぐ、インスタレーション(空間)が始まり、現実を忘れた感覚になりました。館全体(内部)が特殊な空間になっていて面白かったです。ジェームス・タレルの作品だったかと思います。彼の作品は瀬戸内海の地中美術館でも見れるかと思います。純粋に面白いです。彼の作品については全く詳しくはありませんが、ある環境における人間の五感の変化(特に視覚)?のような感じです。うまく表現できません。


ワールドトレードセンター跡地。グラウンド・ゼロと呼ばれています。グラウンド・ゼロとは、「爆心地」という意味があり、原爆を落とされた広島や核兵器の実験場などを指すそうです。この場所がグラウンド・ゼロと呼ばれるのは、それを連想させることから来ているようです。仕切りで中の様子はよく見えませんが、「NY9.11」後、復興して、現在は1つのタワー(ワン・ワールド・トレード・センター)が完成しています。この敷地には全部で7つの施設があったそうですが、今回もまた同じように7つ建設するそうです(ガイドの方いわく)。やはり、そのような事があった場所なので、復興に対し批判的な意見もあったようです。また、建物の中に入る店舗が決まらないと建設が進まない(工事の中断もある?,地価に伴い家賃も高い)、9.11から来るその場所に対する不安などもあるようです。

グラウンド・ゼロ向かいの教会。そこは9.11の際、レスキュー隊の休憩場所として使用されていたとのこと。今でも当時レスキュー隊へ各国から送られてきたメッセージや、日本からの千羽鶴などが展示されていました。観光客や修学旅行生?も多く訪れていました。


チェルシーマーケット。色んな食の店舗が入っています。NYで動き始めた初日は、旅行社の半日ツアーに参加したので、そのコースに入っていました。私は旅先での食事に関しては一人で食べても味気なく、また食欲もそれほどわかないのであまり食べません。この日はツアーのメンバーがいたお陰で、最初で最後のNYでの楽しい食事でした。ロブスターは大・中・小あり。小(約20ドル)ですが、充分すぎる量です。

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Posted by: ryubun02
「沖縄・烽火のネットワーク連絡会」代表・島袋和幸(〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)氏が全国の烽火跡などを訪ねた折に出会った蘇鉄。


秋田県潟上市羽白目<烽・とぶひ>遺跡ー古代の烽火場として唯一とも言われる遺跡


上の遺跡は現在 大沢さんの持ち山で、奥さんの右手前には蘇鉄が鎮座している。

2013年6月 『沖縄の軌跡』第102号 「関東大震災虐殺事件 大正12年9月1日 秋田県人・三重県人・沖縄三県人殺害の<検見川事件>の真相」/2013年7月17日『秋田魁新報』■北斗星ーこの連休中、沖縄県生まれで東京都在住の島袋和幸さん(65)は横手市内を歩き回った。関東大震災の混乱の中で命を落とした『旧横手町の藤井さん』の手掛かりを探すためだこの連休中、沖縄県生まれで東京都在住の島袋(しまぶくろ)和幸さん(65)は横手市内を歩き回った。関東大震災の混乱の中で命を落とした「旧横手町の藤井さん」の手掛かりを探すためだ。当時26歳の藤井さんは地震4日後の1923年9月5日、現在の千葉市で自警団に捕らえられて殺され、川に捨てられた。手を下した数人は有罪となり、事件は一部新聞で報道されたが、遺体は海に消えたと思われる震災後、「朝鮮人暴動」の流言が広まり、不安に駆られた住民らの手で多くの朝鮮人が殺されたことは広く知られている。だが、言葉になまりのある地方出身者が朝鮮人と誤認され、犠牲になる事件が続発したことは、あまり知られていない藤井さんと一緒に沖縄県人と三重県人も犠牲になっている。仕事を持ちながら歴史の発掘に取り組んでいる島袋さんは、当時の新聞にある3人の出身地と名前を頼りに親類捜しを続ける。だが沖縄と三重では手繰った糸が途切れ、遺族にたどり着けなかった藤井さんは横手から稼ぎに出た東京で地震に遭い、避難途中に居合わせた2人と共に犠牲になった、というのが島袋さんの見立てだ。郷里の縁者たちは、藤井さんがなぜ亡くなったか、知ることができただろうか島袋さんは「朝鮮人も日本人も、犠牲者の多くは名前さえ分かっていません。そのうちの一人の遺族でも突き止めて供養ができれば、亡くなった人も浮かばれるはずです」と話す。今年は震災から90年である。



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Posted by: ryubun02
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写真ー右から紫女学園大学の松下博文教授、椎窓猛さん、地元紙の記者。手前が嘉数卓沖縄県立図書館長と職員。

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那覇市の与儀公園にある山之口貘詩碑「座蒲団」

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椎窓猛氏に贈った貘の色紙「座蒲団」

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椎窓猛氏に贈った貘のハガキ


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新城栄徳と椎窓猛氏(NPО世界子ども愛樹祭コンクール・コスモネット特別相談役)世界子ども愛樹祭コンクール・コスモネット 住 所: 〒834-1401 福岡県八女郡矢部村大字北矢部11060番地1 世界子ども愛樹祭記念館内 /この法人は、地球規模で環境破壊が進行している現在、主に日本国内及び世界中の子どもたちに対して、水・空気・土壌・生物等の生態系からなる地球環境を守るには、樹木、森林の働きが大変重要な役割を果たしていることの理解を得るために、森林育成や啓発イベントといった事業を行うことで「木を愛する」という文化を広め、自然や郷土を愛する豊かな心を持った子どもを育成すると共に、下流地域との交流により自然環境保全や緑豊かなまちづくりに寄与することを目的とする。

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筑紫女学園大学の松下博文教授。手にしているのが未来の女学生(新城栄徳の孫)の写真
沖縄県立図書館では、沖縄出身の詩人、山之口貘の自筆原稿7500枚が長女の山之口泉さんから寄贈されたことを受け、創立100周年を記念に「山之口貘文庫」を開設し大切に保存。資料整理を行ったのは筑紫女学園大学の松下博文教授。


2013年9月10日『沖縄タイムス』松下博文「『新編山之口貘全集』の意義」


中央が松下博文教授






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2023年1月11日 なはーと、仲嶺絵里奈さん

2013年7月19日『沖縄タイムス』

□2013年9月28日14:00~15:20 沖縄県立博物館・美術館 美術館講堂『フォトネシア沖縄・沖縄写真史講座』仲嶺絵里奈「近代沖縄写真史ー????宮城昇の写真表現ー」

1912年発売の「ベスト・ポケット・コダック」、ベス単派の人が使っていた。安価な値段と、ソフトフォーカスの写真が撮れたので普及した。




2015年10月 第6回「国立劇場おきなわ創作舞踊大賞」
◆第6回創作舞踊大賞 佳作 仲嶺麗子・仲嶺絵里奈作品
「若水(わかみじ)」
年中行事の儀礼の舞踊化として成功している。出羽・中踊・入羽の三部構成が明確で、振付に打組の部分もあって変化に富んでいる。初春の喜びが伝わる清々しい作品であり、全体として若衆芸の新鮮さを表現した点は高く評価される。

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Posted by: ryubun02
2011年9月15日(木)、市内与儀公園内の山之口貘詩碑に案内標柱と説明板が設置され、除幕式が挙行されました。 案内標柱と説明板の設置については、郷土の偉大な詩人の詩碑が人々の記憶から薄れつつあることを憂う文章を、新聞紙上へ投じた伊波興太郎氏の働きかけがきっかけでした。
 
趣旨に賛同し、大同火災海上保険株式会社と株式会社琉球新報社が費用を負担することになり、説明板の内容や案内標柱のデザインを、那覇市歴史博物館が担当しました。 説明板には、山之口貘の詩人としての足跡が記され、案内標柱には、詩の題材になった「デイゴ」、「アダン」、「ソテツ」、「バナナ」がデザイン化されています。
 
詩碑は、1975年7月19日、詩人の13年忌にあたり建立期成会の尽力によって、2万人のカンパが集められ、与儀公園内に設置されました。詩碑には、詩人が最も愛したと言われる作品「座蒲団」の自筆の扁額を拡大して刻まれています。 (那覇市HP)

「貘さん」知って 与儀公園に詩碑説明板
2011年9月16日『琉球新報』
山之口貘詩碑の説明板の除幕式=15日、那覇市の与儀公園
 那覇市与儀公園内にある山之口貘詩碑のそばに説明板と案内標柱が新たに設置され、琉球新報創刊記念日の15日に除幕式が行われた。
 設置費用50万円は「山之口貘賞」および貘さんの生誕100年を記念して創設された「神のバトン賞」を主催する琉球新報社(富田詢一社長)と、CMで貘さんの詩を使用している大同火災海上保険(照屋侑社長)が負担し、那覇市に寄贈した。
 山之口さんの詩「座布団」を刻んだ詩碑は1975年7月19日に建立されたが案内表示もなく目立たないことから、やえせプランニングプロデューサーの伊波興太郎さん(63)が2010年12月に説明板などの設置を那覇市に要望。琉球新報社と大同火災海上保険に協力を 呼び掛けた。
 説明板は富田社長、大同火災海上保険の宮良直人会長、佐久川馨那覇市市民文化部長、伊波さん、第1回山之口貘賞受賞者の岸本マチ子さん、貘さんについて研究する仲程昌徳さんが除幕した。
 伊波さんは「貘さんを若い世代に知ってもらうためにも説明板と案内標柱が設置されたのはうれしい」と喜んでいた。







□説明板には末吉安久氏が「貘さんおいで」のぼり旗を持って貘さんの隣りに写っている写真がある。なお、沖縄県立図書館の左側には「安冨祖流楽祖之碑」がある。安冨祖流絃聲会が1964年1月18日に建立しものだが、設計は末吉安久である。ちなみに、揮毫は島袋光裕、刻字が安里清謙、施行が安里清福である。沖縄県立図書館の館長室には歴代図書館長の一人として末吉安久の写真も飾られている。

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